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故におじさんは「ロスト」された

 腕の中で命が消えていく。


「は、春菜あぁ……何で! どうしてこんな事に……っ!」


「はぁ……はぁ……お父……さん、そこに……いる?」


 誠二郎せいじろうはこの感触をすでに知っている。体の体温がだんだん下がっていく。震えていた声が小さくなっていく。いつも活気に満ちていたその目が曇っていく。


「ごめん……なさい、お父……さん」


 春菜は声が聞こえる方に顔を向けて、誠二郎せいじろうのことを揺れる視線で必死に探している。だが、二人の目が合うことはない。


「このっ……親不孝者め! 親より先に死ぬな! あぁ……春奈はるな! 目をつぶろうとするんじゃねーっ! もうすぐ救急車が来るから何とか耐えておくれ!」


 まるで妻の時のように、誠二郎せいじろうの胸の中で今度は娘の春奈はるなが死に掛けている。


「……ううん、私……死なないんだ……よ? ちょっと……異世界、行ってくる……だけ」


 あるまじき方向へぐらつく右腕。泥まみれになった髪の毛。ひどく破れていた服の傷からは、アスファルトの細粒だらけになった打撲傷が見えていて、そこから絶えず血がにじみ出ていた。


「だから……すぐ戻るから……心配しない……で」


春奈はるなあぁ……っ!」


 誠二郎せいじろうは娘のことを心底まで憎んだ。そんなばからしい言葉を真に受けて、こんな痛そうな傷まで得てなお、死のうともするだなんて。どんだけ親の心を傷つけたら気が済むんだ、このバカ娘は。


「一生の願いだから、父さんを一人にしないでくれ! お前まで失うと、私にはもう……」


「……行って……きます、お父……」


 しかし、誠二郎せいじろうのその絶叫は春菜の耳に届くことはなかった。あの番組で紹介してた少年のように、死を前にした春菜の体もすでに気泡化し始めていたのだ。


 手足の先から頭のてっぺんまで徐々に蛍の光のように化けるその「ロスト」現象は、やがて春菜の頭にも影響を与えようとしていた。それについて誠二郎せいじろうが気づいた頃には春菜の耳はもう半分以上気泡化されていた。


 抱いていた春菜の体がありえないほどに軽くなっていくのを誠二郎せいじろうは感じた。


「……春奈はるな? は、春菜⁉」


 娘が死んだことを実感する隙もなく、そうやって春菜は蛍の群れとなって誠二郎せいじろうの目の前から消え去った。今、誠二郎せいじろうの腕の中に残されたのは、先ほどまで娘が着ていた散々破れた服と自分の手についた血、そして誠二郎せいじろうが一か月前の春菜の誕生日にプレゼントした靴一足だけだった。


「私は……父親失格だ……っ!」

 ボロボロになった服を精一杯抱きしめて、誠二郎は泣きながら自責し始めた。

 願いを叶えるためとはいえ、娘が自殺を決心するほど何かに悩んでいたにもかかわらず、自分には心当たりすらなかったのだ。


 一度だけ……もう一度でいいから自分に機会を与えてほしい。あれほど娘が望んでいたその何かを、次こそ自分の手で叶えてあげたい。


「……誠二郎せいじろう先生……」


「せ、先生! 今、あらゆる所で事故が起きたらしくて、こっちへの救急車も遅れているようです! しかも唯一に酒飲んでないしげるすらショックで運転できる状態でもあるまいし! このままだと時間の無駄ですよ! 俺がおんぶでもするから早く春菜を病院に……っ!」


 それが叶うのなら、誠二郎せいじろうにとってもトラックにひかれて死ぬには十分な理由だった。

 故に誠二郎せいじろうは覚悟を決めた。


「あぁ、一太郎いちたろう。もう結構だ。もう……終わったんだ」


 誠二郎せいじろうは自分に近づいてくる一太郎いちたろうに手に持った服を渡した。その後、トラックの中でハンドルを握って挫折しているしげるの方へと向かってふらつきながら歩いた。


