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悪役令嬢は聖女です  作者: 竹冬 ハジメ
13/14

聖女とは

(ここは…どこかしら…)

 袋に詰められて運ばれたので分からないが、まだ街の中のように思われる。

 馬車では移動してないからだ。

 どこかの地下倉庫だと思われる場所に腕と足を拘束されたまま転がされたが、どう見ても邪教のアジトだった。壁際には簡素なテーブルが設置され見たことがないシンボルのタペストリーが掛けられているし、魔獣の骸骨なんかも捧げられている。

(魔石じゃなくて蝋燭だわ)

 換気は大丈夫かしら、と思うが炎が揺らめいているので大丈夫そうだ。

 薄暗い中ついてきてしまった聖獣が首元で震えている。

「大丈夫よ」

 頬ずりをすると聖獣もすり寄ってくる。

 その温かさがあることで緊張が少し解けた。

 周囲には乱雑に箱が積み重なっており、床には何かの魔法陣。そこから嫌な空気が漏れ出ている。

(生贄かしら…?)

 今さら魔王を呼び出そうと言うのだろうか。

 魔王は体がないと、いくらこの身を切り裂いても誕生しないというのに。

(それとも、魔王が出現した…?)

 しかしアルフィ司教は魔王が誕生する程の強い瘴気は発生していない、と言っていた。

 という事は、やはり自分を生贄に何かを喚び出すつもりだろうか、と考える。

「あら?」

(スカートの裾にマーカーがあるわ)

 魔力でつける目印のようなものである。

 隠れても、煙幕を張られても攻撃魔法が使える的のようなものだが、魔力には見覚えがあった。

(ヘンリー君ね)

 魔法の授業でいつもレオと張り合う子だから覚えている。エレンがいつも謝ってきていた。

(別に構わないのだけど…身分というのは厄介ね)

 そういう世界なのだから仕方ないが、どうにも話し辛い。

 エレンに相談したことがあるが、貴族は領民を豊かにすることで還元してくれるから、贅沢したり偉そうにしてていいのよ、と言われてしまった。

 領地を好きにしていいって言われても私たちじゃ出来ないしね!と笑っていた。

(責務、か)

 自分に課せられたのは魔王復活の阻止、そして皆のハッピーエンドである。

(こんな所で捕まってる場合じゃないわ。逃げないと)

 しかし少しばかり考えすぎてしまったようだ。数人が階段を降りてくる音がする。 

 なんとか上半身を起き上がらせ、木箱に凭れると先頭でランプを持った神官服を着た男が驚愕に目を見開くのが分かった。

(…?)

 視線の先は、首元。

 声を発したのは男の背後に居た黒いローブを着てフードを目深に被った者たちだった。

「おお!これはいい」

「でかした。聖女と一緒にいるというのは本当だったようだな」

「聖獣だ。良い贄が手に入った」

「いや、まだ目覚めていない」

 口々にそう言い、祭壇のタペストリーに独特な形で手を組み祈っている。

「まさか、そんな」

 耳障りな祝詞の中、神官が呻いた。

(…聖獣はルーナ教の経典にも出てくるから…)

 今更ながらに事の重大さに気がついたらしい。

「さぁ、贄を」

(えっ!?もう?)

 こういう時はもっと長い儀式が必要なんじゃないのか。

 短刀を片手に男が進み出てきた。

「苦しまずに一刺しで」

「苦しませたほうがいいのでは?」

 余裕のある声音でイアンナの制服の襟を掴み魔法陣の真ん中へ引きずり出す。

 首元で聖獣が威嚇するが、彼等には供物にしか見えてないようだ。

(ダメだわ。魔封じの魔道具かしら)

 念じても魔法が発現しない。

(チロル、逃げなさい)

(ヤダ!!)

 猿ぐつわで声が出せないので念じてみるが、拒否の言葉が返ってきた。

 蝋燭の明かりに短刀がきらめいた。

(…レオ)

 イアンナは目をぎゅっとつぶる。

「我らの神…ルファリース様の糧となれ!」

 ふわりと体が浮いて、次に背中に痛みが走った。

(いっ…)

 投げられたような感覚だ。

 しかし、胸元に痛みはやってこない。

 おそるおそる目を開けると、イアンナから少し離れた…先程まで彼女が居た場所に神官が倒れていた。

 瞬間、怪しく黒色に光る魔法陣。

「なんだと!?」

「これっぽっちの魔力ではダメだ」

「いや、それでも顕現が…」

(なにか、来る)

 魔法陣からスッと角が出てきた。

 そのはずみで神官がイアンナの元へ転がってくる。

(背中に刺し傷…早く治癒魔法を唱えないと)

 しかし魔封じの道具もあるし、何より手足が拘束されている。

「おお、おお、来られるぞ」

「大丈夫か?魔力が足りないのでは…」

「顕現を邪魔してはダメだ」

「奴らは後回しだ」

 黒ローブの男たちの興味は完全にこちらから逸れているから、やるなら今だ。

(チロル、このロープかじれるかしら?)

