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おじさんはトラック運転手である

「では、誠二郎せいじろうさんの勤続十六年目と連続無事故の新記録更新を祝って乾杯!」


 タバコと油の匂いで包まれた安っぽい店内。そこで四人の中年男性たちが大声で誰かを祝っていた。


「いや、この十六年の間よくある接触事故すら一つもないだなって! どうしたらそうなれるんですか? 俺なんか昨日だって会社のトラックのバンパーにど偉い傷をつけてしまって、給料からチャラにされちまったんですよ、ちくしょう!」


 その中でなら比較的に若く見えるアラサーくらいの男性は、手に持っていたジョッキをドンッとテーブルに置きながら目の前の人を羨望の眼差しで見つめていた。


「おい、はじめ! お前もそろそろ六年目になるんだから、しっかりしろよ。新人社員がなかなか入ってこない業界だからって、いつまでも新人気取りでいるんじゃねーぞ」


「は? それ、一太郎いちたろうさんにだけは言われたくありません! 新人? はっ! 五年前、俺がここで働くことになった初日覚えてますか? その時、一太郎いちたろうさんが社長の車にぶつけたのを当日新入社員だった俺に責任を被せようとしてたじゃないですか! なぁにが新人だ! 最初から俺のことをカモる気で満々だったくせに!」


「お前! そ、そんな昔の話を今更……っ!」


 顎髭にビールの泡を付けたまま驚愕していた中年男性、一太郎いちたろうは自分に歯向かうような態度を取るはじめを上司の立場を使って叱ろうとした。


「まぁまぁ、今日はめでたい日だし、はじめ君も一太郎いちたろう君もそこまでにしてくれないか」


「あ、健介けんすけさんがそうおっしゃるならそうします」


「チッ、おいはじめ! 後で覚えてろよ」


 しかし、それを止めたのはほっそりした身体で眼鏡までつけていてより虚弱に見えた他の中年男性、健介けんすけだった。彼は吹けば飛ぶような外見をしていたが、こう見ても誠二郎せいじろうに次ぐ勤続十四年目のベテラントラック運転手だ。今、酔っぱらって上司に食ってかかっていたはじめも、偉そうに大声を上げようとした一太郎いちたろうすらも、健介けんすけから研修を受けてこの業界に入ってきたのだ。


 故に彼らは恩人兼師匠でもある健介けんすけの言うことには絶対に逆らえない。


誠二郎せいじろう先生、お忙しいところ来ていただいたのに、お見苦しい姿を見せてしまい申し訳ございません」


 そして、その健介けんすけにとって世の中で最も尊敬してやまない存在とは現在、彼らの前で勤続十六年目を迎えた土間どま 誠二郎せいじろうっていう四十五歳の中年男性だった。


「せっかくの休日っていうのに、こんなしょぼいおっさんのために使っちまうなんてねぇ。物好きな奴らだよ、お前ら」


 生え際が後退していて薄く見える前髪。ゴツゴツした顔の骨格。ジョッキを持った手の甲や顔中にできたしわからは長い時の流れが感じられる。しかしそのような外見が決して老けて見えるっていうより、むしろ致命的な大人の魅力を醸し出している様に近い方だった。


「いやいや! こんな時じゃなきゃ誠二郎せいじろうさん、付き合い悪くて話す機会すら滅多にないじゃないですか。俺、師匠の先輩とも仲良くしたいんですよ!」


「へっ! ウソつけ。お前はただ誠二郎せいじろう先生の娘さんとワンチャン狙ってるだけだろ! 下心が丸見えだぞ、クソガキが」


「はぁ⁉ ななな、なっ、何言ってんですか⁉ お、俺はそんなつもりじゃ……っていうか、俺だってもう三十代のおっさんですよ。ガキって何ですか、ガキって! いっそのことクソオッサンで……」


 一太郎いちたろうに本音を読まれて慌てながらもはじめは必死で話題を変えようとした。はじめは知っている。目の前で自分を睨めつけてくる春奈はるなの父、誠二郎せいじろうがどれだけの娘一筋な人なのかを。このままだと殺されちまう。そう思ったはじめ健介けんすけに助けを求める視線を送る。


誠二郎せいじろう先生。こいつ、去勢しましょうか」


「信じてた健介けんすけさんまで⁉ か……勘弁してくださいよぉー!」


 しかし、健介けんすけ誠二郎せいじろうに害となるものには普段とは違って非常に冷酷になる。それは数年一緒に働いた職場の同僚のことになっても例外ではない。


「まぁ、実際にうちの娘に手を出したわけでもあるまいし。鋏は「まだ」要らんだろう! アハハッ!」


「痛っ⁉ そうはおっしゃいますけど、今俺の背中を思いっきり叩いていらっしゃるんですが⁉ しかも誠二郎せいじろうさん、まだって言葉にだけやけに強調してません⁉ マジで怖イッス! ほんまにやめてくださいよぉー!」


