五月三日(水・3)。禁忌に触れることを、ゆるされた者達。
その後。また何やらにゃんにゃんわんわん絡み始めた黒猫と犬娘を、『飲み物出来るまでに顔でも洗っといでー』なんつって、テキトーに引っ剥がして台所へと送り出しましたところ。そしたら、なぜか今度は詩乃梨さんまで百合ゆり空間に巻き込まれることとなり、気付けば女の子達によるたこ焼き生地かき混ぜ大会in台所が開催される運びとなっていた。
必然、部屋にぽつねんと取り残されることになってしまった俺だったが、でもぼく寂しくないよ。詩乃梨さんが熱々缶コーヒーの差し入れと共に、『たこ焼き器、出してくれる?』というミッションをくれたからね。
まあホットプレートの用意なんて換装諸々込みでも五分強くらいで終わっちゃったから、今はまたベッドに背中預けてぼけっと座り込むのみになってるぼくだけど。でもやっぱり寂しくはないのです。だって、中身も外見もたいそう愛らしい女の子達が心から楽しそうにきゃっきゃうふふしてる姿を肴に、しのりんお手製のホット缶コーヒーをちびちびと愉しめるのだよ? これで寂しいだのなんだのいう不満なぞあるわけなかろうて。だから全く寂しくないの。いーい?
………………でも、正直ちょっとだけ寂しい……。
「……こたろー、一緒にやろ?」
「うんっ!」
生地入りボウルを菜箸で混ぜ混ぜしながらやって来た詩乃梨さんは、いきなり俺に飛びつかれても嫌な顔をすることは無く、どころかそこはかとなくお姉さんっぽい優しい呆れ笑いを浮かべてくれましたとさ。これバブみってやつだ、ぼく知ってる!
などと考えつつ。俺は詩乃梨さんに頭を良い子良い子と撫でられながら、彼女に半ば抱き付くようにしてその場へ腰を下ろした。ていうか、詩乃梨さんを優しく押し倒しました。
いきなりサカられて流石にちょっと慌てた詩乃梨さんだったけれど、己の身よりもたこ焼き生地の安全を優先したらしく、「わっ、と、とっ」なんて可愛い声を上げながらボウルを頭上高くへと避難させる。バンザイ状態の詩乃梨さん、胴体ガラ空きノーガード。でも俺は眼前の小ぶりなお桃っぱいへかぶりつくことはせず、大人しく身を離しながら詩乃梨さんの手からボウルと菜箸を抜き取った。
あぐらでよっくらしょと座した俺。をバンザイのままで見つめてきながら、詩乃梨さんは若干きょとんとしつつ小さく首を傾げる。くまさんケモミミがあざとく揺れて、猫又しっぽがお胸を撫でた。
「……もうおわり、なの? ………………しない、の?」
「………………………………………………、し、しません、です、よ? だって、ほら、まだ朝だし。それにほら、お客さんだっているわけだし」
客というより最早完全に身内な黒猫と犬娘ではあるのだが、だがだからといってあの娘達をのべつまくなしに土井村夫妻ラブメイキングへ引きずり込むのはよろしくないし、そもそも詩乃梨さん相手であってもみだりに淫らなことをするのはやっぱいかんだろう。たとえ、愛しの白猫さんが若干物欲しげな瞳をせつなげに揺らしていようとも。たとえ、台所の黒猫と犬娘が生地混ぜを完全にほっぽり出して期待の眼差しでこちらをガン見していようとも。……え、えっと、なんかみんなして意外と朝からエロに貪欲でいらっしゃる様子なのだけど、ほんとによろしくないのでしょうかどうでしょう?
