9.月見草
アロイスは思う。なぜ自分の周りにはこうも、変な奴しかいないのだろうか、と。
「アロイス王子!! 私ともう一戦していただけませんか!?」
ドンドンドンドンッ──と、やかましい音は鳴りやむ気配がない。
「アロイス王子! お願いです!!」
アロイスは、深く深くため息をつく。この国に着いてからはもう何度目かわからないほど、ため息をついてきたけどさ。記録更新しすぎじゃね? それに、この声の正体は考えなくてもすぐにわかる。
「アロイス王子!!」
まぁな? わかってはいるけども、開けるとはいってないからな、うん。というかシンプルにさすがにうざくなってきた。つーか俺、一応この国の未来の王なんだろ? こんな扱いで良いの?
この部屋は隔離されてるといっても過言ではないから、周りに迷惑はかかりはしないだろう。けど、まぁ、周りに迷惑でなくても、ふつうに俺が迷惑だ。そうして、あんまりなのもうるさいからと、仕方がないので扉を開けてやったのが間違いだった。
「アロイス王子!!私ともう一戦を!」
そう、なぜか随分といきり立ったレオナ隊長が、俺の顔を見るなりそう言ってきた。ご丁寧なことに、俺の愛刀まで持ってきてくれている。
「……あの、サークスフィード隊長殿」
「レオナで結構です!」
「いや、結構じゃありませんから! ……なぜ、私が、貴女と、もう一戦、しなくてはならないのですか?」
単純で至極自然なことを聞く。
「負けたままが嫌だからです。」
と、レオナ隊長は平然と答えた。
「……」
本気で呆れた。
「私はこの国の一番の隊長です。負けたという噂が広まれば、一大事なんですよ!」
「とかいって単純に負けず嫌いなだけなんじゃないですか?」
「まぁそれもありますけど…」
あるんかい!アロイスは頭を抱えた。
「アロイス王子、お願いです」
レオナは俺に深々と頭をさげてきた。俺はため息をついてレオナの前に立った。肩に手をやり、頭をあげろと促す。そして、半分なげやりに答える。
「わかりましたよ。……でも、ひとつ聞かせてください。貴女は、何故俺を怖がらないのですか?」
生まれてこのかた、この容姿をみてびびらなかった奴は婆と姉さん達以外誰一人としていない。レオナ隊長は目を白黒させると、軽く笑って答える。
「怖がる理由がわかりませんからね」
「理由がわからないとはどういうことですか?」
戸惑いを隠せないまま訊ねると、レオナは苦笑した。
「私は極東の田舎の生まれです。ここにきたのもつい3年前のこと。ですから皆がそこまで貴方を恐れる理由がわからないのです。あ、ですが……多分一番の理由は貴方がそこまで怖そうな人に見えないからかもしれません」
呆気にとられてしまった。
でへへと笑うレオナ隊長をまじまじと見つめれば、彼女は心底当たり前だろうとでもいうようにドヤ顔で見つめ返してくる。
「……俺は怖そうな人に見えないんですか?」
「えぇ。そんなに筋肉質って感じでも無さそうだし、顔立ちも厳つくありませんからね。貴方よりも、私は陛下の方が恐ろしいですよ」
レオナは微笑む。
「なるほど…? 変な人ですね、貴女は」
アロイスはクスクスと笑った。
「そうですか?…私はちっともおかしなことだと思いませんけどね」
首をかしげるレオナは、肩をすくめる。
「でも、私がそう言うと、決まって周りは私を変人だと笑います。」
「サークスフィード隊長…」
「そんな顔をなさらないでください。いいんですよ、むしろ私は自分が変人だと自覚しておりますからね。」
「……自分のことを変人だと認める人はそうそういませんよ…」
「だって、例え変人だと言われても、私はそれがおかしいことだと思っておりませんから。」
そう言うとレオナはにっこりと笑い、アロイスに剣を差し出した。
「それに変人だから、貴方に戦いを申し込むのですよ」
「…なるほど」
アロイスは剣をとった。
「いいでしょう。…しかし、これ以上付きまとわれるのは困ります。これで一回勝負にしてください」
「そういうことは私に勝ってから言ってくださいよ」
「一度俺に負けたくせに」
「あれはノーカンです! 勝負はここからです!」
「…よく言いますね」
やれやれと肩を落とすアロイス。
「まぁいいですよ。どーせ勝つのは俺ですから」
「それはどうでしょうね?」
勝ち気にそう言ってくるレオナ。どうやら負けず嫌いなのは事実のようだ。
そうして場所を移動し、いつかの訓練所に着いた。着いてすぐに、俺とレオナは互いに剣を取り、向き合う。レオナは自信ありげに微笑むと、じっとこちらを見つめてきた。
「さぁ、用意はいいですか」
