私のエッセイ~第六十八弾:「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の衝撃!!!(番外編4)~極秘資料
こんばんは!お元気ですか・・・?
この事件の最後を飾る、「番外編4」・・・それは、「極秘情報」!!
こういった機密の内容を、後半以降に記載しております。
ここで公開する以上は、もうすでに「極秘」ではありませんが、これらの情報を私がどこで手に入れたのか・・・それは、「知らないほうがいい」でしょう。
お互いのためにも。
それでは、行ってみましょうか・・・。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
注 意
このコーナーには、過激で痛ましい内容の文も含まれています。
それらの文章を読まれて少しでも気分が悪くなりましたら、すぐに違うコーナーにエスケープされることをお勧めします!
ここでは、「宮崎事件」の詳細な資料の数々を紹介します。
注意書きのように、かなり生々しい内容の資料もあります。
また、この世で現実に起きた事実として、伏字使用で書くことにしましたが、決して面白半分に作ったコーナーではありません。
この異常かつ残忍な事件を絶対に風化させてはならないと考えたからです。
犠牲になられた4幼女の方には、常に、そのご冥福を祈る気持ちを忘れてはおりませんから・・・。
すでに、若い方には、この日本犯罪史上に残る異常かつ残忍な事件を全くご存じない方もおられることと思います。
ここでは、あの「宮崎事件」についての経過を時系列順に紹介します。
しばらくは、これらの経過の詳細な内容を紹介していきます。
~ ~ ~ ~ ~
【埼玉・東京「連続幼女誘拐殺人事件」の全貌】
1988年
8月22日 ▼
午後3時過ぎ、東京都五日市町(現・あきる野市)の印刷業手伝い、宮崎勤(当時26歳)は、埼玉県入間市内の歩道橋を歩いていた幼稚園児のK野M理ちゃん(当時4歳)に、
「涼しいところに行かないかい?」
と声をかけ、日産ラングレーに乗せて、東京都八王子市内の山林に連れ込み、午後6時半頃、山林内でM理ちゃんが泣き出したため、押し倒して絞殺した。
そして、山林内にM理ちゃんの遺体を放置して、帰宅した。
8月23日 ▼
宮崎、東京都杉並区高円寺南のレンタルビデオ店で、ビデオカメラなどを借り、M理ちゃんの殺害現場に行き、遺体の陰部などに指を入れるなどしてビデオ撮影した。
10月3日 ▼
午後3時頃、宮崎は、埼玉県飯能市のH小学校の傍らで遊んでいた小学1年生のY沢M美ちゃん(当時7歳)に、
「道を教えてくれるかい?」
と近づき、ラングレーに乗せて、八王子市の新多摩変電所まで走り、さらに、歩いて日向峰の山林内に連れ込んで、午後5時頃、絞殺した。
全裸にして、性器などに指を入れるなどしたが、死んだはずの体が動くので、怖くなって逃げ帰った。
12月9日 ▼
午後4時半頃、宮崎は、埼玉県川越市の自宅の団地の傍らで遊んでいたN波E梨香ちゃん(当時4歳)に、
「あたたかいところに行こう。」
と声をかけてラングレーに誘い入れたが、途中でシクシク泣き出したので、入間郡名栗村の県立少年自然の家の駐車場に車を止めた。
ヒーターで車の中が暑くなったので、
「お風呂に入ろう。」
と言うと、E梨香ちゃんが服を脱いだので、ストロボを使って写真を撮ったが、またシクシク泣き出したので、午後7時過ぎ、車の中で馬乗りになって絞殺した。
午後8時頃、名栗村新田の山林内に、E香ちゃんの全裸絞殺死体を捨てた。
また、衣類や靴は、横瀬川河川敷に遺棄した。
12月10日 ▼
埼玉県警が、幼児連続行方不明総合対策本部を設置。
12月15日 ▼
埼玉県入間郡名栗村の杉林で、E梨香ちゃんが、衣類や靴などに続いて、全裸の絞殺死体となって発見された。(殺害から6日後。)
発見現場は、駐車場から6、7メートルほど上った脇の山林内。
手足をナイロン紐で縛られていた。
遺体の体内からは、「精液」は検出されなかった(後に判明)。
12月17日 ▼
E梨香ちゃん、告別式。
12月20日 ▼
E梨香ちゃん宅へ、「E梨香 のど かぜ せき 楽 死」と書かれたハガキが届く。