(ヤッテミル)

 イアンナは神官に向かって小声で言う。

「もう少し頑張って」

 表情は逆光で見えないが、息遣いが荒い。

 魔法陣の方は、何かが出てこようとしているが窮屈そうだ。時間が掛かっている。

「大丈夫だ、これなら」

「中級程度ではないか?」

「平和な王都をかき乱すくらいなら出来るであろう」

「我らもいるのだ」

 喜びの声を上げる彼等だったが、次の瞬間、それは悲鳴に変わった。

「ひぎゃぁぁぁ!!??」

「ぐあ!!」

「か…は…っ!!」

「うぐっ」

 そして低い低い、幾重にも音が重なったような音が響いた。

『願いを叶える、対価だ』

 黒ローブの男たちは次々に倒れた。

(…魔力じゃないわ、命を食べてる)

 イアンナはゾッとした。

 もう既に毛むくじゃらの片腕と、鋭い爪のある長い指が見えている。

(チロル)

(ウン)

 足の拘束を齧り取ってくれた。次は腕だ。

「!」

 神官が震える手を伸ばし、イアンナの背中側にある腕に触れた。

 すると、腕の束縛が無くなり魔力の拘束も無くなった。

「にげ、ろ」

 力尽きたように腕をぱたりと落とした神官に向かって治癒を唱える。

 傷は治したが彼の魔力は完全に失われ気絶していた。

(運ばないとっ)

 推定・魔神はまだ片腕だ。

 <ヒカコイ>ではこんな事になる前に攻略対象者が迎えに来てくれる。

 実際はもっと大きな場所でやらないとダメだったのね、と思いつつイアンナは神官を担いで静かな動作で階段へ向かった。

(チロル、結界張れるかしら?)

(魔力アル、デキル)

 イアンナが魔力を渡すとチロルが透明な結界を張った。

 それだけで呼吸が楽になる。

(あれが瘴気なのね)

 今更になって震えが来て足元が覚束ないが必死に歩いていると、耳元で声がする。

「置いて、いけ」

 イアンナは首を横に振る。すぐに前を向いて歩き出した。

(このような娘を…生贄に捧げようとしたのか…大神官も…。ルーナ教とは…いや、神聖王国とは一体、なんなのだ…)

 神官…いや、元神官は自分を呪い、祖国をやっと疑い始めた。

 そして萎えた四肢に力を入れてなんとか足を着くと、支えられながら階段を上がり扉を開ける。

 背後を見れば、片腕を地につき残りを魔法陣の外へ出そうと躍起になっている魔神の姿。

「さ、早く行きましょう」

「あれは…」

「分かりません。ですが、魔王ではないようです」

 正直に言えばアレの魔力は自分より全然少ない。

 視線を断つように扉を閉めて薄暗い屋敷の中を、淡く光を発する聖獣の姿を頼りに歩いて外へ出る。

 屋敷の荒れ果てた庭園を歩き続け、枯れた噴水のところまで来ると神官を凭れかけて座らせた。

「ここがどこか分かりますか?」

「…王都の外れです」

 その言葉にイアンナはホッとする。それくらいの範囲なら、彼が来てくれる。

「レオ…」

 星の見えない、暗雲が立ち込める夜空に祈りを込めるが邪魔をするように屋敷が吹っ飛んだ。

「!!」

 半壊した屋敷の一階部分に、先程見た腕の大きさとは段違いな大きさの魔神がいる。

 頭は二階の天井を突き抜けていた。

 山羊頭に角、黒く巨大なコウモリのような翼に、尾は蛇。うっすら燐光を放っている。

 前世の世界で言う悪魔のオーソドックスな姿だ。

「いえ、魔神ではないわね。魔獣かしら」

 強い光を宿した目を向けている令嬢に、元神官はギョッとなる。

 あの恐ろしい姿を見てただの魔獣と発言するとは。

「チロル、アレの周囲に閉じ込めるような結界をお願い」

「ウン!」

 魔力を渡して魔獣の周囲に結界を張るが、やはり数人の命を糧に顕現した魔獣だ。易易と結界を跳ね除けてしまう。

 次々生み出される結界の破壊を繰り返し、魔獣はじわりじわりと前進してきた。

(…あんなのが王都に向かうと大変だわ)

