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6.黒鬼

『水の神に愛されし王国よ

 やがて異端なる王子産まれし時に

 災いと呪いが降りかかる

 その 呪い解けることなく

 身が朽ち果てしときに

 天へと昇り 光を落とす


 二四の年月過ぎし時

 禍なる身に聖姫の真の愛授かれば

 異端なる心 永久に解けん

 さすればいつの日にか

 その身 英雄となり

 物語紡ぐ栄光の冠と伝えられん』



 ーリラ王家伝記第弐ノ巻ヨリ抜粋ー




母の腹から産まれ落ち、日の光を浴びた瞬間──俺の身体は異様な闇に包まれたらしい。

闇が晴れ、皆がどよめく中で俺は再び姿を見せた。

そこには先刻までの麗しい外見は消え、墨よりも真っ黒な髪、底なし穴のような真っ黒な瞳、まるで顔の半分だけ呪われたようなおぞましい痣をつけた赤子がいたそうだ。

皆は、俺を見てこう言い放った。



「鬼子が産まれた」




物心がついたときにはすでに俺には家族がいなかった。

俺のそばには誰もいなかった。頭のおかしいイカれた婆と、捨てられた粗末な小屋。

それが、俺の世界だった。


ある程度大きくなって、物事の判断がつくようになった時。

俺は、婆から俺の中にいる『なにか』の正体を聞いた。



それは、黒い鬼。



途方もない力を秘めた、忌むべき獸でございました。

何百年かに一度、王族の中で坊っちゃんのようにその尊き身体に鬼を抱えて産まれてくることがあります。それは、遠い昔──リラの血族がとても重い罪を犯したからです。その罪を知っているのは、リラ王家の当主様のみ。それ以外の者には決して耳に入れられぬようになっております。


良いですか、坊っちゃん。

その黒い鬼は、常に、貴方の中に居ることを忘れてはなりません。

少しでも隙を見せればm鬼は貴方を乗っ取り、復讐を果たそうとするでしょう。

貴方が憎しみや怒りを感じれば、鬼はその高鳴った負の感情を敏感に察知し、貴方を飲み込もうとします。そんな忌むべき獸を身体に飼った坊っちゃんを、多くの人が蔑み恐れることでしょう。

貴方をきっと誰も愛さない。

貴方も、誰かを愛してはなりません。

貴方の小さき願いは世界を滅ぼすでしょう。


どうか、それだけは忘れないようにしてください。



婆は、そう言った。

そして、そう言った次の日、婆は死んだ。

まだ幼かった俺には、その言葉の意味が分からなかった。

婆が死んだそのときも、泣くこともできずただ呆然とその死に様を見ていた。


間も無くして俺は、その意味を嫌でも理解することとなった。


婆が死んで三ヶ月後。

俺が7つになった日に、城から迎えがきた。

父と母と言われる人たちが、ようやく俺を育てようと決めたからだったらしい。

だけど、そのとき俺は感情を無くしていた。泣くこともなく、笑うこともなく、ただ与えられたことを淡々とこなしていく日々を送っていた。


「父上と呼びなさい」

「母上と呼びなさい」


城について、早々にそう言われたことを覚えている。よく知らないおばさんとおじさんが、不安げな顔をしてこちらを見ていた。俺は冷めた感情のまま頷き、言った。


「父上、母上」


そしたら、二人は急に俺に抱き付いてきた。突然のことになにも反応できなかった俺は、なすすべもなくその勢いの拍子で後ろに倒れた。父上と呼んだおじさんも、母上と呼んだおばさんも、二人とも泣いていた。泣きながらごめんなさいと、何度も謝っていた。


「……おれ、鬼を飼ってます」


あんまりにも泣くから、このままじゃ危ないと思って、小さな声でそう言った。すると、まるで示し合わせたかのように、急に二人ともピタリと泣き止んだ。周りも嘘のように静まり返っていた。


「忌み子だから、きらいだから、あなたたちはおれを捨てたんですよね?」


続けた言葉に二人は身を固くした。張り詰めた空気にはわかってはいたが、どうしても言いたかった。


「あ、べつにしゃざいなんていりません。かんちがいしないでください。めんどうくさいので。……でも、一つだけいいですか?」


二人は恐る恐るといった感じで顔をあげた。俺は、上半身を起こして、両親と呼ばれた二人の頬にそれぞれ手をあてた。


「おれは、忌み子です。──でも、そのまえに、人間なんです」


言ってやりたかった。

ずっと、捨てられたと知ったときから。

その理由は俺が異端なる子だったからと、知ったときから。


「あなたたちの目に、いまのおれは鬼に見えるんですか? 人には見えないんですか?」

「アロイス」

「おれは」

「アロイス」

「……っ」 


「「本当にすまなかった」」


二人は土下座した。それはもうキレイに。というか完璧に。

そのまま、二人は呆気に取られた俺を置き去りにし続けた。


「お前のせいではないということに、私達は気付かなかった……私たちは、王家の血の呪いを知っていた。それなのに、私たちは恐れたのだ。これが我が一族の『恥』になることを」


