1話
社会には様々な仕事が魑魅魍魎の如く溢れている。
その一つ一つが正常に機能する事で人の暮らしは維持されている。
そしてその社会を維持するには歯車たる人が必要不可欠だ。
しかし人が必要であっても個人が必要とされているかと問われたら決してそうでは無いと俺は答える。
社会なんてのは誰彼がいなくなった所で何も変わること無く回っていく。
社会とはそういうモノだ。
そこに人の出来不出来は関係ない。
優秀だろうが凡人だろうが無能だろうがソイツが一人二人いなくなっても等しく社会は回っていく。
人という群体生物に個々の個性など必要ないのだから…。
まぁ…優秀な奴は重宝されたりちやほやされたりと…多少の差はあるだろうが。
そんな優秀な人間がもしいなくなったとしても社会はなんら変わること無く機能する。
そして俺という人間は無能寄りの凡人だ。
優秀な奴がそうなのだから凡人…ましてや無能など一番に切り捨てられてかくありきだ。
だからこそ必死にしがみつくしかない、どんな酷い扱いをされたとしても涙を飲んでしがみつくしかないのだ。
これまでいくつもの会社を転々としてようやくいき着いたのは今俺が務めるブラック企業だ。
給料は安くそのくせ残業は多い。
土曜は基本出勤で家に帰ると22時をちょうど過ぎた所だ。
下も上も俺を使い勝手の良い奴隷としか見てないのか職場で心休まる暇なんてない。
少しミスすればそれらしい正論でこれ見よがしに責め立て、まくしたてて来るのだ。
こちらの言い訳という退路を壊してメンタルを砕こうとしてくる。
失敗はしなくて当然、すれば非難、罵声が飛んでくる。
問題にナラないギリギリのラインに沿った遠回しな罵倒がまっているのだ。
しかし転職に動き出す勢いも余力も根性も無い。
先程言ったが凡人あるいは無能はしがみつくしか生きる術をしらない。
転職に不安を感じるのは無論そうだが面倒くさい事から逃避したいのが本音だ。
こうして俺の人生は自身の怠惰によってすり潰されていく。
帰宅時。
深夜にくたびれたよれよれのスーツを着た中年男性が自転車をこぐ。
無論俺の事だ。
俺の家は会社から自転車で走ってだいたい20分程の距離にある、毎日自転車で家と会社を往復する日々だが5年くらい前に家から近いなんて適当な理由でこの会社に決めた俺の自業自得なのでさもありなんだ。
ため息を家までの道中になんども繰り返すルーティンを繰り返していると家に到着した。
家の中には女がいた。
別に不法侵入されている訳では無い。
コイツは俺の…なんだろうか?
「おかえり〜たっちん」
「……ただいま…」
「ね〜ごはん出来てるよ?食べる〜?」
「…食べる」
「じゃ用意するね〜」
女はTシャツに短パンという極めてラフな格好で台所に向かい予め用意されていた食器に料理を入れていった。
胸元の脂肪は大変量が多くラフな格好をされると目が自然と吸い寄せられる。
男として生を受けた運命か、女の胸の谷間を凝視したいという欲求が俺の理性を支配しょうとする。
仕方の無い事だとしてもそれが個人的に不快なので敢えて明後日の方向に顔を向けている。
無理矢理反らした視線の先には女の作った料理があった。
内容はごはんに野菜類の煮物に焼き魚と味噌汁というthe日本食といった内容だ。
「凄いあっさりしてる献立だな」
「もう若く無いんだし健康志向でいかないと駄目だよ?たっちん」
「別にそんなのどうでもいいんだけどな」
「駄目だよ〜たっちんには長生きしてもらわないと〜」
「……はぁ…」
「ささ!食べよ食べよ!」
かちゃかちゃと皿や箸などの食器の音が狭い部屋の中に反響する。
俺は普段パソコンでネットサーフィンするのが趣味なのでテレビを見ない。
テレビの必要性を感じずそのためテレビを買ってない。
ここ何年も通してきたのでいまさらテレビを買うという発想がなかったのだがここ最近はテレビが少し欲しいと思う事が稀にある。
テレビの雑音があればこの女といても気まずくならずにすむんじゃないかと思ったからだ。
「………もぐもぐ………ごくん……」
「……もぐもぐ……」
かちゃかちゃ