 思い浮かぶのは、皆の姿。

 父も母も兄も健在で、今度、弟が生まれたのだ。

 王も、王妃も生きている。<ヒカコイ>には存在しなかった王女たちも生まれた。

 攻略対象者たちも既に攻略対象者ではない。

 それぞれが己の進む道を選択して歩んでいる。

 もちろん、ヒロインではない伴侶を既に決めた者もいる。

(それに…)

 危惧していたヒロインだが、彼女も幸せそうに学園生活を送っている。

 せっかくここまで来たというのに。

 これが世界の自浄作用なのだろうか。

(みんなを、悲しませたくない)

 最後に思い浮かぶのはレオだ。小さな頃から自分の側で守り続けてくれている。

(レオがずっと守ってくれていた、私も)

 断罪や魔王によって失われるはずだった…しかし生きているこの命を、無駄にしてはいけない。

「チロル。魔力を全部あげるわ」

 聖獣は驚いたように虹色の目を見開いた。

「ナンデ!?」

 もうこれしかないと、イアンナは言う。

「あなたは聖獣だけど、まだ目覚めてない。たくさんの魔力があれば真の姿になれるわ」

 <ヒカコイ>の中ではヒロインから膨大な聖力を得て真の力に目覚めるのだ。

 真剣な気持ちが伝わったようだ、チロルは伝える。

「アン、マホウ、ツカエナクナル」

「いいわ。この魔力はきっとそのために…私が持って生まれたのよ」

 魔王が居ないこの世界で、魔力を必要とする意味をずっと探していた。

 今しかない。

「…ワカッタ」

 一際分厚い結界を張ると、チロルがイアンナの額に額を充てる。

 小さな角が白く輝いた。

(何をするのか…)

 元神官は固唾を飲んで見守っていると、少女の中の膨大な魔力が聖獣へ移るのを感じる。

 背後ではミシミシと音を立てて結界が破られようとしていた。

 狼のような、牛のような、サルのような声だけが夜空に響き渡る。

(あと少しだが、間に合うか…)

 しかし無情にもガラスを突き抜けたような音がした。

「危ない!!」

 ついでに残っていた屋敷の屋根を吹き飛ばしたらしい。

 魔力の受け渡しを続けるチロルとイアンナに破片が迫ったその時。

「!?」

 ゴウッと強い風のような物が通り過ぎて、身が浮いたと思ったら既に噴水から離れた場所にいた。

「間に合った〜…」

 ヘンリーが肩で息をしている。

「引き寄せ、練習しておいてよかった!」

「2人は重い…」

 どたりと尻もちをついたヘンリーの頭をエレンが撫でる。

「皆、少し下がれ!魔道士隊、結界展開!」

 第二王子が号令を掛けると、瓦礫の降る中、魔道士隊が結界を張り始める。

「無理はしないで下さい。私は殿下の護衛を致します。皆さんはあちらへ専念して下さい」

 そしていつも彼の側にいる娘は、王子の周囲に結界を張った。

「…あら?…レオ!」

 イアンナはいつの間にか、たくましい腕の中にいた。

 青い瞳が心配そうにこちらを見ていた。

「まったく無理をする…」

「オソイ!」

 聖獣がレオの頭をポカポカと叩く。

「しょうがないだろう。強い結界でアンが見えなかったんだ。ヘンリーのマーカーじゃあ弱すぎて…」

 見えるようになったのは少し前だ。

(魔封じの道具のせいね)

「もう大丈夫よ、レオが来てくれたから」

「当たり前だ」

 ホッとしたようにレオはイアンナの額に額をつける。

 その様子を少し離れた場所から、血に目を回しつつ治療にあたっていたシャルルが見ていた。

 魔王様覚醒!?キタコレ!!と思いヘンリーとエレンに無理言って連れてきてもらったのだ。

(イアンナ生きてるし…魔王様いないじゃん…)

 魔獣は大きいし騒がしいし怖いが、魔王でもなんでもない。

 なぜだか悪役令嬢とその騎士のイチャラブを見せつけられている。

 やっとじっくり見ることのできた騎士は、野性味があるものの非常に美しかった。

(見ると睨まれるしなぁ。でも、あれって…)

 イアンナの黒い髪にレオの山吹色の髪が映えている。

(魔王様の、髪…?)

 魔王の髪は黒く長い髪に、先が黄金色だ。

(いやでも、目の色違うし)

 そして2人の瞳は赤と青。混ぜれば…魔王の瞳である紫だ。

(いやいやいや。魔王様はもっとヤンデレでひょろくて青白くて!)

