五月七日(日)。彼女も髪を気にしてる。
「で。この数日間は詩乃梨ちゃんと一緒にひたすらギャルゲーをプレイしまくっていた、と。………………………………………………え、正気ですか、あなた……?」
「まったくもって、返す言葉もござーやせんわ……。…………しょぼーん…………」
連日続いた鬱陶しい雨も朝には上がって、打って変わって爽快な晴天に恵まれた、GW最終日の昼下がり。喫茶店『まほろば』にて、マスター不在のカウンター席に腰掛けてひそひそ囁き合う、近すぎな距離の男女がいた。
男は、俺。女の方は、詩乃梨さん――ではなく、千霧さん家の香耶ちゃんさんである。
数日ぶりな香耶ちゃんさんは、ここで再会した瞬間こそなんだか気後れしているような微妙な距離感を漂わせていたものの、今では腕と腕どころか鼻と鼻がくっつきそうな至近距離から俺を罵倒してくれている。こんな近しさ、ぼく要らない……。
しょぼーんする俺の切なる祈りが通じたのか、香耶は「まったく……」と呆れ返ったように嘆息しながら身を離した。清楚な印象のロングスカートや丈長カーディガンの極僅かな乱れを気怠げに整えながら、ついでに長すぎな前髪も所在なさげにちょろっといじりながら、今度は香耶の方が若干しょぼーんしてるような風情で台詞を紡ぐ。
「まあ、べつに、私が口出しするようなことでも、していいことでもないですけどね。もう結婚秒読み段階の土井村夫妻が、二人の休日をどう過ごすかー、なんてのは。……でも、詩乃梨ちゃんにあんな『喋りたくてたまらなくてうずうずするけど、これ話題にしちゃダメだよね……』みたいな、誰にとっても精神衛生上よろしくない複雑な顔をさせちゃうのは、やっぱりどうかと思うんです……」
つまりはそれが、香耶が賑やかなボックス席を離れて単身わざわざ俺の所までやって来た理由であった。
かねてから決めていた通り、本日『まほろば』で開催予定であった美少女だらけの女子会へ、意気揚々と馳せ参じた詩乃梨さん。同行してきた俺はというと、香耶、綾音さん、佐久夜らと軽く挨拶を交わした後はカウンター席でマスターとのんびりやっていたのだが……。しばらくして、香耶が追加オーダーを通しがてら俺の元へとやってきて、『詩乃梨ちゃんの様子がおかしいんですけど、あなたどんな変態プレイを口止めしてるんですか……?』と対性犯罪者用ドン引き顔で訊ねてきたわけ。
変態プレイどころか普通のえっちっちすらお預け状態だった俺は、いわれなき罪に多少憤慨しながら、その熱のままにここ数日の出来事を必要以上に事細かに語って聞かせ――。そして自分で自分にドン引きであった。え、俺マジでここ数日なにやってんの……いやまじで……。
「……い、いや、でもな? 確かに、女の子が『恋人の家でギャルゲー発見したので二人でプレイしてました』ー、なんてのは流石にちょっと話題にするの躊躇うかもだけどね? けど一応他にも、話題にしても大丈夫っぽいことは色々やってたんだからね?」
「かわいい女の子達が百合百合してる四コマ漫画を大量に読ませたり、かわいい女の子達が百合百合してるアニメを大量に観賞させたり、かわいい女の子が主人公のネット小説を大量に読ませたりしてたんですよね。そのあたりもはっきり言ってはくれませんでしたけど、なんとなくは察しました。………………えっと、だからこそ、むしろあらためて言っておくべきかな、と思うんですけど――」
「うん、あんまり正気の沙汰じゃなかったかもですねー……」
でも残念、俺は終始正気だったのありました。ちゃんちゃん♪