12月26日 ▼
入間市の公園で、不審なハンチング男が目撃される。
12月下旬 ▼
M理ちゃん宅に、漢字9文字の謎のハガキが届けられる。
1989年
1月中旬頃 ▼
宮崎は、M理ちゃんの殺害現場から、頭蓋骨などの骨を持ち帰り、自宅前の畑で、ゴミや家具と一緒に燃やした。
2月6日 ▼
午前0時頃、宮崎はK野M理ちゃん宅玄関前に、段ボール箱を置いた。
中には、黒っぽい灰や泥、焼かれて炭化した木片、細かく砕かれ焼かれた人骨片や、インスタントカメラで撮影したピンク色半ズボン、パンツ、サンダルのカラー写真、自宅にあった辞書の中から拾い出した、「M理 遺骨 焼 証明 鑑定」の5文字を自宅工場のコピー機で拡大したB5版の紙が入れてあった。
(殺害から、約6ヵ月後。)
2月7日 ▼
「骨入り箱」発見の早朝、団地で不審な男と、白っぽいワゴン車が目撃される。
埼玉県警、「遺骨は、別人の可能性」
2月8日 ▼
「歯」は、M理ちゃんと別人と断定。
2月9日 ▼
「箱の歯」を再鑑定へ
2月10日 ▼
朝日新聞社に、M理ちゃん事件に関しての、「今田勇子」名の犯行声明文が届く。
2月11日 ▼
同じ声明文が、M理ちゃん宅にも届く。
2月12日 ▼
M理ちゃん殺害と断定。
2月19日 ▼
犯行声明文、公開手配。
3月1日 ▼
遺骨を、M理ちゃんと断定。
3月11日 ▼
朝日新聞社とM理ちゃん宅に、「今田勇子」の告白文が届く。
この日は、M理ちゃんの告別式だった。
6月6日 ▼
午後6時過ぎ、宮崎は、東京都江東区の公園で遊んでいた
保育園児のN本A子ちゃん(当時5歳)に、
「写真を撮ってあげる。」
と言って、ラングレーに誘い入れ、約800メートル離れたプレハブ倉庫前路上で車を止め、チューインガムを与えると、手の障害のことでからかわれたので、車の中で絞殺した。
帰る途中、杉並区高円寺南のレンタルビデオ店でカメラなどを借り、午後9時頃帰宅。
午後11時頃、A子ちゃんの遺体を車のトランクから、自室に運び、電気こたつの上に乗せ、全裸にして体を拭いたあと、陰部に指を入れるなどして、ビデオや写真を撮影した。
6月8日 ▼
宮崎は、A子ちゃんの遺体の悪臭がひどくなってきたので、遺体の頭部、両手足を切断、髪の毛や歯を抜き、全裸の胴体部分を埼玉県飯能市の宮沢湖霊園の簡易公衆トイレ脇に捨てた。
A子ちゃんの生首は、自宅近くの御嶽山の山中に捨てた。
6月11日 ▼
飯能市宮沢の宮沢湖霊園の簡易トイレ裏で、A子ちゃんの胴体部分の遺体を発見。
頭、手足は切断され、周囲に血痕はなかった。
胃の内容物から、A子ちゃんと断定。
E梨香ちゃん同様、この遺体からも、「精液」は検出されなかった。
(後に判明。)
6月12日 ▼
前日に発見された、胴体部分の遺体は、胃の内容物などから、N本A子ちゃんと断定された。
6月27日頃 ▼
宮崎は、御嶽山へ行って、A子ちゃんの生首を拾って持ち帰り、自宅の印刷工場の流し台で頭髪をむしって水洗いし、残っていた脳は、自宅前の秋川で洗い流した。
そのあと頭蓋骨上部を、東京都奥多摩町梅沢の山林に、下アゴ部分を奥多摩湖畔の山林に捨てた。
7月23日 ▼
八王子署が、宮崎勤(当時26歳)を、別件の強制わいせつ事件で逮捕。
8月9日 ▼
「A子ちゃん事件は俺がやった」と、宮崎が自供。
8月10日 ▼
宮崎の自供どおり、都内西奥多摩郡奥多摩町の山中で、A子ちゃんの頭骨を発見。(殺害から、約2ヵ月後。)
8月11日 ▼
宮崎を、「未成年者誘拐、殺人、死体遺棄」の疑いで再逮捕。
身柄を、八王子署から深川署へ移した。
同日、宮崎宅で、M理ちゃん撮影使用と思われるカメラ発見。
8月13日 ▼
宮崎を、A子ちゃん殺しで東京地検に身柄送検。
同日、M理ちゃん、E梨香ちゃんの誘拐殺人を自供。
宮崎が、Y・深川署長あてに、上申書2通を書く。
8月15日 ▼
宮崎のビデオ5793本押収。
8月16日 ▼
M理ちゃんの遺体を、自宅前で焼却と自供。
埼玉県警による宮崎宅の畑の捜索がされる。
その結果、砂利の中から、焼かれた骨や歯牙など、若い骨、性別不明、人獣不明のものが見つかる。
歯は、4、5歳のものと20代の人間のものとが混じっていた。