 はじめは自分の背中を叩きながら豪快に笑う誠二郎せいじろうから恐怖を感じた。ひりひりする痛みに酔いが一気に冷めたはじめ誠二郎せいじろうたちの目をそらすために、店の古いテレビを指差した。


「あ、そういえば今日、五年前にトラックにひかれて死んだのに死体ごと消えたあの男子中学生が、ライブのバラエティー番組に出るらしいですよ! ほら、俺がこの業界に入ってから間もないころに起きたあの謎の事故の被害者のこと!」


 天井の隅っこに取り付けられていたテレビの画面には、はじめが言っていたあのバラエティー番組がちょうど放送中だった。


『それでは、皆さんがお待ちしていたあの噂の少年の出番です! ささ、中にどうぞ!』


「死者を冒涜するにもほどがあるだろうに。不愉快な番組ですね」


 はじめが指していたテレビを見た健介けんすけが眉をひそめて不快感を露にした。


「た、確かに健介けんすけさんの言う通りですが! あれ、もしかすると本物かも知れませんよ」


 そんな健介けんすけの空っぽになったジョッキを代わりに持ち上げて店員に目配せでビールを注文しながら、はじめは興味津々な目つきで健介けんすけにそう答えた。


『この少年! 実は病院の中で死亡宣告を受けたが、その遺体は気泡化して両親の目の前で消えてたーっ!』


『まさに「アンビリバボー」ですね』


『この「ロスト事件」について五年も経った今も、世界各地の科学者たちが様々な論文を書いているが未だに未解決! そんな世界レベルの非科学的な現象を今日! 「アンビリバボー」が暴いちゃいます!』


 バラエティー番組特有の派手なナレーションとともに、大学生に見えるとある男がテレビ画面に映った。幼い顔にキラキラ輝く澄んだ目をしていたので、彼の見た目は少し未熟に見える。


 しかし、少年の体をよく見ていると、すぐにでもボタンが弾けそうにシャツの胸の部分がピンと張っていた。その身体に躍動する生命力は、決して五年という短期間では作れない一種の作品のような状態だった。


 なのでビフォーアフター写真で五年前の頃と今を比べると、少年の顔はそこそこ似ている部分が多いけど身体のことはまるで別人になっていた。


「でもさ……あの少年のことなんだけど。妙に印象違くねーか? 昔と比べて」


「おぉ、一太郎いちたろうもそう思ったのか。私も同感だ。あれはまるで……別人だな」


 それに気づいた誠二郎せいじろう一太郎いちたろうは疑いの目でテレビ画面を見つめた。その二人の反応を見て健介けんすけはより怒った顔で、軽蔑の視線を少年に向けていた。


 ……まずい。娘の話で少し険悪になった雰囲気を変えるためテレビを指したのだが、これでは本末転倒だ。そう思ったはじめは店員からビールいっぱいのジョッキを受け取り、それを健介けんすけに渡しながら話をそらそうとした。


「ま、まぁ……倫理的に思えば最低な番組なのかもしれませんが、別に俺たちとは関係のない話じゃないですか! しかも今日はめでたい日なんだし、細かいことは気にせずに楽しましょうよー! ささ、健介けんすけさんももう一杯どうぞ!」


 そう、これは彼らにとって関係のない話に過ぎない。売れるために故人まで凌辱する芸能番組なんかに本気で怒っても何一つも解決できることはない。ただ時間の無駄になるだけだ。


 それをはじめは骨身にこたえるほど理解していた。


 そもそも、皆が不快感を覚えるだけならお勧めしたはじめにだっても面白くない。故にテレビの中の少年のことはもうどうでもいいっていう表情になったはじめは、そのままジョッキの持ち手を握ってビールでも飲もうとした。


『えーと。ここで一つ、質問ですが!』


『あ、はい』


『気泡化されて消え去っていたこの五年間、あなたは今までどこで! どうやって生き延びていたんでしょうか!』


『異世界です』


『……は?』


『トラックにひかれると異世界に行けるんです』


「ブーッ! ト、トラック⁉」


 突然の少年の現実離れした発言によって、はじめは向かい側に座ってた誠二郎せいじろうの顔面に向かって口に含んでいたビールを勢い良く噴出してしまった。


「うわぁぁあぁぁーっ! 誠二郎せいじろうさんの顔が⁉ あの……す、すみません!」


「おい、はじめ! 誠二郎せいじろう先生に何やらかしてんだよ。まったく……だからお前はいい年してもガキなんだよ」


誠二郎せいじろう先生、私のおしぼりも使ってください」


 はじめは自分の失態に深々と頭を下げていた。そんな彼のことを一太郎いちたろうはため息をついて睨み付ける。誠二郎せいじろうの隣に座っていた健介けんすけは後輩たちのおしぼりを手に取り、ビールが誠二郎せいじろうの服に染みつく前に汚れを叩き出し始めた。


