五月三日(水・10)。主従の誓いと、引き裂く魔の手。
初っ端に不幸な事故が有ったものの、たこ焼きパーティーin土井村家は概ね和やかに進んだ。不幸に見舞われたせいで牙の折れた獣(※比喩ではない)へと堕ちちまった俺はまだろくに食えてねぇけどな!
「歯、折れてないよ、大丈夫だよ。……こたろー、いいかげん気にしすぎ」
爪楊枝で奥歯の具合をしきりに探る俺に、詩乃梨さんがプレートのたこ焼きをくるくるひっくり返しながら呆れ気味に言ってきた。
いやだって気になるんだもん仕方ないじゃん、ぎゃりって言ったんだよ、ぎゃりって。全力走行中に自転車のチェーンが外れて割れたみたいな、本能的に『あ、ヤベェ』ってなる歪な金属音が口の奥で弾けたんだよ? 一応詩乃梨さんの診察を受けて『問題無し』の判定を戴いたとはいえ、気になるものはどうしても気になってしまう。
でもそろそろやめとかないと、これまでにもう三回くらい診察してくれて三十回くらい『大丈夫』って元気づけてくれたしのりんに申し訳なさすぎるな。それに、同じく何度も飽きることなく気遣ってくれた綾音さんにも。
ちなみに、香耶は毎度の如く追い打ちとも慰めともつかない感じで背中バシバシ叩いてきやがって、佐久夜は佐久夜で「やー、まじごめん!」なんて本気とも冗談ともつかない軽い謝罪と共に背中ベシベシ叩いてきやがった。叩くなや。おかげで一時は奥歯より背中の痛みをしきりに気にしてたくらいである。せめて優しくポンポン程度でお願いしたかった……。
まあ、奥歯も背中ももう痛みは無いし。優しくぽんぽんも、その極意を後で身体に直接覚え込ませてやりゃいいし。じゃあいっか!
「しのりん、俺そろそろ本格的に食べるー。イイトコ、ちょーだいな?」
「へーい、かしこまりー」
ノリの良さとは裏腹の、びにょーんと間延びしまくった気の抜ける掛け声と共に、詩乃梨さんは良い塩梅に焼けたたこ焼きをひょいひょいひょいっと皿に盛っていく。香耶の番の時も思ったけど、やはり料理に慣れている人はたこ焼きを焼くのも上手いみたいだ。近いところで言うと、卵焼きやお好み焼きみたいな感覚なんだろうか?
「こっちが、こたろー。で、こっちは、あやね。……かやとさくやは、もうごちそうさま?」
「んー? あー。じゃー、うちは一回休みで-」
「私はもちろんがっつりいただきますよ! 琥太郎さんよりもっとイイトコお願いしまうぷっ」
甲斐甲斐しい仲居さんと化してる詩乃梨さんの問いに、佐久夜はごろんと横に寝転がりながらてきとーに答え、香耶は身を乗り出しついでに胃の中身まで出しそうな勢いで即答する。……最初の一回以降は完全に食べる専門になってた佐久夜と、詩乃梨さんの焼いたやつを可能な限り食いまくってた香耶、この二人はほぼごちそうさまと考えていいだろう。
香耶の両肩を背後からくいっと軽く引っ張り、そのままころんと仰向けに寝かせてあげながら、入れ替わりで俺が前に出る。
「香耶も一回休みだ。その分は俺と綾音さんに回しておくれ――っと、綾音さんも結構腹いっぱい?」
「んー? ん~、私は今回食べてー、次はちょっと考えるかなー」
無意識っぽい仕草でゆるゆるとお腹をさすっていた綾音さんが、普段以上にのほほ~んとした声調で返答。どうやらこっちもごちそうさま間近みたいだな。寝っ転がるのは自重してるみたいだけど、佐久夜や香耶を見てやや羨ましそうにしている。
そんなみんなの様子を見回した詩乃梨さんは、空腹以外の理由でちょっと物足りなそうにしながらも、俺と綾音さんの分のたこ焼きをトッピングまで含めてバッチリと完成させてくれた。
「へいお待ちー。お代はさんびゃくまんえんだよー」
相変わらずのノリノリでありながらやたら気の抜ける掛け声と共に、しのりん謹製のほかほかたこ焼きがことりと置かれた。俺の分は、左半分はソース、右半分はそこに加えてマヨネーズもかかってるという、一皿で二度美味しい仕様だ。
早速「いただきまーす!」と猫だまし付きで元気に唱え、皿まで噛み砕く勢いでむしゃむしゃもしゃもしゃと貪り食いまくる俺。対照的に、詩乃梨さんと綾音さんは一つの皿を仲良く分け合いながら、ゆっくりペースでもぐりもぐりと食べ進めてゆく。
ほんと仲良いなぁ、あの姉妹。お互いのほっぺに付いたソースを拭って笑い合ったりしてる。ずるい。俺の口周りに飛び散ってる血飛沫みたいなソースも丹念に拭ってほしいものである、無論舌でな!
