二章 その7
気になった。とめちゃんから聞かされた話が頭の中でぐるぐる回って回って、体もぐるぐる回って回って気がつくとここにいた。
かしこさんの住むマンション。その真下にあるマンションの入居者用公園。
周りを高さ50cmくらいの木製の柵が囲み、手書きの張り紙が『関係者以外立ち入り禁止』であることを教えてくれる。今はさびしいこの公園も、日中は子どもたち笑顔であふれているのだろう。微笑ましいかぎりだ。
で、その中に、そこにいるべきではない人物がいた。見つかったらどうするつもりなのだろうか、どうどうと身を隠すこともなくブランコをキ―コ―キ―コ―揺らしているのはまぎれもなく星野さんだった。制服を着た後姿が、僕から離れたり近付いたりを繰り返す。僕に気付いた様子はない。僕はゆっくりゆっくりと近づき。
「手を挙げろ。警察だ」
振り向いた星野さんのおでこに人差し指を突き刺した。バキューン。
「いたっ!」
星野さんがブランコから飛びのき額をおさえる。予想以上に深く突き刺さったようだ。指が痛い。
「不法侵入は感心できませ、ぶっ」
「何すんのよ」
「こっちのセリフだよ。いてて……秘孔を…突かれた」
「お前は後30秒で死ぬ」
「わが生涯に一片の」
「何しに来たの?」
「最後まで言わせてよ」
「答えてよ」
真剣な顔で、といっても真剣な顔が彼女の標準装備のようだから、頭の中まで真剣かどうかは判断しかねるけど、星野さんが言う。
何で来たのか? それは難しい質問だ。早く帰らないといい加減お父さんも我慢の限界かもしれないというのに、こんな時間にこんなところで僕は何をやっているのだろう? ついでに星野さんも何をやっているのだろう?
「まあ……とめちゃんの」
「とめちゃんって呼ばないで、気色悪いから」
僕も最初はそう思った。でも大山はとめちゃん(どべぢゃん?)と呼ぶし、呼ばないと怒るし。そのうち違和感もなくなって、今ではすっかり慣れてしまったのだ。
「……君のおばあさんのお使いだよ。孫娘の夜遊びは感心しません。ってさ」
「なーんだ」
「なーんだとはなーんだ。星野さんこそ、こんなところで何してるのさ」
「見て分からないの?」
「分かるよ、ブランコをこいでた」
「君の、そういう人をくったようなところ好きじゃないな。殴りたくなる」
「僕も、会話の中でさらっと『殴りたくなる』とかいう人は好きじゃないな。怖くて泣きたくなる」
「殴るよ」
「泣くよ」
「泣けば?」
「殴れば? 嘘です、ごめんなさい」
拳を固める星野さんが怖い。
しばらくの間、彼女は僕を睨めつけていたが、ふっと視線をマンション側に戻すと、ブランコに座りなおした。隣があいているので僕も座ることにする。
「どうして、こんな夜遅くまで」
「ここにいるのかって?」
星野さんの体が、ふらふらと、前後に揺れ始める。
「言ったでしょ。護衛だよ」
僕も揺れ始める。
「でも、大丈夫って言わなかったっけ?」
「あれウソ、家の中だって危険はあるからね。私はむしろ家の中にこそ危険があると思ってる。
これでも君に気を使ったんだよ。夜遅くまでつき合わせるのは悪いと思って」
星野さんが僕に気を使ってくれるなんて感動だ。
彼女はつっけんどんだし、冷たい感じがするけど本当はいい人なのだろうと思う。つっけんどんで頑固者らしい性格が、彼女をとっつきにくく思わせるだけなのだ。きっと時間が立てば本当の彼女に気がついて友達になってくれる人だっているはずだ。前の学校でだってそうだったはずだ。
でも、『友達なんかいらない』と彼女は言ったらしい。それがどうしても納得いかない。そんなことを言えば反感を買うことなど分かり切っているのに彼女はそれを言ったのだ。
とめちゃんは負い目だと言った。両親が死んだせいで、星野さんは周りと今まで通り接することができなくなったのだと。
じゃあ僕は? 彼女の僕に対する扱いはひどいが普通に接しているように見える。それは僕が特別なのか、彼女が変わったのか?
たぶん、僕はそんなもろもろの疑問が気になってここにやってきたのだと思う。
気がつくと、星野さんが僕のほうを見ていた。
「どうしたの? 急に黙っちゃって。いつもなら『君が僕に気を使ってくれるなんてカンドーだ』とか言いそうなのに」
「失礼な。そんなこと思ったけど口に出さないのが僕のやさしいところさ」
「口に出してるじゃん」
「まあ、それは冗談として……考えていたんだよ」
「何を?」
「星野さんは優しいなって」
「嘘つけ」
「ひ、ひどい。
でもじゃあ、なんでそんなに必死になるの? なんで必死になってかしこさんの護衛してるのさ?」
「使命感みたいなものだよ。私しかできないことだから」
『負い目』では? 言いかけて止めた。
憶測で物を言うのはよくない。デリケートな内容ならなおさらだ。代わりに違う質問をぶつけてみる。
「家の中こそ危険があるってどういうこと?」
「それはね……。たぶんなんだけど、
彼女の灰が、私のよく知っている人のに似てて、だから彼女も似たようなものじゃないかと思ってね」
よく知っている人が室内で死んだのだろうか? 星野さんの両親のことが頭に浮かんだ。もしかして、星野さんは、かしこさんの姿を両親に重ねているのではないか。だからこんなに必死になって?
僕が黙ったので、星野さんも黙った。黙ったままブランコをこぐ。
星野さんは、その間じっとマンションを見上げていた。まるでかしこさんに何かあればすぐ分かるとでも言うように。本当に分かるのかもしれない。
腕時計の針が9時を指したところで、僕は口を開く。
「そろそろ帰ろう」
「帰っていいよ。私はもう少しここにいるから」
「もうすこしってどのくらい?」
「灰が落ち着くまで」
「それって何時?」
「さあ?」
「なんじゃそりゃ」
「だから君だけ帰っていいって」
「そうはいかないよ」
僕は小さく溜息をついた。今夜は長くなりそうだ。