5.片割れの勾玉
場面は変わってここは城の訓練所だった。
アロイスはシャルロッテと話そうと思っていたが、部屋に誰かがいたためその人が出てくるまでここで時間を潰そうと考えていた──のだが。
「なんでこんなことになっちゃったのかなぁ!?!!」
もう何度目か分からない重いため息をついたアロイスの前には、総勢30人ほども武装した兵士がいる。そしてアロイス自身も故郷から持ってきていた木刀を構えていた。否、構えざるを得ない状況に陥っていた。
事の発端はつい20分前のことである……。
*
訓練所についたアロイスは訓練所の広さに驚きを覚えながらも、とてもワクワクしていた。恐らくここにきて初めてであろう心からの笑みを溢すほどに、アロイスは訓練所で剣を握れることに喜びを覚えていたのだ。
アロイスの愛刀は初日にロイクが置いておいてくれたらしい。木刀を握ると、馴染むような感じがして、なんだか故郷に戻ったような気分になり心が暖かくなった。
そして、アロイスは木刀を引き抜いた。風を切る音が心地いい。準備運動も終わったところで、軽く素振りを始めた。
「やっぱ…楽しいな」
思わず呟いていた言葉に、自分ではっとした。そして木刀をおろす。元々、剣は生まれてすぐに握っていた。誰に教えを請うわけでもなく、我流でやっていた。いや、どちらかといえば、我流でやるしかなかったという方が正しいのかもしれない。
異端な容姿で生まれた俺のことを、初めのうちはみなが怖がった。誰も、寄り付かなかった。両親でさえ、戸惑いを隠すことは出来なかった。
生まれてすぐに俺は城から離れた森の小さな小屋に隔離された。
俺の面倒を見ると自ら言った頭のおかしい婆と俺のたった2人だけ。そこに住まう者は誰もいない孤独な場所で幼少期を過ごした。
木刀をもう一度振る。邪念は剣技を鈍らせる。
ああ、そういえば、あの婆は城の中で、唯一俺を怖がらなかったんだったっけ。
シュッ
シュッ
どうしてか木刀を振っても先程のように心地よく感じなかった。邪念を消そうと努力してるのに、過去を思い出してしまったせいで、当時の記憶が頭から消えない。俺は、苛立ち紛れに頭を強く振った。
その時だった。
「貴様、こんなところを無断に入ってただですむと思っているのか!」
ガチャリガチャリと、鎧が擦れる音とともに細い刀を持ったプレートアーマーを着用した騎士が現れた。俺から見ても、そのプレートアーマーがとても立派なのがわかった。銀製のそれは、手入れをしっかりしているのか光沢を放っており、圧倒的な威圧感を見せている。ふと、ちらりと首もとのバッジに目がいく。そこには「王国軍隊長」の印章があった。
なるほどと、アロイスは納得する。兜を被っているため顔がみえないが、身のこなしから恐らくあの印章通り、王国軍の隊長なんだろう。彼の咎めるような視線に気が付き、アロイスは肩を竦め、剣を納めた。
「貴様、どこの所属だ? 見張りの兵士達に咎められなかったのか!」
アロイスは答えない代わりにもう一度肩を竦めた。この隊長殿は、どうやら俺の事を知らないらしい。珍しいな、とちょっと感動する。
「ご迷惑なら退出しますよ」
その言葉に、騎士はぴくりと肩を揺らした。
「…迷惑、ではないが」
「……」
暫く沈黙が続く。
え、迷惑ではないの?と、アロイスが若干の戸惑いを覚え視線をさまよわせたときだった。
「暇なら、私と勝負するか?」
やがて、状況に耐えきれなくなったらしい男が、おずおずと口を開いた。アロイスは驚いたが、それを顔には出さなかった。