「俺はいつでも大丈夫ですよ」
瞬間、レオナは床を蹴った。
剣と剣が交差する。レオナの剣は確かな威力を持って、俺の木刀を打つ。カンカンと、木刀同士が激しくぶつかり合う。
「いつでもとは言いましたが急に襲いかかることはないでしょう!」
「間違えてはないですもん!」
おいおい、屁理屈かよ! と言おうと口を開きかけたが、最後まで言う事はできなかった。なぜならば、すぐ目の前まで刀が迫っていたからだ。確かに、レオナはこの前とは段違いの腕前だった。
「っ急に強くなりましたね!!」
「この前は油断していたんです!」
木刀をぶつけ合いながらも言葉を交わす。なるほど、この実力が本来のレオナの力だと言うのならば、確かにあのときはただ油断していただけだったのだろうと、アロイスは納得した。これならば、あのアリアナ姉さんともひけをとらないかもしれない。足払いにきた木刀をいなしながらもアロイスは、楽しそうに笑った。
「随分と余裕のようですね!」
そんなアロイスの笑みをみて、レオナが大声で言い放つ。
いっそう激しくなってきたレオナの攻撃をいなすのが大変になってきた。アロイスは舌打ちをする。そろそろ決着をつけないとな。足にぐっと力を込めたときだった。
「アロイス王子! 先に非礼を詫びさせていただきます!!」
突然レオナが言った。
「私は知っていました……! 貴方の中にいる化け物のことを!!」
その言葉に不意をつかれた。
力を込めていた足が、ぐにゃりと別の方向へと行く。それに、気付いたときには遅かった。
体勢を崩し膝をついてしまった。その瞬間、手から木刀が滑り落ちた。やばいと本能が告げていたが、木刀に手を伸ばした時には既に首元にレオナの木刀が突きつけられていた。
「私の生まれは先程お伝えしましたよね。故郷では鬼の話は有名だったんです」
そうして、レオナは淡々と話し始めた。
「幼い頃に祖母に何度も話をしてもらいました。よくある昔話です。その話にはいつも鬼がでてきました。鬼は人を喰らい、人を恐怖に陥れる恐ろしい化け物として描かれていました。」
伝説の……昔話?
まさかリラ王家の罪が、世界に伝わってしまっているのか?
アロイスの表情を見たのだろうか、何も言っていないのにもかかわらず、レオナは首を振った。俺の言いたいことが、なぜかレオナにはわかるようだった。
「ご安心を、アロイス王子。私は何も知りません。もちろん故郷の皆も。その話自体が、直接貴方に繋がる訳ではありませんよ。そのお話では、鬼にとり憑かれた人の話もありました。鬼にとり憑かれた人は、必ず容姿を変えるのだとそこには書いてあったんです。鬼にはいくつか種類があるらしく、青鬼、赤鬼、黄鬼、緑鬼等がおりました。そして決まって、とり憑かれた人はその鬼の色に髪の色や瞳の色を変えたそうです。」
「……」
「アルントに来て、初めてリラ王家に鬼を飼った忌むべき王子がいると、知りました。その話を聞いたとき、私は祖母に何度も聞かされたあの話を思い出しました。そして私は様々な人から貴方に対する様々な話を聞きました。皆が皆、口を揃えて言いました。リラ王家は、その昔王家が大きな罪を犯したせいで神に罰を与えられたのだ。そのせいでリラ王家は時々男の子に鬼が宿る。そして──時がくると鬼は宿い主を食い殺し、世界を破滅へと導く。リラは呪われし王国である、と。」
アロイスはゆっくりと顔をあげた。光がレオナを覆い隠すせいでその表情はよくわからない。けれど、どうでもよかった。アロイスは、どこか自嘲気味に笑った。
「……なるほど、そんなふうに伝わっているのか。……はは、その通りですよ。俺はいずれ、世界を破滅させる。 それを分かっていて、なぜ、貴女は俺につきまとうのですか」
「興味があるんです。貴方に」
「……は?」
恥ずかしげもなく、淡々とそう言い放ったレオナを凝視する。
「何度も言わせないでくださいよ。貴方は私に聞きましたよね? 俺が怖くないのかと。そして、私は怖くないと、そう答えたはずですが」
「世界を破滅させるかもしれない俺が、怖くないと?」
「……えぇ。私は、貴方に剣で負けることの方が恐ろしいですよ」
そう言うと、彼女は茶目っ気たっぷりに笑った。彼女の笑顔に、何かがガチャンと外れたような音がした。ふっと頬が緩んでしまう。
「貴女は……本当に」
レオナは何もいわなかった。彼女は、黙ったまま俺の首の横に突きつけていた木刀を下ろした。
「……変な人だ」
そう、呟いたアロイスに、レオナはそっと手を差しのべた。顔を上げたアロイスに、レオナはふわりと微笑む。