 だいたい彼がそうなら悪役令嬢と恋仲になってるのがおかしい。

 攻略に躍起になりすぎて、目がそう処理してしまっているのかもしれない。

(ダメだ、疲れてる。やっぱ夏休みはそっこー領地に帰ろう。…ん?)

 イアンナの周りを飛ぶ聖獣が光っている。いつも光っているが、それよりも強い。

「あら?チロルどうしたの」

「ボク、オオキクナル!」

「えっ!?」

 そう言えば魔力を渡している最中だった、と気がついたがもう成長の必要な量に達したらしい。

 明滅しながらチロルは皆から少し離れると、ぎゅっと体を丸めた。

(あ…私の中の、核がない…?)

 魔力はあるが重いような質量の塊がない。レオは気がついたようだ。

「アンの中にあったやつが、あっちに移動してる」

「だ、大丈夫かしら?」

 自分の中にあったのは魔王の核だ。聖獣の中に入って大丈夫なのだろうかと思いつつ見守っていると、ズモモモモモモ…とチロルが膨れだした。

 <ヒカコイ>の聖獣は、美しい狼のような姿になるのだが。

「なにあれ!?」

 シャルルもギョッとして見ている。

「あらら?」

 ちょっと違う、と思いつつ魔獣よりも大きい屋敷サイズになったチロルを見上げる。

 ほぼ元の姿のまま巨大になったようだ。

 魔力は聖と魔が半々。聖獣とは違う生き物なのかもしれない。

 そんな事をイアンナが考えていると、チロルがむくりと起き上がってファイティングポーズを取った。

「アイツ、タオス!」

「えっ!?」

 聖獣って戦う存在だったっけと思ったのは一瞬で、チロルは飛び上がると、ブン!と丸い手足を振り上げて魔獣を結界ごとベシン!と叩いた。

 辺りに盛大な破壊音が響き渡る。

「えっえっ」

「嘘だろ!」

 ヘンリーも目を剥いている。

 煙を巻き上げる屋敷からチロルは手を離した。

 ひらり、と何かが落ちていく。

「…行ってくる」

「ええ、気をつけて」

「ジョシュア殿下、どうなりました!?」

 レオが慌ててイアンナを腕の中からおろし背後から駆け寄ると、ジョシュアが半笑いで振り返る。

「…邪な魔力が、なくなった…」

 ヘンリーが声を上げる。

「ちょっとオレ見てくる!」

「あ、待ちなさいよっ」

 ヘンリー&エレンが風魔法で飛んでいくと、何かを拾い折り返してきた。

「さっきのヤツって…コレか?」

 ヘンリーが差し出したのは、ペラペラになった魔獣の姿。

「マリョク、ゴチソウサマデシタ」

 ペコリとチロルが頭を下げて合掌している。

 いつもイアンナが食後にしている所作だ。

「これ、どーすりゃいい?」

「イラナイ?タベル」

 チロルが事も無げに言うとヘンリーの手からパクっと魔獣を口で受け取り瞬く間に飲み込んでしまった。

「うそっ!?」

 エレンが青い顔で見上げる。イアンナも真っ青な顔で見上げた。

「ち、チロル!食べても大丈夫なの?お腹痛くない!?」

「ダイジョウブ」

 お腹いっぱいになったようで、膨れた腹をさすっている。

「ええ…後でお腹壊さないといいけど…」

 これまではパパッと治せたが今は自分の中にある魔力の質と量が分からない。なんとなくだが、レオよりも少ないように思われた。

「コレが聖獣…?」

 いつの間にか隣に来たシャルルがチロルを見上げている。

 知性とか優美とか、そういう言葉が似合ってたはずの聖獣ではない。

 モフモフであったかそう、というのが正直な感想だ。魔獣を食べるようには全く見えない。

「あ、あんた怪我してるじゃん。手、出して」

「自分で…」

「アレに魔力渡したんでしょ?あんまり使うと気絶するわよ」

「はい…」

 素直にシャルルに腕を出すと拘束のせいか手首が赤黒くなってしまっていた。

 その様子に顔をしかめながらも、彼女は治癒魔法を唱える。面倒だったのか見たくなかったのか、その光は全身を包んで治療を行い、イアンナは体が軽くなるのを感じた。

「ありがとうございます」

「…別に。制服汚れてるわね」

 青い顔で制服の染みを見ると、浄化魔法を唱える。

 魔法制御を習い、最近使えるようになったものだ。

(…こんな目にあったら、私なら倒れて何も出来ないな)

 考えないようにしているが、染みは血だろう。

 邪教誘拐のイベントは、聖獣覚醒イベントでもある。生贄になりそうになったところで聖獣に力を授けて覚醒させてアジトを吹き飛ばす。もちろんその後にヒーローが助けに来てくれるが。