なぜならば、驚いたのはその言葉だけではなかったからだ。この男は、俺をみても怖がらない。アロイスは自分がとても異端な容姿であることは十分に承知していた。そして、その容姿をみて周りがどういった反応をするのかも、今までの経験から分かっていた。
だからこそ、とても驚いたのだ。
普通なら俺の容姿を見れば、拒絶の反応を見せる。嘲笑や嫌悪の表情だって見せる。それなのに、どうしてこの人はまるで普通に普通の兵士に接するかのように、俺に話しかけるのだろうか。
そこまで考えて、アロイスは突然腹を折って笑いだした。
男はそんなアロイスをみて戸惑っている。当たり前だろう。けれど、アロイスはそれでも笑いをやめなかった。否──止められなかった。
「本当に俺が誰か、知らないんですか?」
息も絶え絶えに尋ねると、男は戸惑いながら小さく頷く。アロイスは大きく息を吐いた。そして、曲げていた体を伸ばすと、真正面から男を見すえた。
「いいですよ。勝負しましょうか」
そのまま、にこりと笑った。
*
木刀を構える。
アロイスの独特な構えをみて、騎士は驚いたようだった。だが、すぐに自身も腰から剣を取り出した。
「ちょっとまってください。色々な面から考慮して木刀にしませんか?」
「すまん。生憎これしか持ち合わせがなくてな」
「向こうに木刀がありますけど」
アロイスがさした方向をみる騎士。先程アロイスが失敬したところから木刀が何本か刺さっているのがみえる。
「…ほんとだ。知らなかった」
騎士はそう呟くと真剣を腰に戻した。アロイスは呆れながらも笑う。彼の言葉には嘘をついているような感じはなかった。それにしても、隊長ともあろう人が木刀の所在さえ知らないとはね。天然なのか、それともただのバカなのかアロイスには判別できなかった。
木刀を持って定位置に戻った騎士をみてアロイスはうなずく。
「では」
「フェアプレイにいこう」
そして、互いにタッと距離をとった。
構えは何一つ変わらないが、騎士をみてアロイスは驚く。なるほど、隙をみせない。隊長という呼称には偽りはないな。と、またも笑う。しかし、いつまでもかかってこないアロイスに痺れを切らしたのか騎士が襲い掛かってきた。
速い。
踏み込み、横腹を狙ってきた相手の木刀をいなす。重い甲冑だろうに、このスピードとは…中々の腕前だ。だけど、と、アロイスは剣をいなしながら心の中で思う。「あの人」よりは全然遅い。
若干の落胆を隠し、冷静に足払いをかけると、騎士は案の定バランスを崩し倒れそうになった。しかし、既にそれを読んでいたアロイスは相手の喉仏に木刀を向ける。自身の喉元に向けられた剣先に、騎士は潔く自身の木刀を落とした。カランカラン、という乾いた音が訓練所に響いた。
「……降参だ」
その言葉を聞いたアロイスは向けていた木刀を下ろした。そして肩の力を抜くと、すわりこんでいた騎士に向かって手を差しのべる。
「おい!! 貴様!! 隊長に何をした!!」
何とも素晴らしいタイミングである。なぜかその瞬間、大声と共にこれまた正装をした兵士、総勢30人ほどが現れたのだった。
アロイスも騎士もポカンとしたまま彼らを見ていると、兵士達の中でもイケメンでガタイが良い男が一歩前に出た。
「貴様、何故、王国軍 一番隊隊長殿に剣を向けているのか答えろ!」
へぇ、一番隊の隊長だったのか。
しかし、なんでって言われても、この人から俺に一戦交えようぜってきたんだけどなぁ。答えようにも、返答に困り果て、アロイスは言葉を発せずにいた。
つーか、この兵士たちも俺を見て驚かないっていうのはどういうことなんだ? なんて、呆けているとイケメン兵士が突然、突拍子もないことを言い出した。
「ええい! とりあえず剣を抜け! 俺と勝負しろ!!」
は?
