五月十三日(土・2)。魔女の、一撃。
喫茶店『まほろば』出張版とでも呼ぶべき、見た目も味も中々以上にごーじゃすなランチをみんなで食べた後は。綾音さんに話したように、全員でいっしょにできる遊びってことで、ちょっとしたサッカーのようなバスケみたいなバレーっぽい謎の遊びをして過ごした。
ゴールが有るわけでもない、ポジションが決まっているわけでもない、なんならゴールキーパーすら不在みたいな変則編成で、しかも一応紅白戦なのに時々チームメンバーがいきなり反旗を翻したり逆に勝手に味方になったり、サッカーだったはずがいきなり3Pシュート撃ったりレシーブしてトス上げてアタック打ったりしてて、なんかもうあらゆる意味でカオスでした。でもめっっっっっっちゃ楽しかった!
こういうおばかなノリって、学生の頃を思い出して懐かしくて、そして新鮮だった……。社会人になってもう十年以上が経つけれど、大人になってもこういうおばかなことをしていいんだって、こういうノリを楽しめる自分がまだいるんだって、そんな事実が無性に嬉しくもあった。
女の子達はまだみんな現役の学生だから、そんな感慨とは無縁だっただろう。けれどマスターは俺の気持ちを理解してくれたようで――ていうか単にマスター自身も同じ気持ちだったからかもしれないけど――、俺の好敵手としてギラギラした笑顔と共に全力で立ちふさがってくれて、互いに出し抜いたり出し抜かれたりの火花散る名勝負を繰り返した。
けれど。俺とマスターの決着は、無情にも、実力やチームメイトと一切関係無い所で唐突且つ理不尽に決まってしまったのだ。
――その結末をもたらしたモノの名を、『魔女の一撃』と呼ぶ。あ、ちなみにこれぎっくり腰のことです。
◆◇◆◇◆
まだ夕暮れにもならないくらいの時間だが、俺達はカオスな遊びを切り上げて、みんなでぞろぞろと家路を辿っていた。
先頭を行くのは、ちょっとお疲れ気味だけど笑顔の詩乃梨さんと、全員分の荷物を五個も六個も引き受けて全身にぶら下げてるくせして満面の笑みな超人佐久夜。そのちょっと後ろを歩いてる香耶は、逆になんかもうお前ヘドロかなんかかよってくらいドロドロした動きで足を引きずってて、それを綾音さんが苦笑いで支えてあげてる。
んで、みんなからちょっと遅れて殿を務めてるのが、全身筋肉痛の俺と、俺の背中で脂汗流しながらうーうーうーうー呻いてるマスターというわけ。
「おっさん、さっきからうるせぇよ……。耳がぞわぞわして冗談抜きで鳥肌立つから、せめてもうちょっと静かにしてくんない? あと俺の首に汗落としやがったらもうその辺に落っことしてやるからなマジで」
「おま、おまっ……、おま、それ、やめ………………しぬぅ……、うぅ、うぅぅっぅ~ぁああ~うぅぅぅうううううううううぁぁああああああぁぁあああ」
「……あーもーほんとしゃーねーなぁーまったくもー……」
下痢したいのにできない時みたいな瀕死の状態で喘ぎ続けるおっさんに嘆息しつつ、俺はガタの来てる身体にムチ打ってしっかりと地面を踏みしめながらゆっくりと歩んでいく。
もしほんとにぎっくり腰だったら、こうして背負われて運搬されることさえ無理だろうから、たぶんそこまでいっちゃってはいないとは思うんだけど……。だからってマジで落っことしちゃったら、おっさんこれほんとに死んじゃうんじゃないかな? 大丈夫? もうちょっとゆっくり行った方がいい?
などと優しい言葉をかけてやるわけにはいかない。なぜなら、香耶を支えてる綾音さんが、時折こちらに目線を寄越してきて『ニタァリ……』と腐りきった笑みを浮かべてるから。もしここで俺がマスターに対する態度を軟化させようものなら、あのサトリの成れの果てみたいな新手の妖怪がまたどんな進化を遂げるかわからない。怖っ!
