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無題(とある大学生の卒業)

作者: REZ☆

「よしっと」

 8月15日。荷物が詰め込まれてパンパンのスーツケースを、上に乗ってなんとか言うことをきかせた私は立ち上がり、部屋の中を見回した。

 家具を全て撤去しお気に入りのピンクのカーテンもカーペットも、花柄の布団カバーもなくなった部屋。入居した当時の姿を取り戻した部屋。

 ポスターが剥がされた壁は本来の白色を見せ、床も無機質。マットレスを取り去ったベッドは木枠だけ。どんなときでも温かく私を迎え入れてくれたお気に入りの物で埋め尽くされた部屋はほんの一日で生活感のない殺風景な部屋に姿を変えてしまった。

「こんなに広かったんだ……」

 思わず言葉がこぼれる。

 狭い、部屋だった。大学に併設された寮である。備え付けの大きなベッドと引き出し付きの机。収納棚を二つほどと冷蔵庫を部屋の中に置いてしまえば人一人横になれるかといったスペースしか残らない、本当に狭い部屋だった。水回りが共有の寮であったが共有スペースに私物を置くのは禁止されている。そのためただでさえ狭い部屋に洗面用具も調理器具も置かなければいけなかった。あるべき場所にあるべき物を置き、広い生活スペースを確保しているアパートの広い部屋に住む友人がどんなに羨ましかったことか。

 それがどうだろう、こうして自分の持ち込んだものを取り去ってみると実際はとても広く見える。

 充実した四年間だった。いや、正確には三年と半年か。大学生として私に与えられた期間は三年半。四年制の大学を四回生の前期で卒業するよう最初から決められていた。

 最初は慣れない一人暮らしと大学生活に戸惑いもしたが、関心のある勉強に励み、アルバイトを始め、友達もできた。

 私は元々この土地の生まれではない。厳密に言えばこの国の生まれではない。私の住んでいた地域では高校までは地元の学校に通うが、大学は見識を広めるために生まれ故郷を離れなければいけないという決まりがあった。

 そこで、自国の歴史が好きだったためにこの土地を選んだ。何百年も何千年も経ち、当時より都市化が進み罪人の流刑地ではなくなったこの地は自分を含む歴史好きな学生から、かの有名な歴史上の人物の聖地として人気が高い。

 この土地では自国との関わりはおとぎ話として伝わっている。自国の歴史をこの土地で知りたければ歴史学ではなく古典文学を専攻するのだ。私も勿論古典文学を専攻し、この土地の人々にどのようにあの時代の話が伝わっているかを研究した。自国に帰った暁にはこの土地で学んだことを生かしてさらに学びを深める予定だ。

 今日の夜、私は帰る。故郷への帰り道は一年に一回、八月十五日にしか開かれない。これは太古から決められていることなのだ。

 流罪になったお姫様とは違い一般学生の身分の私にお迎えは来ない。もちろん、この土地で得た思い出を忘れてしまう羽衣を纏う必要もない。令和だからね。

「忘れ物はないかな……っと危ない」

 最後の確認で引き出しを開けると、そこには指輪を象ったキーホルダーがまだ残っていた。危うく置いていくところだった。実はこれ、この土地で出来た恋人からもらったペアものなのである。

 恋人は私がこの土地の人間でないことは知っているが私の出身地について深くは知らない。昔は刑を終えた人間はこの地を去るとき、現地で得た一切の記憶を消滅させるという決まりがあったが令和は違う。

 この土地は今や流刑地ではなく留学先。私たちは罪を償うためではなく見識を深めるために来ている。出身地のことはバレてはいけないが人間関係を築くことは自由である。

 しかし、別れの時は必ず訪れる。どんなに再会の約束をしても戻ってくることは出来ないし電波もそもそもが違うので連絡も取れない。そんなわけで、現代では残された者の精神的苦痛を考慮して残された側の記憶を消すことになっている。羽衣を一人一人に羽織らせるなんてアナログなことはしない。今のわが国の技術ではこの土地の電波を利用してそんなのちょちょいのちょいなのである。

 記憶を消されるとも知らず最後の夜である昨日、恋人はまた会おうと当たり前のように私にキスをした。打ち明ければ良かったのかもしれないけれどそれは法律で禁止されている。

 歴史上のお姫様のように不死の薬でも渡したかったがあれも法律で今は製造禁止。そんなぽんぽんこっちの人間を不死にしてしまったら秩序が乱れちゃうもんね。

 どうせ彼は記憶をなくすし私と付き合ってもただの時間の無駄なのに、こっちの都合で恋愛ごっこを楽しんだのは些か自分勝手だったかな。ま、記憶をなくすなくさないに限らずそんな恋愛はこの地には沢山転がってるみたいだけどね。

「さて、そろそろ行きますか」

 日はとっくに沈んだ。日付が変わるまであと二時間。良い時間だ。

 最後の点検を終えて荷物を持つ。うん、当然だけど重い。肩が砕けそうだ。これから長旅だけど大丈夫かな。

 いよいよ私の濃密な大学生活の全てが詰まった部屋に別れを告げる時が来た。もうこの部屋に帰ってくることはない。去ってしまえば、この土地にいたこともこの部屋にいたことも遠い夢のようになるだろう。帰りたいとどんなに願ってももう帰れない。

「四年間、お世話になりました」

 がらんとした部屋に一礼。大学生活を、この土地での生活を締めくくる。顔を上げると。

「あれ、」

 何かが頬を滑り落ちた。涙だった。

「おかしいな」

 元来、私たちはこっちの人間に比べて淡白だと言われている。それは遺伝子的なものであるという研究結果も出ている。だから私は涙なんて流すはずない。それなのに。

「あれれ、」

 涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。止まらない。

 やっぱり三年半もこっちで生活したから、少し情が移ってしまったみたいだ。生活感を取り去ってしまった自分が四年間過ごしたはずの部屋を改めて見ると、愛しさと寂しさと切なさが入り交じった、故郷では芽生えるはずのない感情が込み上げてくる。

「ふふ、」

 ひとりでに笑いが込み上げてくる。滅多に情が動かない人間でも涙を流すなんて、なんて素敵な三年半だったのだろうか。本当はこの土地を離れたくないしみんなの記憶も消したくない。でも離れなきゃいけない。消さなければいけない。そういう決まりなのだから。

「……残される者の精神的苦痛に配慮して、ね」

 こんな気持ちになるなら私も記憶をなくしたいくらいだ。羽衣文化が戻ってきて欲しい。

「さよなら」

 涙を拭う。いよいよお別れだ。外に出たら月行きのシャトルバスの集合場所に向かわなければならない。時間は迫っている。

 四年間過ごした部屋。電気を消し、ドアを締め、鍵をかける。もう次にこの部屋の鍵を開けるのは、明かりを灯すのは私ではない。

さよなら、愛した私の部屋。愛した生活。愛した恋人。そして、愛した星。

「ありがとう」

 そうして私はひっそりと部屋を後にした。この後、残された部屋は四年間空き部屋だったと記録を書き換えられるだろう。そして寮母さんはそれを不思議に思うことなく次の寮生を迎え入れる。友人らのアルバムから私の姿は消え、恋人は自身の大学生活を彼女の一人も出来なかったと振り返るのだろう。

 

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