二章 その9
放課後。
僕は、かしこさんの背中でぴょこぴょこ跳ねる三つ編みを見ながらつぶやいた。
「……引っ張りたい……」
「同感」
星野さんの瞳に獰猛な光が宿る。たぶん彼女にはいじめっ子気質があると思う。
「じゃあ、引っ張ってこよう」
同意も得られたことだしと、身を隠していた電柱から飛び出しかけた僕の襟首を、星野さんが掴む。
「駄目」
「なんで?
っていうかなんで僕たち身を隠してるの? スト…護衛ならそばにいたほうがいいんじゃない?」
僕のもっともな疑問に、星野さんは唇をかむ。そのまま唸る。放課後もしっかり授業に参加していた彼女の瞳はすこし充血していて、唸り声も相まって飢えた獣のようだ。
しばらく唸った後、その紅い瞳がこっちを向く。
「行ってくれば? 私は遠くから見てるから」
なぜ僕だけ?
許可も下りたことだし、肉食獣に食われたくないしで、僕はかしこさんにひっそりと近づいた。
僕に気配を消す能力があったのか、それともかしこさんが鈍いのか、僕が真後ろに来てもかしこさんは振り向かなかった。
なんという据え膳、せっかくなので肩をたたく代わりに三つ編みをひっぱることにする。
「てい!」
「ひゃあ!!」
快感!
でもかしこさんは涙目で僕を睨んでいて、考えてみれば僕と彼女は特別親しい関係というわけではなく、そんな人間がいきなり三つ編みを引っ張るのは失礼だ。
「ごめんなさい」
「……」
かしこさんは無言で歩き始める。これは許してくれたということでいいのかな?
ためらいがちに声をかける。
「あの、かしこさん?」
「……名前で呼ばないでください。嫌いなので」
「ええっ! そんなにはっきりと言われたら傷つくなあ……。まあ、確かにいきなり下の名前で呼んでしまったのは馴れ馴れしかったかもしれないけど、でもそれは君の名前が珍しいからであって」
「私が嫌いなのはあなたではなく私の名前です」
「あっ、すみません……」
そんなに無表情に指摘しないでほしい、とても恥ずかしい。
……いやもしかして、そこまで分かってての犯行か? 真面目な振りして本当は性悪女なのか? などと妄想しつつ、気にしてないふりができる強い自分に酔ってみる。笑顔でさわやかに謝る。
「昼休みはごめんね。いきなり押し掛けたりして」
「……いえ」
「今度は話す内容考えてきたから」
僕はポケットからノートの切り端を取り出した。午後の授業中ずっと考えていたのだ。
全部で十項目の走り書きに目を通し、一番当たり障りのないやつから順番に、
まず“天気”
「今日はいい天気だね」
次に“学校”
「学校は楽しいね」
次に、
「あの……なにが言いたいんですか?」
「だね、僕は何が言いたいんだろうね」
この紙を書いたときはばっちりだと思ったのだけど、なぜだろう会話が弾まない。
そのまましばらく無言が続く。気まずい、何か言わなければ、と足りない頭をフル回転させていると、足りてる頭の彼女が沈黙を破った。
「……どこまで付いてくるんですか? 何か用があるんですか?」
今までに比べてはっきりとした発言。これは怒っているのだろうか、もしかして。星野さんみたいに怒っているときは怒っている表情をして欲しい、こういうタイプは苦手だ。
確かに、いきなり三つ編み引っ張ったりわけのわからないことを口走ったりで、彼女から見た僕は相当ウザい奴なんだろうと思う。でもここで引き下がるわけにはいかないのだ。
「いや、実はね」
何て言おうか? かしこさんが僕の発言に耳を傾けているのが分かる。
ああ、もうめんどくさいっ!
「実は、かしこさんが最近元気ないな~と思って」
ぴくっ、と彼女の肩が震えた気がした。
「……どうしてそう思うんですか? 私はあなたと接点はなかったのに、私はあなたの名前すら知らないのに、どうして私のことが分かるんですか?」
「う~ん、それには答えられないんだけど……」
僕はかしこさんの反応を確かめながら、意図的に話を変える。
「ところでさ、最近ケガとかしなかった?」
突然、かしこさんが立ち止まった。僕は余計に一歩進んでから振り向く。
「どうしたの?」
うつむく彼女の表情は読めない。しかし……。
「……失礼します」
彼女が横を走り抜けるとき、三つ編みが踊るように僕の顔をたたいていった。