8月17日 ▼
「今田勇子」名の犯行声明文・告白文作成を自供。
M理ちゃん写真、「知人のカメラで撮影」と供述。
押収ビデオ、分析開始。
8月21日 ▼
宮崎の自宅から押収された約6000本のビデオテープの中から、
K野M理ちゃんの遺体を撮影したビデオテープが発見される。
8月23日 ▼
N本A子ちゃんの遺体を撮影したビデオテープが発見される。
8月24日 ▼
宮崎を、簡易精神鑑定。
8月25日 ▼
M美ちゃんの誘拐殺人を自供する。
宮崎宅の物置の屋根裏(屋根のトタン波板の下)から、未現像のフィルム1本、写真7枚、現像済みのネガ6本を押収。
写真には、A子ちゃんが写っていた。
また、E梨香ちゃんの裸体が写っている写真も見つかった。
E梨香ちゃんを撮影した場所は、車内で、シートはラングレーものと断定された。(日産技師が認定)
8月26日 ▼
宮崎宅、捜査終了。押収品、689点。
A子ちゃん告別式。
9月1日 ▼
奥多摩湖畔で、A子ちゃんの下アゴ発見。(殺害から、約3ヶ月後。)
M美ちゃん事件一時供述、すぐに「あれはウソ。」
9月2日 ▼
A子ちゃん事件で、宮崎起訴。
9月5日 ▼
M美ちゃん事件で全面自供。
9月6日 ▼
M美ちゃんの遺骨と衣類が、西多摩郡五日市町の小峰峠付近の山中で見つかる。(殺害から、約11ヵ月後。)
9月8日 ▼
宮崎勤の身柄を狭山署に移送。
9月13日 ▼
宮崎の供述通り、M理ちゃんの手足の骨が、五日市町の山林で発見される。(殺害から、約1年1ヵ月後。)
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改めて申し上げておきますが・・・これより先には、冒頭でお話しました「極秘資料」がございます。
この情報の出所(つまり、ソース)や、実際の映像を私が観たのか、あるいは・・・万が一「所有」しているのか・・・そういった、いわば「憶測」には一切お答えできませんので、ご了承くださいませ。
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☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『読売新聞』1989年6月12日(夕刊)付
埼玉県飯能市郊外にある霊園内の簡易トイレ裏で、11日午前、頭部と両手足が切断された幼女の全裸死体が発見された。
切断された頭部や着衣などは見つかっておらず、埼玉県警捜査一課と飯能署は、別の場所で殺害したうえ切断、現場に胴体部分を捨てたバラバラ殺人・死体遺棄事件として、捜査本部を設置、12日朝から遺体を司法解剖するなど、本格的捜査を始めた。
捜査本部では、発見された遺体と血液型が一致したことなどから、今月6日夕から行方が分からなくなっている東京都江東区H、会社員N本さん(37)の長女A子ちゃん(五つ)(区立H保育園児)ではないかとの見方を強め、警視庁とも協力、身元確認を急いでいる。
同県西部では、昨年8月以来、幼女誘拐殺人・失踪事件が相次いで3件発生、このうち川越市のE香ちゃん誘拐殺人などの手口に類似点が多いことから、3件との関連も調べている。
『読売新聞』1989年6月13日付
切断面に生活反応は見られず、殺された後、金ノコで手足首などを切断されたらしい。
遺体に切断以外の外傷はなく、薬物反応も確認されなかった。
遺体は92.5センチ、14.3キロ。
捜査本部によると、胃などの内容物の消化状態から、A子ちゃんは6日夕に姿を消してまもなく、数時間以内に殺害されたと考えられることから、殺害現場は、誘拐現場近くの可能性もあるとしている。
解剖の結果、遺体の腐敗が進んで、心臓や胃まで及んでいたが、関東地方は6日から8日にかけて気温が高く、犯人は、遺体の処理に困って捨てたと見られている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
1989年8月10日
早朝、奥多摩町の山林内から、N本A子ちゃんと思われる頭蓋骨が発見された。
現場は、五日市町(現・あきる野市)御嶽山の杉林内、宮崎の自宅のすぐ前。