アロイスはぽかんと口を開ける。
「ちょっと待ってください、なんでそんなことをしなくちゃいけないんですか?!」
「問答無用! 我らの隊長に剣を向けた罪は重い! 我々全員と闘え!!」
そして、今に至るわけである。
隊長殿は兵士1と兵士2に抵抗する間もなく連れていかれてしまった。もうどうしようもない気がして、諦めてアロイスは木刀を構えた。
この人たちは恐らくさっきの一番隊隊長殿の部下たちなのだろう。一番隊がどれほどの立場にいるのかはわからないが、一番というくらいだ。城の兵士の中でも、きっと高い地位にいるはずだ。ならば、手加減はあまりしないでおこう。一人ならまだしも、この人数をかなり手加減して相手をするには少々無理がある。
「ちょっと1つだけいいですか?」
アロイスはため息をつき、言った。イケメン兵士の殺気だった目が少しだけ和らぐ。それを肯定とみたアロイスは続ける。
「あなた方も木刀を使っていただけませんか? その代わり私も木刀を使いますので」
「…なぜだ? 真剣を使って自分が傷付けられるのが嫌なのか?」
「いえ、というよりは」
アロイスはそっと目を伏せた。木刀をもった手に力が入る。その瞬間、アロイスを纏っていた空気感が明らかに変わった。並々ならぬアロイスの覇気を敏感に察知した俺の中の『なにか』が、唸るような意思を送ってくる。
「ーっ!!!」
兵士たちは途端にさっと顔色を変えた。アロイスはゆっくりと顔をあげる。その瞳には、抑え切れていない狂喜と、苦しそうなほどにゆがめられた理性があった。
アロイスが『異端』と呼ばれ『バケモノ王子』と呼ばれるのには、理由があった。
それはリラ王家が、幾世紀も前に犯した罪。
その罪の証なのだ。
アロイスは腹の中にいる『なにか』を押し込めるように、規則正しく呼吸を繰り返す。
『こいつ』が今回、表に出てきた理由は、恐らく久々の闘志ゆえか。
「……っお願いです、俺から離れて」
明らかに様子のおかしいアロイスに兵士たちの間でどよめきがひろがる。懇願するように言った彼の言葉に、兵士たちは一歩、また一歩とアロイスから距離を置こうとする。
しかし、さきほどアロイスに食ってかかった兵士はこの異常な事態においても、身を引くことをしなかった。それは自身のちっぽけなプライドと大切な自分の上司の尊厳を守るためだった。
喰らえ、と声がする。
目の前で恐れながらも自分を見てくる勇敢な兵士の喉元を見て、アロイスは確かに「美味そう」だと思った。
「だめだ、頼むから」
「ふ、ふざけるな!!! このまま引き下がれるか!」
喰らえ、喰らえ。
血管の浮いたその喉元に刃を突きつければきっと鮮血が味わえる。
ああ、喰らえ! 喰らえ!!!
アロイスは唇を噛み締める。痛みにより意識をハッキリさせようと、その衝動から逃れるために雲がかったように鈍い頭を晴らそうと、強く瞳を閉じた。
「…い!おい!」
そんなアロイスをみて、不信に思った兵士が声をかけた。だが、その言葉のせいでせっかく神経を統一させていた意識が一瞬崩れた。それを見計らってか、アロイスの中にいる『何か』がアロイスの意識を乗っ取ろうとする。興奮しているせいか、それとも久々のことだからだろうか。強い負の感情が湧き上がってくる。いつもよりも、バランスが取れない。崩れていく。
「やめろ、お前ら」
不意に、兵士たちを牽制する静かで落ち着きのある声がした。
その声を聞いた瞬間、崩れていた均衡が奇跡的に元に戻っていくのを感じる。荒ぶっていた『なにか』が熱を引くように大人しくなっていくのを感じたアロイスはほっと息をつき、そっと瞳を開けた。
ちょっと今のは、うん。いやけっこう、だいぶ危なかったな。あはは。
アロイスは安堵から大きく息を吐く。暴走を止めてくれた声の主を探そうと頭をキョロキョロとさせる。そこで気がついた。兵士の集団の中で一人、麗しい外見をもった女性が颯爽とこちらへ歩いてきていた。アロイスは目を丸くさせた。あの女性、さきほどの隊長殿と同じ服を着てる。ってことは、つまり…? 女性はアロイスの前まで来ると凛としたその顔を下げた。
「無礼を働き、誠に申し訳御座いませんでした、アロイス王子。実を申し上げますと、先ほどまでは貴方が王子だと気づいておりませんでした。事前に陛下からお話は伺っていましたが、その剣術の腕前と、先ほどのご様子から、貴方が王子であることに気が付きました。度重なる無礼、どうかお許しを」
