五月十四日(日・1)。閑話的邂逅第二弾、その1。
ほんと今すぐヤらせてもらえばよかったわ!!!!!
と後の祭り感満載の感嘆符が乱れ飛びまくりのガチ後悔をする羽目になったのは、それからわずか小一時間も経たないうちのことであった。
あの後、お肉マシマシの夕飯を綺麗にぺろりと完食してから、さぁてお次は詩乃梨さんのやわらかなお肉をくださるのかしらっと瞳をキラキラさせながら、肉の棒の先端から粘液をだらだら垂れ流しつつ(※←舌から垂れたヨダレのことです)、ひたすら『待て』していたのだが。
「わかってる、わかってるよぉ~? こたろーは、ほんっとどすけべだなぁ~♡ むふふぅ」
妙に上機嫌なまま俺を見下ろす詩乃梨さんは、蠱惑的ないやらしいにやにや笑いを浮かべるわりには、ちっとも本格的にエロい展開へは持っていってくれる気配が無く。それどころか、夜が全然更けないうちから「お腹、いっぱいになった? それじゃ、良い子はねんねしましょうねぇ~♪」なんて完全に子供扱いで添い寝と子守唄をプレゼントされてしまい、良い子な俺は「詩乃梨ママだいちゅきぃ♡」なんて幼児退行起こしながら十二時間以上スヤスヤとおねんねしちゃって――
「いや何マジで寝とんねん!!!!? 違うだろ!? そこは赤ちゃんプレイでもなんでもいいから十八禁に持ち込むところだろ!? それこそアダルトゲームみたいに!! アダルトゲームみたいにぃぃ!!!!」
昨夜の後悔を再燃させてる、明朝午前九時現在。俺の近所迷惑な叫びを注意してくれたり煮え滾る性欲をその身で受け止めてくれるはずのあの娘の姿は部屋に無く、なんでも「今日はちょっと行くとこ『できた』から、こたろーはひとりでさみしくお留守番ねっ♪」とのこと。
いやそんな残酷なぼっち宣告を音符付きで残されても……てか行くとこできたって何その意味深な言い回し……いやまぁしのりんがゴキゲンさんならなんだって良いんだけど……良いのか……良いならじゃあべつに良いかなぁ……?
「……いや、やっぱ良くねぇし……。大体、なんで今日は俺付いていっちゃダメなん……? ハブなん? 俺だけハブなん?」
そんな涙交じりの独り言にも、当然返ってくる言葉は無い。
しばらくベッドでごろごろうじうじしていたのだが。そのまま部屋にいるとついネットでエロ画像漁って自分で自分を慰めてしまいそうだったので、詩乃梨さんに対する不義理を働かないために、詩乃梨さんの言いつけを破ってお外へ繰り出すことに決めた悪い子俺であった。
◆◇◆◇◆
人の温もりを求めてついつい足が向いたのは、昨日もやって来たお馴染みの河川敷。
土手の上のサイクリングロードから辺りをぐるりと見渡してみれば、今日も今日とて、どこぞの野球少年達や野球青年達や野球中年達が整地されたりされてなかったりするグラウンドでわいわいやっており、道行く女子中学生集団や男子高生集団やママ友集団がわいわいやっており、なんでみんな仲間と楽しそうにやってるのに俺はこんなとこで一人寂しくぽつんと立ってんだろ……。泣ける……。
「真の孤独とは、人の群れの中でこそより色濃くなるものなのだなぁ……」
「いや、いきなり何意味わかんないこと言ってんすか、先輩……」
センチメンタルな独白に無粋な横槍を入れられて「あぁん?」と振り向いてみれば、そこにはこんな休みの日まで見たくない職場の後輩のすこぶるイケてるメンがあった。温厚な印象を与える瞳をドン引き色に染めてる失礼なその若者は、名を尾野正祥と言う。爆ぜろ。
こんな所でまた出くわすとは思っていなかった相手だが、前例があるから意外と言うほどでもない。それでもちょっと面食らったような気持ちになってしまったのは、尾野のやつがスーツでもジャージでもなく、なんか雑誌やテレビのアイドルが着てそうな超イケてる服装に身を包んでたからだ。疾く爆ぜろ。ぺっ!
内心の舌打ちと唾吐きをそのまま口に出してやろうと思ったが、いつぞやと同じく尾野の隣に楚々として侍る女性の姿を認めて思いとどまる。
「土井村さん、でしたよね? またお会いしましたね、こんにちは。主人がいつもお世話になっております」
「あ、ど、どもっす、土井村です、ウッス」
これまたいつぞやと同じように丁寧な挨拶とお辞儀を受けた俺は、彼女――尾野愛希さんの綺麗な黒髪が垂れ下がる速度よりも早く反射的に礼を返した。
頭を下げるのは社会人になってから身にしみついた習慣だが、きっとサラリーマンをやっていなくてもこの人には自然と頭を下げただろう。愛希さんはその物腰といい見た目といい、まさに深窓の令嬢といった言葉が当てはまるような気品がにじみ出ているのだ。
が、尾野曰く、そんな彼女の纏う高貴なオーラはハッタリにすぎないとのことらしく。隠すことのない溜め息をついた尾野は、ぞんざいな手つきで奥さんの後頭部をぺしりと叩いた。その一撃で猫のガワはすぽーんと綺麗に吹っ飛び、「あいたー!」なんて大げさに叫んでうずくまる愛希さんに、尾野はなおもぺしぺし攻撃を続ける。
「愛希ちゃぁ~ん、だからその猫ほんとかぶりやめろっていっつも言ってるだろー? そろそろ怒るぞー?」
「だってぇ、これもう癖なんですってばぁ……。いたっ、いたい、やめて、髪型くずれるからやめてぇぇぇ~」
「そしたらまた直してあげるっす。そしてまた崩ぅす!」
「それ一生終わらないじゃないですかぁぁぁぁやめてぇぇぇぇいやぁぁぁぁぁぁ……」
「ふふふふ、やめてほしければ今日の夕飯は愛希ちゃんが作るっす」
「えぇ……? 昨日も作ったばっかりですよ? これ以上奥さんを酷使したら腕が攣りますよ? そしたらせーしょーくんが看病してくれるんですか? 付きっきりですか? トイレやお風呂も? やったぁ、絶対夕飯作りません!」
「あぁぁぁきぃぃぃぃxちゃぁぁぁぁぁぁん?」
「あああああああああぺしぺしやめてええええええええ地味に痛いですううううう」
……………………。なんだ、このバカップル……。孤独に震えてる会社の先輩の前でいきなりイチャイチャし始めおったぞ、鬼畜か……?