頭蓋骨には、「赤インキ」が付着していた。
この赤インキ、S社使用インキと同一成分で、宮崎の自宅の洗い場のコンクリートにも付着していた。
午前9時55分から10時55分の1時間の捜査で見つかった。
立会人は、奥多摩町役場の総務課長、刑事3人、鑑識3人。
宮崎勤は、捜索開始前にはいたが、「頭蓋骨発見」には関与せず。
頭蓋骨は、「スーパ-インポーズ法」と、先天性の側切歯欠如により、A子ちゃんのものと断定。
ただし、歯牙の治療カルテと頭蓋骨の治療痕には、食い違いがある。
・・・後に別の場所で発見される「下アゴ」の歯の治療痕は、カルテと一致。
胴体部分との切断面については、頚椎骨と脊椎が合わない。
頚部の背後から、刃物で切断したものと思われる。
頭蓋骨には、脳硬膜がなかった。
また、薬品や昆虫の食跡もみられなかった。
表面はツルツルだった。
宮崎は、A子ちゃんの生首を、いったんは放置した御嶽山の山中から持ち帰り、自宅工場の流し台で頭髪をむしって水洗いし、脳は自宅前の秋川で洗い流した。
頭蓋骨を、印刷機械を洗う油でピカピカに磨いていたのだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
1989年9月6日
警視庁と埼玉県警の合同捜査本部(警視庁主導、100人前後)が、西多摩郡五日市町○○○の山林内で、遺体発見。
一体分の白骨と着衣。
衣類と遺骨は、63メートル離れている。
骨片と頭蓋骨も、離れて見つかった。
遺体捜索は、午前9時から午後3時まで。
殺害現場を特定した理由は、「倒木が重なったような場所だった。」という宮崎の供述に基づく。
捜査範囲は、東西40メートル、南北80メートル。
靴片方、自宅の鍵、ブラウス、パンツ、半ズボンなどを押収。
「スーパーインポーズ法」で、M美ちゃんと確認。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
1989年9月13日
警視庁と埼玉県警の合同捜査本部が、西多摩郡五日市町XXXの山林内で、午前10時20分、大腿骨部など、53個にも及ぶ、手足と背骨の一部を発見した。
立会人は、五日市町役場の助役、山林の持ち主、宮崎の3人。
宮崎は午前10時35分に帰ったが、現場検証は、午前9時53分から午後4時まで。
場所は、9月6日にM美ちゃんの遺体が見つかったところから、北20メートルの地点。
山道から17.5メートル入ったところで宮崎が、「ここかもしれない。」と言ったが、そこではないところから、焼け焦げのある大腿骨2片が出た。
白骨になってから焼いたものだ。
骨からは、性別は不明。
歯骨から、年齢はM理ちゃんと一致。
1989年9月27日
宮崎宅より、納屋にあった、「骨を保管した木箱」、遺骨を運んだバッグ、三角定規などを押収。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
宮崎勤がK野M理ちゃんの遺体を撮影したビデオの情報を紹介します。
・・・撮影場所は、東京都五日市町(現在のあきる野市)の山林内。
生々しい内容ですが・・・。
M理ちゃん遺体撮影ビデオとは
宮崎の自宅から押収されたビデオテープの中に、M理ちゃんの遺体を撮影したものが発見された。
ビデオには、犯人の左腕が映り、腕時計をはめていた。
ビデオの土台は、1988年8月28日放送のテレビ番組、「家族ドラマ」と記入されて符号があり、タイトル判読不能。
映っていた幼女のTシャツは、M理ちゃんのものだった。
見つかったビデオテープは、ベータとVHSの2本。
1. ▼
ベータは120分用で、家族ドラマなどが3倍モードで3時間8分録画してあり、うち、4分16秒M理ちゃんの遺体が映っていた。
そのベータ・テープ・・・最初から22秒後に、遺体の映像が始まる。
2. ▼
VHSも、120分用だ。
「日曜ビッグスペシャル 動物の赤ちゃん大集合」がベース。
爪は折ってあった。
再生開始から、すぐに遺体が映る。
撮影時間は、9分10秒間。
犯人の手と腕時計もちらほら映る。
蝉や鳥の声。
木の枝が見えるので、野外撮影のようだ。