「せ……誠二郎せいじろうさん! ダメっす! 娘を失ったその心情は十分理解できますが、それでもしげるさんを殺そうとしてはいけません!」


 そんな誠二郎の行く手をはじめが遮った。真っ赤になった目でしげるを睨んでいたせいで、はじめ誠二郎せいじろうの意図を勘違いしたのだ。


「違う。私にそんなつもりはないさ。だから、どいてくれないかね」


「すみませんが、それはできません。俺は春奈はるなちゃんのお父さんを……人殺しなんかさせたくありませんので!」


 はじめの言った「お父さん」という言葉が、誠二郎せいじろうの胸を刺す。しかし同時に何もかもすべてを失った出来損ないの親である自分のことを、まだそういう風に呼んでくれる人がいることに嬉しく感じた。


 誠二郎せいじろうは苦笑を漏らしながら、はじめの肩に手を乗せた。


「こんな状況だもんね。はじめくんに信じてもらえないのはしょうがないことだろう。では、こうしよう。今日は私の記念日だったじゃないか。私へのプレゼントと思ってそこ、通らせておくれ」


「こんな事……死んだ春奈はるなちゃんだって望んではいないと思います!」


「なら、力ずくでも通してもらうぞ」


 ずっと話が通じないはじめを、やむを得ず誠二郎せいじろうが振り切ろうとしたその瞬間。


「もういいです、はじめさん。私をかばわないでください」


しげるさん……っ!」


 半分ほど魂が抜けた顔をしていたしげるがトラックから出て、自ら誠二郎せいじろうに近づいた。今にも吐きそうな表情で誠二郎せいじろうの前に立ったしげるは、そのまま腰が折れるかのように深々と頭を下げた。


誠二郎せいじろう先生に許されないことをしてしまい、本当にすみませんでした」


「顔、上げてくれないかね、しげる


「い、いいえ! 私には誠二郎せいじろう先生の顔を見る資格なんて……っ」


 しかし、それは誠二郎せいじろうが望んでる正しい謝罪の仕方ではなかった。


 ……いや、違うな。その表現には語弊がある。そもそもしげるが謝る必要なんてない。春奈はるなは自分の意志で、願いを叶えるため自ら走ってるトラックに身を任したんだ。悔しいけど娘が死んでしまったのは……その責任は自分にある。

 だから、勘違いするな。自分こそしげるに助けを求める立場ではないか。


 そう思った誠二郎せいじろうは、めったに顔を上げてくれないしげるに向かって土下座した。


しげる、どうか……私も娘のように異世界に行かせてくれ!」


「せ、誠二郎せいじろうさん⁉」


 いざとなれば体を張ってでも誠二郎せいじろうを止めようとしていたはじめは、アスファルトに額を当てる誠二郎せいじろうの姿を見て当惑した。そんな誠二郎せいじろうの腕をつかんで、はじめは強制的に体を起こそうとしたんだけど、誠二郎せいじろうはそのままびくともしなかった。


「大抵のことは先ほど、トラックの中ではじめさんに聞きました」


 誠二郎せいじろうのその格好を見たしげるは何かを決心したような表情で顔を上げた。トラックのカギを血が出るまで握りしめたまま、しげる誠二郎せいじろうから背を向いてトラックに乗った。


しげるさん⁉ まさか本気でするつもりっすか⁉」


「ほかでもない誠二郎せいじろう先生の頼みです。当然応じなければなりません。……私に任せてください」


 トラックのエンジン音が聞こえたとたん、誠二郎せいじろうはその場から立ち上がって死を迎える準備をした。もうじき体に迫ってくる大きな苦痛に恐れながらも、自分と同じ過程を踏んだはずの娘のことを想像してみる。すると親としての残念な気持ちと同時に勇気が湧いてきた。


 娘のためなら、なんだって耐えて見せる。自分はあの子の父親だから。


「少々お待ちください」

 トラックのライトを一身に浴びたまま、誠二郎せいじろうが覚悟を決めたその時。健介けんすけは付けていた眼鏡をかなぐり捨てて、誠二郎せいじろうのそばに立って声をかけてきた。


