五月三日(水・2)。謎は未だに謎のまま。
部屋へと戻ってきた俺と詩乃梨さんを待ち受けていたのは、朝っぱらから熱烈に絡み合っとる二人の女子高生達であった。
「――あ、しのちーとこたちー、やぁ~っと帰って来たん? おかー。あと、おはー」
「……かひゅー……、……かひゅー……、…………ひゅー………………」
床に四つん這いになってる佐久夜が、花咲くようなとっても良い笑顔でのんびりのほほんとご挨拶。そんな佐久夜に四肢を完全に抑え込まれている香耶はというと、挨拶どころか視線すら寄越してくることなく、聞いてると不安になってくるか細すぎる呼吸音だけをただただ響かせ続けていた。何してんだこいつら。
「………………えっ、と、……、おい、大丈夫か……?」
居間兼寝室へと足を踏み入れた俺は、佐久夜の方はひとまず放置し、香耶の頬を手の甲でぺちぺちと叩いてみる。けれど香耶は呼吸以外の反応を返してくることはなく、ひん剥かれかけの細っこい肩やちんまい胸元を隠そうともせず、際どい位置までめくれてしまってるスカートだって直そうともしない。ついでに、普段なら前髪と眼鏡でガードしてるはずの素顔もずっと曝け出されたまんまだ。香耶ってやっぱ体つきも顔立ちも中学生かそれ以下くらいにしか見えないし、おまけにインドア派っていうか若干病弱っぽい印象のある子だから、こんな弱り切った姿を見せられるとどうにも心配すぎて落ち着かない。あとお前黒タイツと眼鏡どこやったの? なんで完全に生足素足に素顔なの?
しゃがみ込んだまま意味もなく「ぬぅーん……」と呻く俺の肩に、詩乃梨さんが背後から手を突いてぴょっこり身を乗り出してくる。
「……かや、げんき?」
「…………………………げ…………んっ、…………き、で…………、ふ……」
お、反応あった。しかもちょっとだけ笑顔浮かべてんぞ、めっちゃ引きつってはいるものの。これは香耶が抱く詩乃梨さん愛のなせる技なのか、はたまた詩乃梨さんの持つ反魂スキルが発動した結果なのか。……てか、俺の呼びかけに反応くれなかったの、地味にショックなんすけど……。
そんな俺の傷心を知ってか知らずか、自分自身が微妙にブロークンハートしてそうなせつないお顔の佐久夜が、俺のほっぺや詩乃梨さんの手を必死にぺしぺしと叩いてきた。
「ね、ね、おはー。こたちー、おはー。しのちー、おはーっ。おかーで、おはーっ! おかおは、おかおはっ!」
「人語を喋れ、人語を……。でも、うん。ただいま。んで、おはよーさん」
「わたしも、ただー。あと、おはー」
詩乃梨さんの口から彼女らしからぬフランク過ぎる挨拶が飛び出してきたもんだから、俺はちょっとだけびっくりして詩乃梨さんを見上げた。そんな俺を、詩乃梨さんはきょとーんとした瞳で見下ろしてくる。
やがて詩乃梨さんは、少しだけ首を傾げた後、なぜか俺の額を自分のおでこで優しくこつりと叩いてきて、満足げな鼻息と共に一言。
「よし」
何がやねん。でも詩乃梨さんが良しと仰るのなら、きっと遍く世界のあらゆる事物がオールオッケーなのである。だってほらその証拠に、詩乃梨さんがこんな良い笑顔を浮かべちゃってて、傷心してたはずの俺だってあっという間ににやけ笑いにされちゃってて、せつない笑顔浮かべてた佐久夜だってあっと言う間にはにかみ笑いにされちゃってて、ひきつった笑み浮かべてた香耶だってあっという間に引きつった笑みにされちゃってるもん――あれっ、香耶まだ『良し』じゃなくね?