「…………んむ?」
美人姉妹に左右からぺろぺろされる妄想から現実に帰って来てみれば、香耶が何やら俺の脇の下からそろりそろりと手を伸ばしてきていることに気がついた。狙いは俺の脇毛――ではなく、机の上のたこ焼きか。今にもリバースしそうな顔色で何してんだこいつ。どんだけしのりん好きなんだよ。
むしゃもしゃをやめないまま香耶の手を肘でぞんざいに打ち落としまくってると、今度は何故か逆サイドから佐久夜まで手を伸ばしてきた。お前はお前でどんだけ香耶のこと好きなんだよ、俺挟んで火花バチバチ散らしてんじゃねぇよ。きみら何の勝負なのこれ。
「んぐ。むぐ。…………そういや、お前ら今日この後どうすんの?」
普通に仲裁するのも最早面倒だったので、俺的話逸らしの定番、『今後の予定を訊ねる』を発動。ちなみに、お前らと言いはしたけれど、対象は俺の脇の下の二人だけではなくこの場の全員だ。
そのことを当然のように察してくれた綾音さんは、もぐもぐ中の口を手の平(というより揃えた指)で軽く隠しながら、
「んっ、と。この後ってご飯の後だよね? 琥太郎くんは、詩乃梨ちゃんとデートだよね?」
何故さらっと決めつけた――と思ったけど、詩乃梨さんが同意するようにうんうんと頷いているのを見て、ああそういうことかと得心した。
「そうですね。詩乃梨さんと映画とか本とか見ようって約束してたんで、おうちデートってやつですね、いわゆる」
「いわゆっちゃうかぁー」
「いわゆっちゃいますねぇー」
謎の合い言葉で通じ合い、綾音さんとにこにこ笑い合う。詩乃梨さんがちょっと面白くなさそうな表情になってしまったけれど、それは嫉妬ゆえのものではなく、仲の睦まじさを冷やかされて恥ずかがってるだけだろうな、だってほっぺた赤くなってきてるし。
「………………ふん」
詩乃梨さんは無駄に鼻を鳴らすと、誤魔化すようにたこ焼きをひとつ口の中へ放り込み、あぐあぐと咀嚼しながら香耶に抱き付いてごろんと横になってしまった。やけ食い後の不貞寝のお供、抱き枕。その大役に任命された香耶は、「ふひょっ」と歓喜と好色に塗れた奇声を上げながら詩乃梨さんにされるがままとなる。小さなおっぱいに顔面擦りつけてる詩乃梨さんと、擦りつけられてる香耶、どちらも得してそうなのでこのままほっとこ。
「んじゃあ、そう言う綾音さんのご予定は?」
「私? 私は、ちょっと休ませてもらったら、また友達の所戻って課題の続きかなー。道具も全部置いて来たし。佐久夜ちゃんは何かやる?」
「あー、じゃああやちー帰る時にうちも帰ろっかな。明日……親戚集まるから、ちょっとは部屋片付けとかないと、がきんちょ共に示しがねぇ……」
――『親戚』。そう口にした瞬間の佐久夜の微妙な表情は、すぐさま、わんぱくであろうがきんちょ共への苦笑に塗りつぶされた。それを俺は意図してスルーし、綾音さんも意味ありげに俺をちらりと見て、同じくスルーを決め込む。
