少年よ、これが僕らの人生だ
「全く、僕の人生は」
独り言を懐かしく、そして心地よく温かい春の風に溶かして、僕は実家近くの公園内にある展望台から公園とその周辺の街並みを一望していた。
高低差のある丘陵に位置するこの公園の展望台から眺められるその風景は、中学生だった頃とちっとも変わっていない。そのせいか少し若返った気もする。
そんな懐かしい景色の中でも、一際僕の意識が注がれる場所がある。公園内の中腹付近に位置する草木が生い茂ったこの公園の入らずの森。
理由は単純明快。僕が中学二年の春に自殺未遂をした場所だから。
未遂に終わったのは、死のうとした直前に見知らぬおじさんに見つかって、諭されたから。
あの時も今と同じような晴天でちょうどいいくらいに温かい気温、さらに時間帯も今と同じ陽が西側に傾いた具合だったと思う。
ということは、ひょっとしたら、今この瞬間に自殺をしようとしている男子中学生がいるかもしれない。なんて思いながらとりあえず思い出の中を辿るように入らずの森を目指すことにした。
曲がりくねった舗装路を歩き、途中その道から外れて、爽やかな緑の香りが濃くなっていくのを感じながら生い茂る草を踏み分け、木々の間をくぐり抜けていく。するとこの公園で一番大きく、太い大樹が見えてくるのだが、その大樹の根元こそが僕の自殺未遂現場だったりする。
それにしても数十年ぶりに再会したが、全く変わってないな。まるでこの公園の守神かのように鎮座していて、全くあの時からその迫力は衰えていない。
そして案の定、その大樹の迫力に身を隠すように、着覚えのある学ランを身につけた中学二年生の少年が、手に握った果物ナイフを自分の腹に突き立て、息を整えながらその刃先を注視している。
あの時の自分を見ているような不思議な感覚は、同時にあの時の記憶を鮮明に浮かび上がらせて、走馬灯のように身体中を駆け巡らせた。
まあ思い出した記憶の中身のほとんどは、僕の自殺を未遂で止めてくれたくれたおじさんの名言?迷言?とずっとヘラヘラして幸せそうな彼の表情のばかりだが。
そんな記憶の中にあるおじさんとリンクさせ、僕は少年の背後にそろりそろりと忍び寄り、口角を上げながら指を鳴らした。
「ビビビンゴ〜!」
僕の大声で背後から不意打ちされた少年は一瞬肩をびくっと震わせ、持っていた果物ナイフを落とした。
予想通りのリアクションで笑みが引っ込まらない。間違いなく僕は頭のおかしいやつだと思うが、おじさんもこんなことを思っていたのだろうか。
少年は恐る恐るこちらに振り向く。目を大きく見開き、僕を凝視している。とりあえず警戒を解いてもらおうと僕は緩くなった口を開いた。
「なあ、こんなところで何してんの?まあ果物を向くって感じじゃないのはわかるけど」
ジョークを交えてみたのだけどどうだろう。まあ笑えないのはわかってるが。
その通りに少年は慌てて立ち上がり、僕に背を向けてすたすたと足早に歩き出した。
しかしカバンを忘れている。しかも見覚えのある、擦り切れた黒い学生カバンで、表面には黄色とか赤色のマジックペンで『消えろ』『汚物』『シネ』など低脳な猿たちが書いた文字がびっしりと並んでいた。今なら笑える。声を出して笑いたいが、まあ流石にそんなことをおじさんはしなかったから、やめておこう。
そう自身に言い聞かながら、僕はカバンを拾い上げ、丁寧に土汚れを払って、少年に再び声をかけた。
「おーい。少年。忘れ物だぞ」
少年は振り返り、それはそれは見られたくない汚点が他人の手に握られているのを確認すると必死な顔をして奪い取ろうと足早に引き返してきた。
「返してください」
死のうとしていた人間が、それでも意地や恥を捨てられないとは、今となって見れば面白いもんだ。
そんな気持ちから僕はいたずらに少年の手をかわすようにカバンをひょいっと持ち上げた。
言っておくがいじめではない。スキンシップだ。なんて低脳なお猿さん達みたいな理由は持ち合わせていない。少年の話を聞くためだ。おじさんもこうしてたし。
「いじめられてんのか。んで、自分を殺そうと」
「おじさんには関係ないだろ」
「たしかに。だけど自殺はいけないなあ。若いのに、もったいない」
もちろん自殺をしたいやつの気持ちはわかる。だからこれが少年の気持ちを軽視した言葉だってことも。
案の定、少年は僕をぎろっと睨みつけてきた。
