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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

荒波の上の王国がある世界

神獣を倒した勇者の物語

作者: キリ卍 ヤロ

 都の遠い山間にあるこの小さな村は、収穫の少ない厳しい年だった。

 冬が近い。少しでも備蓄を増やそうと、子供たちも森へと木の実を採りに出かける。


 だが、子供たちは忽然と姿を消した。

 不可思議なことに、足跡などが見当たらない。移動した痕跡は見られるのだが、どれも不明瞭だ。

 村の者は手分けして探せる場所は探して回ったが、見つけられたのは採集用の手籠くらいのものだった。


「神隠しだろうか」

「そんなはずはない」

「険しい谷がある。注意はしたが興味本位で近付いて転落したのだろう」


 村人は口々に話し結論付けると各々の仕事へと戻っていく。

 いつまでも気に病んでいられるほどの余裕など、この村にはない。


 あくる日、別の子供らに女が一人付き添って出かけたが、やはり姿は消えた。

 そこで老練な年寄りが付き添ったが、やはり姿は消えた。

 しかし、今回は年寄りの体の一部が残されていた。


 大きな獣に噛み千切られたような跡がある。

 ここより南部の山には多いとされる黒豹のように大きな獣は、この辺では見かけたことも、近隣の村から噂を聞いたこともない。

 しかも猟師が言うには、それらしい足跡などがないというのだ。

 人を幾人も喰らう獣が跋扈しているなら、それは極めて不自然なことだ。


 なにかの祟りかと思われた。

 村人の間に、言い伝えが過る。


「これは、よもや、絶えたと言われる神獣が甦ったのではあるまいな」


 何代か前には、この辺の山にも大きな獣はいたと伝え聞いている。

 特に、北に見えている険しい岩の山脈。世界を遮る大きな壁のような山には、南の黒豹よりも恐ろしい獣らが闊歩しており、ときに麓へ下りてきては人に災厄を振りまいた。

 人々は山の神と恐れて、それらを神獣と呼んだが、おとぎ話だ。


「なおさら、ありえんことだ」


 なんにしろ大型の獣が潜んでいる可能性は認められた。

 それを前提とし、もう一度だけ山を探ろうと話し合いはまとまる。

 子供一人を囮に、猟師と村一番の力持ちである大男の三人だけで出かけることに決まった。

 猟師ら男衆が出かけても現れなかったならば、力なきものを選別しているのだろう。

 ならば人数を抑えねばなるまい。


 力持ちの大男は、他の男たちより一回り体の大きな若者で、その働きも人一倍である。

 村長とて貴重な働き手を失いたくはないが、冬を越せるかどうかの瀬戸際だ。どうにか原因を探りたかったのだ。


 遠目に見える高く険しい山脈から、冷たい風が降りてくる。冬の長い村だ。

 村長は、慣れた筈のその風に不吉なものを感じて慄いた。




 かくして子供、猟師、大男の三人は森へ入った。

 大男は、やむなく先頭に立たせた震える子供へと語り掛ける。


「俺たちがついている。村一番の腕利きの猟師と、村一番の力持ちの俺だ」


 子供は力を得て頷き、歩き始めた。

 山の異常を調べるため、奥へ奥へと足を進めていく。

 険しい谷も近い森深くへと差し掛かったころ、葉擦れのさざ波のような音が聞こえてきた。


「風が出てきたか」

「風にしてはおかしい」


 大男の言葉に猟師が違和を唱える。

 三人は身をかがめて木々の狭間に目を凝らす。

 音の方をよく見れば、銀色の縄が木々を絞めつけているようにみえた。


「はて、雪にはまだ早いが」


 ごくわずかな動きであり、目を凝らしていなければ、それが動いているとは思えなかったろう。

 息を詰めて様子を窺っていると、縄の結び目が宙に浮き、こちらを向いた。