「いや、見事な噴出だったなぁ。少し暑かったのに、涼しくしてくれてありがとう」


誠二郎せいじろうさん……っ!」


 おしぼりで顔を拭きながらはじめの過ちをかばった誠二郎せいじろうは、憧れの視線を自分に向けるはじめをかろうじて知らんぷりをしてテレビの中の少年に集中することにした。下手すると自分たちの仕事にも影響があるかもしれない話だったので、念のためにでも気を使う必要があると誠二郎せいじろうは判断したのだ。


『……じょ、冗談も休み休み言ってください! この番組の視聴者層にはお子様たちも含まれているんです! こんな悪ふざけを子どもたちが真似でもしたら、こっちはもう始末書じゃ済まなくなるんですからねっ⁉』


『えー? 冗談じゃないんですが』


『冗談じゃないなら一体何なんですか、その姿勢はっ⁉』


 司会者は番組に対してふざけた態度をとる少年にイラつきながら、手に持ったカンペを思いっきりくしゃくしゃにした。その合図を見たアンビリバボーのスタッフたちは舞台から少年を引きずり下ろそうとした。


 背中にSTAFFと書かれた黒いTシャツを着ていた彼らは、ライブ放送の異常事態に備えて放送局から用意しておいたプロのボディーガードたちだ。普通の大学生が相手なら三秒だけでも完璧に制圧できるほど、腕には自信がある警護の専門家たちだった。


『お前ら、邪魔するな』


 そんな彼らが、少年のその一言で一気に投げ出された。

 まるで見えないトラックにでもひかれたようにあっさりと。

 真っ正面から少年を映っていたカメラのアングルさえも、その勢いに耐えられず後ろの方に倒れていく。


「あれは……一体……」


 その瞬間、誠二郎せいじろうは見てしまった。倒れていくカメラにチラッと映られた少年の手の裏に、いくつかの幾何学的な原型の模様たちがお互い重なっていたことを。


「あの……誠二郎せいじろうさん、どうしたんですか? そんな真剣な目でテレビを見つめて……って、あれ、いったい何があったんですか? 放送事故?」


 ビールまみれになった誠二郎せいじろうにだけ気を使っていたせいであの場面を見られなかったはじめたちも、誠二郎せいじろうの真顔でようやくその異常事態について認知した。


『あーあ、聞こえてますか、皆さん』


 少年は倒れていたカメラを持ち上げて、すぐ自分のことを映し始めた。


『皆も何か願いことがあるなら、僕みたいにトラックにひかれてみるといいよ! 異世界に行って、魔王さえ倒せばあの女神様がどんな願いも叶えてくれるんだよ⁉ 今、無数の異世界たちが未曽有の危機に陥ったらしいから、いっぱいチャレンジして己の願いを叶えよう!』


 そして、その言葉を最後にて、少年は幾何学的な模様の中心部から紅炎の剣を作り出して、持ち上げていたカメラのレンズに向かって思いっきりそれを突き刺した。すると黒地に灰色の波が打つようなノイズが入った画面がテレビに送信された。


 そのまま十秒以上が経過した後、やっとテレビの画面に「申し訳ございません」と書かれた表示板を手に持ったウサギのキャラクターが現れた。


健介けんすけ、緊急事態だ。今すぐ社長に連絡してくれ。後、一太郎いちたろうはじめには休日出勤した奴らの連絡先をラインで送ってやるからそっちを頼む。俺は休んでる奴らと他の部署の人たちにも話しておくから」


 これは炎上マーケティングの一環としての演出なんかじゃない。紛れもなく放送事故だ。


 誠二郎せいじろうは各部署に連絡を回しながら思った。異世界とか願いの話が本当かどうかは別として、少年がしたあの発言によってこれから起こるかもしれない可能性たちについて。


 これにて全国の物流の機能が麻痺されるほどの大きな問題が生じるだろう。


 しばらくの間、食料品の輸送に支障が出るかもしれない。

 となると独居老人の方々に適時に食事を提供できなくなる。これは意識されない程度で彼らの生死を確認するために始めた会社でのボランティア活動だったが、ややもすると事態が長引けばそれもできなくなる。

 すると彼らは部屋の中で一人でお亡くなりになったまま放置される、という悲惨な最期を迎えることにもなるだろう。


 もちろん、一般人にだって生活に支障が生じるはずだ。


 トイレットペーパーが足りなくてお尻が拭けない。

 コンビニ弁当が一つも置いてない。

 店にはお酒や食べ物が全部品切れになっていて注文できなくなる。

 やがて足りなくなった生活必需品を得るために、犯罪を起こす奴らも出てくるだろう。

 その他にも一々語れば語り切れないほどたくさんの問題たちがある。


 しかし、それすらもまだ氷山の一角に過ぎない。


「あ、しげるさんですか? 俺、はじめッス。休日出勤お疲れ様です。実は今、大変なことに……って、今、なんて……?」


 誠二郎せいじろうがトラック運転手の立場だった故に、想定できなかった重大な問題も残っている。


誠二郎せいじろうさん! た、大変ッス! は……春奈はるなちゃんが……誠二郎せいじろうさんの娘さんがしげるさんのトラックにひかれたそうです!」


 これはトラックにひかれる側の命もかかった問題、っていうことを。

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