「生きているのが苦しいんだ。一日中、頭の中が砂嵐で、怯えて、恐怖してる。そんな経験をおじさんはしたことあんのか?」
吐き捨てるように言った少年は無理やりカバンを僕から取り上げた。
そんな少年に、ついに緩んだ口の隅が上がってしまう。
「あぁ。もちろん。死のうとも思ったことがある。この公園で」
目の前の少年と同じ考えを持っていた過去の自分を卑下した笑みが思わず溢れてしまう。
そんな笑みが言わずもがな、少年の導火線に火をつけてしまったようだ。
「なんなんだよ!! どいつもこいつも!!僕は本当につらいんだあああああ!」
少年はぷるぶると身体を震わせて怒鳴りつけてきた。
「別に馬鹿にしてないって」
ついふざけた感じになってしまう。
少年よ。僕も中学生の時は少年と同じだったんだよ?それでもいろんなことを経験して、今ではこんなにも愛嬌振りまけるまでになったんだよ!なんて言い訳をしたいが、今の少年には通じないようだ。
地面に落ちていたナイフを手に取り、少年は自分を人質に取るように再び腹に刃を突き立てた。
「僕は本気だ!もう死にたいんだよ。生き地獄な毎日にもう耐えられないんだ」
「わわわかったわかった!どうしても切るってんなら……手首か腕を浅く切るくらいにしておけ」
咄嗟に口にしたその言葉は体験談だ。切った後、後悔はあるけれど、自分を傷つけるな!なんて言わない。少年や昔の僕のような人たちに自分を傷つけるな!なんて言うやつは知ったかぶりの薄っぺらい偽善者くらいに思っているから。
おそらく少年の周りには猿と偽善者しかいなかったのだろう。僕の言葉に目を丸くして、それでも口を震わせながら少年は言葉を口に出した。
「で、でもそんなんで死にやしないだろ!」
「あぁ、死にやしない。でも少しは楽になれる」
「なんだそれ。知ったかぶって、どうせ本の話か誰かの体験談を並べただけだろ。あんたは切る必要なんてないもんな」
少年は鼻で笑う。だから僕は自信満々に言ってやることにした。
「残念ながら体験談だ。自分のね。僕も死のうと思ったことがあるって言ったろ? まあ、結局死ななかったけど、その後くらいに切ったんだ。証拠、みる?」
まるで何かの勲章を自慢するように口角を緩ませながら、袖をまくり、右前腕の裏側にあるバッテンの形に残る古い傷跡を少年に披露してやる。
「まぁ何回か切ったが、一番深く切っちゃったやつ」
バッテンのように交差した傷はうっすらと盛り上がり、普通のかすり傷とは違うことがすぐにわかる。少し深く切りすぎた傷。まあ若気のいたりというやつだ。
そんな僕の勲章を目の当たりにした少年は今さっきまで死のうとしてたくせに、あまりにも衝撃的すぎたのか、あんぐりと口を開けたままになっている。
感動してくれたことはありがたいが、この勲章を見せたのには訳がある。僕は少年に薬の用量、療法をきちんと説明するように体験談を語ってやることにした。
「もちろん後悔はしてる。だって夏場に半袖は着づらいし、銭湯なんかに行けば注目の的だ。なにより危なかったしな。まあ損したことの方が多かったような気もするが、今思い返せば間違っていたとは思わないよ。そう言える証拠に何十年経った今、お気楽に笑っていられるんだから。こんな風に」
そう言って僕は手を広げて、笑顔を見せる。
だが少年は勲章に見惚れているようで、僕の笑顔は残念ながは少年には届いていない。
そう言えばおじさんも右腕に大きな古傷があって、それを自慢げに披露してはずっと笑顔が溢れていたっけ。そんな姿が印象的で僕は後々憧れることなるのだが、少年もそうなってくれればいいな。
そんな思いのまま、僕は少年に、というよりかは過去の自分に向けるようにアドバイスをしてやることにした。
「いいか少年。腹を刺すくらいなら、腕や手首を浅く切って一瞬の安心感に浸る方がいいこと場合もあるし、嫌なことからは全力で逃げる選択肢だってある」
腕から僕の顔に視線を移した少年は不服そうに眉をしかめた表情を僕に向ける。
「そんなことをしたって生き地獄から抜けられるわけじゃないだろ。だったら僕は今死んで楽になる方がいい。どうせ救われないのなら」
気持ちはわかるよ。だが、死ぬと逃げるは全く違うこと僕は知っている。重要なことなんだよ、少年。と僕は今だに怪訝な視線を向ける少年の頭をぽんぽんと撫でて、明確な理由を教えてあげることにした。おじさんが僕にそうしたからってのもあるが。