 そこには真っ黒の穴が二つ開いており、その下には赤い切れ目がある。

 顔だった。

 赤い切れ目から、ちろちろと細長い紐が揺れている。


「ま、まさか。そんなまさか」


 蛇だ。

 幾つもの大樹の幹を麦藁かのごとく絞めつけている体を持つ蛇。

 見たこともない大蛇だった。


「逃げるぞ」


 大男が子供を担いで来た道を向くが、猟師は大蛇を睨んだままだ。


「わしは様子を見てから戻る」

「馬鹿を云うな」


 猟師ゆえに血がたぎったのだろう。

 留まると言って蛇の背後へと迂回していった。


 大男は追いたかったが子供の安全を守らねばならぬ。

 急いで山を下りた。




「原因が分かったぞ!」


 周囲の畑に呼びかけながら、大男は村の中心へと駆け戻る。

 子供も叫んだ。


「蛇だったんだよ! 大きな蛇だ! ありえない大蛇だ!」


 驚き青ざめた村人らは、仕事を中断し村長宅前へ集った。


「猟師が様子を見ると残っている。寝屋を探るつもりだろう」


 大男は猟師の行動を無駄なことだと思っていた。

 あの時すでに、三人ともが睨まれていた。

 あれだけの巨体ならば、早くは動き辛いだろうと思えたが、これまでも静かに近付き、獲物を確実に仕留めてきたのだ。

 異形の蛇の目から逃れて巣まで追えるなどできようもない。たとえ隠れ場所を暴いたとして、休んで油断しているところを密かに狙える相手とも思えなかった。


「しかしなぜまた、いきなりこんな場所に現れたのか」

「全身が雪のような銀色の鱗に、大黒樹の幹のように黒々とした目をしていた」

「それがなんだってんだ」

「この山の向こうの山脈。その中にある森が、そんな色合いをしている」

「北の大山脈か。確かに、あっこから這い出てきたのはありうるが」


 村長が髭の下の顎を掻きながら、村人らの会話に耳を傾けている。

 思うところを出し終えた村人は、口を閉じて村長の言葉を待った。

 村長は声を絞り出した。


「この収穫のなさだ。食えるもんがなくて出てきたのなら、帰るのを待つのも難しいだろう」


 それは、どうにか山から追い出すということ。

 もしくは、退治するしかないということだった。


 山から木の実やらを集めて干し、それらを冬の間の食事の足しにと考えていたのだ。

 それができなくともどうにか食いつなげるが、一食減ることになる。減るだけでなく、木の皮を煮て食うといった貧相な食事で、長い冬を越すことになるのだ。

 滋養が足りず、病に倒れたまま春まで持たない者が出てくる。

 それだけではない。


「その大蛇様が、この村まで下りてこんとも限らん」


 村長の言葉に、村人らは反対する声を失った。




 さて、ではどうするかとの話し合いで、新たな問題が起きた。


「全員が離れるわけにいくまいよ」

「どうやって退治すりゃいいのか」

「退治するだなんて簡単に。あんたまで帰ってこなかったらどうするの」


 子を亡くした女が唇を震わせる。

 夫までも行方知らずとなっては生きていく道をも失う。


 しばらく、誰をどれだけ蛇狩りに向かわせるかと話し合ったが決めあぐね、気が付けば避難することへと移っていた。


「村を一度出るにしたって冬の前だ。他の村に頼むには時期が悪い」

「そうさの。どこだって蓄えが惜しいだろう。食料を持ち込むにしろ、手伝いにもならん奴らが居座るのに良い顔はされまいて」

「だったら、村の近くに避難できるような場所を作るってのはどうだ」

「そんなに人手は割けないよ。資材もない」

「ほれ、東に洞窟があったろう」

「人にとっては離れているが、神獣様にとってはどうだろうな」


 どちらにしろ、意見はまとまりそうにない。

 この場で唯一の、大蛇の威容を知る大男。

 彼は黙って耳を傾けていたが、声を上げた。腹から響くような声だった。


「相手は人の味を覚えた化けもんだぞ!」


 その言葉に、人々は凍り付いた。