いやだってさー、ギャルゲーもなんだけどさぁ、詩乃梨さんってば実写映画やTVドラマなんかよりも、漫画やアニメやラノベなんかの二次元作品の方がわかりやすく楽しんでくれるからもんだからさぁ……。たぶん詩乃梨さん的には、『自分と近い年頃の、特異な容姿の二次元少女』っていうのは、リアルのおっさん扮するガチムチタフガイなんかよりもよっぽど素直に感情移入できるんだろう。そうわかってしまったら、俺自身の嗜好のせいもあって、かわいい女の子達がきゃっきゃうふふしてる二次元作品ばかりおすすめしちゃうのは仕方のないことだと思うの……ぼく何も悪くないの……でもごめんちゃい……。
「……………………ん……?」
なんだか詩乃梨さんと進む明日が0.5歩分くらい斜め上に行っちゃった気がして、わりと本気で後悔し始めていたのだが。そんな俺の服の裾をくいくいと引っ張って、香耶はそっぽ向いた上で頭をがっくんと垂れながら恥ずかしげに問うてくる。
「………………で、具体的には、どのあたりの作品を勧めたんですか……?」
「……………………………………。は?」
「い、いえ、ですからね、あれですよあれ。詩乃梨ちゃん的には、詩乃梨ちゃん本人のっていうより琥太郎さんの名誉に気を遣っちゃって、ギャルゲーとか百合アニメとかの話を、佐久夜ちゃんや綾音さんと大っぴらにするわけにもいかないわけじゃないですか? でもそのあたり、私なら、まあちょっとは、ちょっとくらいなら理解がある気がしないでもないくらいの感じなので、こっちから具体的に作品名を出して話題を振ってあげれば、詩乃梨ちゃんとしても心置きなく感想を言い合ったりできるのではないかなと愚行する次第でありおりはべりいまそかり」
「…………………。あ、そっか、お前もネット小説とか諸々好きなんだっけ――」
「理解がある、と言ってください」
眼鏡の奥でギラつく魔眼に威圧されて、俺は苦笑しながら頷いといた。このあたり、一般的な女の子としては譲れないものがあるんだろう。わりと一般的とは言えない詩乃梨さんでさえ思わず気を遣ってしまうレベルなのだから無理もない。
でも、そっか。香耶はこういうのイケる口か。なるほどなるほど、ふむんふむん。
「……なんですか、そのいやらしい顔……。言っておきますけど、私なんて琥太郎さんの足元にも及ばないくらいの、すんごいにわかなんですからね? ほら、よくいるじゃないですか、べつに漫画のこと知りもしないくせにベストセラー少女漫画をちょろっと読んだだけで『あたしってばちょーオタク』とか言っちゃう人。私ああいうタイプですからね?」
「『私、乙女ゲーとかやるタイプなんです』とか自己紹介しといて、今更何言ってんだか――」
「きしゃー!」
詩乃梨さんばりに威嚇されちった。女の子達は情報伝達能力に優れているせいか、こういう仕草のひとつひとつにお互いの影響というか真の仲の良さが垣間見えてイイね! そのうち段々好み全般が似通ってきて頻繁に『あー、それわかるー』とか共感し合うようになったり、その果てに友達が片想い中の男子のことを自分も好きになっちゃったりするんだろうなぁ。あ、でも香耶が詩乃梨さんの想い人であるところの俺を好きになる展開なんてありませんよ、だって土井村夫妻は既に両想いですのでねこれ念のため。
でも、その可能性を懸念してそうな某幸峰詩乃梨嬢が、ソファーの背もたれにがじがじ噛み付かんばかりの勢いでこっちをガン見していらっしゃる……。ついでに、佐久夜や綾音さんまでもが『あらあらまあまあ』みたいな噂好きのご婦人の如き顔でこっち見とるし。何があらあらまあまあやねん、あんましこっち見んといてぇな。みんなの視線に気付いた香耶が、気恥ずかしさで顔真っ赤にして――なぜか俺を睨んでくるから。煽ってるのあっちのねーちゃん達ですやん、俺無実ですやんひどい!
