四月十四日(金)。彼女は観察する。
さて。新章に突入したし、ちょっと俺と詩乃梨さんの間にある関係について一文で端的におさらいしておこう。
『俺は詩乃梨さんに結婚や婚約を申し込んだがことごとく断られ、しかし俺達は朝晩一緒にご飯を食べたり互いの唇を求めたり一緒の布団で夜を明かしたりした』。
追加情報として、俺が詩乃梨さんの首筋を思う存分噛んだり舐め回したりしたことも一応言っとく。あと俺と詩乃梨さんが夫婦どころか恋人どころか友達ですらないことも一応言っとく。あと詩乃梨さんが相変わらず俺に恋愛的な感情をあまり抱いていないということも一応言っとく。あと恋愛的な感情をあまり抱いていないにもかかわらず肉体的な興味はむくむく膨らんでいるっぽいというのも一応言っとく。
総評。
な ん ぞ こ れ。
おいどういうことだってばよ。俺と詩乃梨さんの関係って結局一体何なんすか。『屋上で一緒にメシ食うだけの関係』という謎ではあれどシンプルな肩書きももう適用はされまい、前章で屋上でメシ食ってねぇし。一言ではとても言い表すことが出来ない、複雑で珍妙で奇々怪々な関係が、俺と詩乃梨さんの間に醸造されてしまった。
ああ、今ついでに言っとく。今週の月曜から今日までは、俺と詩乃梨さんの関係には特に後退も進展も変化も無かった。もし変化有ったらその都度みっちりねっちょり書いてますのでね。ひとまず、不文律的に固定されつつある俺と詩乃梨さんの新生活スタイルについてさらっと見てみましょうか。
朝晩のご飯は、俺の部屋で一緒に食うようになった。昼は、詩乃梨さんが毎回欠かさず用意してくれるようになった。食費問題については、食材は完全に五分五分で折半し、光熱費を俺が負担する代わりに詩乃梨さんが料理を作ってくれると言う形で早々に決着。全裸見られたり接吻おねだりされたり同衾したりっていう特殊イベントは、月曜のあれ以来今のところはナシ。
一緒に居る時間は増えたはずなんだけど、思ったほどは進展してない。ほぼ横這いだ。まあそりゃそうか、一緒に居るだけで関係が進展するというのなら、あの無言で過ごした春夏秋冬の間に俺と詩乃梨さんは宇宙レベルのバカップルになっているだろう。見えねぇ、そんなステキな未来がまったくもって見えねぇよちくしょう……!
となると、ここらでちょっとしたイベントなりアクションなりを挟みたいところではあるんだけど。俺も詩乃梨さんも、行楽地に行ってわーきゃー騒ぐってタイプでも無ぇしなぁ……。寂れた温泉宿でふたりきりでまったりゆったり過ごす、とかなら喜んでくれそう。あんまりお高いところだとそれだけで雷龍の逆鱗に触れることになるだろうけど。
しかし、それな。それあるな。静かなところでふたりでまったりゆったり過ごす、っていう線はなかなかに悪くない。ちょっとした遠出や出費が予想されるのはゴールデンウィークにでも回すことにして、もっと日常的に通ってる範囲で、そういうほっとできる憩いの場ってなぁい? チラチラッ。
……ああ、うん。勘の良い人にはもう気付かれてるかもしれないけど、その『アテ』があるからこそわざわざこんなことを言っているわけなのさ。
俺と詩乃梨さんがほっとできるって言えば、キーワードはもう、あれしかないだろ? それにさ。詩乃梨さんって、ケーキ、大好きらしいしさ。そうなったらもう、俺が詩乃梨さんをどこに誘うかなんて、ひとつしか選択肢は無いよね。
◆◇◆◇◆
金曜日の夜。一週間の仕事を終え、後にはまるまる二日間の休みを大好きなデザートのごとく手つかずで取ってあるこの素晴らしきひととき。今日も今日とて俺の部屋で夕飯を食べ終えた俺と詩乃梨さんは、皿洗いやら風呂やらもなんもかんも終わって、緑茶を飲みながらまったりと過ごしていた。
俺はパジャマ、詩乃梨さんは学校の制服姿。詩乃梨さんは、朝は学校へ行く準備を終えてから、夜は学校終わってからほぼ直行で俺の部屋に来ているらしく、この数日間は制服姿しか目にしていない。
俺の部屋に、かわいい女子高生がいる。しかもその女の子は、俺のことを人間として大好きで、尚且つ、人間としてのみならずいつかはひとりの男性としても大好きになりたいと宣言してくれた子である。
今日は金曜日。現時刻、午後九時。一組の男女が契りを交わして朝チュンするには絶好のタイミングであり、余裕もたっぷりとある。
でも、なーんかそんな空気にならないんですよねぇ……。
「詩乃梨さーん、お茶のお代わり要るー?」