「確かに、冬の間に出ていくとも限らんな。退治するしか、ないのか」


 村を出る方に意見が傾いていた村長だったが、その事実を噛みしめる。

 俯き、逡巡する。原因が分かり、目指すものがあるだけ事態はましになった。

 村人が反対しようとも、決定せねばならないと覚悟し村長は顔を上げた。


「これ以上の被害は出せんが、全員で向かうこともできん。これで戻らねば村を離れよう」


 村長は、男たちから数人を選ぶ。それから、発見者の大男に声をかけた。


「唯一正体を知っているお前さんには、行ってもらわねばならん」


 大男は無言ながら、しっかりと頷いた。



 ◇



 大男は村人を従え、再び森へ入った。

 蛇と出会った場所へ分け入ると、地面や木々に、黒い染みが散っていた。

 染みの中には鉈。

 猟師の鉈だ。


 何が起きたのかを察し、大男はその鉈を拾って携える。

 地面には、倒木を引き摺ったような跡がある。

 蛇が地を這い、移動した跡に違いない。


 これまで痕跡がなかったと猟師は言った。

 木々をつたっていたからだろう。

 それが地面を這っている。

 この黒い染みが、猟師のものとは限らないということだ。


「あいつは、傷を負わせたのか」

「さすが猟師だ」

「どれ、様子を確かめに行こう」


 どうやら難攻不落の化け物ではないらしいとみた村人たちは、気を緩ませ意気揚々と、抉れた地面を追いかけた。

 眉間に皺を寄せたのは大男だけだった。


 山の奥深くには、家よりも太い幹を持つ古木がある。スギの古木だ。

 半分はそばの崖に埋まるようであり、枯れかけて一部が石のように硬くなっている木だ。

 死んでいるように見えるが、頭の方には枝に濃い葉がつく。神木といってよい存在だ。


 その幹の中ほどには、ひび割れたように広がる巨大な洞がある。

 地下より現れた、うねる古木の根は梯子のようになっているのだが、引き摺った黒い跡は、その根をつたい穴へと続いていた。

 根元には、赤く濡れた毛皮の上着が落ちている。猟師のものだ。

 上着に目を落とした大男は呟く。


「奴に呑まれながら攻撃したのだろう」


 そのとき、風が吹いた。

 違う――大男は直感し、とっさに見上げた洞から、大きな頭が覗いていた。


「な、なんだあの化け物蛇は」

「あれほどとは」


 村人たちは青ざめて後ずさる。

 巨大だと聞いてようとも、どれほどのものかは想像もつかなかったのだ。


 一度見ていた大男も、改めて対面した相手の巨大さに慄いていた。

 しかし、何かしらの決着を付けるために来ている。

 すぐに気持ちを落ち着けると、蛇の異変に気が付いた。

 以前と違い、裂けたような赤い口の下に、もう一つ口ができている。


 それは、赤い切り傷だ。

 想像以上に猟師の与えた傷は深い。

 今ならば、村人全員で向かえばやれるかもしれないと大男は考える。


「奴は弱っていると村へ知らせろ」


 その言葉に、怖気づいていた村人らは一目散に駆け出した。

 大男は呆気にとられた。

 一人が伝えれば十分なところを、これ幸いと全員が走り去ったのだ。


 村長から頼まれたことを、村を守るために出てきたことを、忘れたのか。

 歯噛みしつつ、大男はすぐに木へと視線を戻す。

 とたんに、ぼとりと音がした。

 落ちるように蛇は木の根を滑り降りたのだ。

 恐怖から噴き出す汗で、体が冷える。


「どうした、動きが悪いぞ」


 震えをこらえながら、大男は強がった。

 相手の動きは悪く見えたが、振り切れる距離ではないだろう。

 それに、こんなに強張った足では、到底逃げおおせるとは思えない。


「大丈夫だ。どう見ても弱っている。刃物で傷つけられるのも分かっている」


 自身を安心させるように、言葉を吐き出した。

 そうだ、猟師が残してくれた傷だけを見るのだ。刃の通らぬ御魂のようなものではない。

