8.慈愛とビーナス
諸々の挨拶が終わり、アロイスとシャルロッテは玉座に腰掛けた。
なんだかどっと疲れてしまい、アロイスは緩慢な動作であたりを見回す。いつのまにか広間ではダンスが再開していた。陛下もダイナ妃も手を取り合って楽しそうにダンスをしているのが見え、あの人も人間なんだな、なんて思ってしまった。
「アロイス王子、どうかなさいましたの?」
しばらくそうしていると、後ろから声が聞こえた。振り返れば、心配そうな顔をしたシャルロッテがそこにいた。アロイスは、そんなシャルロッテに笑顔を作り、立ち上がる。
「いえ、なんでも。それよりもシャルロッテ姫、そろそろ姉上たちに挨拶をしたい(嫌なことはさっさとすませたい)ので、行きませんか?」
すると、シャルロッテの顔が緊張なのかピキリと硬直した。「そ、そうですわね」と答えるが、妙に声が上ずっている。アロイスはまた笑いだしそうになるのを押さえたまま、シャルロッテに手を出す。シャルロッテは目を大きく見開いたまま、驚いたような表情をしたが、アロイスが片眉を上げたのを見て、慌てて手を取った。きっとエスコートされると思ってなかったのだろう。ちらりと彼女の横顔を見つめれば、どこか顔を強ばらせたシャルロッテが、じっと目に力を入れていた。もしかして、嫌だったのかもしれない、と当たり前のことを思いついてしまい、途端に申し訳なくなった。
「アロイス王子、なにか注意点はありますの?」
「……あぁ、えっと、姉上たちと話す時だけでいいので、そのときだけは私のことをアロと呼んでいただけませんか?」
「な、なぜですの?」
「私は親しい者には愛称で呼んでもらっています。婚約者で、ラブラブなカップルという設定なのですから他人行儀によそよそしくしては姉上達にばれてしまうでしょう?」
至極当たり前だというように言えば、シャルロッテは素っ頓狂な顔になった。
「そういうものなのですか?……よ、よくわかりませんが、そうした方がいいのならそういたしますわ」
シャルロッテはため息をつきながらも頷いた。
「それでは参りますか。シャルロッテ姫、あなたは聞かれたことだけを頷くくらいでかまいませんから余計なことは言わないでくださいね? あとは俺が何とかしますので」
「なっ…余計なことなんて言いませんよ!」
「念のためですよ、あくまでも。姉上達の勘の鋭さは伊達じゃありませんから……」
げっそりと疲れきった顔をするアロイスを、シャルロッテはちらりと見上げた。あのアロイス王子をここまで疲れさせる姉姫達とはどのような方なのだろうと、ぽっと疑問が浮かんだ。
アロイスに手を取られる形で、2人は人の間を流れるように歩いていく。エスコートは一流だなと、シャルロッテは感心する。しかし、周りが好奇と同情の目で自分を見つめていることに気がついたシャルロッテは、恥ずかしさから顔をうつむかせた。優雅な音楽が流れる中、不意にアロイスは立ち止まった。シャルロッテの手をさりげなく離すと、彼は目の前にいるプラチナブロンドの髪を持った二人の美女に一礼する。シャルロッテも同じように一礼し、そして顔をあげた。途端に、シャルロッテは驚きのあまり口を開けた。シャルロッテは自分が美しいことを知ってはいたが、この二人の女性の美しさにはひどく、驚愕してしまったのである。
「お久しぶりです。エレノア姉さん、フローラ姉さん。」
アロイスの言葉に二人の美女──否、アロイスの姉姫達は動きをピタリと止めた。あんまりにも二人が動かないので、シャルロッテが心配になりあたふたしていると、アロイスが心配ないと目配せをしてくる。そうして、うんざりしたような目線を向けた。
「……姉上達の恥ずかしい話、暴露しますよ?」
バキッ
「…」
シャルロッテは恐怖した。
いつのまにか、先程までうんざりとしていたアロイスが、頭を抱えてうずくまっているのだ。しかし、驚くのも束の間、アロイスに駆け寄ろうとした瞬間シャルロッテは突然誰かに抱き締められてしまった。
「あらあ! これがあの噂の絶世の美女と名高いシャルロッテ姫様!?! えーー ?!めちゃくちゃかわいいじゃないの! それにしても、なんでこんなにお肌プルプルなの!??ねぇぇ!フローラも見てよ!」
エレノアによるマシンガントークと共に体をまさぐられるシャルロッテ。あまりのことに、硬直したまま動けずにいる。
「ほんまに、綺麗な子ですわぁ。でも、あね様、シャルロッテ姫様の顔色が悪くなってきとるようですし、そろそろ解放してさしあげてくださいまし」