まるで促されるようにしてレオナは微かに手を揺らせば、観念したのかアロイスは苦笑してその手を取った。
「今回の勝負は、貴女の勝ちで結構ですよ」
「当たり前です」
「…なっ!」
「フフ、冗談です。あの時、貴方が怯んでくださらなければ、私は勝てませんでしたから。今回のは負けで…」
「…いえ、なら引き分けにしましょう」
レオナは勢いよく顔をあげた。アロイスはそっぽを向きながら頬をかく。
「怯んだのは、俺自身が弱かったからです。上手な駆け引きでした。……でもまぁ、そこまで仰るなら、引き分けにしましょう」
「アロイス王子…」
「あぁ、あと。俺のことは、アロと呼んでください」
「いえ、それはさすがに」
「そこまで言うならば、これは命令です」
今度は、アロイスが茶目っ気たっぷりに笑う。
「………貴方の方がずっとずるいですよ。私は貴方の命令には逆らえないのに。」
レオナは恨めしげにアロイスを睨む。しかし、怯むことなくアロイスはむしろ楽しそうににっこりと笑った。
「未来の王の命令は断れませんよね?」
「…それはそうですけども」
「二人の時だけそう呼べばいい。なにも人前で呼べと言ってるわけではないんですよ?」
「……ですが」
「それなら、俺もあなたのことをレオナと呼びましょう」
レオナの顔が赤く染まった。
「なっ…なぜそうなるんですか!」
「不公平ですからね」
さらりと言ったアロイス。シャルロッテといい、 レオナといい、ここの人は本当にからかいがある。頬を赤く染め、涙目になってしまったレオナを、アロイスは涼しげにみつめた。
「勝負をこれっきりにするつもりはありませんからね。レオナ」
レオナの目が大きく開く。おずおずとアロイスを見上げた。
「わかりましたよ。アロ……様」
「様もダメです」
「っ!そんな!!それだけは!!」
「ダーメ」
にこりと笑って見せれば、顔を真っ赤にさせたレオナは、うぅーっと唸り、「ずるいひとですね……」と頬をふくらませた。
「~っもう、わかりました!! 二人っきりの時だけですからね! それ以外のときは、呼びませんからね!」
まぁそもそも、未来の王の部屋にまでわざわざ来て、勝負しろ! といきり立ち、ギャンギャンと吠えてきたくせに、よくもまぁいまさらそんなことを言えるな!って感じだけどな。けれど、そこがレオナのいい所なのだろう。
「かまいませんよ。それで」
「あ、それなら!ア…ロは私のような者に敬語なんて使わないでくださいよ!」
「わかった。そうしよう」
アロイスはにこりと笑った。その提案がまさか通るとは思っていなかったのか、レオナは目を丸くしている。
「あ、もうすでにこんな時間か。レオナ、俺はちょっと用事があるからさ」
いつの間にか、随分と時が経っていた。ボーンボーンと鐘の鳴る音に、アロイスは反応した。その言葉にレオナもはっとした表情になった。
「そういえば、私も新兵の指導がありました」
「ならお互いちょうどいいな。そろそろ帰るか」
アロイスは、落とした木刀を拾い上げた。
「レオナ、また勝負しような。今は一勝一引き分けだ。次こそは、俺が勝つからな」
「そうですね! 私は次こそ完全勝利します!!」
レオナは、はにかむ。なんだかんだで俺はこの負けず嫌いなレオナにだいぶ絆されていた。
二人は「じゃあ」「また」と、ありきたりな別れの言葉を告げるとそれぞれ別の扉を開けた。
*
その感情に気付いたのは、レオナと別れてからしばらくしたあとだった。
「人と、故意に関わるなんて…」
それは、後悔なのだろうか。レオナと関わりを持ってしまったことを、俺は後悔しているのだろうか。鬼を飼っていると知り、世界を破滅させるかもしれないという恐ろしい力を持っていると知った俺は、故意的に人と関わることをやめた。関わりを持ったりでもしたら、大切な人を傷付けてしまうかもしれない。鬼の強大なる力は、俺自身が一番身に染みてわかっていた。
だから、関わることをやめた。
人から好かれることを拒んだ。
人と人との関わり全てを、嫌いになるようにした。
諦め癖がついたのも、この頃からだった。
部屋に戻ると、ロイクはどこかに行ってしまったのか、部屋はもぬけの殻だった。そのままアロイスは流れるようにバルコニーに出る。バルコニーからは、アルント王国の広大な自然が一望できた。
「……関わるまいと、決めていたはずなのにな。なにやってんだか」
自嘲ともとれるその笑みは、これから必ず来るであろう『未来』を見据えた意味もあった。だけど、そんなことも忘れるくらい、レオナと繋がりを持ちたいと思ったのだ。俺を恐れることなく、側にいたいと言ったレオナと。他人と関わりを持つと余計な感情が生まれる。鬼がどのようにして俺を飲み込むのかはわからないが、関わりが仇になる可能性も十分に有りうる。
