見知らぬ娘と出会ってしまったおじさん
ルツが魔法暴走を起こしたその日から、彼は両親から事あるごとに監視される日々を過ごした。
現生の母である銀髪碧眼のお嬢ちゃんは中に布を入れたゆりかごにルツを乗せ、日課を送りながらもずっとそばで彼を見守っていた。異世界の知識が皆無なルツから見てもかなり高そうな宝石と装身具にいちいち魔法を付与しながらも、視線だけは常に彼に向けていた。
まあ、こういう親の気持ちを知らないわけではない。 もし自分も目の前で娘の春奈が得体の知らない力によって投げ出されているのを見たら、たぶんこのお嬢ちゃんと似たようなことをしていただろうし。
しかし、いつまでも監視されるままでは困る。
ルツにはどうしてもなすべきものがある。ここで時間を浪費している暇などない。出来るだけ早く世界中の誰よりも強くなって、娘を影から支えるという使命があるからだ。
そもそも自分に残された時間の猶予は、実はあまりないかもしれない。娘がいつ魔王と出会うかは分からないからな。 もしかするとそれは明日にでも起こりうるかもしれない。あと一時間かもしれない。いや、一分かも。
そう思うだけで、果てしなく焦る自分がいた。
だとしても現生の親が見ている限り、修行を続行することはできない。ルツが娘を心配しているのと同じく、このお嬢ちゃんにだって我が子がもっとも大事だろうから。堂々と見ている最中に危険な行動をするのは良心が痛むので到底できっこない。
はあ、やむを得ない。こうなったらもう……うんちするしかない。
非常に不本意だがお嬢ちゃんの視線をウンチまみれの自分のお尻に向かわせて、それを洗ってくれる間に魔法の修業をちょこちょこっとすることにしよう。
そう決心したルツはありったけの力を腹部に集中させ、このままうんちをしようとした。
だが、その瞬間。
「やーだ! パパが汚れる姿、見たくないもん!」
閉まっていた作業場の窓がぱっと開き、小さな女の子の声とともに猛烈な突風が入ってきた。やがてそれは一点に集まるように凝縮され、徐々に人間の形に化けていった。
幼稚園児くらいの背丈。こむらまで伸びた銀色の長髪。染み一つない真っ白なノースリーブワンピース。ぷりっとしたハリのある肌。そして少女の首や腕、裸足の足首には華やかな装身具をつけており、爽やかな笑顔と一緒に部屋中に黄金の光をまき散らした。
そんな可愛い少女が今、ゆりかごの中のルツを見下ろして「パパ」って呼んでいた。
えっ……誰だお前。
こんな娘、前世の妻が生んでくれた覚えはないぞ。
「メィ・ラビッシー⁉ ナインヴェル・オ・ティライト・ルツ⁉」
見知らぬ娘との再会にルツがきょとんとしていたその間、お嬢ちゃんはルツに向かって身を伏せて謎の少女から彼を守ろうとした。
「人の子よ、どうか心配しないでね。私たちだってパパに害をなすつもりは全くないから」
「……カイン・ティライト・ハリベル? ダイン・ブレート・ルツ?」
「うん、魔力に誓って約束するよ。いかなる時でもパパを苦しむような行為は決してしない、と。ほら君だってこの国の民ならその意味が何なのか、分かっているだろう?」
え? お嬢ちゃん……日本語わかるの?
明らかに異なる言語で話していた二人だったが、どうしてか知らないが意思疎通に何の問題なく会話できるように見えた。
「あっ! そうだ! ごめんね、パパ! そういえばパパってこっちの世界の公用語はまだ知らなかったんだね。ちょい待って」
追いつかない状況を目にしてルツが当惑していると、純白の少女が彼に近づいてきた。そしてルツの額に向かって己の手のひらを差し出し、何か高度な魔法を発動しようとした。
「セィメルダ・ヴィンジスト⁉」
「あぁ、大丈夫だって! これ、パパがみんなと話せるようになるだけの魔法だから。君もパパと話したいんでしょう?」
一つ二つ……少女の手のひらで次第に重なっていったその魔法陣は、六番目を最後にこれ以上は増えなかった。
もう何が何だかわからないけど魔法に狙われた以上、生きるためには全力でよけるしかない。ルツはこれ以上自分の身体能力を親に隠すのをやめることにした。そもそも良心とか配慮とか、ひとまず生きていてこそのものなんだし。もしこんなことで娘を陰で支える前に自分が死んでしまうと、もはや本末転倒だ。
よし。相手が油断している。今なら難なく避けられるはず。ルツはゆりかごから遠く離れるため、精一杯足に力を入れた。
「もぉ、パパったら! 子供じゃあるまいし、やんちゃな行動しないでよ。もうすぐ終わるから我慢して!」
だが、そんなルツの計画は一気に胴体を掴まれることで阻止された。なっ……なんてバカ力だ、こいつ。どうあがいてみても身じろぎすらできない。
「あのね、パパ! 少々眩しいと思うから、しばらく目を閉じてね」
そして純白の少女のその言葉とほぼ同時に、光の暴力がルツの目に焼き付かれた。それに対処しきれなかったルツに目玉が取れるかのような痛みが襲ってくる。
「くっ!」
「ルツ⁉」
「だから言ってたのに! パパって鈍すぎ! まぁ、その点も好きだけど! ほら、直してあげるからこっちに顔向いてね」
しばらくの間を漂白剤で真っ白になったかのような世界に一人残されていたルツだが、少女のその一言で視野は急速に回復し始めた。
「ルツ、大丈夫⁉ お母さんの顔、ちゃんと見える? ああ、私のルツ! 痛かったよね。痛みから守ってあげられなくて……お母さんがごめんね」
そうやってルツが光の世界から戻ってくると、いきなり今世の母が自分を抱き上げたまま日本語をめっちゃペラペラにしゃべっていた。
えっ……これ、どういうこと?
疑問に陥った彼はその答えを知っていると思う少女に向かって視線を送った。
「自動翻訳の魔法だよ、パパ!」
すると純白の少女はまるでルツの心を読んだかのようにすぐ答えてくれた。
「実際に読んでいるよ」
マジか。ちっとも揺るぎない瞳で自分に目を合わせてくる少女の顔を見て、ルツはもう納得するしかなかった。しかし、それはそうとしても自分はなぜ少女にパパと呼ばれているのだろうか。少女と親子になった覚えはないんだけど。
「だって私、精霊でありながらパパの子だもん。……はっ⁉ まさか……覚えてないの? あの時……私にあんなことや、こんなことまでさせたくせにっ!」
するとルツの心を読んだ少女は、まるでならず者に身を汚されたかのように体をすくめながらルツを睨みつけた。
いったい何のことを言っているんだろう、こいつ。幼児に向かって変なことを言うなよ。