父上は、言いづらそうにしながらもそう言い切った。


「七年もの年月をかけて、私たちはやっと気づいたのだ」

「本当の鬼は私たちだと」


瞳をわずかに見開いた俺に、父上はとても優しく微笑んだ。


「許してほしいなんてことは言わない。そんなことも思わないわ。でも、私もお父様も、貴方を城から追い出したその時からずっと後悔していた。そして、貴方をずっと愛していたわ」


母上の透き通るような目が涙でいっぱいになる。


「……そんなの」


都合のいい言葉じゃないか。と、続けようとした瞬間、俺の頭にあることが過った。

それは毎月届けられていた、名もなき人からの贈り物のこと。それは菓子であったり、洋服であったり、本であったりした。婆が黙ったまま俺に渡してくるから俺も何も聞かなかったし、知ろうとも思わなかった。今考えれば不思議な話だが、あのとき俺は何一つ不審に思わなかったのだ。


「おくりもの……」

「なんだい?」


俺は二人の顔をじっと見つめる。


「まいつきとどけられていたおくりものは、あなたたちからだったんですか?」


その俺の問いに、二人は驚いた顔をした。そして、意味ありげに二人で顔を見合わせると、とても嬉しそうに微笑んだ。


「あぁ。そうだよアロイス。」

「せめてもの償いになれば、とグゥイネスに頼んで貴方に届けさせていたの」


その言葉を聞いた瞬間、肩の荷というか、今まで張りつめていたものが切れた気がした。

気が付くと俺は無言で涙を流していた。急に泣き出した俺に、二人は見てわかるほどに動揺していた。


「……あ、アロイス? どうかしたのかい? どこか痛むのか?」

「あなた! もしかしてこの子怪我をしてるんじゃないの? すぐに医者を」

「ちがいます。ちがうんです」


俺の上ずった声に、二人は動きを止める。母上の腕が、俺の背中を優しく撫でていた。


「うれしかっただけです。お、おれは、ずっとひとりぼっちだって…そうおもってたから」

「……一人になんかさせないわ」

「……もう二度と、辛い思いはさせないよ」


いっそう激しく泣き出した俺を、そうして、二人が優しく包み込んでくれた。


鬼は、確かに俺の中にいる。

でも、鬼を飼った俺を──家族は愛してくれた。


『バケモノ』と呼ばれようとも、それでも俺は『人』だと、家族はそう言ってくれた。


ひとりぼっちの黒鬼は、もう二度とひとりぼっちになることはない。

歴史上、鬼を飼ったリラ王家の者は皆処刑されたらしい。殺してしまえば、鬼を飼った事を世間に晒さなくてすむのだから、それは当たり前のことだったのかもしれない。だけど、そこに自分が望んでないにも関わらず鬼を飼ってしまった『人』の意志はなかった。


そうやって、当たり前のように『人』は殺された。

王家の歴史で鬼が『人』に認められたことはなかった。



だけど、歴史上初めて、鬼は『人』になれたのだ。



それからというもの、両親は俺をものすごく可愛がった。それはもう俺がうざがるほどに。やがて俺の上に五人もの姉がいると知り、それはそれは驚いたことをよく覚えている。俺と1つしか変わらない五女のセシリア姉さんと、2つ離れていた四女のロザリー姉さん、あと三女で双子の片割れのアリアナ姉さんは俺を見て最初はすごく怖がっていた。

でも長女のエレノア姉さんと、双子の一人フローラ姉さんだけは初めて会ったその時から俺を力強く抱き締めてくれた。

特に、エレノア姉さんはひどく泣いて謝ってきた。何も姉さんが悪い訳じゃないとカタコトになりながら言うと、エレノア姉さんはまた激しく泣いた。多分、俺達姉弟の中で唯一エレノア姉さんは大きかったから、俺のことを覚えていてくれたんだと思う。エレノア姉さんは、俺が小屋へと連れていかれるのを黙ってみることしか出来なかったと、負わなくてもいい責任を感じていたのだった。

母さんと父さん(愛されていたと知ってから呼び方を変えた)から俺の中のバケモノの話をちゃんと聞いて、最初は怖がっていた姉たちもすぐに俺を弟と認めてくれた。


そして紆余曲折ののちに──姉たちはなぜか見事なブラコンへと成り果てた。まぁつまり、俺を両親と同様にものすごく可愛がってくれたってことだ。

家族が俺の傍にいてくれるようになって、およそ三ヶ月が過ぎたころのことだった。


俺は、父さんから鬼にまつわるすべての話をされた。


鬼とはなんなのか。

なぜ、リラ王家に鬼が憑かれるようになったのか。

鬼がもたらす被害とはなにか。


本来なら当主にしか教えられないその秘密を、父さんは当主になっていなかった俺にあえて教えてくれた。多分だけど、父さんはリラの面子を保つことよりも俺のことを第一に思ってくれたんだろう。