ちらちら…
目の前の女が作った晩飯をその女と食べる食卓の時間。
女はコチラをちらちら見てくる
美味しいとか何か感想をいって欲しいのだろう。
面倒くさい事だがこうして誰かが家で飯を作って待ってくれているのは中々に捨て難い事実だ。
「美味いよこの煮物」
「そう?昔お母さんに教わってたかいがあったよ〜」
「ははは…」
お母さんか…
コイツの母親とは顔見知りだ。
というより俺が小学生くらいのガキの頃から面識がある、もう一人の母親といっても過言じゃない存在だ。
つまるところこの女は所謂幼馴染みに該当する存在だが俺自身はコイツとの関係は高校生の頃に無くなったと思っている。
実の所コイツと俺は元々恋人同士だった。
よくある子供の頃に結婚の約束をするなんてテンプレエピソードまで制覇している程度には深い親交を育んでいたはずだ。
中学の頃に俺から告白して向こうがそれに応えてくれた。
「私もたっちんの事好きだったの…だから嬉しい」
そんな事を言われた筈だ。
あの頃の俺は確かに充実していた。
好きな子と思いが通じ合ってこれから先もずっと一緒に生きていけるとそう何も疑っていなかったから…。
なんでも出来る気でいた。
無用な万能感が確かにあった。
問題は中学を卒業して高校に入ってからだ。
それまで帰りは二人一緒だったのが友達と約束があるとか先生に呼ばれてるからと断られるようになり、休みの日に何処か出かけようとデートの約束なんかを誘おうとすればその日は友達と、その日は家族と、課題とか宿題があるからと何かしら理由を付けて断られた。
ラインの返信スピードもこの時期から異様に遅くなっていった。
前までは送れば直ぐ既読がつき返信が返って来たほどだったのだがそれがなくなったのだ。
当人が私が送ったら直ぐに返して欲しいな〜とか言っていたのだからこのスピードが彼女にとってのデフォルトなんだと思っていたのだが高校当時のあの頃は酷い時は丸一日放置されたりもしていた。
中学と高校で態度がまるで異なってきている事に違和感を覚えた俺は当時彼女に1度だけどうして俺をないがしろにするんだ、本当に俺お前の彼氏なのか?
みたいな事を言った。
彼氏である事を肯定してほしかった。
ただ認めてほしかった。
それだけだった筈だ。
しかし返ってきたのは
「もう、面倒くさいなぁ〜、たっちんと違って私は忙しいの!たっちんにばっかり構ってられないの!
そんな事いうなら恋人関係終わりにするよ?彼氏なんだから彼女の事支えるのがじょーしきでしょ?」
みたいな事を言われた筈だ。
この正論みたいな語調でまくしたてる感じ、いま思い返すと会社の上司や気に食わない先輩が言いそうで実に腹立たしい。
まぁそれは兎も角こんな事をいわれ当時の俺は何も言い返せずにおずおずと引き下がる事しか出来なかった。
情けない奴と揶揄されても仕方ないが元幼馴染みの女は昔から引くほどモテた。
よく恋愛モノのラノベや漫画にアニメなんかで学園1の美少女だとか高嶺の花とかなんとかのマドンナとそんなフレーズを聞いたことがあると思うがこの女はそれにリアルで該当する程に男受けが良かった。
そんな奴と幼馴染みというだけで付き合えたのは奇跡みたいな物だと思うし別れたくなかった当時の俺は彼女に強く出れなかったのだ。
そのせいかどうかは知らないが最悪の結果を迎える羽目に遭うワケだけど……
その日は久しぶりにコイツと一緒に帰れる事になり俺はかなり浮かれていた。
嬉しくて嬉しくて仕方なかったんだと思う。
帰りに色々回ろうなんて話をしてたと思う。
しかし奴は土壇場で先生によばれてるからキャンセルでと言ってきた。
流石に俺もカチンときたが相手が先生ではどうしょうもないし駄々を捏ねて辟易とされたくはなかった。
俺も用事があるなら手伝うといったが進路相談とかそんな感じの用事だった筈で断られ仕方なく帰る事にしたがふと本当は何をしているのか気になり後をつけたのが終わりの始まりとなった。
これまでもドタキャンされた事は多くその度にモヤモヤとさせられた。
何をしてるのか気になるのは仕方ない事だろ?
