五月三日(水・5)。グッバイ理性、投げ捨て御免。
ところで。いわゆるオタクと呼ばれる人間――ここでは、漫画やアニメ、ゲームのオタクに限定させてもらう――は、二つの種族に分けられると俺は思っている。
ひとつは。自らがオタクであることを何者にも恥じることなく公言し、己の持つ趣味嗜好性癖とそれに対するスタンスを、全部丸ごとひっくるめて自身のアイデンティティーにまで昇華させている剛の者達。
例えば、教室でわざとみんなに見せつけるように美少女(当然の如く半裸)が表紙のラノベをドヤ顔で読んでたり、声優のライブで最前列に陣取ってキレッキレのダンスを披露してたり、同人誌即売会やコスプレ等のイベントへの絶対参加を己が宿命と定めていたりするような、とにかくそういったアクティブ且つパワフルなツワモノ達だ。
もうひとつは。そういったオタ達を『自己の承認欲求の充足のためにオタ趣味を利用し、一般人に迷惑をかけ、「真っ当な」オタク達の印象も悪くしている、最悪のゲス共』と蔑み――、けれど同時に、全力でオタク趣味を堪能している彼らに確かな憧憬と嫉妬を抱いてもいる、そんなちょっとツンデレ風味な者達だ。
ちなみにこのツンデレさんたちは、通称『隠れオタ』などとも呼ばれ、身なりも言動も(しばしば過度に)真人間へ擬態しようとしてしまう習性を持っている。ついでに言うなら、隠れオタ同士はなんとなく隠れオタを見分けることができるという特殊能力を持っていたりもする。最早ある種のニュータイフ○である。
一応他にも、オシャレに時と金と気を遣っていながら『オレ、漫画とか超読むんだよねー。一番好きなのは○NE PEACEかな! あとソシャゲとかマジやりこむ系だし? オレってばちょーオタク? みたいな(笑)』などと嬉々として漫画やゲームを会話のダシに使うような亜種がいたりするのだが、これは亜種というより異種であり、カニのフリしたかまぼこみたいなものであって、断じてカニではないのであしからず。いや、この喩えはカニかまやかまぼこに失礼だったな。俺かまぼこ好きだし。
さて。これだけ熱く語っていることから薄々察してくれていることとは思うが、俺はいわゆるオタクである。上記の区分で言うなら、隠れオタクということになるだろうか。
これまで心の中では雷龍さんとかサキュバスさんとか異世界転生とか魔法剣とか遺失属性虚無とか狼娘とか氷炎の魔女とかのアレな表現を散々使用しまくっていた俺だけど、それらを実際に口に出したことはほぼ皆無。しかも、見た目の上では詩乃梨さんを筆頭に香耶や佐久夜、それにあろうことかあのヒゲおやじまでもが中々の高評価をつけるようなイケメン(笑)っぷり。普段着も常にイケメン風(笑)であるよう意識してるし、たぶん俺の地元の友達を除けば、俺のことをオタクだと看破している人間って片手にも満たない……どころか、ヘタしたら一人もいないんじゃないだろうか。
もちろん、俺の心を察することにかけて右に出る者はいないと噂の詩乃梨さんだって、きっと――。
◆◇◆◇◆
部屋の一角を占拠している、大きめの本棚。普段はインテリアとしての役目しか果たしていないそれが、今は日除け兼埃除けの布を外されて、座り込んだ俺と詩乃梨さんの前へと中身の一部おもらししている。
漏れ出しているのは、誰でも知ってる落ち物系パズルゲームや、衝動買いしたフルカラーの薬草図鑑、勉強のために揃えた太宰や漱石なんかの文庫本、全米を泣かせたSF映画、○NE PEACEと同じ有名少年漫画誌に連載中のスポーツ漫画の単行本など、主に俺の本棚の『表層』に並んでいた品々だ。この雑食っぽいラインナップならば、完全な非オタとはいかないまでも、とりあえず一般人の範囲には収まるだろうと思う。
そんな安易な考えのまま、詩乃梨さんと一緒に『みんなで遊べそうなゲームを探す』→『詩乃梨さんがたまたま手に取った本についてついつい解説してあげる』→『ふんふん頷きながら瞳をきらきらさせてくれる詩乃梨さんが愛らしくて、上がったテンションのままに他の品も色々見せてあげちゃう』と女子のグループチャットばりの脱線を繰り広げていきましたところ、事態は稲妻の如き急転直下を迎えてしまったのです(雷龍だけに)。