さらに、男の声で「チキショー」、「アレー」などの独り言あり。
「捜査員も思わず目をそむけた、物証のビデオシーン」
ジー、ジー、ジー。
耳に痛いほどのセミしぐれ。
場面は、緑陰濃い林の中。
木漏れ日の中に、畳半分大のシーツが敷いてある。
その上に、M理ちゃん(殺害当時4歳)が寝かされていた。
動かない。
眠っているわけではない。
誰が見ても、「遺体」だった。
着衣は、胸に子ネコのイラストが描かれた白いTシャツだけ。
・・・下半身は、裸だ。
誘拐された時に身に着けていたショートパンツや、サンダルはなかった。
宮崎は、M理ちゃんの遺体を何度も動かした。
撮影時間約5分のテープの中には、M理ちゃんの左右横向き、仰向けの、3つのシーンが映されていた。
横向きはいずれも、顔の斜め後ろの方から撮り、顔はよく見えない。
仰向けの場合も、顔だけが映し出されていなかった。
・・・が、捜査員たちが目を覆ったのは、M理ちゃんの性器に残った、むごたらしいいたずらの痕跡だった。
いたいけな幼女・・・それも、首を絞めて殺した後に、その小さな体の性器に、棒でいたずらを加えたのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ここでは、宮崎勤が、N本A子ちゃんの遺体を撮影したビデオの情報を紹介します。
撮影場所は、宮崎勤の自室。
・・・これも、K野M理ちゃんのときと同様、かなり生々しい内容です。
A子ちゃん遺体撮影ビデオとは
宮崎の自宅から押収されたビデオテープの中に、A子ちゃんの遺体を撮影したものが見つかった。
遺体状況 ▼
全裸状態。陰部の7-8センチ上に、痣有り。
120分テープに、21分30秒映っていた。
このテープの中には、この「遺体撮影」の他には、録画はない。
書棚と畳が映っていたので、明らかに室内だ。
ダビングの形跡なし。
テープにタイトルはなく、符号のみ。
・・・遺体にいたずらする手のホクロが、宮崎の手の特徴と類似。
「捜査員も思わず目をそむけた、物証のビデオシーン2」
青白い小さな足が、いきなり飛び込んできた。
そして、カメラはゆっくりと腰の方へ・・・。
「なめるような」アップシーンだ。
M理ちゃん同様、N本A子ちゃんの遺体も、小さな白い布シーツの上に寝かされていた。
布の下は、花ゴザのようなカーペット。
撮影場所は、室内だ。
M理ちゃんのときよりも、画質が悪い。
蛍光灯の淡い光だけの照明。
時間は、夜。
音はなかった。
しつこいアップシーンは、A子ちゃんの顔まで映し出していた。
・・・ほほえむことのない、変わり果てた姿。
そして、この後、A子ちゃんの全身が撮影された。
しばらくすると、ビデオカメラが固定された映像となった。
A子ちゃんの足もとに三脚を置き、その上にカメラを据えたのだ。
大人の手足が、チラホラと画面に映りだした。
あのボサボサ頭も見えた。
そして、横顔も・・・。
「あっ、宮崎だ!」
身を乗り出した捜査員たちが一斉に叫んだ。
・・・これは、撮影者が出演する、「生撮り」という手法だ。
宮崎の手が、ホウキの柄のような棒をつかんだ。
・・・そして、A子ちゃんの性器を凌辱する、むごたらしいいたずらが始まった。
「その後は、とても正視できない衝撃シーンの連続だったそうです。」
(警視庁担当記者。)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『週刊ポスト』(1989.9.15)より
「宮崎はA子ちゃんを『歯無し』にした!」
捜査関係者が言う。
「宮崎は、A子ちゃんを殺害した後、自宅で2日間、添い寝をしていたのですが、上の2本を残して、歯を全部抜いているのです。
・・・犯した形跡はない。
ただ、口に対しては、特別なこだわりがあったようです。」
そして、1989年6月8日頃、遺体を切り刻んだと言われる。
「まず、手首・足首を切り、『血抜き』をした。
その上で、ナイフ・両刃のノコギリを用い、首を斬った。」
そして、頭蓋骨は、自宅近くの秋川で脳を洗い流し、さらに、印刷機械を洗う油でピカピカに磨いていたというが、
「ズガイ骨の美少女」というビデオでも作るつもりだったのだろうか・・・?