 イアンナは攫われて殺されかけて、騙された神官を助けて自力で脱出して。

 その後はヒーローを待っていればいいのに、魔獣を倒そうと自分のチートである魔力を聖獣に渡した。

 自分にはそれが出来るとは到底思えなかった。

(攻略から逃げてたくせに、なんで攻略しようとしてたんだろう)

 本気で攻略するなら、男爵が探しに来るまでひっそりと下町で暮らしていればよかったのだ。

 ようやくシャルルは自分の行っていた矛盾に気がつく。

「分相応、か。…ほら、染み無くなったわよ。…なに?」

 イアンナがとても嬉しそうにこちらを見ていたからだ。

「分相応って言葉…やっぱり貴女は転生者だったのね?出身はどちら?」

「はぁ!?」

 なぜその言葉を知っているのか。

「私は神奈川県の横浜出身なの!」

 見た目は悪役令嬢の姿から、まったく似つかわしくない言葉が飛び出た。

「えっちょっ、まさかあんたが」

「アン、そいつから離れろ」

「レオ!」

 公爵令嬢から危険分子と言われていたため、レオが2人を遮る。

「ごめんなさいね、また今度!」

「……!?」

 混乱しているシャルルを置きざりにし、レオはイアンナを連れてジョシュア王子の元へ行く。

 魔道士達は下がり、騎士が瓦礫を片付け始める作業へと移っていた。

「い…一件落着、か?」

「いやまだ、残党がいる」

 ヘンリーの言葉にジョシュアが男を見下ろす。元神官の男だ。

 男はすぐに懺悔した。

「…その御方を攫ったのは私です。邪教の者と手を組んで…愚かな行為でした…」

「ですが、あなたは私を助けてくれました」

 イアンナは慌てて弁護するが、男は首を横へ振った。

「聖獣が守護する乙女と知ったからです。…聖女を救えた事は我が身の誇りです」

「…聖女ではありません」

 近くには本来の聖女であるヒロインもいる。

 居心地が悪くなり言うが、傍らには真の力に目覚めた聖獣もいる。今は元の大きさに縮んでイアンナの肩に収まっていた。

「どう見ても聖女でしょう。わたくしも証人ですわ!」

 ここにいる全員も、とジョシュアの傍らにいる娘がにこやかに言う。

 う、とイアンナが詰まっていると、レオがため息と共に告げた。

「もう逃げられそうもないな、アン」

「うう…」

 そうして邪教集団による魔獣召喚騒動は幕を閉じた。


◆◆◆


 その後、現場は騎士団長が引き継ぎ少年少女たちは学園へ馬車で送り届けられた。

 もちろんシャルルも同じである。

 現場にて治療を行ったという事で、報奨が後日贈られる事になった。

(別に報奨なんていらないのに)

 欲しかったのは聖女の称号だが、今となってはそれもいらないと思ってしまった。

 最後に馬車から降りた彼女を待っていたのは、商人の息子だった。

 彼女に目を止めたとたん、緑の目が潤む。

「シャルル…良かった」

「あー…ごめん」

 彼は商人なので、そこまで魔力も武力も高くない。

 危険な上に自分には瀕死状態を解消するまでの聖力がない、と思って同行を断ったのだ。

「心配したぞ」

 真っ直ぐに目を見られて、つい逸らしてしまう。

「なによ、野菜が採れなくなるからでしょう」

 そのいつもの憎まれ口にルイスはホッとしたようだ。

 泣き笑いのような顔でニッと笑ってくれた。

「まぁな」

 その笑顔を見て、自分にも待ってくれてた人がいた、と少々嬉しくなった。

 という事は、部屋でマチルダが祈りながら待っている事だろう。

 早く顔を見せないと、と思った。

「…疲れたから寮に戻るわよ」

 ルイスの横を通り抜けて歩き出すと、彼がポツリと言った。

「戻ってこなかったら、どうしようかと思った」

「!」

 背中に温かいものがあたり、体が大きな腕で包まれる。

(ばばばばばばっくはぐっ!?)