身震いする俺を見て、何を思ったのだろうか。綾音さんはちょっとばつが悪そうな照れ笑いを浮かべると、巧みに香耶の歩調を操りながらこちらとの距離を詰めてきた。
「琥太郎くん、そろそろ疲れたでしょ? 交代しよっか?」
「ああいや、まだ平気ですよ、ありがとうございます。……ってか、こっちは流石に女の子に任せられないですし。それに香耶だって、俺にあんまりベタベタ触られたくないだろ?」
男の意地を通すために、特に考えずに流れで香耶にそう問いかけてみたのだが。香耶は心底きょとんとした様子で「え?」と漏らすと、本気で何もわかっていないように目をぱちくりと瞬かせた。
「いや、だからな? 綾音さんと交代ってことは、俺がそうやって香耶の腰やらなんやら支えるわけだぞって。俺にそんなくっつかれたら嫌だろ? 『他の事情(恋敵関係)』抜きにしても、純粋に肉体的な接触って意味で」
「………………? いえ、べつに……?」
…………う、うぅん……? ここまで懇切丁寧に説明したら誤解や曲解の余地とかは無いと思うけど、なんで香耶ちゃんったら未だによくわかってないお顔なんだろう。あまりに疲れすぎて、頭がよく回ってないんだろうか?
マスターは唸るのに忙しすぎてまるで会話を聞いちゃいないので、第三者代表の綾音さんがちょっと当惑気味に香耶へ質問する。
「香耶ちゃんって、琥太郎くんのこと……、わりと嫌いなフリしてなかったっけ?」
「それはべつに、フリじゃ、ないですけど……。でも、琥太郎さんって、私だからどうとか以前に、もう根っからのフェミニストじゃないですか。……なら、普段はともかく、弱ってる時に助けられるくらいは、べつに……拒む必要ないかなって……。…………この間も、電車で助けてもらいましたし……」
「電車? えそれ私聞いてない、ちょっと詳しくお願いできる?」
綾音さんがいきなり目をキラキラさせながら食いついた! 貴女それロマンスの香りにときめいてるのかスクープの臭いに色めき立ってるのかどっちなの!?
マスターの存在なんかすっかり忘れ、綾音さんは香耶の足と話を急かしまくって先へと行ってしまう。
やけに頑なにこちらを見ずにひそひそ小声で語る香耶と、逆にこっちをちらちら伺いまくりながら「へぇー!」とか「ほぉー!」とか楽しそうに大袈裟な相槌を打つ綾音さん。俺はなんだか無性に小っ恥ずかしい気持ちになって、女の子二人から視界からそっと外すと、背中に担いだ汗まみれのおっさんの体温と呻き声によよって心のくすぐったさを中和した。
◆◇◆◇◆
ウチからの最寄り駅近くまで帰って来た頃。容態がやや悪め状態で安定してきたマスターは、「ここらでいい」と俺の肩を叩くと、制止する俺を無視してゆっくりと降り立った。
「ほんとにいいの? ……べつに、家まで送ってもいいぞ? 俺、女の子ばっかり贔屓してる嫌なヤツみたいになるの嫌なんだけど」
「お前ぇが贔屓してんのは、女の子ってぇより、身内だろ? 確かに、人によっちゃ嫌なヤツに見えるかもしんねぇが、まあ、あれだぁな? ……………………まぁ、うん、やっぱお前ぇは嫌な奴だな、うん!」
「いきなり照れくさくなって急激な手の平返しすんなよ! 折角気持ち悪ぃのと疲れたの我慢してここまで運んでやったのに! もういいから帰れ帰れっ!」
あまりにあんまりなおっさんの態度に、思わず尻を蹴るジェスチャーをしかけて――今の状態でそれはシャレにならないと思い直し、結局暴言だけに留める。
そんな俺の内心を見透かしたみたいに、おっさんは実にいやらしい顔で笑う。ついでに笑い声を上げようとしたみたいだが、直後に「お、おふ」と情けない声を上げながら腰を奇妙に歪ませる。やっぱりまだ痛いんじゃん……。