俺は「んー」と考えながら、手の中のボウルを女の子座りな詩乃梨さんの太股へぽふりと置いた。そのまま菜箸で生地をかしゃかしゃ掻き混ぜつつ、頭の中でにわかにぐるぐる迷走し始めた思いを宙へぽろっと放る。
「どうなんだろうな、実際?」
それは、あまりにも具体性に欠けた問い。発した俺自身ですら意味を捉えきれておらず、受け取った詩乃梨さんもまた何もわかってないお顔。けれど詩乃梨さんは訝る気配は見せることなく、ボウルを両手でそっと押さえたままで俺の瞳を――心を覗き込んでくる。
そのまま待っていれば詩乃梨さんが正答を教えてくれそうだったけれど、それより先に、こらえ性の無い犬娘がボウルMk-Ⅱをがっしゃんがっしゃん乱雑に掻き混ぜながらとてとてとやってきた。
「どうなんだろーって、何がどうなんだろー? うち頭悪いから、もうちょっとヒントおっくれー」
「おい、生地飛んでる、飛び散ってるから! まくってるから! お前は台所以外で掻き混ぜ禁止っ!」
「えぇぇぇぇぇぇー? んーじゃあ、ヒントくれたら戻――――っあ、う、あ、……ヒッ……!?」
ゆぅぅぅぅっくりと顔だけ振り返った詩乃梨さんに『食べ物無駄にするな』×『部屋汚すな』という重く冷たいプレッシャーをかけられて、佐久夜は速攻で尻尾巻いて台所へと逃げ帰っていった。あいつ何しに来たんだよ。
と思ったら、今度は佐久夜に盾にされるようにして――ていうか押し出されるようにして、不意打ち食らった香耶が悲鳴を上げながらやって来た。押されて悲鳴上げて、つんのめって悲鳴上げて、ボウルMk-Ⅲを落っことしそうになって悲鳴上げて、間一髪セーフと安堵した所で詩乃梨さんとばっちり目が合って声無き悲鳴を盛大に上げる香耶ちゃん、超不憫。
詩乃梨さんは香耶へ『安心して。こぼしてないから、怒ってない』みたいな微笑みを向けてあげてから、一転、先程以上に強烈な重力魔法的プレッシャーを佐久夜へとぶつける。だがしかし、ぶつけられる寸前にこの展開を予測していたらしい佐久夜は、既にこちらへ全力土下座の体勢を取っていたのであった。なんとも哀れな学習が成されてしまったようだが、あいつの場合は完全に自業自得なので全く以て不憫ではない。
三人、胡乱な目つきでゲザラー佐久夜を見やり。そのまま、なんとなく三人並んでベッドを背もたれに腰を落ち着けた。ボウルを構える詩乃梨さん、それをしゃーこしゃーこと混ぜる俺、ボウルMk-Ⅲを音も無く丁寧に混ぜる香耶。
そんな激しく謎すぎる空間が醸成されかけていた所で、香耶が「あの」と極々小さな吐息染みた声を漏らした。
「さっきの、『どうなんだろうな』って、結局何だったんですか?」
「……………ああ、なんだっけ? ごめん、昔すぎて覚えてない。ヘイしのりん、パス」
「ん。ぱすされた。……………………………………………………なんだっけ?」
詩乃梨さんまで忘れとった。ちょっとあざとくえへへなんて笑って見せてる詩乃梨さんに、俺は頭なでなでと真心をプレゼント。くまさんケモミミがぴこぴこと跳ね、やわらかなお胸に押し上げられた猫又御髪がふわふわと揺れる。おむね。おぐし。あぁ、しのりんってばちょーいいにほひ――あ、思い出した。
「あれだよ。『えっちなことって、世間一般ではわりとタブー的な扱いされてるけど、俺らみたいな場合ってどうなるんだろうな?』って思って――ああこらこら、引くな、ドン引きするな」
正座を崩して逃げようとした香耶の、スカートの裾をちょんと摘まんで引き留める。そんな俺のド変態な指先を、香耶はなんとかはずそうとしてもがくが、もがくのレベルが『叩く』どころか『撫でる』にすら及ばないような羽毛の如きふんわりさであるがゆえに、どうも拒絶されてる感がまるでしない。まあ、これが香耶の全力だというだけならば俺も素直に引き下がる所だけれど――え、まさかこれ全力? お前その切羽詰まったお顔はどういうことなの?
