五月四日(木・1)。判定。
香箱座り、というものをご存知だろうか。
前足も後ろ足も折りたたんでちょこーんと座る、猫がよくやるアレである。『うわぁー、緩みきってるなぁーこいつ……』と一発でわかる座り方であり、唯一頑張って持ち上げられてる顔ですらほぼ必ずと言っていいほど眠っそーなお目々がセットになっているという、なんかもう見てるこっちまで緩んで眠くなって欠伸が出て来ちゃうそんなアレだ。
というふうに俺は理解していたのだが。現在、俺の胴体の上で香箱座りしてる白猫さんの双眸は、瞑るどころか瞬きすらせずに至近距離から俺の顔をガン見していた。
『………………………………………』
早朝。遠き雷光と近き雨音によって不快な目覚めを余儀なくされた俺は、『なんか寒いと思ってたら雨か。冷えてるせいで、身体もなんか重い』なんて思いながら、何の気なしに瞼を持ち上げて――そしてこの状態の彼女と目が合った。布団剥ぎ取られた上でマウント取られてればそりゃ寒いし重いわいや重くはない断じて。
彼女の方は俺より大分前に起きていたのか、既に着替えも済ませてスカートにパーカーというラフな私服姿だ。くまさんパジャマやジャージじゃないということは、一度外に出て来たんだろうか? そう言や、今日燃えるゴミの日だっけ。もしかして俺がぐーすか寝こけてる間に出してきてくれたのかな? じゃあ今度はお返しに俺が詩乃梨さんの分のゴミも出してあげなくっちゃな、そのためにはしのりんのお部屋に上がらせてもらわなくっちゃだよな、おやおやついに初めてのお宅訪問の大義名分ゲットですかひゃっぽい!
などと企むことができる程度には頭が回り始める頃になっても、依然として詩乃梨さんは俺の上から動こうとしない。流石に瞬きはしたが、それも一度だけだ。お目々乾いちゃうよ、どしたのしのりん?
『………………………………………………………………』
………。昨日は感想の言いあいっこもそこそこに、手持ちの円盤やネットで見れる映画を手当たり次第にノンストップで見れるだけ見まくったから、興奮して目が冴えちゃってるんだろうか? 詩乃梨さん、某カンフーアクションもの見る時とか全身でビクンっとしたり「ほあっ!?」と小さく叫んだりしてたし、やっぱああいう娯楽らしい娯楽に耐性無かったんだろうな。あれっ、でも最後は俺と一緒にほぼ寝落ちみたいな感じでベッドに潜り込んだはずだよな。なんで今頃興奮再燃してるんだろう?
「…………………………………………………………………………にゃあ」
「おっ?」
ようやく反応を見せたぞ。小さく咽を鳴らした詩乃梨さんは、細めた目を数回瞬きさせて潤いを補充しながら、そっと首を伸ばして顔を――唇を突き出してきた。
だが、『おはようのキス』には至らない。前足折りたたんでるせいで、あんまり前のめりになりすぎるとバランスが崩れるんだろう。かといって、俺の側から距離を詰めようにも、完全に胸の辺りを抑え込まれてるせいであんまり首が伸びてくれない。
とりあえず二人でがんばって近づけるだけ近付いてみた結果――、鼻先が、ちょこっと触れ合った。
「……ぅなぁ~♡」
あ、しのりん的には今ので大満足したっぽい。上機嫌に鳴きながら俺の胸にぺたーんと女の子座りして、前足で顔をこしこし擦ったり全身で悶えたりしてる。なんだなんだ、今日のしのりんは雷龍要素吹っ飛んでただの子猫ちゃんみたいに可愛らしいぞ? あれかな、猫が顔を洗うと雨が降るっていうし、雨と猫の間に存在する未知の因果関係が何らかの作用を及ぼした結果、こうして仔猫ちゃんしのりんが出来上がっちゃったのかな? うちの白猫、世界一可愛い♡
今日はもう人語と理性を放棄してただの猫と犬としてわんわんにゃんにゃん(隠喩)しようかと思ったけど、そんなふうに俺の脳味噌を蕩かした本人である詩乃梨さんが唐突にハッと我に返っちゃった。
「……ち、ちち、ち、ちっ、ち、ちがうからっ! 今のナシっ! わたし、べ、べつにっ、そんな、鼻くっつけたくらいで、そんな、ぜんぜん嬉しくなんかなかったしっ! ていうか、こんなことするつもりで見てたんじゃないからっ!」
「じゃあ、どんなつもりで見てたんだい?」
「……………………………………………………………。こたろー、やっぱり、寝ててもかっこいいな、って……。……でも、よだれ、垂らしてるところは、かわいいなぁー……とかも……思っ、たり……」
…………………………。唐突にブチ込んだはずのツン要素が台無しになるほどの超絶素直っぷりであった。素直な感想を述べながらまたそっぽ向いてるこのツンデレ娘、最早ツンがまったくもって機能していない。もうこれただのデレデレやんけ! ツンデレ好きなのに実際ツンツンされると普通にヘコんでしまうという俺を完全に狙い撃ちしにかかってきとりますねこれ! 既に落ちてびくんびくん言ってる俺に更なる追い打ちをかけるとは、なんというドSで鬼畜な所行であろうか……!
……んー、でも、さっきの香箱詩乃梨さん、そんなデレデレしてたようには見えなかったんだけどなぁ……? 熱っぽく潤む瞳を向けてくるどころか、ドライアイ心配するレベルでめっちゃガン見だったし。しかしこの詩乃梨さんの様子からして、嘘を言ってるようにも思えない。うーん、どゆこと?
「……ところでしのりん、今日は早起きして何かしてたの? お外でも見に行ってた?」
ひとまず、本題ではない所から疑問解消の糸口を探ってみる。
詩乃梨さんは相変わらずハリボテのツン状態を維持したまま、「んー? んー」という曖昧な返事と共に、首を――斜めに振った。ほんの僅かに。緩慢に。なんだかあまりにもビミョーな反応すぎて、疑問解消どころか更なる疑問が積もってしまったぞ。
なーんだろ、この反応? と首を捻っている間に、詩乃梨さんがひょいっと俺の上から飛び降り、ベッドサイドへ音も無く着地した。
「ごはん、作るね」
「え? あ、うん……ありがとう……」
こちらを振り返らぬままに言葉を放り、返事を受け取り、そして詩乃梨さんはとことこと台所へ向かってしまった。
そのまま冷蔵庫の方へ消えていってしまったら、この話は一旦ここで終了となり、俺の疑問もきっと何処かへと置き忘れられることになっただろう。詩乃梨さん、前からちょくちょく俺のこと観察してたしな。今回のことにも特にこれといって特別な意味は無かったのだろうと、そう思い込むのに大した労苦は要さない。
だが。詩乃梨さんは最後にひょいっと顔だけ覗かせてきて、まるで『今日の天気は雨ですねー』くらいのどうでもよさげなテンションで、何でも無いことのようにこの一言を放り投げていった。
「生理――――――――――――――――ちゃった」