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こちらは陸の宮殿。
そこにはアンニュイな表情で窓の外を眺める金髪の美青年がいた。彼こそがこの国の王子であるユーリだ。
彼には忘れられない人がいた。それは十五年前の嵐の夜、海で命を救ってくれた黒い鱗の人魚だ。
(今度こそ“黒い鱗の人魚”の手がかりが見つかるだろうか……)
城の外の海を眺め、彼は想いを馳せていた。そんな彼の元に、家臣の一人が息を切らせてやって来た。
「ユーリ様! 大変です!」
「どうした?」
「また浜辺に美女が流れ着きました!」
「そうか……昨日流れ着いた娘の知り合いかもしれない。助けてあげてくれ」
美女が浜辺に流れ着くと言う非常事態にも、ユーリは冷静だった。なぜならこれは毎年恒例の出来事だからである。
ユーリは、ある年から毎年海に身を投げるようになった。そんな奇行をする理由はただ一つ。黒い鱗の人魚に再会するためである。
だが人生はそんなに甘くない。彼はいつも別の人魚に助けられてしまうのだ。そして決まってその人魚は人間になって再び現れる。これがあの“黒い鱗の人魚”だったらいいのに……と内心思いながらも、彼は義理堅い人間なので毎年助けてもらったお礼として浜辺に流れ着いた娘たちをもてなした。
しかし、毎回その後の記憶が何故か曖昧なのである。特に別れ際の記憶がない。そして何故か益々、例の“黒い鱗の人魚”への気持ちが大きくなっているのだった。
昨日浜辺に打ち上げられた美しい娘が、あの“黒い鱗の人魚”を知っているかもしれない。彼はそんな期待を胸に、その娘を保護していた。
そして今日、また浜辺に別の娘が流れ着いた。おそらく人魚の仲間だろうとユーリは思っていた。人魚であれば、その人物も何かを知っているかもしれない。更なる手がかりを探すべく、彼は浜辺に行こうと足を進めた。しかしその途中、家臣に呼び止められた。
「ユーリ様、お待ちください。昨日流れ着いた娘がユーリ様に何か言いたげです」
「言葉を話せるようになったのか?」
「いえ、声は出ない様子です。ですがジェスチャーを駆使して何かを伝えようとしています」
「何……?」
家臣の一言によって、ユーリはその娘と再び対面した。娘は若くて美しく、言葉が話せないがとても愛嬌があった。
「……! ……!」
娘は口を前に尖らせて執着に唇を指さした。そして足をばたつかせて一生懸命に何かをアピールしている。
「タコが、踊る? タコを踏みつける……? いや違うか」
ユーリは彼女の必死のジェスチャーを読み解こうとした。しかし、全く解読できない。
「すまない。必死に何かを伝えたいことは分かるのだけど……」
「……! ……!」
「今、浜辺にまた誰かが漂着したらしいんだ。僕が長年探している想い人のことを知っているかもしれない……ちょっと行ってくるよ」
ユーリは申し訳なさげにそう言い残し、娘を置いて砂浜へと向かってしまった。
やりと口角を上げた。ここで先日ユーリを助けたのは自分だと申し出て、リリアンヌになりすまして恩義を自分に向ける作戦だ。
「はい、実はあなたと一度海で会っています」
「……! やっぱりそうか」
ユーリは驚きとともに頬を緩ませた。
「貴女が……あの時の人魚なんだね」
「ええ、あの時あなたを助けたのは私です」
「初めて見た時から、そうじゃないかと思ってたんだ!」
ユーリはそう言ってヴェドーラの手の甲にキスをした。
(こんなに簡単にリリアンヌと私を間違えるなんて、よっぽど記憶力が悪いんだな)
「よかった……やっと貴女を見つけられた。僕はあの日から、ずっとずっと貴女に会いたくて堪らなかった」
(そんな大袈裟な。リリアンヌに助けられたのはたった一週間前じゃないか)
ヴェドーラにはユーリの言葉の規模が無駄に大きく感じた。しかしユーリが大袈裟なわけではなく、彼は十五年前に助けてくれた黒い鱗の人魚の話をしている。
双方はその食い違いに気付かないまま話を進めていた。
「改めて君にお礼を言わせてほしい。あんな嵐の中、僕のことを助けてくれてありがとう」
「……どういたしまして」
(嵐なんてここ数年来てないのに……何の話だ? まあいい。どうせ今回も最後に記憶を消すんだから)
ヴェドーラはそれなりに長く生きているせいか、些細なことは気にしなくなっていた。
一方ユーリは彼女をじっと見つめ、微かに頬を染めている。
「シェリル、その……僕はあの頃からずっと貴女を慕っていました。こんなことを急に言われて貴女は戸惑うかもしれないけれど……」
「いいですよ。結婚しましょう」
「え?」
「あ、しまった……」
これはヴェドーラにとっては七回目のプロポーズ。彼女にとっては慣れたもの。しかし、逆に慣れすぎていたせいで肝心の言葉をフライングをしてしまった。
「はは、夢みたいだ。幸せすぎて頭がおかしくなりそうだよ」
「ふふ……」
ヴェドーラはユーリに合わせて笑顔を作った。しかしその頬は引き攣っていた。
(なんか、いつもより熱量があるな。気のせいか?)
「ユーリ様、もしよかったらお城の中を案内してくださいませんか?」
ヴェドーラは例年通り城内を案内してもらうことにした。もはや城の中を知り尽くしているが、これ以上ボロが出ないようにこの話題を終わらせたかったのだ。
「もちろん。……あと、僕のことはユーリと呼んで」
「分かりました。ありがとう、ユーリ」
ヴェドーラがそう言うと、ユーリははにかんで彼女の手を強く握った。彼の手の温度を感じると、ヴェドーラは何故か心が満たされて幸せな気持ちになってしまう。
(違う。これは人間の体温が海の生き物よりも温かいから……だから変な気持ちになるのだ)
彼女は自分の気持ちをそう解釈することにした。しかし彼女の心はぽかぽかと満たされたままだ。