「……今なら、謝ればもう一回タクシーしてやるけど?」
「じゃあ謝らねぇ。…………でも、悪かったな。あと……、あんがとな」
おっさんのツンデレとかキモいんですけど――とツッコミ入れかけた俺を無視して、おっさんは綾音さんに声をかけた。
「おぅい、綾音――っ、た、た、た……」
少し大声を上げるだけでキツいようで、語尾も体勢もへっぴり腰になるおっさん。そんな父の様子に気付いて、いつの間にか他の娘達と団子になって歩いていた綾音さんだったが、会話どころか音すら置き去りにする勢いですっ飛んできた。
「ちょっと、大丈夫お父さん!? ぎっくり腰なんて、そんなすぐ治るものじゃないでしょ!? まだ琥太郎くんにおんぶしてもらってた方が……」
「だからって、いつまでも小童の背中に、住み着くわけにもいかねぇだろうがよ。子泣き爺かってんだ」
「もう、またそんなこと言って……。……じゃあ、ほら、私がおぶるから――」
「娘の背中になんざ、もっと乗れるかッ――っ、た、た、い、いた、いたくねぇ……痛くねぇぞ……痛くない、痛くなぁい…………痛くなぁぁぁい…………」
直立不動で脂汗流しながらとうとう自己暗示始めたぞ。大丈夫かこのおっさん。
綾音さんと顔を見合わせながらどうしたらいいか決めあぐねてたら、そのうち香耶や、詩乃梨さんや佐久夜もちょこちょこと寄ってきた。だが皆が集合しきる前に、おっさんは再起動してロボット染みた動きで『まほろば』の方へ足を向け、こちらを見ずに捨て台詞を残す。
「俺ぁ、先、帰る、からよ……。綾音は、荷物だけ、頼むわ……』
「ちょ、ちょっと、私も一緒に帰るよ!」
「あ、あぁ……? いや、まだ早ぇし、お前ぇは、もうちょっと遊んで来て、いいんだぞ? ……なんなら、そのまま、琥太郎ん家にでも、泊まってくるか……? 俺ぁ、一人でも、こんなの、全っ然、大丈夫だからよ……? ほんと、余裕のよっちゃんすぎて……よっちゃんて……わ、笑えてくるな……へ、へへ……。…………じゃあな……、お嬢さん達も、またな……」
意味不明なテンションで別れの言葉を告げられて、詩乃梨さん達はどうしていいかわからない様子ながらも「さ、さようなら……?」と律儀に挨拶を返した。ええ子達やなぁ。もっとドン引きしていい所やでこれ、なんだよよっちゃんて。
俺は腰に手を当てて盛大に溜め息を吐き、全身全霊で「やれやれ……」を表現する。そして気を取り直して、おっさんの後を追いかけ――るその前に、綾音さんに先んじられた。
「ごめんみんな、私も帰るね! あと佐久夜ちゃん、荷物ありがとう!」
「や? やー、かまへんかまへん、それくらいー。あやちー、おとんの看病がんばってねー!」
「うん、がんばるー!」
佐久夜に預けていた荷物を受け取るや否や、綾音さんはすぐさまおっさんの元へと駆けてゆく。
――が。その勢いのままいきなりくるりと反転した綾音さんは、なぜかこちらに、というか俺の元へ、というか胸元へ飛び込むようにしてタックルしてきた。
わけもわからず受けとめた俺に。綾音さんは、至近距離から瞳を見つめてきながら、何やら真面目な面持ちでひそひそと囁いてくる。
「――香耶ちゃんだけじゃなくて、できれば佐久夜ちゃんにも『フェミニスト』してあげてね」
唐突すぎる行動に、唐突すぎる台詞。その意味を俺が理解する前に、綾音さんはちょっと情けない顔をしながら更に言い募る。
「ごめん、ほんとはもうちょっと様子見てからお願いするつもりだったんだけど、けどお父さん今あんなだから、それにまだ私の早とちりの可能性もあって、でもあのちょっと今は説明してる暇なくてでも解決は早いほうがいいだろうしとりあえずあのね浮気しろってお願いじゃ全然なくてねええとあのその――」
