二章 その13
ごめんなさい。誰に? 分からない。でもとりあえず言ってみる。
「いえいえ、お気になさらずに」
パチッ。
「うおぉぉぉ!」
何の前触れもなく、まるでスリープモードに入っていたロボットが時間が来たので再起動したくらいの唐突さで、星野さんの目が開かれる。僕はびっくりして電流が走ったみたいにのけぞった。
「びっっくりしたぁー」
「ここはどこ? 私はだーれ?」
星野さんが古典的なギャグに走る。いや、寝ぼけているだけか? 寝起きだというのに瞳はきっかり10分咲き。とても寝ぼけているようには見えないが、
星野さんはしばらくきょろきょろした後、僕を見ると、近付いてくる人間を見て警戒する猫みたいに凍りつき凝視した。やっぱり寝ぼけていたのかもしれない。
「え~と。ごめんなさい」
星野さん解凍。
「な、なんであやまるの?」
「う~ん。それを言われると困っちゃうんだけどね、分からないから。でも、星野さんが怒る理由が僕以外に思いつかなかったからさ、僕が悪いんだろうな~って」
僕はあらかじめ考えておいた答えを言う。出来合いの言葉、なぜかむなしい。
「バカみたい、そんなのわかんないじゃん。私がただむしゃくしゃして、君に八つ当たりしただけかもよ」
「そうなの?」
「……そうだよ」
「嘘つきは泥棒の始まりです」
「なっ! なんで分かったの!?」
なんでもくそも、リアクションが嘘っぽすぎる。返事するまでにずいぶん間があったし目線までそらした。しかし一つ学んだな、自分では完璧にごまかしたつもりでも周りから見るとばればれということは結構あるのかもしれない。今度お父さんに嘘をつく時の参考にしよう。ポイントは即答、凝視、だ。
嘘を見破られた星野さんは赤面してうつむいている。なんか微笑ましい。
「星野さん」
「ちょ、ちょっと待って。今言うから、私が怒ったのはつまり」
「いや、別に無理して言わなくても」
「ふざけないで。一方的に謝られて、それからそんなこと言われて、私が何も言わなかったらまるで私が負けたみたいじゃない」
「じゃあ、謝れば? それでチャラってことで」
「謝るのはもっと嫌。謝るってことは負けを認めるってことだよ」
「めんどくさいよ」
「うるさい」
「なんだと」
少しきつい言い方になってしまったようだ。星野さんの体に緊張が走るのが見て取れた。温厚で通っている僕も、さすがに今回は少し気が立っているのかもしれない。
「これ以上嘘をつかなくていい。僕はなんで君が怒ったかなんてもう気にしない、忘れる。これでおしまいだ」
「……うん」
不服のようだ。しかしそれでも妥協したのは少しなりとも僕のいらだちに気が付いているからだろう。少し気まずくなる。気まずさをごまかすために笑顔で提案。
「じゃあさ。ほかのことを教えてよ。星野さんにとって、何か恥ずかしいこととかさ、昔のちょっとした失敗話とかでいいから」
「……そんなのでいいの?」
「うん」
僕はまだ笑顔。ちょっとやりすぎかも。もっとナチュラルに行こうと顔をもんで修正、自然な笑顔になった、はず。
「じゃあね」
「うん」
「天国の話をしよう」
「はぁ?」
僕の反応に、星野さんは一瞬目をつり上げかけ、戻す。
「恥ずかしい話だよ。私を笑うといい。罰ゲームみたいなもんだし、笑っても怒らないから」
「わかった。わははははははははははははは……ごめん続けて」
からかっているのに相手が怒ってくれないというのはむなしいものだ。
星野さんはすごく真面目な顔をしている。彼女は真面目だ。だから今から話してくれることは、本当の本当に彼女にとって恥ずかしいことなんだと思う。心して聞こう。
「数年前のことなんだけど、
一回だけ車にはねられたことがあったんだ。どんな車だったのか全然覚えていないんだけどね、そいつがすっごいスピード違反をしていたらしくて、はねられた私は、そばで見ていた人の話によると10mくらい飛ばされたんだって。まあ、見た人もショックだったろうから多少の誇張は入っているかもしれないけれど。
それで病院に運び込まれたわけなんだけど、その時には呼吸も心臓も止まっていてもうお手上げ状態。医者から最悪の場合を想定しとけって言われたらしい。奇跡的に、って言葉はあんまり好きじゃないんだけど、私が助かったのは本当に奇跡で、それでも危篤状態。3ヶ月間寝たきりだった。
それで、その3ヶ月間。私は夢を見ていたんだ。天国にいる夢。その天国っていうのが、今思い出しても恥ずかしいな。お花畑なんだ。私は花にはあんまり詳しくないからそこに生えていたのがなんていう花なのかは、ほとんどわからなかったけど、世界中の花々をすべて集めてきたんじゃないかってくらいいろいろな花があって、すごくきれいだった。あんまりにもきれいだったから、ああ、ここは死後の世界なんだなって、納得しちゃったもん。
でもさ、いっくらきれいだからって、花ばっかりみてたら飽きるんだよね。もしかしたらそうじゃない人もいるのかもしれないけど、私は飽きた。たぶん10分くらいでどうでもよくなって、帰りたくなった。お父さんたちも心配しているだろうって思ったしね。で、とりあえず歩いてみることにした。見渡す限り、地平線の向こうまで花ばっかりでね、げんなりしたんだけど、他にすることもなかったから延々と歩いた。不思議と疲れは感じなかったな。夢の中だから当たり前かもしれないけど。でも、いくら歩いても何も変わらないんだよね。最初はきれいだと思っていた花もだんだんと疎ましくなってきて、最後のほうは力一杯踏みながら歩いた。そう、最後があったんだ。
いきなりだよ。いきなり地面が無くなっていたんだ。あそこが天国の端っこだったんだろうね。で、地面がなくて何があったかっていうと、これまた笑っちゃうんだけど、そこは雲の上だったんだ。だから下には地上が、私の住んでた町が見えていた。
すごかったよ。すっごく汚かった。町は一面灰に覆われていてね。そうだな、微生物の写真集みたいなの見たことある? あのエグイやつ。感覚としてはあんな感じ。生理的に受け付けないっていうのかな? 見た瞬間から触りたくない、近づきたくないって思った。
だから私はもう見るのをやめようって思った。私の後ろには灰なんて少しもない、きれいなお花畑が広がっていたからね、そっちを見ようって思った。
でもね、そうする前に見えたんだ。何で見えたんだろうね? 見えるはずなんてないのに、私が見えたんだ。病院のベットべ横になる私が。天井があるはずだし、そもそも私の視力で雲の上から地上のことが見えるはずなんてないのに、はっきりと、まるで顕微鏡でも覗くように見えた。そしてあのエグイ微生物みたいに私は汚かった。誰よりも灰だらけ。皮肉な話だよね、汚い汚いと、周りのものに向かって散々言っておきながら、実は一番汚かったのは私だったんだ。
私のベットの横にはお父さんとお母さんがいた。二人とも私の手を握ってね、ずっと話しかけてるんだ。私の手、汚いのに。ずっとだよ。しかも、あの汚い灰はね、つないだ手を伝ってお父さんとお母さんも覆い隠そうとするんだ。少しずつ少しずつ、私から離れて、お父さんたちのほうへ。ゆっくりとゆっくりと伝わって……………伝わって」
「もういいよ」
「最後は」
「星野さん!」
「……うん」