「…ま、行き違いこともあるでしょうしそれは、かまいません。と言うか、あなたはやはり、さきほどの剣士殿なのですね?」
女性は艶のある銀髪の長い髪を靡かせる。
「お察しの通りでございます。私は女ではありますが、この隊の最高責任者を任されております。名をレオナ・サークスフィードと申します」
隊長、レオナは優雅に頭を下げた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよサークスフィード隊長! こいつは一体誰なんですか!」
イケメン兵士が尋ねると、それに同意したように周りががやがやと騒ぎだした。レオナは眉をひそめ額にシワを作る。そして大きく息を吸った。
あ、いや待ってくれ。なんだかものすごく嫌な予感がする。
レオナを止めようと、アロイスが一歩前に踏み出したその時だった。
「皆のものよく聞け! この方はつい二日ほど前にこの国へシャルロッテ姫様の婿となるためにいらした、水の国リラ王国の第一王子アロイス王子だ!!」
朗々たるその声に兵士たちは言葉通り目を丸くさせる。しかし、その一方で俺は頭を抱えていた。なんてことだ。非常に面倒なことになった。頭を抱えたアロイスを不思議そうな顔で見つめるレオナ。多分、善意でやってくれたのだろうけど、正直ありがた迷惑だ。俺のことを知らないのならば、そのままでいいと思っていたのに。ぜっっったいに面倒なことになるから。その証拠に、今現時点で俯いていてもわかる兵士たちからの殺意と敵意、そして恐怖心がアロイスにもびんびんと伝わってきていた。
「アロイス王子、なぜ俯くのですか?」
あぁそれはね、端的に言ってもあなたのせいですよ。もっと言うならば俺の正体を言っちゃったからですよ!と、言いたいところだが、彼女に非はない、と思う。思わないとやってられん。もうここまで来たらもういっそのこと腹をくくるしかない。ため息をこらえ精一杯の笑顔を作る。
「初めまして、みなさん。私はリラ王国から来ましたアロイス・ガロ・フェール・リラと申します。どうぞ、以後お見知りおきを」
だが、訓練所からは何の反応もなかった。ただただ、重苦しい沈黙に押しつぶされそうになる。
「……バケモノ王子」
誰かが言ったその小さな声に、アロイスはピクリと肩を揺らした。
これまでだってもう何千、何万回と蔑まれてきた。彼の言葉には、皮肉なことに何の感情も浮かんでこない。あぁ、またかと思うだけだった。歓迎されていないことは百も承知だ。別に、そんなことを望んでいない。だから俺は別に、いいんだよ。凍りつき始めたその場の雰囲気に、アロイスは肩を竦めてへらりと笑う。
「…あー、じゃあ俺はこれで失礼しますね」
「まて」
ここにいる意味はないよな、迷惑だろうしなとそそくさと退散しようとしたアロイスをレオナが鋭い声で止めた。そこにはさきほどのようなアロイスに対しての敬意はなかった。逆に、それがアロイスの動きを止めた。
「…以前から聞いてはおりました。だけど、私はなぜそう呼ばれているのか知らない。理由も知らずに、我が部下を叱るのは気が引ける…。故に、です。アロイス王子、なぜ貴方が、『異端』と『バケモノ王子』と呼ばれているのか、我々に教えてはいただけませんか」
レオナはとてもまっすぐな声でそう言った。アロイスは振り向かない。振り向かないではいるが、少しだけ心が揺れ動いた。
サークスフィード隊長がご乱心なされたと、悲痛な声も聞こえる。
レオナはじっとアロイスを見たままその目線を反らさなかった。
なぜ『異端』と呼ばれているのか。
なぜ『バケモノ王子』と呼ばれているのか。
アルント王国の国民ならば、知らないはずはない。けれども、アロイスには、レオナが嘘をついているとも思えなかった。
「……それは」
乾いた喉がはりつき、掠れた声が出た。あの歴史を話すことはできない。少なくとも、核心に触れることになれば、リラ王国は滅びる。否──リラだけじゃない、世界が滅びるかもしれない。そんなことはできない。できるはずがない
アロイスはぎゅっと目をつぶった。
「貴女は、あなた達は、知らなくて、良いことです」
俺一人で済むのなら、これ以上の幸福はない。偽善者? 自己犠牲?
上等だ。俺は、誰かを苦しめたくはない。
「なぜですか…? 良いか悪いは、私が決めることだ!」
レオナの激昂にアロイスはなにも答えなかった。レオナに向かって一礼をする。そして無言のままその場から出ていった。