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空気を読まなかった男と不良未満少女の、ひとつ屋根の上交流日記  作者: 未紗 夜村
第四章 『あい』に始まり、『あい』に続く
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四月二十一日(金)。過去を持ち、今を生き、未来へ向かう者達。

 さて。新章に突入したし、ちょっと俺と詩乃梨さんの間にある運命の悪戯について一文で端的におさらいしておこう。


『現在恋仲に至りつつある俺と詩乃梨さんは、実は十年前に一度、相思相愛になったことがある』。


 やむにやまれぬ事情で一度別離を経験した二人は、十年の歳月を経て運命の再開を果たす。しかし二人は互いに相手がかつての恋人だったなんて夢にも思っていなくて、そうとは知らないままに再び惹かれあい、ゆっくりと、たいせつに関係を育んでいく。そして、満を持して明かされる、過去の二人が築き上げた確かな縁。奇跡とも言うべきステキな運命のイタズラを知って感極まった男と女は、心と体を激しく燃え上がらせ、めくるめく肉欲と愛欲の日々へともつれこんでずっこんばっこん。


 いける。いけるで。これもう勝利が約束されたも同然やないかい! 琥太郎くんは約束された勝利の権利を手に入れました! ヒャッフゥー!


 もしここから一発逆転満塁サヨナラホームラン食らうとしたら、それはもう『実は詩乃梨さんの過去の男が俺ではなかった』とかいう誰得寝取られフラグくらいしかないでしょーこれ! 過去の男が再び詩乃梨さんの前に現れ、俺とその男の間で揺れる詩乃梨さんの心。そんな詩乃梨さんを信じて待つ俺とは対照的に、その男は詩乃梨さんの心の弱い部分につけこんで巧みに甘い言葉を囁き半ば強引に肉体関係を結んで俺に対して負い目を感じる詩乃梨さんを慰めるかのように男は幾度となく詩乃梨さんの身体を弄び俺の知らない所で詩乃梨さんの性癖はじわじわと開拓されつづけ――


 しゃらああああああああああぁぁぁぁぁぁ―――――っぷ!? やめろおおおおおおおおおぉぉぉぉぉおおああああああぁあああああぁああああああぁぁあううああああっぁあああああああああああああああおあうおうおううああああおうおあうあああああああぁぁああぁあ――――――ぁぁあああッッッ!?


 あががががががががががが。がががが、ががががががががが。


 …………………………やめろ、やめるんだ。そんな展開は誰も望んでなんかいない。詩乃梨さんの初恋の相手は俺でした。それでいいじゃないか、変に不穏で物騒なひねり入れんといて? ね? ね!?


 ……でも。


 詩乃梨さんが俺のことを覚えていないのは、まあ、当時詩乃梨さんって五歳とか六歳とかだから仕方ないにしても。俺が詩乃梨さんのことを覚えていないっていうのは、どういうわけなんだ?


 あんなかわいい子、一度見たら忘れるわけないだろ。マスターほどではないにしろ、俺だって妖精さんの顔を覚えるの趣味みたいなとこあるし。本物の妖精さんのご尊顔を、綺麗さっぱり忘れ去るなんてことあるのか?


 それに、詩乃梨さんは、ただかわいい子ってだけじゃない。あの、彼女が生まれ持った灰色の髪の毛。あんなに一目でわかる印象的な特徴すら忘れてしまうなんて、そんなことが本当に有るのか?


 ……………………………………。


 い、いや、でも、当時の俺ってばブラック労働で半死半生になってたから、毎日意識朦朧としてたし? 夢現の中で詩乃梨さんと出逢ったっていう可能性も無いとはいいきれないし?


 ……無いとは、言い切れ、ない……? あれ、もしかして、俺が詩乃梨さんの初恋の相手である可能性って、実はそんな表現しなくちゃいけないほど低確率だったりするの……?


 十年くらい前。そんな昔ってなると、俺の見知らぬイケメンが本当にこのアパートに住んでいた可能性っていうのも、無いでは無い。今だって、大学やら専門学校やらに通ってそうな若いあんちゃんが、わりと入れ替わり立ち替わりで入居と退居を繰り返してるし。あいつらやたら騒ぐから、聞こえてくる声の違いで「あ、代替わりしたな」ってわかっちゃう。近所迷惑、いくない! マジ黙れやおまえらぁ!