フローラがそう柔らかい口調で諌めると、エレノアはちぇっと唇を尖らせながらもシャルロッテを締め付けていた腕を離した。そのまま、シャルロッテは酸素不足により大きく息をついた。そんな二人の様子に、まったくもう、とフローラがクスクス笑いながら改めて佇まいを直す。隣でエレノアも同じように微笑みながらシャルロッテの方をじっと見つめた。
「それでは改めてご挨拶をさせてくださいまし。わたしは、グランビア王国王女であり、リア王国のニノ姫であります、フローラと申します。それで、こちらはファレンス国、王妃であり、リア王国の一ノ姫でもあるエレノアでございます。」
フローラが、そう言い切ると同時に二人は優雅に礼をした。慌ててその礼に、返すシャルロッテ。
「ご丁寧にありがとうございます。私はアルント王国のシャルロッテと申します。この度はわざわざこのような場所までお越しくださいまして、心から感謝いたしますわ。」
そして微笑む。そのシャルロッテの天使のような笑みにみとれた二人は思わず笑みをこぼしてしまった。
「こちらこそお招きいただきまして恐縮です! アロの様子も気になってましたし…」
そこでやっと、不満げな顔でそっぽをむくアロイスの方に目を向けるエレノアである。一連の流れを非常に不満そうに見ていたアロイスは、未だに唇を尖らせ、しばかれた頭を摩っている。
「気にしてくれるのは嬉しいですけどね? でも殴る必要はなかったのでは?」
「あら、あれはあなたが悪いわ! 秘密はばらしちゃいけないって言ったでしょ?」
「あね様、アロは、言う気はなかったやろうと思いますよ?」
フローラの言葉に、エレノアは驚いて眉をあげた。「え、そうなの?」と何も言わずとも、顔が聞いている。そんなエレノアに、アロイスはため息をつきながらも頷く。
「冗談を冗談で済ませられないから、エレノア姉さんには何も言えなくなるんですけど?」
「…う、ごめんなさい」
アロイスは腰に手を当てて説教する。先ほどとはまるで逆の体勢になった二人をみてフローラは薄く笑った。
「それやったら、茶番もそこまでにしてくださいな。アロ、あね様の短気な性格はあなたが一番よう知っとるんやから少しは寛大な心を持ちなさい」
フローラは柔らかく言った。アロイスは表情を軽く引き締めるとわかりました、と頷いた。
「シャルロッテ姫様、見苦しい場面を見せてしもて立つ瀬がありませんわ。ほんまに、申し訳ございません」
「……い、いえ。かまいません。仲がよろしいのは良いことですもの」
シャルロッテは心からそう言った。異端なる王子の姉君達だから、きっとその方達も異端なる心を持っているに違いないとシャルロッテは思っていた。それはある意味では偏見で、無意識に抱いていたことでもある。だが、それがどうだ。彼女たちの見た目が麗しいのにも驚いたが、彼女達はそれを誇示することなく非常につつましい性格をしている。そんな二人に好印象を持たないはずがなかった。
「正直な話、心配していたんです。私達の弟は周りの国から、忌み蔑まれていましたから」
エレノアが突然そのように言った。先程とはうってかわって、心配そうな表情をしている。慈愛に満ちた表情でアロイスの方をじっと見つめていた。
「エレノア姉さん、大丈夫ですよ」
当の本人であるアロイスは笑いながらそう言うと、シャルロッテの手を強く握った。
「今、俺には最愛の人がいます。ですから…姉さん達が心配することは何一つとしてありませんよ」
アロイスは微笑んだ。シャルロッテはその笑みに、自分でも見知らぬうちに見惚れていた。なぜか赤らみ、熱くなった頬にシャルロッテは手を当てつつ、こほんと咳をして誤魔化す。しかし、その様子を見ていたエレノアとフローラは互いに顔を見合わせる。そしてふっと吹き出した。
「ほんまに、やから言うたやないですか、あね様。アロは大丈夫やって」
「ふふ…そうね。…ですが…シャルロッテ様、どうかひとつだけお聞かせ願えますか?」
「…? えぇ、なんでしょうか?」
シャルロッテは首を傾げる。
「我が弟は、この先も永遠に『異端』と蔑まれることでしょう。それはいつの日にかあなたにまでも非難がくるということです。私達が心配してるのは、アロだけではありません。この結婚によって変わってしまうだろうあなたの『価値』を心配しているのです。シャルロッテ様にそれが耐えられるのか、私達は聞きたいのです。どうか無理だけはなさらないでください。私はアロもあなたも幸せになってほしいと心から願っています」