「逃げればコンティニューできるだろ?」
「コンティニュー?そうしてどうなる?終わらないだけじゃないか」
「死ぬってことはリタイアを選んで強制的にゲームオーバーにするってことだろ。つまりそれっきり。掴めたはずのチャンスさえ掴めやしない。今の僕があるのはコンティニューを選択してチャンスを掴んだからなんだ」
少年は自信なさげに俯き、口を開く。
「じゃあ僕のチャンスはいつくるんだよ。いつになったら僕はこの生き地獄から解放されるんだよ」
「知らん」
ぶっきらぼうに言葉を吐くと少年はわかりやすく消沈した。
それでも僕は言った。
「だからこそ逃げるんだ。逃げて、コンティニューを選択して、チャンスを待つんだ」
「そもそも逃げるって簡単に言うけど、それは無理だよ。学校を休むわけにはいかない。母さんと父さんが許すわけないし、大体いじめのことだって心配させたくないから言ってないのに」
「だから死ぬって?」
少年はこくりと頷いた。あの時の僕も少年と同じ八方塞がりだったからその気持ちはわかる。だけど
「生きていれば何十年後かには今と打って変わって、幸せになっているかもしれないのに?」
「そんなわけ……てかなんでそんなありもしない希望を抱かせることを言うわけ?」
「かもだよ。かも。可能性の話だよ。なら少年だって、この先自分が永遠に不幸だなんて確実に言えるのか?」
「それは言えるよ。だって僕自身のことだもん。わかるよ」
全く。この時期の子は反抗的で嫌だね。まあ僕も昔そうだったからこれ以上悪くは言わないでやろう。その代わりにと、僕は少年の腕を握り、思いっきりしっぺをした。
「何すんだよ!」
死にたいわりには顔を真っ赤にして怒る少年に、僕は笑いが溢れた。
「あっはは。ごめんごめん。でもわからなかったのか? 僕にしっぺをされるのが」
「わかるわけないじゃん」
「自分自身のことなのにか?」
眉間にしわを寄せ、不服そうな少年に僕は言った。
「じゃあもし仮に僕のしっぺが、生き地獄から抜け出せるチャンスだったら?」
「え?」
「コンティニューを選択せず、リタイアしてゲームオーバーになっていれば、永遠にそのチャンスに巡り会えなかっただろうな」
そう僕が言った瞬間、少年の瞳の中にかすかにだが光が灯ったのがわかった。僕に久しぶりに光が戻ったあの瞬間と同じ。そんな時に僕にかけてくれたおじさんの言葉を、僕は目の前の少年にもかけてやることにした。
「少年の今が地獄だとしても、傷ついたとしても、明けない夜がないように、腕の傷口がいつかふさがるように、苦しみも痛みからも薄れて、解放される日がいつかは必ずくるさ。まぁ完全に解放されるとは言わないが、それでもコンティニューを選び続けていれば少年も今の僕みたいにお気楽に笑えるようになるさ。必ずな」
「ほんと?」
僕は笑顔で言った。おじさんがそんな顔をしてたのを思い出して。
「あぁ。だから今は逃げろ。逃げて逃げて、コンティニューし続けろ。誰に文句を言われてもな。そしていつか必ずチャンスを掴んで、やるべきことをやるんだ。そしていじめた奴らに胸を張って中指を立てて言ってやれ」
僕は少年に人差し指を突きつけた。
「僕はお前らなんかより、でけぇ人間になってやった! さあ! 間違いを認めて、とっと僕の作品の前でしょんべんちびりやがれ! ってな」
少年が首を傾げる。
「作品?」
しまった!余計なことを言ってしまった!歴史改変が起こらないよう、僕はごまかすように少年の肩を無理やり抱いた。
「あぁ、いやまぁ、それは気にすんな!忘れろ!とにかく僕が言いたいのは、どうせ生きたんなら、何か一つでも香芝翼が生きた証をこの世に刻めってこと。チャンスを掴むまでコンティニューして、生きて逃げろってこと」
少年が目をぱちくりさせる。
「てかなんで僕の名前知ってんの?」
あぱー。
気が緩んでるせいか禁則事項を立て続けに口に出してしまった。口を押さえる僕は、彼の学ランの胸元の名札を見た。
「名札に香芝って書いてるじゃないか」
「でも苗字だけだよ? 下の名前はなんでわかったの?」
「そりゃ…そんな雰囲気がしたから」
「ふーん。そういうことね」
我ながらなかなか単純だな、と内心で呟いた瞬間だった。
キィィィィンコォォォンカァァァァンコォォォォン!!