「――おう、お待ちどうさん! ほれ前髪のお嬢さん、ご注文の品一式超特急だぜ!」
と。ようやく、さっきまで厨房でかちゃかちゃじゅわじゅわやってたむさ苦しい髭親父が、両手両肘に色とりどりのケーキやジュースが満載のお盆を乗っけながら踊るようにして舞い戻って来た。
このたまに見せる無駄に洗煉された無駄に華麗な動きは、実の所遠心力を利用してジュースがこぼれるのを防ぐ意味合いがあるとは本人の弁。ちなみに、真相は若い子に鼻を伸ばしたおっさんがはしゃいでるだけに他ならないだろうとは俺の弁である。まあ実際は、お盆をバスケットボールのように指先でくるくる回すやつと同様、あまりに客来なさすぎて暇を持て余してたおっさんの暇つぶしの産物にすぎないんだけどどうでもいいや。
眼鏡ではなく『前髪』と斬新な認識をされた香耶は、純粋に恥ずかしがりながら急いで前髪をぱっぱっと整える。その隙に、俺はカウンター越しにマスターと息を合わせて次々にお盆を受け取っていった。長いこと顔合わせてると段々似てくるのはなにも女の子に限った話ではなく、おっさんの無駄な美技の開発に付き合わされ続けた俺も似たようなことはできるのだ。でもここだけの話、俺はお盆くるくるはできない。あれほんとどうやってんだろうねこのおっさん、俺の繊細にして可憐な爪では決して真似できませんわぁー羨ましい(嘲笑)。
「あ、マスター、俺のコーヒーもおかわり用意しといて。あといつもの、今度は甘さ若干控えめの量少なめ、もちもち感マシマシで」
「おう! ああ、それならちょうど良い餅と抹茶仕入れたから使おうぜ。あとお前ぇ、今日は酒大丈夫か? なーんかやたら臭くてどろっとした粘っこい白ワイン引いちまったから、あれなんとか消費してぇんだがよ」
「臭くてどろっとした粘っこい白という表現にそこはかとない悪意を感じないでもないが、タダで入れてくれるってんなら是非入れとくれ!」
「おしきた! 待っとけ、たっぷりと注いでやっからよ! ………………捨てると綾音がすげー怒るからよぉ(ぼそっ)」
情けない本音を最後に当意即妙なやりとりを終え、おっさんは気を取り直して腕まくりしながら厨房へと引っ込んでいく。その背中に苦笑の鼻息を吐きつけつつ、過積載状態の俺はテーブル席の方へくるりとターンする。……回転中に見えたみんながお目々がまぁるかったのはわからないでもないけど、なんで綾音さんは蕩けるようなドヤぁ顔をしていらっしゃるのでしょう? むさ苦しいおっさんに臭くてどろっとした粘っこい白濁液をたっぷり注がれる俺に、お胸がときめいちゃったのかな? なにそれ怖い。
「ほれ、そこの前髪、さっさと行くぞ。あとついでにこれ一個持って」
「え? あ、はい、わかり―――――――なんで琥太郎さんまで前髪呼ばわりなんですかちょっと……。マスターさんはともかく、これ絶対馬鹿にされてますよね、私……」
すっかり前髪で眼鏡も表情も隠してぶつくさ言う香耶が、けれど不満も危なげも感じさせない手付きでしっかりとお盆を受け取ってくれた。驚くほど素直に従ってくれたのは、香耶本来の無垢さゆえか、『前髪長めの女の子、イイと思います!』という俺の心を呼んだがゆえか。まあぶっちゃけさっさと愛しの詩乃梨さんに甘露をお届けしたいだけだろうけど。……もしくは、早く詩乃梨さんのとこ言って、秘密のおたとーくを繰り広げたいからとか?
俺の好きな子やお気に入りの娘っこ達が、甘いものとコーヒーをつまみつつ、趣味の話で盛り上がる。それは、想像するだけで俺の胸を満たしてくれる、ケーキより甘くコーヒーよりあたたかい光景であった。
「――んじゃー、まあ。行くぞ、前髪!」
「――ノリでそれ定着させにかかるのやめてくださいよねえちょっと!?」