その言葉は、アロイスにとって予想の斜め上をいくものだった。エレノア姉さんが俺や、シャルロッテのためにそこまで思ってくれているなんて、考えていなかった。けれど、今はそんなことを言ってられない。本当に仲の良い恋人同士なら、シャルロッテはすぐに頷くだろう。だが、生憎シャルロッテは俺のことが嫌いなはずだ。好意のこの字ももっていない。
慌ててアロイスはフォローに走ろうと口を開く。
「エレノア姉さん、シャルロッテは俺のことをちゃんと愛すっていってくれましたから大丈夫…」
「あなたには聞いてないの。黙ってなさい」
一刀両断である。エレノア姉さんは、俺の方を一度も見ずに言った。本当に困ったことになった。アロイスが冷や汗をだらだらと流しながら、おたおたとしていると、突然シャルロッテがずいっと前に出た。
「…私は、そんなこと気にしません」
小さな声で、シャルロッテがそう言ったのだ。ぱっとシャルロッテをみつめると、シャルロッテは、とてもまっすぐな目をしてこちらを見返してきた。驚きすぎてなにもいえないこちらをいいことに、シャルロッテは微かに微笑みながら、続ける。
「ア……アロが例え周りからそう見られようと、私自身がどれほど異端な目で見られようと……互いが互いを支えられるほどの力があれば、そんなことは問題ではありません。それに私の価値は私が決めるものであって、周りが決めるものではありませんわ!」
「……ありがとうございます。シャルロッテ様」
俯いたシャルロッテに、エレノア姉さんは優しく笑った。
「あなたがアロの婚約者でよかった。本当に、ありがとうございました」
エレノア姉さんとフローラ姉さんは頭を深々と下げた。
俺が止める暇もなかった。周りが騒然とする中で、シャルロッテは耐えられなくなったのか一つ礼をすると、走り去ってしまった。
「……なぜですか? なぜ、そんなこと…」
頭をようやくあげた二人に、アロイスは尋ねる。二人は笑ったまま首をふった。
「…理由なんて必要かしらね?」
その答えの意味がわからずに戸惑っていると、フローラ姉さんがくすくすと笑った。
「…アロは意外と鈍感だものね」
「そんなこと…ありません」
アロイスは緩く首を何度もふる。シャルロッテが言った言葉の意味もわからないが、今の姉さんたちもよくわからない。
「さぁ、聞きたいことは聞けたし私達はそろそろお暇するわ。アロ、シャルロッテ様を大事になさいね?」
そう、エレノア姉さんは言った。アロイスは複雑な気持ちではあったが素直に頷いた。
*
婚姻の儀が終わり、城内は久しぶりの静けさに包まれていた。問題のリラ王国王子も、儀式が終わってからは滅多に人前に姿を見せなくなったこともあってか、城内はまるで嵐が過ぎた後のように、使用人達もどこか安心したような穏やかな表情をしていた。
しかし、こんなにも穏やかな気候であるにも関わらず、シャルロッテの心はといえば、全く穏やかではなかった。
「…はぁ」
その桜色の唇から、もう何度目か分からないため息がこぼれおちる。ふと窓辺に目線を向ければ、日の当たる場所に置いた大好きなアザレアの花が淡いピンクの光を放っていた。いつもだったら、それをみていたらなんとなく元気がわいてくるのだが…。
「……はぁぁ」
今回ばかりはダメだ。自分を、こう、ぐちゃぐちゃにして、丸めてポイってしてやりたい気分なのである。シャルロッテがこんな風に自虐のあまり死にそうになっている理由といえば、もちろん──リラ王国の姉姫たちとの事件のことがあったからであった。
「私、なぜあんなこと言ったのかしら」
何度も何度も答えを求めようとしても、どんなに考えても、そう簡単に答えは出てくれるはずもなく。堂々巡りとはまさしくこのようなことをいうのだろう。婚姻の儀が終わってから、シャルロッテはため息ばかりついていた。
「……まぬけづら」
そういえば、あんな風に言った自分のことを、アロイス王子はものすごい間抜けな面で見てたっけ。そんなことを思い出して、シャルロッテはくすりと笑った。私に向ける表情はいつだってあの胡散臭い笑顔ばっかりだったから。間抜け面ではあったけど、ちょっとは人間らしいアロイス王子の顔を見れたのは悪い気はしない。その悪い気はしないっていう感情が、どういう意味なのかはわからないけれども。
そう、そこなのよね。
シャルロッテは物憂げな顔を空に向ける。なぜ、こんなにも胸が陰るのか。なぜ、こんなにもアロイス王子のことが気になるのか。シャルロッテには、よくわからなかった。
「……なんで、あんなこと言っちゃったのかしら…」
結局はまたそこにもどり、シャルロッテは深々とため息をついた。