 耳元には吐息が感じられて、だるさが吹っ飛び、頭が真っ白になった。

 上から覗き込まれて、口をはくはくしているとルイスは愛おしげに自分を見てフッと笑った。

「!?」

 その破壊力抜群な色気のある微笑みに何も言えないでいると、ルイスがすり、と頭に頬を擦り寄せた。

「…今日は諦めるよ。それに、たぶん城に呼ばれるだろうからな…そのあとで、話したい事が、ある」

 落ち着いた低い声で言われて、心臓がはちきれそうにバクバクしている。

「わ、わ、わかった」

 体を離したルイスの顔が見れずに下を向きながら言うと、オデコにキスをされた。

「!?」

 思わずガバっと顔を上げると、ルイスはニヤリと笑った。

「これで我慢する。戻ったら教えてくれ」

 そのまま振り返らずに去るルイスを、シャルルは混乱した頭で見送ることしか出来なかった。

 それからどうやって部屋まで戻ったか記憶はないが、扉を開けるとマチルダが泣いて抱きついてきた。

「公爵令嬢様がらの使いに教えられで…祈ってまじだぁ…!!!」

「ご、ごめんごめん」

 マチルダは規定の言葉しか言わないモブではないのだ。心配するのは当たり前だ、と当たり前のことに気がつく。

 そのまましばらくなだめていると、ようやく涙が引っ込んだマチルダが顔を拭いて笑顔で言う。

「これ、全てルイス様からですよ」

「え!」

 軽食やお菓子、花、良い香りのポプリなどがたくさんテーブルに並べられていた。

 先程の事を思い出して、顔に熱が集中する。

「あれ…いつの間に、攻略、してた…?」

 マチルダは笑いながら言った。

「そうでしょうか?…お嬢様が攻略されたのでは?」

「へ!?」

 そして思い出したのは、先程のバックハグ。

「ふわぁぁぁぁぁぁ!??」

 脳が許容量を越えて沸騰する。

(いや!そりゃ!べつに!イケメンですけども!!!)

 攻略対象者だから、顔がいいのは当たり前だ。

 商人の息子であるルイスは、その中でも柔らかい印象の大人の女性受けのする男の子だったが。

(あれ、男の…子?)

 乙女ゲームによくある設定だ。細そうに見えて実は筋肉がある。 

 胸板がそこそこあったのを思い出して更に顔に熱が集中した。

「ヒロインだからって…別に、誰かを攻略しなくてもいいんですよねぇ」

 マチルダが追い打ちをかけ始める。

「侯爵令嬢様だって、第2王子殿下の婚約者でもありませんし…」

「そ、そうだけどっ!」

「それに、ルイス様なら。…王宮、王政に縛られることもなく自由にできますし、裕福でもありますよ?」

 商人の次男だから家に縛られることはなく、領地もなく、もちろん自由だ。

 心配している自分の領地にだって帰れる。むしろ、婿に取れば。

(む、むこ!?)

「うごぉぉぉぉぉっっ!?」

 頭を抱えるシャルルにマチルダはとどめを刺した。

「ほら、お嬢様も日頃言ってますでしょう?愛するより愛される方を選択するって」

 それは<ヒカコイ>の悪役令嬢に対する持論だが、正に正論だ。しかも身から出た錆。

「ちょっっ…心を抉るの止めて!」

 ヒロインの姿をして生まれたからって、攻略を無視することも出来た筈。 

 さっきイアンナを前に気がついたことだ。

 マチルダを制し10回ほど深呼吸をするとソファに倒れ込む。

「はぁ…私、何を必死になってたんだろ…」

 くすくすとマチルダが笑った。

「…ルイス様って素敵ですよねぇ」

「……」

「お嬢様もよく話をしてくださいますし」

 確かにいつもヘンリー&エレンと揃ってつるんではいる。

 しかしマチルダにそんなに話しただろうか。

「ニホンの品物を製品化できる、って言ってましたよね?」

「あっっ…」

(そーだ、話したわ。思いっきり)

 以前から信用できる商人がほしいーと言ってた所に来た”カモ”と話していた。

 友人となった今考えると非常に失礼だ。

「いや、そういうのじゃなくてっ」

 シャルルが慌てて言うとマチルダは大げさに頷いた。

「ええ、もちろん分かってます!愛ですね!!」

「ぎゃあ!!そっちでもなくて!!」

 真っ赤になったシャルルにマチルダは苦笑した。

「一緒に居て楽な人がいいって言ってましたよね。そうなんでしょう?お嬢様」

「……そ、それは否定しないけど…」

 思えば子供っぽいヘンリーには全くときめかないし、騎士団長の息子も隙もなく冷静過ぎて睨んでくるから苦手だ。

 宰相の息子はエンカウントすらしないし、第2王子はキラキラ過ぎてアイドルを見ている気分だったのを思い出す。

(あ、教師も居たけど論外って思っちゃったっけ)

 子供の写真をニヤニヤしながら見せてくる教師は、影のある色男の、影も形もなかった。

(え…マジで…ルイスだけ…?)

