二章 その18
トイレの前でかしこさんに会った。無視するのもアレなので声をかける。
「やあ、どうだった?」
かしこさんはちらりと僕を確認すると、つぶやくように。
「……駄目でした」
だ、駄目でした。だって!? 僕は驚きのあまり目を見張る。
謙遜か? いや、彼女の様子を見る限り本当に憔悴しているようだ。となると駄目だった、というのは事実で、彼女が駄目だったということは、僕はすっごく駄目だったということなのか!?
「駄目だった、って……どれくらい?」
「聞かないでください」
「す、すみません」
そんなに駄目だったのか……。
僕は慰めてあげるべきか迷った。僕自身、傷心中の身であるのに、僕なんかが慰めてしまったら傷の舐めあい、かえって彼女のプライドを傷つけるのではないか、迷いつつも、かしこさんのことが他人事に思えず慰める。
「今回はね、難しかったからさ、しょうがないよ。平均点も低いだろうしさ、うん、大丈夫さ」
うんうん、そうだ、大丈夫だ。かしこさんに、ではなく自分にかける慰めの言葉。むなしい。かしこさんも反応してくれないし。
「じゃあ、僕はこれから……用があるので、これで」
「……はい」
用といってもトイレだけど。
三日目ともなると、ストーカーのイロハも分かってこようというもの。僕らは、かしこさんがコーナーに消えてから身を隠していた電柱を飛びだし次の電柱へ以下略を淡々とこなしていた。
「この新しい特技を、何かに生かせないものだろうか……」
「探偵事務所でも開けば?」
会話まで出来るこの余裕っぷり。
「探偵事務所か……いいかもね、勉強しなくてもよさそうだし」
「まあね、うちの学校で成績ワースト50に入るようじゃ、普通の就職先はないだろうしね」
「ぐっふーっ! なぜそれを?」
「あのでっかいのと、でかい声で話してたからだよ。まる聞こえ」
あのでっかいのとは斎藤のことだろう。まあ、分かりやすい表現だがせめてクラスメイトの名前は覚えよう、それが礼儀というもの。
それはおいといて、聞き捨てならない発言があったので指摘しなければ。
「星野さんだって、人のこと言えないんじゃないのかい? 僕を蹴落としてまで補講を避けようだなんて……本当は君のほうこそヤバイんじゃない?」
僕は根に持つタイプだ。テストのことを僕に隠し、あまつさえ自分だけ勉強しようだんて、許すまじき! そんな薄汚いことをする人間が成績優秀なわけがないではないか。しかし彼女は、
「初めてのテストだからね、転校してからの。だから、ちょっとナイーブになってるだけだよ。ちなみに私が前通っていた学校は-」
といって都内の有名進学校の名前を口にする。
「-だから、正直な話、この学校はレベル低いんだよね……ってどうしたの?」
だめだ、根本的に負けている。頭の作りとか遺伝とかが違うに違いない。しかし星野さんはやはり都会育ちなのか、はじめて見たときから垢ぬけているとは思っていたけど。
「ふ、ふ~ん、そうなんだ。レベル低いんだ。へ~」
精一杯虚勢を張ってみる。
「うん、でもばーちゃん家の近くに、他に学校ないしね、仕方なく君の学校に来たわけ」
でも、そんな有名校からわざわざ無名のうちの学校に転校してきたのはなぜだろう? 一瞬浮かんだ疑問を慌てて消去する。立ち入った話は嫌いだ。代わりに違うことを口にする。
「縁は異なもの味なもの、ってね」
「そうだね、君にあったのも縁があったんだろうね……私に会えてよかった?」
「ほう、君がそんなことを気にする人間だったとは驚きだよ」
「どういう意味かすごく気になるけど……迷惑じゃないかな~、ってさ、こうして面倒くさいことに付き合わせちゃってるし、私もすこし、ほんの数オングストロームくらい申し訳ないな、って思ってね」
本当に驚きだ。
でも、なんて答えよう。すっごく気恥ずかしいけど、やっぱりここは素直に言ったがいいのだろう。
「……よかったと思ってるよ」
「私といると、不幸になるかもよ、それでもいいの?」
「不幸って、君は貧乏神か何かなのかい? でも、いいさ。僕はもともとすっごい不幸だから、ちょっとやそっとの不幸が増えても、どおってことない」
「そうか」
星野さんのほうから意図的に顔をそらす。くさいセリフを言いすぎて恥ずかしい。
「面倒くさいことも、本当に嫌になったらいつでもやめられるしね」
これは本心。星野さんが困ろうがどうしようが、気が乗らないときはすっぽかすだろう。
「うん。それでいいよ。面倒くさいことも、今日でひと段落つきそうだし」
「どういうこと?」
雰囲気が変わったので、星野さんのほうを向くシャイな僕。
「たぶん今日、動きがあるよ」
星野さんは、確信をこめて言った。