「こたろーって、おたくなの?」
「………………………………………………。え、えぇっと……」
ええはいうんはい、わかっておりました、ええ、重々承知しておりましたとも。あの長々としたオタク解説が丸ごとフラグだったってことも、そして何より、詩乃梨さんなら『きっと』俺の願いを遥かに超越どころか最早ワープするレベルで俺のことをよく理解してくれちゃってるんだろうなってことも。
なんという良妻……ッ! でも今だけはもうちょこっとだけ良妻力をセーブしていてほしかったわ……。まぁ、その加減ができなくて何時如何なる時もフルアクセルでこたろー愛をだっぱだっぱ溢れかえらせながら無防備に飛び込んできちゃうのが詩乃梨さんの詩乃梨さんたる由縁であり、そんな詩乃梨さんに向かって厚い胸板を曝け出しながらヘイカマーンと両腕を広げてしかと抱き留めららぶらぶちゅっちゅ♡するのが土井村琥太郎のアイデンティティである。
飛び込んでくる彼女、曝け出す俺。そこから導き出されるのは、『どうせいつかはオタバレしてたさ……ふ、ふへ、へへへ……』という、諦念や自棄を通り越して悟りに近しい何かであった。
「……ねえ、こたろー? …………こういうの、好きなの?」
「………………………………………………。え、えぇぇぇぇっと……」
わかってはいたし、不可避でもあった。けれどそれが今日この時であるとは流石に思っていなかったので、目線は思わずふらふら泳いじゃうし、弁明の台詞だってちっともうまく出て来やしない。
弁明。そう、俺は弁明しなければならない。なぜなら、オタクという趣味は世間一般に受け容れられないものだから――などというありきたりな理由では、勿論ない。詩乃梨さんなら、たとえ俺がどんなによろしくない趣味を持っていようとも、それをありきたりな一般論だけを理由に頭ごなしに否定するようなことは、絶対にしない。もし最終的に否定することになったとしても、そこに至るまでには『こたろーのことを、もっと知りたい、わかりたい』という気持ちと過程を挟めてくれるはずだ。
だがしかし。詩乃梨さんは今、その本来存在するはずだった過程を丸ごとすっ飛ばして、のっけから確かな怒気に満ちた声と視線で俺のオタク趣味について静かに責め立てている。
――否。彼女のこの怒りは、俺のオタク趣味そのものに対してではなく、もっとずっと彼女らしい理由によるものであった。
「………………………………かわいいよね、この子達」
ぼそり。呟く彼女の声音には、それまで同様の静かな怒りと――、そしてその裏側から吹き出てきた一抹の寂しさがありありと浮かび上がっていた。
この響きには、覚えがある。
もしかしたら、詩乃梨さんも同様のことを思ったのかもしれない。急に居心地悪そうにフイっと目線を逸らした詩乃梨さんは、怒りや寂しさを塗り潰すほどに色濃い羞恥を俄に滲ませながら、堪えるように眇めた目つきで手の中の『それ』を見やった。
『それ』などと持って回った言い方をしてはみたものの、なんのことはない。詩乃梨さんの太股の上で、ちっちゃな両手にきゅっと掴まれているそれは、ただの一冊の本であった。ちなみに、エロ本ではないどころか少年誌的なえっち成分すら皆無の、健全な女の子達の日常をちょっぴりギャグテイストで描いた四コマ漫画である。
「……………………むー」
表紙で仲睦まじくふざけ合ってる女の子達を睨んだまま、すっかり拗ねちゃってる風情の詩乃梨さんが頬をむぅと頬を膨らませる。むぅというより、ぷぅかもしれない。しのりんは拗ね方までとってもかわいくて、うっかり頬が緩みそうになる。でも俺は笑っちゃダメよ、だって今俺責められてる最中だもん、一応。
ああうん、つまりさっきまでの詩乃梨さんはね、漫画の女の子に本気で嫉妬しちゃったがためにあんな態度でいらっしゃったわけです。さっきまでっていうか現在進行形だけど、でも流石に大人げない真似をしてるという自覚が湧いてきたのか、彼女はもう俺を怒るよりも恥じ入る方に感情がシフトしているご様子。