 普通に話せているのも、ちょっとでもドキッとしたのも、彼しかいない。

 悶々と考えていると、マチルダがふふっと笑った。

「卒業後は忙しくなりますね?」

「ぶふっ」

 学園はあと2年もあるし、明日からどんな顔してルイスを見ればいいか分からない。

「い…今は寝かせて。もう、いっぱいっぱいだわ」

 とうとう顔を隠して白旗をあげたシャルルにマチルダは笑う。

「わかりました。では食事はマジックボックスに入れておきますね。こちらもルイス様からですよ。さすがの状況判断ですね」

「あ…」

 その言葉に、彼が商人であったことを思い出す。

 こちらの商売に関しての知識はそこまで蓄えていないシャルルだ。

(私、どの時点で先読みされて、囲われてた…?)

 まったくもって覚えていない。

 野菜に反応して釣られた男にしか見えなかった。

(お、恐るべしルイス…!)

 これはもう逃げられないのか。しかし先程の切ない笑顔を思い浮かべると、体が熱くなる。

 いや、ヒロインが攻略されるってどうなの、と思いつつシャルルは寝室のドアを開けた。

「お疲れさまでした、お嬢様。良い夢を…」

「う…うん…ありがとう、マチルダ」

 気力を振り絞って片手を上げると、シャルルは寝室に消えた。



 その日から一週間、学園は休校をし封鎖された。

 警備に問題がないかを洗い出して不埒者を手引した者たちは粛清される。

 シャルルは三日ほど部屋に籠もっていたが、毎日ルイスが見舞いに来ていた。

 マチルダがいちいち取り次ぐし、心配させた手前断るわけにも行かずに女子寮の1階にある個室のサロンで会う羽目になっていた。もちろん、男女が二人きりで個室に入るのは許されないのでマチルダ同伴だが。

(慣れるもんだわ…)

 最初こそ恥ずかしかったが、ルイスがくれる話題が普段と変わりないせいもある。

 シャルルが鈍感で奥手なのを知っててルイスがそうしていたのは、彼女の知らない所だ。

 ルイスの方は頃合いを見てプロポーズをして、子爵家に婿入りする気満々な状態であった。

「明日は、城か?」

「うん。ちょっとしか手伝ってないけどね。呼ばれてて…」

 王から直々に書面を受け取ってしまったのだ。子爵家として断れない。

 正直、もう攻略が面倒になってきたので、城に行ったら王太子に会える事など、どうでもよくなっていた。

 むしろ今までイザベルを敵視していた分、自分がどうなるのかわからない。

「ドレスはあるのか?」

「制服でいいって」

 学生だからと言っていたが、平民のヘンリーとエレンがいるからだろう。

「そうか。残念だな…」

「何が?」

「見てみたかった。可愛いだろうなぁ…あ、制服姿も可愛いぞ?」

「バッ…カ!!」

 あの日以来、ルイスがたまに褒めてくる。

 自分が可愛いのは知っているが、同年代の異性からは褒められ慣れてはいないのだ。

 ルイスから目をそらすと、いつの間にか彼の座るソファの背後に移動したマチルダが目に入る。

 その目は何かを訴えていた。

(分かってるわよ…)

 城に行く際、同伴者が一人許されている。

 シャルルはマチルダを連れて行こうと考えていたが、マチルダは断った。

「あ、あのさ。頼みがあるんだけど」

「なんだ?」

「城に…一緒に行ってくんない」

「!」

 鮮やかな緑の目が見開かれる。

「ちょっと不安で…。用事があるなら、マチルダ連れてくから…」

 下を向いて手でスカートを弄んでもじもじしてると、ソファが揺れた。

「ん?近っ!?」

 隣にルイスが座っていた。そして満面の笑みで言った。

「もちろんだ。ぜひエスコートさせてくれ」

「…べっ、べつに、夜会じゃないんだけど!?」

「ああ。でも俺はシャルルの騎士だ」

「なっ!?」

(あらまぁ、うふふふふふふ…)

 マチルダはニンマリと笑う。シャルルの顔が真っ赤だ。

 これ以上見ているのは無粋かなとソファの影に隠れるようにしゃがむと、ルイスが苦笑した。

 しかし貰ったチャンスは物にしたい。

 マチルダからは、シャルルが高位貴族にも人気だと聞かされたからだ。

 城から戻ったらもう遅いかも知れない。

「なぁ、シャルル」

「な、なに」

 相変わらずこちらを見ない。

「話があるって言ったろ」

「うん。城から帰ってから、だっけ」

「今していいか?」

「…どうぞ」

 努めて冷静に言うが自分の心臓の音が煩い。

 ここまで来て野菜の専売特許が欲しいとか言われたらどうしようとか思ってしまう。

「俺は、シャルルを愛してる」

「!」

 直球だった。

(ほ、本当に??)

