娘のすねをかじってたおじさん
ルツは密かにため息を漏らしながら少女にだけ目配せを送った。そしてお嬢ちゃんの豊満な胸に抱かれたまま「で、実はどうだ。精霊である君と私の間で何があった?」と、心の中で少女に話をかけた。
「あ、それなんだけど実は……」
どうやら親には内緒で修行していた魔法に関する話になりそうだったので、ルツはお嬢ちゃんには見えない角度で自らの唇に人差し指を当てた。そしてその仕草を少女にだけ見せた。
幸いにもその合図を理解してくれたようで、少女はすぐ口を閉じて直接ルツの頭の中に話しかけてきた。
しかし、ルツのおでこに額をコツンと当てながら言ってくれた少女の話は、彼にとって非常に衝撃的なことだった。
ルツが生後一週間だった頃、この少女はビー玉のような姿で彼と初めて出会ったそうだ。
少女を含めた精霊たちは本能に任せてこの都市に流れ込んできた渦中、この世界とは根本的に異なる匂いを漂わせていたルツに興味がわいたらしい。
永遠を生きる精霊にとって未知の知識とは、何ものにも代えられない貴重な宝物だったようだ。その中でも一番娯楽に飢えていた少女はほかの精霊たちよりも早く、ルツの体に浸透したという。
そうしているうちにふと、少女はルツの前世の娘の記憶に触れることができた。それを見て少女は戦慄した。娘に対する献身と愛、そして娘の幸せのためなら死ぬことすら恐れなかったルツの前世の姿を見て少女は一目惚れしてしまったのだ。
あの熱烈な愛を、ほんのわずかでもいいからこの身にも授けてほしい。かつての彼が娘の頭を優しく撫でてくれたように、自分にも同じことをしてほしい。自分もルツの子供になりたい。
そうやって少女に願いができると突然、彼女はすさまじい勢いでルツの心臓の方に吸い込まれた。そこで少女は中が老廃物でぎっしりと詰まっていた十一本の管に無理やりねじりこまれた。たまらない臭いにおいがした。苦しい。今すぐ逃げたい。だけど、ここから脱出するには、それらを平らげて前に進むしかなかった。
少女は諦めてそれらを食うことにした。食ってまた食った。前へ進むために。
そしてやっと外に出られた、と少女が思ったその瞬間。精霊だった少女とルツの体には透明な鎖でつながれていて、完全に逃げることはできなかったという。おかげでこの一年間、少女はルツと起きてから寝るまで行動を一緒にしたらしいだ。
少女は自ら大気中の魔力を吸収し鎖を断ち切ろうとした。だが、その度に赤ん坊の身体で酷使していたルツにありったけの魔力を奪われていたのだ。
故に少女は逃げるのを半ば諦めた。いっそのこと、ルツの方から何かが起きるのを待つことにした。ルツがどれだけ娘のことを愛していても人間である以上、一日くらいは休みを取るだろうし。魔力さえ完全状態であればこんな鎖……すぐ切って逃げ切ってやる。
あの時、少女は本気でそう思っていた。
でも、違った。
ルツの修行はそんな中途半端なものじゃなかった。
彼が生きてる途中には、少女は決してこの鎖から逃れられない。凡人とは桁が違うルツの決意の重さをようやく理解した少女は、もうルツに完全屈服することにした。
しかし屈服すること自体は良しだが……このまま一生、ルツについていくしかないなら、せめて自分も彼の娘のように愛されたい。ルツのことを「パパ」って呼びたい。
その願望は日々強くなっていた。
しかし、パパ自身が意識して初めて魔力を感じ取って魔法を使ったその瞬間。少女とルツの間を結んでいた鎖が、魔力暴走の影響を受けて千切れてしまった。
だけど少女は自由になったことに嬉しく思うより、パパとの絆が壊されたという挫折感に打ちのめされていた自分を見つけた。
おい、鎖。
直れ。
もう一度つながれ。
嫌だ。
こんな形でルツと離れたくない。
お願い。
どうか……どうか!
パパとの絆を奪うなあああぁぁああっ!
そう叫んでいると、奇跡は起こった。
魔法とは異なる力、通常「スキル」と言われている固有能力がルツの手によって発動したのだ。
その「父子の間」は鎖なんかよりも確実な安心感を少女に与えた。もはや物理的につながっていなくても、少女の心とステータスにはちゃんと「ルツの娘」と刻まれていたからだ。
その後から、少女はパパとの正式な初対面をどのようにするかだけを悩む日々を過ごした。
危機に陥ったパパを救い出しながら? いや、一歳の身体で魔法も使わずに隠しダンジョンを制覇したパパにそもそも危機などあるかしら。
それともパパが成人式を向かう時に祝いながら? でも、それは無理だった。少女は一刻も早くルツに姿を現したかった。
そうやって少女が目一杯悩んでいたその時、突然パパが服を着たままウンチをしようとしていたのだ。
「……なわけで、私がパパの前に現れたわけさ。だって臭いパパは嫌だもん」
なるほど。それで「パパ」って呼んでいたわけか。
ルツは詳細な内容について教えてくれた少女に心から感謝の意を表した。
「エッヘン! 私、すごい? 偉い? 褒めたい⁉ パパなら思う存分私をかわいがってもいいよ!」
すると少女は興奮しすぎた余りに一歳の赤ん坊の顔に全力を尽くして頬をこすってきた。
痛い。肌が剥がれそう。そろそろ離れろ。
「やーだもん! そんな意地悪なことを言うパパにはこうしてやるぞ! ほらほらほら!」
……やむを得ない。こうなったら最後の手段を使うしかないか。
「おぎゃああぁあぁぁあっ!」
ルツは精一杯泣き出した。
「……赤ちゃんと会話ができるようにしてくれると魔力に誓っていたから、よくわからないけど待っていたのに……こんな詐欺を働いておいてなお、今度はツルまで泣かせやがって! もう出て行って! このっ! 魔力を冒涜するクズ野郎が!」
それを見たお嬢ちゃんは険しい表情になって少女を力ずくで追い出そうとした。
「パ……パパ! 娘が今大ピンチだよ! 早く助けなさいよぉー!」
はぁ、しゃーないな。
魔力に対して無知だった赤ん坊が遂行できたのは、意図はともかく少女がそばにいたから可能だったことだし。ルツはもう許すことにした。