恐ろしいのはただ一つ。俺が鬼となり関わりを持った人を傷つけてしまうことだ。
それでも、どうしてだろう。恐怖を抱くと同時に、どこか満ち足りた思いを感じていたのは確かだった。それは俺に愕然としたショックを抱かせた。
それは、自分はこれほどまでに誰かとの繋がりを強く強く求めていたのかと、思い知らされた瞬間だったからだった。
レオナとの対戦から五日ほど経ったある日のことだった。
俺たちは公務の一つである国民視察を命じられた。意味は文字通り、未来の王と王妃を国民へお披露目するのと同時に、現時点の国民達の生活を視察するのだ。民の真意なく国はなりたたない、とのことらしい。
「……視察ねぇ」
「不安しかありませんけど……大丈夫なんでしょうか」
ロイクと顔を見合わせてため息をつく。本当に陛下には嫌われたものだな。こんな状態の俺を国民にみせて何が起こるかなんて、赤子でも分かることだろうに。下手したらシャルロッテのファンたちにまた撃たれるぞ。
「公開処刑的な意味なのか? ん?」
「一応は公務ですよ、アロイス様」
「公務ったってなぁ……陛下が考えていることが、俺にゃいまいち分かんねえわ。俺を殺したいなら、手っ取り早く殺りゃあいいのに」
「王が表だって貴方を殺せるわけないじゃないですか! ……ま、とは言っても私はアロイス様をそんな簡単殺せるとも思えませんけどね」
「お前な、最近俺のこと下にみてるだろ」
ロイクはしらっとした顔で、持っていた盆を置いた。
「何をおっしゃいます!私はこんなにもアロイス様に尽くしておりますのに……っ」
「せめて目を見ていえ」
「あ、そういえばシャルロッテ様にしばらく面会していませんけどよろしいのですか?」
うまく話をすり替えたロイクをじろりと睨むが、そんなことがロイクに通じるはずもなかった。
「いーんだよ。あの人も俺と会わない方がいいんだからな」
「ですが、アロイス様はシャルロッテ様の婚約者なのに全く会わないのは、さすがに失礼に値するのでは」
「あのな、ロイク」
アロイスはロイクの言葉を遮ってから座り直す。そうして、ロイクのことをじっと見つめた。
「俺は、異端だよな。あだ名はバケモノ王子だし、鬼を身体に飼っていて、世界を滅亡させる力を持つと言われてるよな。それに顔も平凡だし、おまけに小国出身だ。いくらアルントの方が俺の国を欲したからといっても大国と小国の差は変わらない。皮肉なことにな。……いくら俺がシャルロッテにとって正式な婚約者であっても、俺もシャルロッテもこの婚約は認めていない。互いが自由に生きると、約束したんだよ」
言い切るとアロイスは力なく笑った。
「関わるのはやめだ。ましてやシャルロッテは弱い存在だしな。俺があの人の側で鬼として覚醒する可能性だって有りうることなんだよ。それに、俺がお前を側に置いてるのは、俺が万が一鬼に食い破られそうになっても、お前は俺を殺せるだけの暗殺技術があるからだ」
ロイクは強い。だからこそ側に置ける。わざわざリラからロイクを連れてきたのだって、俺を簡単に殺すことができるからだ。
「……はぁ、わかりました。アロイス様がそこまで仰るなら、私はもうなにも言いません」
ロイクはどこか諦めたようにため息をついた。
「ま、どちらにせよ? こっちから会いにいかなくても国民視察のときに会うし?」
「それはそうですけど……。あ、アロイス様何着ます?」
「黒」
アロイスはロイクが持っている黒の服と派手な真っ青な服を見比べてから言った。
「……アロイス様、刺客のことを心配してるのであれば国民視察といえども、そこまで大々的にやるわけじゃないらしいので、あまり慎重になる必要はないと思いますよ」
「だとしても、目立つ服を着ていると、弓で射られやすくなるだろうが。俺ここにいますよ! 狙ってください!! って言ってるようなもんだぞ。慎重に慎重を重ねて悪いことはない」
「射られても、どうせアロイス様なら切れますって」
アロイスは苦々しい顔をする。
「無茶いうな。いくら鬼を飼ってるって言ったって覚醒さえしなければ俺自身は普通の人間だぞ?」
「…アリアナ様と互角なのにですか?」
アロイスは少しだけ悩む。怪物並みの強さをもつアリアナ姉さんと互角……ってことはもしかしたら俺も怪物並みなのかもしれない。
「………まぁいいや。お前に任せるが、なるべく地味目で。願わくば黒で」
「承知いたしました」