真冬の無人島に取り残されたような気持ちで呆然と佇む俺に、はっとした尾野のへたくそだがやけに絵になる愛想笑いが飛んでくる。
「や、やぁ、すんません、先輩……。愛希ちゃんったら、本性は御覧の通り、ほんとどうしようもない残念な子でして……」
「あっ、せーしょーくんが一人で良い子ぶってる! ずるい! 私もセンパイにごめんなさいします! うちのせーしょーくんがいつもいつもご迷惑をおかけしてもうしわけございません!」
尾野に追従してしっかりと謝罪してくる愛希さんだが、そこには先ほどまでの作られた美しさはなく、ある程度気を許した相手に向けるような所作のものだった。どこがどう違うのかと言われると具体的には答えられないが、きっとそれは尾野だけがわかっていればいい類のものだろう。
つまり、このバカップルはもうこれでいいや。諦念を苦笑いに滲ませながら、俺はひらひらと手を振った。
「まあ、うん、仲良さそうで何よりだよ。じゃあ――」
お邪魔虫はこのへんで……と続けてお暇しようとしたのだが、空気を読むという社会人スキルを今だ会得しきれていない尾野が俺の様子に気付かないまま不思議そうに辺りを見回す。
「先輩、こんなところで何してたんすか? 今日はジャージじゃないし、奥さんもいないし。ちょっと早いけど、一人で昼飯とかっすか? いやぁ、ゴチになります! 店員さーん、俺ステーキね!」
「るっせぇわ! だからお前は一人で勝手にご馳走様してきなさいと――ああいや、二人でごちそうさましてきなさいな、うん」
尾野も愛希さんも手ぶらだから、きっとこの後でお出かけついでにシャレオツ(死後)なカフェなりレストランなりで飯でも食べに行くのだろう。俺も本来なら詩乃梨さんと一緒にそんな風に過ごしたかった所だが、今日の彼女はご用事でいずこかへ出張中なので叶わない。
俺、詩乃梨さんのいない時ってどうやって過ごしていたんだろう……。会いたいよぉ、しのりぃん……ふぇぇ……。
「――猫だましっ!」
肩も意識も奈落へ落っことしかけていた俺を、愛希さん渾身の唐突な柏手が救い上げる。
知らず俯きかけていた顔を上げてみれば、尾野夫妻の優し気な笑顔が待っていた。
「センパイさん、今日はおひとりなんですよね? よかったら、一緒にお昼しませんか? もちろん、せーしょーくんのおごりであ痛ぁっ!?」
「お代は愛希ちゃんの小遣いから出してくれるらしいんで、どっすか、先輩? てか愛希ちゃん、先輩のこと気安くセンパイとか呼んじゃ『めー』でしょー?」
「せーしょーくんだって先輩って呼んでるのにぃぃぃぃぃぃあと気安くぺしぺしやめてぇぇぇぇぇ髪型くずれちゃうのぉぉぉぉぉぉぉぉ」
「ふふふふふふ………」
異様に似合う真っ黒い笑みを浮かべる尾野と、髪をわしわしかき混ぜられて喘ぐ愛希さん。すっかり俺の存在を忘れてイチャコラしてるだけのように見えるが、二人の視線はさりげなく俺の様子をうかがっている。どうやら、俺の孤独や遠慮を取り払うためにわざわざ小芝居してくれているらしい。或いはこのノリが尾野家の日常なのかもしれないが。
ともあれ、本当に俺を邪魔とは思ってないようだし、ここで変に遠慮して固辞することもあるまい。尾野にはつい最近、『もっとわがまま言っていい』と注意されたことでもあるしな。
人妻とはいえ、その上夫同伴とはいえ女性が同席することになるので、一応詩乃梨さんにお伺いを立てるべくスマホを操作する。そのまま、なんとなく思い立ってニヤリと笑いながら、
「ここらで一番高い店調べるから、レシート見て目ん玉飛び出させる用意しとけよ?」
「いーっすよー? どうせ支払いは愛希ちゃん持ちなんで。ゴチになります!」
「センパイさんの分は私が出しますけど、せーしょーくんは自分で払ってくださいね? あ、店員さーん、この人会計別でお願いしまーす!」
「酷っ!?」
思わず素で突っ込んでしまった店員の土井村に、愛希さんと尾野が先ほどの俺と同じようにニヤリと笑う。『これでお前もこの劇団の一員だぜ』と言わんばかりの、まるで共演者――というより共犯者にでも向けるような悪い笑顔だ。
そんな劇団なんだか犯罪集団なんだかわからない俺たちの仄暗いフフフ笑いに、道行く一般人はみな一様にぎょっとしていた……。