「じゃあ、香耶ちゃんはどうするー? そのまま詩乃梨ちゃんにお持ち帰りされちゃう?」
「ええ、是非! 是非にっ!!! ぜひともそれでどうかお願い致しますッ!!!!!!!」
綾音さんのジョークに、必至通り越して悲壮を超越した魂の絶叫が帰って来た。呆れ笑いで固まってしまった綾音さんに変わって、俺が香耶の頭にずびしっとチョップを入れとく。
「お前もさっさと帰れ帰れ、しのりんは俺のだ。………………でもまあ、どうしてもって言うなら、二人と時間合わせて帰らなくてもいいぞ? 遅くなったら、帰りは送ってくから」
「……………………………………。やだ、琥太郎さんが優しい……」
ときめくな阿呆、なんだその胸キュンを体現したせつない表情。お前ほんとレズなのかノーマルなのかはっきりしろ。……あいや、詩乃梨さん超絶ラブだからこその、俺の発言に対する胸キュンなわけだから、えーっと、お前結局ほんとナニモノなんだ、もうよくわからん!
混乱ゆえに、それ以上に照れ臭さゆえに、がりがりと頭を搔く俺。それを見てくすりと笑いながら、香耶は詩乃梨さんを優しく引き離しつつよいしょと上体を起こした。
「……でも、やっぱり私も帰りますね。流石に、まだこの年で馬に蹴られて死ぬのは嫌なんで――え、あの、ちょっ、詩乃梨ちゃん、離して、はなしっ、あ、あっ、あ、あ」
悟ったような雰囲気でお姉さんっぽい振る舞いをしようとした見た目童女が、詩乃梨さんに思いっきり抱き締められたまま引きずり倒されて「あぁー」と再び転がった。何しとんのしのりん、今折角香耶がかっこつけようとしてたのに超間抜けな感じになっちゃったじゃん……。香耶の耳見てみ? 眼が焼けるほどまばゆい赤だから。なんと哀れな。
「かやは予定無い」
「そ、それは、そりゃ、無いですけど、一人だけ残る理由も無いっていうか、むしろ残らない理由しかないっていうか――」
「……かやは、わたしのこと、………………きらい?」
「――――――――――――――――――――私、一生ここに住みます」
詩乃梨さんが上目遣いで放った一言で、香耶が完全に腹括ってプロポーズしてしまった。なんという凛々しい顔なのだろう、まるで王女に未来永劫の忠誠を誓う騎士のようである。でもここ、詩乃梨さんの部屋じゃなくて俺の部屋なんだけど、お前俺の部屋に一生住む気?
ツッコミ入れたいんだけど、騎士様と王女様が手を取り合ってきゃっきゃっと楽しそうに笑ってるので、無粋なことは言うまい。無論、夜になったら問答無用でこの主従の中を引き裂きにかかるわけだが、今だけは一時の逢瀬を楽しむがいい。……真実を知らないまま思わせぶりなことを言ってしまったしのりんの、せめてもの罪滅ぼしだ。
◆◇◆◇◆
各人の今後の予定も決まり、その後はたこ焼きパーティー再開。といってももう大詰め段階だったので、食うのはほとんど俺だけだったが、それでも最後に焼いたやつだけはみんなでつついて、タイミングを合わせて全員で『ごちそうさまー!』と元気に唱和したのだった。