 やっぱりよく分からない。

「なんで私…?」

 他にも令嬢はいっぱいいる。もっとお淑やかで普通の娘たちが。

 自分にはヒロインというステータスしかない。

「一緒に居て楽しい。商売の話してもつまらないと言われないし…」

「…そうね」

 一般の令嬢ならば、ドレスや香水やスイーツなどを購入する側だ。販売する側の話をしてもそっぽを向かれることが多い。逆に社交界の話をされてもルイスには分からないが、シャルルは友人の前で貴族に関しての話をした事がなかった。

「平民でもバカにしない」

「バカにしてどうすんのよ」

 これも貴族にはあまりない感覚だ。侮ってはいなくてもどこかで線引きをしている。

「それにシャルルの野菜は美味しい」

「当たり前ね!」

 むふん!と胸を張ったシャルルにルイスは笑う。

(本当に可愛い)

 今まで隠していたから、自分がそう思っていることなどシャルルにはわからないだろう。

「そこらへん、全部ひっくるめて大好きなんだ」

 口説かれてることを思い出したのか、彼女の顔が再び真っ赤になる。

(ほんっとーーーーに、可愛い)

 そんな彼女とずっと一緒に居たいと思う。

「だから、俺を婿に貰ってくれ」

「!?…嫁じゃなくて?」

 思わず聞き返してしまう。

「ああ。シャルルはバーグ領に戻りたがってると聞いた。なら、俺が行くほうがいいだろう」

 次男だから家を継がなくていいし、とも言う。

(…マチルダの言う通りになってる…)

 ルイスは穏やかな視線を向けてくる。

「それに、野菜の品質を保つのを悩んでるんだろう?俺も一緒に考えるよ」

「!」

 確かに悩んでいたが相談する相手がいなかった。

 ほうぼうに伝手がある商人の息子なら最適かもしれない。

 オマケにイケメンだ。声も声優さんの声そのものだが、一番の好みだったりする。

(あれ?逃げ道が…)

 自分で選択しなければならない状況に救いを求めて、ソファの向こうを見ればマチルダがいない。

(うひょおおおぉぉ!?)

「シャルル」

 ルイスは真剣な目で見つめてくる。

「は、はひっ」

「俺はシャルルを愛してる。シャルルは俺をどう思ってる?」

(ど、どうって…)

 沸騰する頭で考える。

 授業で困った時も助けてもらってる。お昼だっていつも一緒だ。

 貴族の友人が居なくても大丈夫なのは、ヘンリーにエレン、そしてルイスが居るから。

 そしてあの日、帰りを待ってくれていたのは、ルイスだけ。

「い…」

「い?」

「一緒に居て…楽だと思う…」

 その言葉を精一杯伝える。

 愛してるだの、好きだの、前世でも今世でも異性に言ったことがないのだ。

 俯いてそう伝えるシャルルに困りルイスが顔を上げると、ソファの向こうにマチルダの手がニュッと突き出て、丸を描いて引っ込んだ。

(なるほど、これがシャルル流のオーケーか)

 クスリと笑うと、ルイスは彼女の腰を引き寄せた。

「な、なによ?」

「!」

 自分の腕の中でこっそりと見上げてくる、上目遣いのすみれ色の瞳に射抜かれる。

 いつもの強気な目線とは違う、不安げな瞳。

 そのまま空いた手で彼女の顎をあげて、口づけをした。

(あ…)

 初めての感覚と感触にドギマギしていると、キィンと高い音がする。

 シャルルはルイスの口づけに思考が溶けつつ、精霊の加護だ、と思い出していた。

 ヒロインと攻略対象者の思いが一つになった時にもたらされる、精霊の加護。

(そっか…ルイスのこと…好きだったんだ…)

 前世が喪女なだけに、どういう状態が人を好きになった状態なのか今ひとつピンと来ていなかった。

 だから自分は攻略対象者を攻略して、明確に誰かを”好き”な状態になろうとしていたが、まさか自分が攻略されるとはまったくもって考えていなかった。

「ん…」

「ああ、すまん」

(やりすぎた)

 つい深く口付けてしまった。息遣い荒くふんにゃりしたシャルルを腕の中に抱きしめる。

 腕の中の少女が愛しすぎてこのまま押し倒してしまいたいくらいだが、卒業までにあと2年半ある。

 我慢できるかな、とルイスは苦笑した。

「時間まで、一緒にいていいか」

「ん」

 シャルルが手を伸ばしてきゅっとルイスの袖口を握った。

 急にデレてきた彼女に戸惑うルイスだ。

(やばい。我慢できるんだろうか、俺…)

 なお、このあとはサロンの使用時間ギリギリになってマチルダが姿を現し、レフリーストップとなったのであった。

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