でも詩乃梨さんはすっかりゴキゲンさんモードでカーテン開けに行っちゃったので、この場の処理は俺が引き継ぐことにした。ひとまず、香耶の乱れた前髪を優しく整えてやりながら、佐久夜をじっとりとした眼で睨め付けてみる。
「んーで、お前らは朝っぱらから一体何をやっとるんだ。……まさかとは思うけど、どったんばったん暴れ回ったりはしてないだろうな?」
「………………………………あ、あははー」
わざとらしい愛想笑いを浮かべた佐久夜は、香耶の四肢をそろ~っと解放し、マウントポジションに女の子座りしながらゆっくりと顔を背けていく。
けれどその先には、カーテンを開け放ったポーズのまま首だけこちらを振り返ってる雷龍様の無表情がどどん。佐久夜は「ヒィッ……!?」と本気の悲鳴を上げると、ベッドによじ登って布団を頭からばふりと引っ被り、隠しきれてないお尻と生足をガクブルと震わせた。おっ、お、おぱんつ様見えそ――見ないッ! 俺は決して女の子のスカートの中を本人の了承無しに覗くような真似は、………………………………あ、えっと、詩乃梨さんに出逢う以前の分については、ちょこっとだけ情状酌量を求めてもいいですかね……? 別に犯罪行為に走ったことがあるわけではありませんので、ほんと、どうか何卒よろしくお願いします。
お願いしますって言ってるのに、なんか詩乃梨さんがすっごい俺のこと見てる……。佐久夜でも香耶でもなく、ただ俺だけを底知れない瞳でじっと見つめていらっしゃる……。別に俺の過去のラッキースケベについて看破したわけではないだろうから、たぶん詩乃梨さんが観察していらっしゃるのは、今現在発生しかけているパンチラに対する反応なのだろう。
俺は鋼の心を以て下心を押さえつけ、ひたすら香耶の髪を整える作業に没頭――してもそれはそれでアウトかなと思ったので、香耶のほっぺたをぷにりと摘まんでみた。これくらいなら単なるイタズラの範囲で収まる……かな? 最近詩乃梨さんを筆頭に数名の女の子達と過度のスキンシップに励んでたせいで、アウトとセーフのラインがいまいちよくわからなくなってきてるな。
「…………い、いひゃ、い、れふ……」
「……………あ、ごめん」
気付けばぷにりどころかぷにぷにと弄り倒してしまっていたので、俺は素直に謝罪し、そっと優しく一撫でして触れ合いを終わらせた。触れ合いっていうか一方的に触れていただけだけど、これは流石にギリギリアウトかな? ……………………いや完全アウトじゃんね何してんの俺!?
戦々恐々としながら詩乃梨さんの様子を窺ってみると、詩乃梨さんは――。
「……んふっ♪」
なんかすんげー上機嫌な笑みを零して、自分の作業へと戻っていかれました。
呆け顔の俺が見つめる中、詩乃梨さんはカーテン開けたついでに窓もちょっとだけ開けて、心地良い微風と優しい日差しに包まれながら軽く深呼吸。そんなしあわせいっぱいな風情の詩乃梨さんの横を、朝の冷たさを残す外気がすり抜けてきて、佐久夜のお尻を一際大きくぶるりと震えさせ、香耶に小さく「くちゅん」とくしゃみをさせた。
詩乃梨さんが慌てて窓を閉めて、俺がパジャマの上衣を脱いで香耶の胴体にひっ被せる。その土井村夫妻の迅速なる行動に、香耶はすっかりきょとんとしてしまった。
「………………あ、あの……? …………あっ、わ、私、別に寒くないですから、その……」
いそいそと身体を起こした香耶は、俺がくれてやったばかりの服をこちらへそっと差し出してきながら、おずおずとした上目遣いで詩乃梨さんに『窓開けて大丈夫ですよ』とアイコンタクト。
しかし、俺は腕を組んであぐらでどっかりと座り込むのみで、服を受け取ろうとはせず。詩乃梨さんもまた、優しい笑顔で首を横に振ると、とっとことっとこと台所へ向かう。
「……かやは、コーヒー飲めるよね? ……あ。ほっとみるくの方がいい?」
「………………えっ? ……あ、えっと、…………じゃあ、カフェオレで……?」
「あいあい♪」