彼女の後をつけるなんて本来はしないのが当たり前だがこの時の俺にはそれをやめるなんて選択はなかった。
まぁそのあと死ぬほど後悔することになったのだが…
端的に言えば元幼馴染みと先生は愛し合っていた。
そこに文字通りの愛があるのかは知らない。
ただただ本能の赴くままに身を委ねているのだろうが正直俺にとってそんな事はさして重要ではないのだろう…。
思い出したくもない俺の中での黒歴史の集大成。
今でも不快感で気持ち悪くなる。
NTRものの漫画なんかではお決まりのシチュエーションだろう。
生徒と教師のソレ。
幼馴染みの秘めた正体。
爛れた関係。
あぁ…。
なるほどつまり俺はあの二人の背徳感による高揚を得るための素材でしか無く元幼馴染みは俺に気があって俺の恋人になってくれてた訳では無かったのだ。
そう理解すればアイツのこれまでの言動にも理解がいく、確かに中学の時にアイツが言った私も好きだったというのは事実かもしれないけど高校生になってからは全てアイツの言動が物語ってる。
つまり俺は高校に入ってからアイツに飽きられたのだ。
それより教師との恋愛にハマったのだろう。
涙は出なかった。
こういう時取り乱して泣きじゃくるものかと思ってたけど不思議と腑に落ちているからか怖いほど冷静だった。
あの時の俺は妙に冷静だったんだ。
元々高嶺の花だった。
釣り合っていなかった。
幼馴染みだと言うだけで付き合えたのが奇跡だった。
その奇跡が終わっただけのこと。
ただ利用されるだけなんて割に合わない。
涙は出ないが何も感じて無いわけじゃない。
俺は愛し合うの二人を撮影しその日は帰った。
その後しばらくしてその教師は突然学校を去った。
元幼馴染みも退学か停学をくらうかと思っていたが普通に通学していた。
汚いなぁ…。
あの頃はなんでだよ!と感情的になっていたが今にしてまぁ大事にしたく無かったんだろうなと理解する。
学校は内々に今回の件を処理したのだろうと。
俺は元幼馴染みに恋人関係の解消を要求した。
教師がいなくなる少し前に言ったのだが意外にも奴はそれを渋った。
「どうして?たっちん私の事好きじゃなくなったの?」
「……そうだな…そうだと思う。」
「私はたっちんと別れたくないよ?駄目なの?」
「うん。お前が惰性で恋人してるんじゃって最近良く思うようになった。これ以上つづけても俺は辛いだけだ…」
「そっか…でもいつでも戻ってきてね?私はたっちんの事今も好きだから…」
こともあろうに教師と浮気しておいて何を言ってるんだと思わなくもないが幼馴染みとしての情みたいなものがまだコイツの中にあるのだろう。
つまるところコイツの好きと言う言葉は弟か兄のような家族に向ける想いなんだと確信する。
あるいは背徳感から得られる快楽のためか。
だから俺はコイツと別れる事に全く後悔は無かったんだ。