「あ、おっさんコケた」
「パパぁぁああああああああ――――――――!!!!!」
俺の簡潔な報告を受けて、しどろもどろどろどろになってたはずの綾音さんが一瞬でおっさんの元へ瞬間移動して間一髪大惨事を防いだ。綾音さん、忙しい子。
ほっと安堵の息を吐いた綾音さんが、おっさんを支えながらこちらに不安そうな目を向けてくる。
――『伝わったかな? やっぱりだめかな?』。
そんな彼女の声なき声に対し、俺はとりあえず微笑みを返す。
――『よくわかんないけど、任せてください』。
俺の返答を受け取って、綾音さんは今度こそ表情も和らげると、渋るおっさんの腕を無理矢理取って『まほろば』の方へと立ち去っていった。
そうして残される、俺と、綾音さんの行動に置いてきぼりにされちゃってぽかーんとしてる女の子達。
「……さって。この後どうする?」
まだ綾音さんの言葉の意味を咀嚼しきれてはいない。なので時間稼ぎのために、あえて何事も無かったように皆の予定を聞いてみる。
香耶と佐久夜はまだ再起動に時間がかかりそうだったけど、何故か詩乃梨さんだけは――ぴくんと肩を跳ねさせて、怒られるのを待つ子供みたいな情けない表情になった。え、何そのお顔、どしたんしのりん?
「……しのりん?」
「………………ご、ごめん」
「いや、いきなり謝られましても。……もしかして、『こたろーとあやねのハグに嫉妬しちゃったごめんなさい』的な? それ土下座すべきなの俺の方じゃね?」
「え、あやねは関係無い。……ていうか、あやねの行動、よくわかんなかった……」
ああ、そうだよね。俺だってまだよくわかってないし。じゃあやっぱりなんで?
首を捻る俺と目を合わせることを避けながら、詩乃梨さんは告解めいた響きで吐露する。
「……この後、かやとさくや、家に連れてってもいい? みんな、汗、思ったよりかいちゃったから、お風呂……、あ、こたろーの部屋のね? みんなで入りたいなって」
「風呂……? べつに風呂なんて、入りたいだけ入ってけばいいけど……。ああ、もしかして『今回は女の子だけで入りたいから、こたろーを仲間はずれにしてごめんね』ってこと?』
「そうじゃ、なくて……。いや、えっと、それもそうなんだけど、違くてね?」
詩乃梨さんはなんだかもじもじしながら、ちょうどさっきの綾音さんみたいに俺の胸元へと寄り添ってきて、俺による無意識の抱擁を受けながら囁いて来た。
「――こたろーは、わたしと、いっぱいえっち、したいって言ってたから……。家帰ったら、すぐ、したかったよねって……。だから、ごめんね……?」
…………………………………………。
あ、俺の話、覚えててくれたんだ……。その上、今日即日えっちしてくれる気だったんだ……。しかも、家帰ったらすぐに……。だけど二人が来たら、帰らせるまでえっちはおあずけになっちゃうから、ごめんなさいと……。ああ、なーるへそ……。
…………………………………………。
むらっ。
「待てるよ、俺。二人きりになるまで、ちゃんと待てる」
「…………………………こかん、がんがん盛り上がってきてるけ――」
「待てます」
「あ、うん」
不可視の圧力を伴う断言により、詩乃梨さんの首を縦に振らせることに成功。でもきっと俺の言葉は信じられていないでしょう、なぜなら彼女の瞳に映るのは自主規制が必要なほどにご立派な我がエベレスト。
でも待てます。だって俺は有言実行の男。
それに、気になることもある。
――香耶だけじゃなく佐久夜にもフェミニストしろって、どういう意味だ……?
俺は綾音さんの置き土産を思い返しながら、未だぽけーっとあほ面を晒してる佐久夜の横顔を眺めた。