それは、途方もない物語だった。


聞き終わり、茫然とした俺に父さんは言った。


「鬼は必ず、お前を飲み込むだろう」


それは、もう逃れられないことなのだと。そして、そのときがくれば、私たちはお前を殺すことになるだろうと。覚悟を決めておけと言われたも同然だった。

当時はまだ7歳だった俺でも、父さんが何を言いたいのかきちんと理解していた。つまり父さんは、いつでも死ぬ準備をしておきなさいとそう言いたかったのだ。

その話をした時父さんはすごく悲しそうな顔をしていた。何度も何度もすまない、と謝ってくれた。

でも俺は笑って首を振った。

それは、別に強がりでもなんでもなかった。本当に、本当に、良かったのだ。


本来ならば産まれてすぐに殺すのが当たり前だったこの命を、生かせてくれた。

しかも、あろうことか愛してくれた。


鬼に食い破られれば、鬼はリラ王家の者を一人残らず殺すだろう。

鬼の恨みは相当、根深い。


だけど、俺は決めていた。

そんなことにはさせない。

この優しい家族を、俺は絶対に守りたい。


それから俺はもうガムシャラに勉学や剣術に励んだ。

あの話を聞かされてから、俺の中でなにかが吹っ切れた気がしたのだ。なぜかはわからないけど。いつ消えるかわからないこの命を、有効活用するには強さがいると思った。

やりたいことをやり通すにはそれなりの力が必要だと思った。

まぁこんなこと、多分父さんも母さんも別にいらないと言うんだろうけど。


ある意味では俺のなかでのケジメのようなものだったんだろう。


そうしてしばらくして、俺は鬼について幾らか学んだ。

その傍らで負の感情を覚える度に、鬼が俺の身体を乗っ取ろうとすることがあった。そんなときでも、抗うことができたのは、俺の『生』への異常なまでの執着心のおかげだったのだろう。

俺だって一応人間だから、怒りにうち震えたり憎んだりしてしまうことが、他人よりはものすごく少ないけど、多少なりともあった。婆や父さんが言った通り、鬼は負の感情の影響を強く受ける。つまりは大好物だってことだ。ちょっとでも負の感情や、対象物をみるとすぐに俺の意識を乗っ取ろうとする。


そういうときに大事なのは心のバランスを保つということだった。簡単そうに聞こえるかもしれないが、実はそんなに簡単なことじゃない。一切の関心を捨て、自分の心の奥底に集中するのだ。もちろん、他の感情が入り交じってはならない。はじめのうちはそれが出来ず、乗っ取りの一歩手前として、暴れることもあったらしい。


なぜこんな言い方をするのかというと、理由は2つある。


1つ目。

暴れるときは大抵、俺の意識は半分しかなかったからだ。集中と均衡が崩れた時、鬼は半分だけ俺から出てきた。半分は俺で半分は鬼。さぞかし恐ろしい光景だったろう。姉さんから聞いた話だと、俺の顔の半分、痣に当たる部分が鬼と化していたらしい。それは、おぞましくも禍々しいものだったそうで、しばらく夢に出たと震える声で言われたことを覚えている。


2つ目の理由としては、俺のそばにアリアナ姉さんがいたからというのがある。アリアナ姉さんは武芸の使い手で、俺の師匠でもあった。今でさえ多分、本気でやって相打ちですめばいい方だろう。そんなわけで俺が鬼に乗っ取られるときは大抵の場合アリアナ姉さんがそばにいてくれた。均衡が戻り、俺が俺に戻った時になってはじめて、俺は姉さんから鬼についての話を聞くことができたと言うわけだ。


鬼は殺戮を、狂気を、暴力を、負の感情を好んだ。

正気に戻ると、決まって俺の周囲はひどく荒らされており、アリアナ姉さんは酷い怪我をしていた。それをみてまたやってしまったと嘆き、めそめそと泣く俺を、姉さんは厳しく叱咤し泣くな!と怒鳴った。


俺のせいと、責めることもなく。


まぁ、この件があったから俺はすぐにバランスを戻すコツを掴んだのだと思う。自分が傷つくだけなら人は幾らだって甘くなれる。そこに大事な人が介入するからこそ、守らなくては、とか迷惑はかけられないから、とかそんな感情が浮かぶんだろう。


そうしてなんだかんだで俺は鬼と共存する羽目になった。

俺の意思が少しでも弱まれば、鬼はそこにつけこみ、表へとでようとする。鬼が完全に出てくれば、俺に待っているのは死だ。いや、死だけではない。世界の滅亡だ。


そんなことはさせない。


俺の『生』への執着はとどまることを知らなかった。

人間の、最も人間らしくて深い欲望こそが、俺をここまで生かせてくれた。



それでも。

鬼がいると知ったあのときから、俺はずっとわかっていた。

いつかは必ず決着をつけなくてはいけない日がくる。

そして、それは一人で乗り越えなくてはいけないものである、と。


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