躊躇いがちな香耶の欲張りさんな注文に、詩乃梨さんは弾むような声音と軽やかな足音でお返事。そのまま冷蔵庫のあたりまで進んだ詩乃梨さんだったが、わざとらしく「あ」と声を上げると、すーんごい棒読みで何やら確認を始める。
「かやは、カフェオレー。わたしは、缶コーヒー。こたろーも、缶コーヒー。………………うん、これでちゃんと全員だ!」
「――待って待って待って待てちょぉ待ってぇなしのちー!? うちは!? この世界一キュートで宇宙一セクシーな真鶴佐久夜ちゃんのことを忘れるとかそれ絶対うそでしょねぇーちょっとぉー!」
町内一ウザ可愛い真鶴佐久夜ちゃんが、布団を跳ね飛ばしながらベッドから身を乗り出して来て必死に存在を猛アピール。勢い余って手を滑らせて落っこちかけた佐久夜を、覆い被さられる形になった香耶が慌てて支えて、支えきれずに二人でべちゃりと潰れた。何してんだこいつらPart2。
気付けばこっちへ頭だけを伸ばしてきていた詩乃梨さんが、ふと俺と目が合って、お互いに気の抜けた呆れ笑いを浮かべる。
「……こたろー、そっちよろしくね」
「ん、了解。詩乃梨さんも、そっちよろしくね」
「ん、りょーかいっ。まっかせろー!」
詩乃梨さんは細腕にしょぼい力こぶを作ってみせると、それをぺしーんと威勢良く叩いてみせた。あらあらまあまあ、詩乃梨さんったら今これものすっごいゴキゲンさんだわぁ、うふふ。こーんな元気いっぱいの勇ましいリアクションしちゃったり、あーんな楽しそうにおどけて見せてくれちゃったり、そんな今まで見れなかった色んな詩乃梨さんをい~っぱい見られて、俺までもうすっかりごきげんさんである。いやさ、ごきげん様である!
詩乃梨さんが台所でかちゃかちゃにゃーにゃーやり始めたのをBGMにしながら、俺はベッドを背もたれにしてゆったりと座り、ほうっと温度の高い息を吐く。この胸に染み渡り耳朶へ浸透していく、詩乃梨さん初のお言葉、『まっかせろー!』。なにあれ可愛い、超かわいい。しかも今頃になって自分がらしくないこと言っちゃったことに気付いて鼻歌が羞恥にぷるぷる震え始めてるのとか激烈かわいい、龍可愛い。やべぇなこれ、俺の唇や腹までぷるぷる震えてきちゃったわ。『まっかせろー!』が二重の意味でツボにハマりすぎてうっかり爆笑しちゃいそう。でもそれやったら絶対しのりん怒っちゃって『つーん』ってそっぽ向いちゃうよなぁ、『つーん』って、口に出して『つーん』って言ってそっぽ向いちゃうしのりんな。…………ぷっ! く、っ、く、くふ、くふ、くふふふ、くふふふくくひゅっひゅっひゅっひゅひゅっひゃっひゃっひゃ――お、おおっと、失敬、たんま、タンマっ。酸素、酸素が、足りな、ひぃ、ひぃっ。
「……琥太郎さん、あの、大丈夫ですか……? …………やっぱり、これ脱いじゃったら寒いんじゃ……?」
「や、かやちー、これなんか笑い堪えてるだけじゃね? なーんで笑ってるのかはわかんないけど。……てか、しのちーの方もちょっと様子おかしい気が――」
「詩乃梨ちゃんがおかしいとか何言ってるんですか詩乃梨ちゃんはいつだって正しく清く美しく愛らしく愛おしいので間違っているのは世界の方ですの異議は一切認めませんの」
「…………………………あ、はぁーい……」
すげぇな、勢い一つで押し切り通したぞ、香耶のやつ。さっきまでは捕食される側だったはずが、いつの間にか今度は逆に佐久夜を四つん這いで組み敷いてるし、正に愛は人を強くするの好例だな。ただし、これは完全なる偏愛であって、世間的には好ましくない在り方なのだろうけど。ええ、つまりは俺と同じ穴の狢ですね。
やっぱり、詩乃梨さんに恋しちゃってる人間は皆、こういう在り方や思想へと走ってしまうものなんだなぁ……。これは俺や香耶が元々一途通り越してヤンデレな気質を持っていたってことなのか、それとも、詩乃梨さんには何かそういう深すぎる愛情を呼び起こす特殊な能力が備わっているのか――あ、もしかしてこれ魅了スキル? だってベッドの上ではサキュバスさんですしね、あの雷龍さんったら。またしてもネタが追加されてしまったぜ、そろそろ自重しようよ俺……。




