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四月一日(土)。お友達御用達イベントと、挨拶。

 これまでの、アパートの屋上におけるあの少女とのエンカウント率についてまとめてみる。


 会えるのは、土日祝日の朝飯時か昼食時限定。朝食は毎回必ずご一緒させて頂いている。昼は俺が行かなかったり、少女が来なかったりでまちまち。朝の時点で少女が学校の制服を着ている場合は、学校で何らかの用事があるらしく、昼には絶対に会えない。平日に少女がどうしているのかは、俺の通勤の都合があるので確認したことがない。


 ちなみに、俺はこのアパートに引っ越してきてからの約十年間、屋上で少女以外の住人と鉢合わせたことはない。普通のアパートだったら屋上なんて滅多に無いし、有っても使用禁止なことが多いらしいので、皆最初から『アパートの屋上を使う』という意識が無いのだと思う。

 というか、場所によらず住人と出くわすこと自体が滅多に無いので、みんな隣人とできるだけ顔を合わせないように行動しているのかも知れない。かく言う俺も、自分の部屋の玄関からいざ出ようとした時に足音が聞こえて来たら、なんとなく息を潜めてやり過ごしてしまうクチだ。


 ともあれ。俺はいつも通りに朝食のパンと缶コーヒーをコンビニで購入し、その足でアパートの屋上へと向かった。


 錆の浮いた扉を押し開け、麗らかな陽ざしとそよ風の中へと踏み出す。


 ゆっくりと扉を閉めてみれば、丁度死角になっていた場所から姿を現すのは、樹から丸ごと削り出したような木製のベンチ。

 

 そして、いつもの位置に腰掛けていつものように硬い表情のままもふもふとサンドイッチを囓っている、見慣れたジャージ姿の少女。見慣れたとは言っても、前回まではこの上にコートを着込んでいたから、直に見るのは結構久しぶりかもしれない。


 少女は、咀嚼を止めて俺の方をちろりと上目遣いに覗き見た。そして、ほんの一瞬の逡巡の後、何事も無かったように食事を再開する。艶やかな長髪が揺れて日の光を反射し、灰色というよりは銀髪に近しい神秘的な色合いを見せた。


 ……おっと。声をかけるタイミングを完璧に逃したっぽいぞ。おそらく今の『一瞬の逡巡』の時がベストタイミングだった。あれたぶん、この子も何か言おうか言うまいか迷ってたんだと思う。


 俺は少しばかり意気を消沈させながら、少女の隣に腰を下ろし、コンビニ袋をがさごそと漁った。


 取り出したるは、当初買う予定ではなかった、唐揚げパック。だって美味そうだったんだ、仕方無いじゃ無いか。とりあえずこれをピザパンに挟んで超リッチパンを作ろう。


 とりあえず唐揚げは蓋だけ開けて一旦隣に置いとくとして、次はピザパン、ピザパンを……。


「………」


 唐揚げは、パックに入っているのを買って来たので、結構量がある。具体的にどのくらいあるのかって? それはな、一個か二個くらいは『誰か』にお裾分けしても見た目が減らないくらいに有るんだよ。


 ちらり、と少女の様子を盗み見る。


 少女も偶然俺の方を見ていたのか、目がばっちりと合ってしまった。


 だが、互いに驚愕するでも慌てるでも、ましてや「何か用?」などと声をかけるでもない。俺達は互いを認識はしても意識はしない、そんな空気のようなものとして扱ってきたからだ。


 だから、俺がこの言葉を口にすることができたのは、少女がこちらに興味を失ってから数秒は経った頃だった。



「……一個、食べない?」



 少女が、サンドイッチに食らいつこうとしたまま動きを止める。


 僅かなタイムラグの後に口を閉じ、少女は辺りを見回して、怪訝そうに首を捻った。やがて何かに思い至ったようで、もしかしたら、ひょっとして、みたいな顔でゆっくりとこちらへ振り向く。


 俺は、少女の視線を受け止めきることができず、目線を逸らしながら唐揚げパックをすすっと少女の方に押し出した。


「………」


 少女は俺の顔と唐揚げを交互に見て、最終的に俺の顔を見ながら何やら考え込み始めた。


 待つ事、一分近く。


 少女は、手にしていたサンドイッチを千切り、歯形の付いていない方をおそるおそる差し出して来た。


「……交換で」


 緊張で固まりきった声音は、それでも尚、やはりとても可愛らしいと感じられるものだった。


 俺は無言で頷き、サンドイッチを受け取った。少女の手に触れてしまわぬよう慎重に、尚且つ、不審に思われない程度に素早く。


 困難な任務を無事に完了し、カウンターとばかりに逆の手で唐揚げパックを一押し。


 少女は俺と同じように頷き、しかし一瞬何かを躊躇する。


 俺がその僅かな空白の意味に思い至るのと、唐揚げがほっそりとしたたおやかな指で摘まみ上げられるのは同時だった。


「………」


 ――爪楊枝有るよ、って言うの忘れた!


 時既に遅し。少女は手にした唐揚げを何の疑いも無く自らの口元へ持っていき、あむあむと四回に分けて噛み千切った。最後に、油塗れになった指を見て眉を顰め、小さな舌先でぺろりと舐め取る。


 ……使い捨てのお手拭きもあるよ、って言うの忘れた……。


「……? ごちそうさま、でした?」


 食べる様子をひたすら観察していた俺を見て、少女は不思議そうな顔をしながら軽く頭を下げた。


 忘れよう。爪楊枝とお手拭きなんて最初から有りませんでした。


 俺は首肯で少女に応え、受け取ったサンドイッチを食べることにする。


 ぱくり。ごっくん。ふぅ、美味かった。ぺろぺろ。以上。


「……あ、俺も、ご馳走様でした」


 少女に倣って、ぺこりとお辞儀。


 これに、少女は「うん」と素っ気なく一言だけ返してきた。そのまま、これで用事は終わりとばかりに、ジャージのポケットから取り出した缶コーヒーを両手で弄びながら青空を眺め始める。


 少女の横顔は、いつもより少しだけ幸せそうに見えた。


「………」


 幸せそうな女の子って、見てて和む。しかも、自分の好みの女の子がということであれば、尚更だ。


 ……あくまでも目の保養とか心の栄養的な意味であって俺別にロリコンじゃないからな!?



◆◇◆◇◆



 その後は、やはりいつも通りの無言で、飯もコーヒータイムも終了。


 で、いつも通りではない出来事がひとつあった。


 屋上から去る段になって。いつもは数分ほど時間差を付けて俺か少女のどちらかが先に下へ降りていくのだが、今日に限っては、先に行こうとした俺の横をすり抜けるように少女が扉を開けた。


 戸惑う俺を振り返り、少女は無表情で一言。


「じゃあ――また」


 出逢ってから初めて言われた、別れと、次の機会を約束する挨拶。


 俺がそれに返事をできたのは、少女が扉の向こうに消えた後だった。

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