けれど俺は、彼女の心が素直に感じたことを、恥ずかしいとも大人げないとも思わない。むしろ、かわいらしいと思うし、嬉しいとすら思ってしまう。漫画のかわいい女の子にリアルの彼氏を取られちゃうかもとかうっかり心配しちゃうしのりんかわいい。俺のことがあまりに好きすぎるあまり、い~っぱい焼きもち焼いてくれるしのりん、激カワイイ。ああもうダメ、ほっぺたがついついにやにやしちゃう。
「……………………こたろー」
「ご、ごめん、ごめん」
憎憎しげな視線に咎められて思わず謝るも、やっぱり俺のにやにやは止まらない、止められない。視線のみならずほっぺたをぷにりと摘ままれ伸ばされても、むしろ『もっと、もっとやって!』とばかりに自分からほっぺたをこすりつけにいってしまう、超ごきげんな俺なのでした。詩乃梨さん相手なら、俺はマゾにだってなれちゃうようです。ほっぺたどころか睾丸だって喜んで引っ張られちゃいますよぉ、えへへぇ♡
詩乃梨さんはしばらく俺のほっぺたを引っ張ってむーむー唸り続けたものの、やがて俺の笑顔にあてられてか、ちょっとずつ表情を緩めていった――のだが。ふと片手に持っていた泥棒猫に目線を戻してしまい、怒りを再燃させてしまう。
「こたろー、こういうの好きなの?」
「詩乃梨さん相手なら、ちょっとくらい痛くされるのも悪くないかも――」
「そっちじゃないから。……そっちは、えっと、……………………ごめんね?」
わりと本気で申し訳なさそうにしながら、指を引っ込めてしまう詩乃梨さん。
そんな優しい貴女もいいけれど、今だけはマジでもうちょっと痛くしててもよかったのよ? 豆腐メンタルな俺は基本的には痛み耐性がマイナス振り切ってるんだけど、詩乃梨さんのくれる痛みは言うなればあれだ、えっちしてる時に背中に爪を立てられるとか、破瓜とか、出産とか、そういう系の心理的な充足感と幸福感を与えてくれる類のやつだからとってもバッチコイなのです。
もっとー、もっとーいたくしてー、と心でせがみながら詩乃梨さんをじっと見つめる俺。に気圧されてか、詩乃梨さんはなんか妙にたじたじになりながら、「と、とにかくっ」と怒ってるっぽい声を捻り出した。
「こたろーくんは、こういうかわいい女の子のイラストが大好きな、おたくの人。なんですよね?」
「……まぁ、うん、そういうのは好きだよ、正直。でもイラストってかビジュアルやキャラデザだけっていうよりはキャラクターとしての内面や背景や作中でのエピソードやさらに言うなら作品それ自体も含めてトータルで好き嫌い判断してるとこあるし、もっと言うならそういう二次元の女の子にもやきもち焼いちゃう詩乃梨さんがいかなる次元の女の子よりもずっとずっと大好きでかわいくてたまらないの結婚しよ?」
「………………………………。……………………あの、えっと……。…………こたろーって、………………えっと……。ごめん、ちょこっと待ってて?」
「はーい!」
困惑気味の詩乃梨さんにお願いされて、元気よくお返事しました。ていうか俺ちょっと吹っ切れました、オタク趣味も詩乃梨さんラブも一切隠さずにいこっかなって思います。詩乃梨さん相手なら痛みでさえも快感に変わる自分っていうのを改めてはっきりと自覚してしまって、なんかもう心のガードがどっかいっちった。
僅かに残った冷静な頭で考えるのは、『詩乃梨さんの困惑の理由は、きっと俺が予想以上にガチのオタっぽかったからかなー』とか、『俺が詩乃梨さんの焼きもちを嬉しいって口に出して伝えたのは、きみの抱いたその感情をばかになんてしてないってきちんと伝えたかったからだよ』とか、そういうこと。
ひたすらにこにこしながら正座で『待て』を続ける俺に、詩乃梨さんは未だ困惑しながらも呆れ気味の微笑みをくれた。
「………………こたろーって、さ」
「うん!」
「………………………………ん、もういいや。おいでー、こたろー」
詩乃梨さんも最早脳味噌をどっかに放り投げる覚悟を決めたらしく、ちょっと疲れたような、けれどそれ以上に清々しさを感じる仕草でこいこいと手招きしてきた。
招かれた。ならば飛びつき、モフられる。それが土井村琥太郎です! わんわん!