実は嫌われていたのだろうかと心に冷気が忍び寄り始めた所で、詩乃梨さんに肩をぽんぽんと叩かれた。
「かや、どん引きしてないよ。それただの条件反射。………………えっちなはなしの時って、普通はやっぱりそういう反応、したくなるものだよね。……『この感覚』が、こたろーの言う『タブー』ってことでしょ?」
ああ、やっぱりしのりんは俺のことわかってくれてる。拙すぎてまるで要領を得ない話であっても、きちんと向き合って、感じて、咀嚼して、考えて、そしてこんな当たり前みたいな顔して正答に辿り着いてくれるんだ。
……でも、がんばってくれる彼女に甘えて『これが当然だ』なんて傲慢な思い込みはしないようにしないとな。ほらあれだよ、たとえば最初から奢るつもりで誰かを飯に誘った時、会計の時に相手が財布を出す素振りも見せないでゴチでーすとか言ってきたら奢る気も失せるってものでしょう? 誰かから無償の愛を受け取ったなら、たとえ相手がお返しを望んでいなかったとしても、『無償の愛を返してあげたいな』っていう気持ちはぜったいに忘れちゃいけないんだって、俺はそう思う。
なんてことを考えてたら、どうも表情が真剣になりすぎたらしい。といっても、それはこの場合良い方向へと転がってくれたようで。俺から――というかエロ話から条件反射で物理的に距離を取ろうとしていた香耶が、ちょっと真面目に考え込むような仕草を見せてから、すすーっと元の位置まで戻って来てくれた。
正座し直した香耶は、俺と、俺の肩越しに顔を覗かせている詩乃梨さんを見て、再度何事かを思考する。その沈黙が没頭や耽るの域へ達しようとした頃、香耶は頬を羞恥の色にほんのりと染めながらも、震える唇を懸命に動かしてこしょこしょと囁いた。
「つまり、その……、…………………………えっ、ち、な? 話題や、実際の行為は、恋人とだけすべきものであって――、じゃ、なくて、恋人とですら、オープンな……猥談は、すべきじゃない、っていうのが常識、では、ありますけど……」
火傷を怖れるようにふらふらと回遊していた瞳が、ちらり、と一瞬だけ俺と詩乃梨さんを捉える。二人分の首肯を受け取った香耶は、すぐさまバッと眼も顔も伏せながら、泣きそうな声で続きを紡いだ。
「…………では、あり、ます、け、ど……、琥太郎さんも、詩乃梨ちゃんも、……それに、たぶん、わたしや、それにさくやちゃんも、……それに、綾音さんも、きっと、普通とはちょっと……違うっていうか………………、………………あ、ぅ、う、ぅぅぅぅぅぅぁぁぁぁぁぁぁぁ………………!」
香耶ちゃん熱暴走。火傷どころか火だるまレベルでお肌が真っ赤っかで、頭もすっかり茹で上がっちゃったっぽいです。頑張った、香耶ちゃんは超がんばったよ! 苦手なオープンドエロ話であっても俺の想いに応えて真摯な想いを返してくれた、そんなきみときみの努力が俺はひたすら愛おしい!
感動と感銘で胸いっぱいになっている俺に、詩乃梨さんが全身でぺしょりとのし掛かってきた。それは結構遠慮の無い重さで、余所の女にうつつを抜かす俺への不満が込められてるのかと思ったけど、違った。
「さくや、重い……。つぶれる、内臓出る……、…………吐く………………うおぇ…………」
などと必死のというより瀕死の熱演をしている詩乃梨さんが口にしたように、いつの間にやって来たのか、土下座の鬼から抱き付き魔へと進化を果たした佐久夜が詩乃梨さんを猛プッシュしとった。つまり俺にかかる重量は倍プッシュだ! ところで倍プッシュってどういう意味なんだろう、実はよく知らないの。誰か教えて。
俺の益体の無い心の声も、詩乃梨さんの抵抗を伴わない非難の声もガン無視して、佐久夜は詩乃梨さんごと俺まで抱き締めにかかってきながら、ついでに香耶まで巻き込みにいきながら脳天気に笑う。
「つまりさー、こたちーが最初に言いたかったのってさ? 『しのちーと朝っぱらから分別無くえっちしまくりとか、恋人以外の女と無節操にえっちするとかってゆーのは、ふつーはぜったい駄目だろうけど、うちらの場合はオッケーなんじゃね? だって、みんなそれ悪いって思ってないし! 悪いことだって思ってたとしても、イヤではないんだし! だってだって、みんなめっちゃ仲良しなんだしっ!』ってことなん? うわ、こたちーちょーやらしー。……………………………………っ、え、えっと、これほんともう想像以上にやらしくね……? う、うはぁぁ……」
勝手に言って勝手に恥ずかしがって勝手に離れてくんじゃねえよ、お前ほんと何がしたかったの。あと詩乃梨さんは返せよ、ちゃっかりお持ち帰りして首筋に顔埋めるとかやってんじゃねぇよ羨ましい。でもあれはきっと詩乃梨さんのカラダ目当てに見せかけて、真っ赤になった顔をどうにか隠そうと必死になってるだけなんでしょうね。詩乃梨さんはそれをわかっているのかいないのか、嫌がる素振りを見せてはいるけど本気で逃げようとはしていない。
詩乃梨さんは四肢をじーたばーたと緩慢に振り回しながら、自爆した佐久夜に唸り声を向けて、熱暴走した香耶に気遣わしげな目を向けて、そして最後に俺を見た。
彼女は、わかりきっている問いを俺へと放つ。
「合ってる?」
「合ってる」
ただ、それだけ。それだけで、俺と彼女は通じ合い、二人微笑みを見せ合った。