 閑話休題。


 ……詩乃梨さんの、初恋の相手って、俺で、いいん、です……よ、ね? ……俺と詩乃梨さんの迎えるエンディングって、寝取られバッドエンドとかじゃ……ない、で……す、よ……ね……?


 とか、そんな心配をしているうちに。


 まったく別の方向から――というか、むしろ来たるべき方向から、新たな火種が舞い込んで来てしまいましたわけですのよ、ええ。



 ◆◇◆◇◆



 金曜日、午後十一時。一週間の仕事を終え週休を手つかずで取ってある以下略。


 先週の風呂以来、詩乃梨さんとの関係に進展は特になし。もちろん毎日一緒に風呂なんて入ってない。ついでに言うと、初恋の相手関連の話は詩乃梨さん的に俺に言っちゃダメなやつ扱いになったらしく、俺から話題に上げることも出来ない。


 もやもやである。


 超もやもやである。


 俺は盛大なもやもやを抱えたまま、ベッドに大仏様みたいにゆったりと横臥して、目の前をふらふら揺れてる灰色の頭をひたすら眺め続けることしかできずにいた。


 灰色の頭。言わずと知れた詩乃梨さんである。服装は学校の制服姿。ベッドの土台を背もたれにして、スカートを膝裏に丁寧に挟み込んだ体育座りで、左右にゆ~らゆ~らと頭を揺らしている。ついでに、長髪の先端から十センチ位の所を片手で一つに束ねて、意味も無く人差し指と親指でよじっては戻し、よじっては戻し。さらに、ソックスに包まれたつま先が、持ち上がってはぺったんと降ろされ,持ち上がってはぺったんと降ろされ。


 繰り返しになるが、現在の時刻は午後十一時。いつもの詩乃梨さんだったらとっくに自分の部屋へ戻っている時間である。なのに今日に限って、この子はいつまでも俺の部屋に居残って、こんな落ち着きの無い謎のそわそわ行動を繰り返している。


「詩乃梨さん、なんかあったの?」


「んー。べつにー」


 もう幾度目になるのかわからない問いと、もう幾度目になるのかわからない気のない返事。詩乃梨さんの声には怒りも不満も滲んでおらず、なんだかぼーっとしているような感じだ。俺の声がきちんと耳に入っているのかすら怪しい。


 ………………さみしいなぁ……。一緒に居るのに、全然かまってくれないよぉ、ふぇぇ……。……ふぁぁぁぁあ、眠ぃ……。


 くあっと欠伸をかいて眼をごしごし擦る。軽く二、三回まばたきして、視界の滲みを取り除き、視線を再び詩乃梨さんへ。


 すると、首を捻ってこちらをじーと見つめている彼女と目が合った。


「……こたろー」


「んー、なーにー?」


「……こたろーさ、かっこいいよね」


「…………………………………………お、おう。サンキュー」


 なんかいきなり褒められた。でも全然嬉しくない。だって詩乃梨さん、頬を赤らめてキャッとかわいく悲鳴上げたりとかしないんだもん。例の、人を観察する猫の目なんだもの。


 詩乃梨さんは身体全体をこちらへ向け、両手をベッドの上にちょこんと引っかけるようにして置いて、その上に顎をのせて頭をくったりと傾けた。猫の瞳が、どこか愁いを含んだように細められて逸らされる。


「こたろーは、かっこいいよね。……告白とか、いっぱい、されてるよね」


「………………………………………ちょっと嘘ついていい?」


「……嘘つかれても、もうわたし、こたろーのこときらいになれないよ――」


「告白はされたことあるけど二回だけです、小学校一年生か二年生の時にクラスメイトの女の子に告白されてバレンタインデーのチョコもらいましたホワイトデーにキャンディー返しましたそれだけでその子は終了です。次の告白は中学二年生の時にクラスメイトの女の子に日常会話の中でそれとなくちょろっといわれだけの告白とも言えない告白でしたその子とはそもそも友達ですらなかったので当然お付き合いもしませんでした」


 一息に言い切った。嘘ついたら嫌いになるぞと脅されるより、嘘吐かれてもきらいになんてなれないよと涙ながらに訴えられる方が心にクるのだと俺は今日初めて知りました。


 詩乃梨さんはちょっとびっくりして目を白黒させていたが、やがて安堵したようにふにゃりと頬を緩ませた。


「ありがとね、こたろー」


「いえいえ。で、俺が告白されたことあると、なんかあるの?」


「んー。……あのね、こたろう、わたしの話聞いても、怒らない?」


「………………………………怒らない自信は、無い。でも、滅多な事では怒らない」


「そっかー。………………あのね、わたし、こくはくされたの」


 …………………………ふむ。


 ………………ふむ?


