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はいだらけ  作者: あどん
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二章 その4

「ただいま」

 狭い玄関に腰をおろし、靴を脱ぐ、なかなか脱げない。

 しばらく苦闘してから、脱ぎにくいのは暗くて手元がよく見えないせいだと気がついた。もう外は夕焼けに染まり、その赤い暗さが僕の帰りがいつもより遅いことを物語っている。

 

 思えばクラブ活動や習い事に無縁だった僕がこんなに遅くに帰ってくるのは初めてのことかもしれない。なんか達成感。でもこれが当たり前の人だっているのだ。クラスメイトの斎藤は日が落ちるまで柔道場で畳の上に汗を撒き散らしているのだろうし、僕のお父さんだってそうだ。帰りは早くても6時過ぎでそれから夕飯を作る……はっ!

 突然首筋にピリッと何かが走り、これが世に言う殺気か? などと感心しつつ僕は振り向ざまに叫ぶ。

「ただいまっ!」

 目の前にお玉。

「おかえりなさい。遅かったですね」

 そしてピンクのエプロンと熊さんスリッパ。

 主婦ならぬ主夫、僕の父親にして最強の教師と誉れ高い男が眼鏡をきらりとひからせ、手にしたお玉をまるでフェンシングのフルーレのように構えていた。

 まさか、その味噌っぽい汁の垂れるお玉で僕を小突こうと言うのか? この人ならやりかねない。と僕は実父の顔を見ながら思う。

 僕とは全然似ていない。

 お父さんはきりっとした顔立ちのいかにも優等生然とした人で、僕はどちらかと言えば、ほにゃっとした顔立ちのいかにもアホっぽいお母さんに似ている。

 アホっぽいという表現を自分に使うのは非常に抵抗があるのだが、アホと秀才という対比があまりにも見事に僕の両親を描写するため、思わず使ってしまうのだ。

 そう、お母さんは昔からアホでお父さんは昔から秀才だった。それは二人がまだ幼稚園児であったころから普遍の真理で、お母さんの話す“めるひぇんらぶすとーりー”とお父さんの話す“ハードボイルド風幻想恋物語”から判断するに間違いない。

 そんな二人がどうして結婚などという過ちに至ったのかというと、


『彼女を教育しなおすことが教育者の務めだと思ったのです』 by お父さん

『おかーさんはあほじゃないよ~』 by お母さん


 とのこと。

 アホと秀才、その二人の合作である僕は-1+1が0であるようにきっと普通であるはずで、僕はそうであると自負しているのであるがお父さんから言うと僕もあほで、だからお父さんの目下の目標は僕をお父さん以上の秀才にすること。

 とは言っても別に勉強しろと口うるさく迫ったりはしない。

 お父さん秘蔵の、教師とらの巻き曰く


 ~勉強は本人がやろうと思ってやるべきものである~


 この恥ずかしい名前の巻物(曾曾曾曾曾じいさんの代から伝わるらしい)を心から崇拝している彼は口が裂けも勉強しろなどとは言えないのだ。そして僕が自分から勉強をしようなどと考えることはない。かくして僕の成績はウナギ登りの巻き戻し状態と相成った次第である。

 しかし、勉強には口をはさまないお父さんであるが、

 虎の巻曰く


 ~子どもに正しいことを教えるのが教育者の務めである~


 などという文句のせいで、なにかとうるさい、とにかくうるさい。たとえばこんな風に。


「挨拶をしなくなることが非行の始まりだと言います。挨拶は必ずしましょうね」

「……」

「返事は?」

「それは脅迫ですか?」

 いまだにお玉は僕の頭上にある。

「違います。教育です」

「調教の間違いでは?」

「愛のある調教を教育と言います」

 愛をお玉なんかで表現しないでほしい。

「あの、どいてくれませんか? ほら、部屋で勉強しないといけないし、気が向いたらだけど」

 邪魔で動けない。

「まだ話は終わっていませんよ。どうしてこんなに遅くなったのですか? 連絡もなかったので心配しました」

「それは……」

 なんとも説明しにくい話だ。そしてこの人にだけは絶対に説明したくない話でもある。

「……部活のようなものです」

「どうしてうそをつくのですか?」

 虎の巻曰く


 ~子どもの嘘はただちに見破らなければならない~


 お父さんに下手な嘘は通用しない。それでも嘘を付きたいと思う時があるのは万に一つの可能性を祈ってのことだ。

 しかしこの辺になってくると教師の能力ではないと思う。エスパーだ。だれがそんなことできるものかと思うところだがお父さんはできているらしい。もっとも、彼ならばたとえ~空を飛べ~とか書いてあっても出来そうだけど。

「何かあったのですか?」

 お父さんは僕の目をのぞきこんだ。まさか心を読む能力まではないと信じたいが、嘘でごまかせない以上本当のことを言うしかない。

「実は……」

 僕はうそをつかないように注意しながら、できるだけ都合の悪い所に触れないようゆっくりと話した。


 隣のクラスのKさん(仮名)は悩みを抱えている。それはひとりで抱えておくにはあまりに重い悩みなのだけど、ある事情から誰にも話すことができない。そんな彼女の苦悩に、とある数奇なめぐり合わせから気が付いてしまった僕とHさん。Kさんの身を案じる僕らは彼女を励ますため、ともに下校したのであった。


「……というわけなのです」

 嘘はついてない、ただ本当ではないかもしれないだけだ。 

 話を聞き終わると、お父さんの瞳が一瞬不思議な輝きを発した。

 まずい、ばれた!?

「ご、ごめんな……」

「感動しました」

「……え?」

 お父さん涙。

「もう私は何も言いません。

 あなたがいつのまにかそんなにも大人になっていたなんて……私は知りませんでした。いえ、知ろうとしていなかったのかもしれませんね。私はいつまでもあなたが子どもであることを望んでいたのです。あなたが大人になることは、あなたが私のもとを離れてしまうということですから……さみしかったのです。

 ……あなたの思うようにやりなさい。どんな結果であろう、私はあなたを責めたりしませんから」

「……」

 涙を拭きながら僕に背を向けるお父さんの姿が、とてもさみしそうに見えた。

 まあ、いいか。

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