いつものように、こたつの一方向に収まる二人。俺はあぐらをかいて後ろに片手を突いた体勢で湯飲みをふりふり掲げて見せながら、体育座りでお茶啜ってる隣の女の子に声を掛けた。
彼女は俺の方をちらりと見ると、それきり何の返答もなく、視線を前へと戻してしまった。
無視――では、ない。視線は一度、確かに俺へと寄越した。なのに、何故か何も言わない。
あの月曜日以降、彼女はずっとこんな調子だ。俺が呼びかけてもろくに答えず、けれど完全に無視をするわけでもなく、ご飯だって毎日朝昼晩作ってくれるし、朝晩はこうして一緒に食べてもいて、なのに何故かろくに俺の相手をしてくれない。
ちなみに、関係は後退したのではなく、あくまでも横這いだ。詩乃梨さんが俺に向けてくる視線には嫌悪の類は無いし、むしろふとした時にちょっと身を寄せてきたりしてしきりに存在をアピールしたりしてくる。
横這い。あるいは、匍匐前進。そんな感じ。
付かず離れず、一定の距離を保ちながらこちらの様子を窺ってきて、ふとした瞬間にはびっくりするほど近くに居るんだけど、こちらがそれに気付くと今度はふいっと逃げてしまう。
なかなか懐かない猫を思わせるその態度が表れ始めたのは、彼女と同衾した日の明朝からだ。
抱き締め合うようにして一緒に寝ていたはずの詩乃梨さんが、気付くと居なくなっていた。あの時から、俺の『おや?』と何かひっかかるような気持ちは始まっていたように思う。
となると……やっぱり、あの同衾が何かしら彼女に影響を与えたってことなのかしら? 彼女の愛らしい頬を俺の触手染みたベロがべろべろ舐め回していたことはバレてはいないだろうけど、華奢な背中にそっと添えてあげた手を離した記憶はない。そこら辺が、この妙ちきりんな距離感というか空気感に繋がっているんだろうか。
そんなことを考えていたら、視界の端からにょっきり湯飲みが生えてきた。
「こたろう。おかわり」
膝を抱えて拗ねたような声で言ってくるのは、隣に座る女の子、幸峰詩乃梨その人である。ちなみに今はブレザー着用してるけどエプロンはベッドに放ってある。リボンタイはどこかへ仕舞い込んだのか、ブラウスのボタンの喉元二つが解放されていて、白いのどのまばゆさについつい目を奪われそうになる。
俺は湯飲みを受け取り、適当にお茶を作ろうとした。が、ケトルのお湯がもう無い。そういやこれで俺達何杯目だよ? 二人してあまりにもぼーっとしすぎてて全然覚えてないぞ。
「こたろう、はやく」
「ごめん、お湯無くなった。もっかい湧かす?」
「……じゃあお茶はいいや。……コーヒー有る? 湯煎してくる」
詩乃梨さんが、てきとーに言葉を放りながら、丁寧にスカートを押さえて立ち上がる。
俺はそんな彼女の台詞を聞いて、さきほどまで頭の中でぼんやりと練っていたプランについて思い出した。
「詩乃梨さん、すとっぷ。すとっぷ。コーヒー飲む前にちょっとお話聞いとくれ」
ブレザーの袖をくいくいと引っ張りながらお願いしてみたら、詩乃梨さんは少し不思議そうな顔をしたものの、再び腰を下ろしてくれた。
二人、あぐらで相対。特に何の感情も浮かべていない詩乃梨さんに、俺も特に何も構えることなく台詞を投げる。
「明日、喫茶店行かね? 俺がいっつも行ってるとこなんだけど」
「喫茶店? なんで?」
「……なんでって言われても……。詩乃梨さんと、行きたいから、かな? それ以外の理由は特に無い」
「………………ふぅん?」
詩乃梨さんはちょっとだけ首を傾けて、否定的でも肯定的でもない鼻息を漏らす。これどっち? 行ってくれるの、くれないの?
「……まあ、行きたくないなら、この話は別に流してくれていいけ――」
「行く」
即答であった。であったが、やはり乗り気なのかなんなのかよくわからない顔。でも今のタイミングでこの返事ってことは、行きたいって思ってるってことで、いいんだよね?
詩乃梨さんは何か言葉を付け足すこともなく、まるで人間を観察する猫のように、じーっと俺を見つめてくる。
……うーん。雷龍、愛らしい少女、甘えたがりの幼子、拒絶する世捨て人、大人の女性などなど色々な顔を見せてくれてた彼女だけれど、どうにもこの表情は前例がなさ過ぎて心理がいまいち読み取れない。
この一週間、手をこまねきながらも、「まあ嫌われてるわけではないっぽいし、いっか」と楽観していたわけだが……。今回の喫茶店へのお出かけで、何か変化は起こるだろうか?
そんなことを考えているうちに、一言二言の会話で当意即妙に待ち合わせ場所と時間が決定。その日はそれでお開きとなり、俺は翌日に向けて色々とプランを練る作業に入るのだった。