「こくはく? ……愛の告白?」


「うん」


 こくり。彼女はぷにぷにほっぺとぷにぷにお手々をドッキングさせたまま、素直に頷いた。ちょっぴり熱があるかように、頬はほんのり朱に染まり、瞳もなんだか潤んでいる。


 ……愛の、告白。


 詩乃梨さんが、こんな熱に浮かされてぽーっとするような顔をしているのは、その告白が理由。


 俺ではない男の、愛の言葉に、詩乃梨さんの、心が、ときめいている。


「……………………」


 怒りはしない。詩乃梨さんは、まだ俺と正式にお付き合いしているわけではない。どころか、俺の申し入れた結婚も婚約もきちんと断った。つまり、彼女は完全にフリーの状態ということになる。彼女が俺以外の誰かにときめいたからといって、俺が彼女に怒りを抱くのは、お門違いで筋違いだろう。


 告白してきた男についても同様だ。そいつは俺とはまったく無関係な所で、詩乃梨さんのことが好きになったから告白をした、それだけだ。彼の勇気ある行動は称えこそすれ、批難されたり、まして無関係な俺に怒られなければならないような行いでもない。


 ……怒りはしない。


 …………………………ただ、悲しい。


 かなしくて、つらい。


 俺の愛しい人が、俺以外の男に愛を囁かれて、こんなにも心を揺さぶられてしまっているのだという、その事実が。


 泣き出したくなるほどに、つらくて、かなしい。


「……告白、された、のか」


 意味の無い問いを繰り返す俺に、詩乃梨さんははっとしたような表情で詰め寄ってきた。


「こ、告白、断ったからね!? もうほんとすっごいすぐに断ったんだからね!? だいたい今まで喋ったことないようなヤツがいきなり友達との会話に横から割り込んできて『幸峰ってそんな顔で笑うんだな。オレ、実は前からお前のこと気になってたんだよね。オレと付き合わない?』とか頭沸いたこと言いながら顔寄せてきたから思いっきり突き飛ばして『わたしはおまえみたいな言葉も脳味噌も軽い男なんて眼中に無い!』ってしっかりきっぱりはっきり宣言したからね!」


「………………………………お、おう。そうか」


「そう! なの! です! ふんすっ!」


 顔、顔近いぜしのりん。盛大な鼻息が俺の口に入りそうっすよ。とりあえず貴女の気持ちはわかったので、どうか気をお鎮めください。


 俺は横たわった姿勢のまま、もぞりもぞりと這って、詩乃梨さんの頭を俺の胸へ埋めるように片腕で抱き寄せた。


「ふごー、ふごー」


 パジャマとTシャツを貫通して胸に吹き付けられる、生温かい吐息。俺はそれを堪能するために、詩乃梨さんの後頭部に添えている手にちょっとだけ力を込めた。


 詩乃梨さんはしばらくふごーふごーと鼻息のような悲鳴を上げていたが、やがて抵抗を諦めたのか、俺のパジャマ越しに溜息を吹き込んだりして遊び始めた。

 

「あー、あったけー。いいねぇ、しのりんホッカイロ。胸がほっこりしちゃうよ、比喩としても物理としても」


「ふーご、ふー。ふごー。ふーごごー」


 ふごふご、ふごふご。彼女は本格的に息が苦しくなるまでの間、ただひたすらに、俺の胸を温める遊びを楽しみ続けた。



◆◇◆◇◆◇◆



 さて。詩乃梨さんが告白されたなんて話も、その告白で詩乃梨さんがあんな顔をしただなんてことも忘れたいから、わりと強引に有耶無耶にしてしまったわけだけど。


 そうか。初恋の人が俺だとか別人だとかいうのとは別問題として、詩乃梨さんが俺以外の誰かに好意を抱かれたり、逆に抱いたりする可能性というのは、フツーに存在しているのか。


 そして、それは。きっと、俺にも言えること。


 俺も彼女も、過去ではなく、今を生き、不確定な未来へ日々歩み続けている。


 約束された勝利など、本当は、どこにも存在しないのかもしれない。



 ――だからこそ。俺は、俺と彼女は、これからも勝利へのたゆまぬ努力を積み重ねていくのだ。

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