「どうしても行かなければならないのなら、私もご同行させて頂けないでしょうか」


 恐怖で青ざめた顔をしているのにも関わらず、健介けんすけはトラックから目をそらさず誠二郎せいじろうに頼んできた。健介けんすけにとって、誠二郎せいじろうには一生を尽くしても返せないほどの大きな借りがある。故にせめてもの生涯、健介けんすけには誠二郎せいじろうの隣でその借りを返し続ける義務があったのだ。


「そこまでしなくていい。そこまでしなくてもいいんだぞ、健介けんすけ。無理するな」


 それに感づいた誠二郎せいじろうは困った顔で健介けんすけを止めようとした。


「大丈夫です。すでに一度、誠二郎せいじろう先生に惹かれた身です。今更トラックなんかにひかれる程度じゃ、私はびくともしません」


「はぁ? 何バカなこと言ってんだ健介けんすけ


 しかし怯える顔で言う健介けんすけのダジャレに誠二郎せいじろうは思わず拍子抜けしてしまった。もしかすると犬死になるかも知らない決断までしておいてやったギャグとしては、立派なくらい不適切な表情をしていたからだ。


「それに……手の届くところにいないと、いつになっても恩返しできないじゃないですか」


「どうしてもついてくる気か」


「はい。これが私の……願いですから」


 だが、健介けんすけの「願い」という言葉を聞いた誠二郎せいじろうはもはや健介けんすけを止められなくなった。自分もまた、願いのために死のうとしているから。その決意を否定したくなかったのだ。


「だったら俺もついていかせてください」


 そんな誠二郎せいじろうたちの後ろに一太郎いちたろうが立ち止まった。先ほどの対話に感化されたような面持ちで、一太郎いちたろうもすんなりとトラックのライトに身を任せた。


一太郎いちたろうくん? どうして君まで……」


健介けんすけさん、覚えてますか? 博打のせいで妻も娘も家を出て行って俺が絶望していた時、師匠は俺に一歩を踏み出す勇気をくれました」


 腕にかけていた死んだ春菜の服を誠二郎せいじろうに渡し、一太郎いちたろうはぶるぶる震えていた健介けんすけの肩に手を乗せた。

「でもあの時からもう数年が経ってしまい、心の片隅では半分ほど諦めていました。こんなみっともない姿に転落してしまった家長なんかに、二度と戻ってくるはずがないと」


 唇を血がにじみ出るほど力いっぱい嚙み締めた一太郎いちたろうは、やがて熱い息を吐き出しながら充血した目で光の方へと視線を向いた。


「ばかげた話だけどこんなもので本当に家族を取り戻せるなら、俺としては本望です」


「なら君も仕方ないんだね」


「はい、師匠」


 健介けんすけ一太郎いちたろうの両肩を軽く叩き、小さく笑みを浮かべた。おかげで一太郎いちたろうの心は少し楽になった。そうやって二人とも笑って死を迎えることができたその瞬間。


「待ってくださいよ!」


 両手を広げたはじめが、光を遮りながら三人の前を塞ぐ。


「俺だけ仲間外れって、ひどくないっすか⁉」


 よほどのことじゃなきゃ周りの空気に合わせてきたはじめが、一太郎いちたろうたちのことをまるで親の敵でも見つけたかのように睨みつけていた。


「どうしても行かなきゃならないなら、俺も一緒に死なせてもらいます!」


「おい、はじめ! 死ぬという言葉をむやみに吐き出すんじゃねーぞ! 下手すると無駄死になるかも知らないこんなことに、お前の命を軽々しく使うな! お前ってやつはいつになれば大人になるんだ、まったく……」


 一太郎いちたろうは自分の命を軽んじているような態度をとるはじめの胸ぐらをグッとつかんだ。そして、人を放り投げるような勢いで、はじめを光の外へと追い出そうとした。


「そんなの」


 しかし、はじめは抵抗した。

 光の外に引きずられないように、足に力を入れて持ちこたえる。すると片方の靴が脱げた。事故現場に落ちていたトラックのバンパーの破片がはじめの靴下に穴をあけ、アスファルト地面に血をまき散らす。