 そう考えれば、大男の全身に力が漲った。

 猟師の残した鉈を、眼前に構える。


「ここに居てはならぬ妖よ。お前も共に眠るのだ」


 居なくなった人々の顔を思い浮かべながら、大男は大蛇へと斬りかかった。



 ◆



 大男は村へ戻ろうと、山を引き返していた。

 体が細かく震え、ときに足が痙攣し、引き摺るようにして歩いている。

 なかなか進まない。

 村までが、ひどく遠い場所に感じながらも、体を叩きながら体を動かした。


 蛇に斬りかかった大男は、頭を確実に落とすため牙を掴むつもりだった。

 弱っていてなお蛇は機敏に動き、牙は大男の腕を貫いた。

 どちらにしても、策の通りだ。

 蛇の頭が動かぬ内に、すでに裂けていた首の傷をさらに広げることが叶った。


 ゆらぐ視界に、何が身に起きたのかは予想が付く。

 毒。


 村へ着きさえすれば、誰かが悪い血を吸いだしてくれるだろう。

 そう思いひたすらに歩く。

 だが、木々に肩をぶつけ下草に足を取られ、とうとう膝をついた。


 一度膝をつくと、石になったように身動きが取れなくなった。

 このまま頭から倒れるよりはと、自ら仰向けに寝転がる。

 頭のどこかで、諦めていた。

 そもそも大蛇を一人で退治するとなった瞬間には、すでに諦めていたような気がしていた。


 このまま朽ちるのか。


 青空を眺める。

 あの雲の一つになるならば、それもまた良し。

 畑を、村を、その未来を担う子供たちを守りたかった。

 自分も守られて育ったと思うからだ。


 穏やかだった大男の顔が歪む。

 なぜ、他の皆がそうではなかったのかと。


 せめて、あと二、三の男がなぜ、残ってくれなかったのか。

 体が大きいからと、人よりも多くの仕事をさせられてきた。

 今回も、誰もが危険な仕事を受け持つのは当然といった態度だった。

 頼もしいと思われ誇ることを享受してきたのだ。それを責めるのは筋違いだ。

 それなのにと、苦い想いが心をむしばんでいく。


 今際の時に恨み言を残したくはない。

 これも、毒のせいなのだ。

 大男はそう思うことにして、目を閉じると、深い溜息を一つ吐いた。


 大男は未来を憂い、この生きざまが何かを遺せたなら良いのだがと、村へと思いを馳せた。

 遠ざかる現世に、せめて子供たちが何かを感じてくれたならと、想いを残して逝った。




 ◇◇◇




 大男は死後、勇者と呼ばれるようになった。

 森で神隠しに遭う事件は、実は山沿いにある他の村にも起きていた。

 それが、はたと止んだのだ。


 証拠として蛇の頭が時の王へと献上されるや、大男の話は大げさに喧伝された。

 国の怠慢を隠すためもあっただろうし、もう化け物の事件は起きないことを知らしめるためでもあった。


 大男の凛とした活躍は、伝承をまとめた書物へと編纂される。

 その物語は、『ウロボロスギ伝承』と名付けられた。

 勇者の戦った化け物には相応しい名が必要だ。

 前人未踏の北の山脈より下りてきた気の触れた神獣であるとして、神木ウロボロスギに巣食っていたことで、ウロボロスギ蛇と付けられたものである。


 その物語は長らく、冬の間に暖炉の前で大人から子供に話され受け継がれた。

 一人の男が勇敢に戦い村や子供を守る話にからめて、一人で森に入らぬようにと、また悪いことをすると大蛇に連れていかれてしまうよと諭すためである。


 大男の望んだ想い――子の未来を守らんとした願いは、そうした形で人々に行き届いた。

 その物語によって正しい者であろうとした子供たちが育ち、人々を守ろうと戦う原動力ともなった。

 ただの村人から、王となる者の心へも響いたのだ。



 伝えられたのは輝かしい瞬間だけだ。

 大男の無念に触れられることはなかった。




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