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ここでは、過去に、獄中の宮崎勤と手紙などで通信のやり取りをしていた
様子を紹介します。
これは、一般の方が宮崎宛に質問文を送り、宮崎勤が手紙にて回答する、というものでした。
【宮崎勤のQ&A】
Q1. 「少女のビデオを見ましたか?」
えーと、少女の遺体が映っているビデオが押収されたらしいですが、それを警察で見ましたか?
見て、どう思いましたか?
(女性 無職 29歳 AB型 愛知県 2000.9.15)
A1.「宮崎勤」
見ました。
「二次元(平面)の肉物体だ!」と思った。
Q2. 「たびたびお邪魔します」
えーと、私が一番気になるのは、被害者の家に遺骨を届けたという点です。
これは当時からの私の推理ですが、お友達か知り合いの方に、犯行と遺骨のありかを教えたということがあったのではないでしょうか?
もしそうなら、骨だけとはいえ被害者は存在するので、遠慮せずその友達を告発(?)したほうがいいです。
(同上。 2000.9.16)
A2.「宮崎勤」
さっぱり分かりません。
Q3. 「こんにちは」
1. あなたが一番嫌いな人は誰ですか?
2. あなたが一番好きな人は誰ですか?
3. 今、何が一番したいですか?
(男性 学生 19歳 A型 2000.9.17)
A3.「宮崎勤」
A3-1. 考えたことがないな。
A3-2. おじいさん。
A3-3.おじいさんと将棋をしたい。
Q4. 「獄中で性欲の処理はどしてますですか?」
やぱ被害者のコト思い出しながらオナニしてるのでしょか?
(男性 学生 14歳 東京都 2000.10.5)
A4.「宮崎勤」
してません。
Q5. 「どうなんです?」
女の子を殺すとき、どんな風にエキサイトしましたか?
(男性 会社員 25歳 O型 神奈川県 2000.10.5)
A5.「宮崎勤」
なんですかそれ?
殺人が悪いことかどうかとか何も思っていません。
Q6. 「その後」
世の中には、素晴らしいアニメーションがたくさん登場しました。
拘置所の中でそれらを観ることは不可能なのでしょうか。
もし観れるのならば、宮崎さんが誰萌えなのか(あ、萌えってわかるかな?)
すごく興味があります。
そうそう、コスプレはすごくメジャーな文化になりました。
外はいい時代ですよ。
(女性 “自由業” 10歳以下 O型 北海道 2000.10.6)
A6.「宮崎勤」
今テレビやビデオや映画で観るのは不可能でしょうね。
わからない。
視聴者のみなさん。
このコーナーでは、便りや意見を書き込んだりE-mailで送ってもらってもいいんですよ。
宮崎勤
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・いかがだったでしょうか?
今回の生々しいエッセイをUPしました点につきましては、賛否両論あると思います。
しかしながら、私、サファイアの涙は、それでも、風化しつつある、この古い事件を取り上げて、今後の犯罪の芽を摘む、なんらかの手助けになれば・・・そう思って作りました。
最後に、宮崎勤によって奪われ、今は天国におられる、現世での輝かしい未来が約束されていたはずの4人の少女の方々の死を悼み、ここで改めて、そのご冥福を心よりお祈り申し上げます。・・・合掌。
二度と、同様の悲しい事件が起きませんように。 m(_ _)m