「そんなの……俺の知ったこっちゃねぇ!」


 なのにはじめは痛そうな様子もなく、かえって自分も一太郎いちたろうの胸ぐらをつかんだ。


「孤児院で育てられて、今まで成り行きで生きてきたから家族の温もりなんか全く知らなかった俺に……こんな温かさを教えておいて! 自分たちだけが願いを叶えるため……俺のことは見捨てにして、遠くへ行こうとするだなんて!」


「だからこそ俺たちとは違って、お前だけはちゃんと生きていくことを望んでいるんだ! なぜそれが分からない!」


「だとしても俺は嫌なんですよ、一太郎いちたろうさん! 止めないでください!」


「三十超えたおっさんがわがままを言うな! いい加減にあきらめろ!」


「そっちこそ諦めろよ! 一太郎いちたろうさんたちを追いかけるのも俺の選択だ! もっと一緒にいたいという俺の願望なんだよ! それを……その気持ちを勝手に踏みにじるんじゃねぇっ! 大人ぶりをしている割には相当大人げないことしているのを自覚しろ! バーカァァッ!」


はじめぇぇぇぇぇえっ!」


 子供みたいに我を張るはじめの頬当たりを、一太郎いちたろうは拳で殴った。彼に殴られたのが非常にショックだったはじめは、揺れる視線を地面に落とした。


「あんたは……そこまでにして俺を止める気かよ」


 その時、一太郎いちたろうは自分の胸ぐらを掴んでいたはじめの手から徐々に力が抜けていくのを感じた。それをようやっと理解してくれたと勘違いした一太郎いちたろうは嬉しいと思いつつ、これでいいとはじめに向かって頷いた。


「ふざけやがって!」


 しかし、はじめはその期待を自らの拳で粉々に砕いた。赤くなった頬の仕返しでもするかのように、熱い息を吐き出しながら一太郎いちたろうの頬を殴りつけたのだ。


「家族とはぐれてそんなに苦しんでいたくせに! 同じ苦しみを俺に与えようとするな! 俺に……俺から家族を奪うな!」


「は、はじめ?」


 自分のことを「家族」って大声で呼びつつ、涙ぐんで睨むはじめの目つきに一太郎いちたろうは当惑した。いつも前向きな性格のはじめがああいう泣き顔をしているのを、一太郎いちたろうは初めて見たのだ。


「お前、そんな……」


 あまりの驚きに「大丈夫か」って言葉すら出てこなかった。


「否が応でもついていくからなぁ! 一太郎いちたろうさんが家族を取り戻せるために死のうとするなら、俺は家族を失わないために死んでみせるからよ!」


「そ、そっか。お前と俺が……家族か」


「って、どうしてバカっぽい顔をしてるんですか、ぷっ! 俺、そんなにおかしなこと言いました?」


 まごつく一太郎いちたろうのその格好悪い姿を見て、はじめはつい笑ってしまう。


「家族みたいな人に一発食らわせるのか、普通」


一太郎いちたろうさんこそ、容赦なく俺の頬を全力で殴ったくせに」


「でもやっぱり、家族としてじゃ無理だな。誠二郎せいじろう先生の娘さんならともかく、俺の娘はまだ十二歳なんだぞ、このロリコン野郎が」


「じゃ将来の丈人ってことで。その時までよろしくお願いしますよ、お義父さん」


「うわっ……気色悪い! やはりお前、ついてくるな!」


「あははっ! 冗談ですよ、冗談」


 口ではそう言っているが、一太郎いちたろうは光が照らす真ん中の方へとはじめを引き入れた。

 そうやって、四人そろってトラックの前に立つと。


「もう準備は終わったようですね」


 運転席からこっちの様子を見ていたしげるが、ハンドルを握ってアクセルの上に足を乗せた。


「では、行きますよ!」


 夜中に鳴り響くエンジンの轟音。段々と大きくなっていく四つの影。

 そして、無数の蛍たちが夜空を明るく輝かせながら飛んで行った。

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