と中学校のチャイムが鼓膜をつんざくような爆音で鳴る。思わず耳を塞いでしまうくらいの爆音が今だに鳴り響いているのに、目の前の少年は平然として、むしろ僕を心配そうに見て小首を傾げたのだ。
「おじさんどうしたの?」
「学校のチャイムうるさすぎないか?」
「チャイム?そんなの聞こえないけど…」
鼓膜をつんざくような爆音チャイムはどうやら少年には聞こえてないらしい。通りであの時、おじさんも鳥のさえずりしか聞こえやしないのに、急に耳を塞ぎだしたわけだ。確か、おじさんが僕に別れを告げる直前だった。
なるほど。つまりこの爆音チャイムは僕にとってのタイムリミットが間近に迫ったことを知らせる合図ってわけか。
「なるほど。そういう感じね」
その独り言と共に、役割を果たしたように鳴り止む爆音チャイム。
「は?どういう感じ?」
小さく首を傾げた少年に僕はごまかすように笑みを浮かべた。
「さあてと。寄り道は終わりだ。これから僕、行かなければならないところがあるんでね。これでお話しは終わりだ」
「え? あ、うん……」
少年は名残惜しそうな表情を浮かべて、地面を数秒見つめたあと、ばっと顔を上げて光の宿った目を僕に向けてくれた。
「あ、あのさ!」
「なんだ? 」
「おじさんは、今、幸せ?」
幸せか……昔僕もおじさんに最後聞いたっけな。その時のおじさんの笑顔は百点満点の花丸のような笑顔でこれが答えだってわかった。それで僕もこうなりたいって思ったんだっけな。
今の僕もおじさんと同じ表情なのかな。でもこの言葉を改めて口にするとなると、どうしても顔がくしゃっとなってしまう。
「幸せだ。幸せな人生だった」
「なんだよその笑顔。当てつけかよ」
「少年。君は僕と同じだからだから大丈夫。そう、全てうまくいく。何もかもね。だってそれが君の人生なんだから」
「なんだそりゃ」
くすりと笑う少年の笑顔を見て、僕はおじさんとの約束を、少年ともしなければならないことを思い出した。
「少年」
「ん?」
「最後に約束してくれないか?」
首を傾げる少年に、僕はおじさんに別れ際にしてもらったように、手を握った。
「もし、遠い将来。この公園のこの場所で、少年と同じように苦しんでいる少年が居たら、今日の話をしてあげてくれ」
「どういう意味かよくわかんないけど、いいよ。その約束覚えておく。僕が生きていたらね」
「約束だぞ」
そう言って踵を返し、少年を置いて、後ろ手に片手を振った。
生きていたら約束を守る。そんなことを少年は言っていたが、僕は少年が約束を守ってくれることを知っている。
少年はこの後、学校を休んで町の図書館に入り浸ることも。
途中両親ともめて、腕を深く切ったこともあるけれど、図書館で出会った数々の本の世界に惹かれ、感動して、いつしか自らが世界を作ることに没頭し、多くの人々の記憶に残る作品を作り続ける有名作家になることも。
家庭を持ち、八十四年の生涯を終える寸前にこの公園で、自分を殺そうとしている少年に、今日僕が話した話をすることも。
全部知っている。
安堵と共に正面の夕陽に顔を向けるとオレンジ色の光が僕を包んだ。そのうち視界はその光の色でいっぱいになり、その気持ちよさから僕は胸を張って笑みを浮かべながら言った。
「少年よ。これが僕らの人生だ」
純粋に良かったと思っていただいた場合はお星様★★★★★をお願いします。めっちゃ喜びます(๑˃̵ᴗ˂̵)




