4−19.激戦の果てにたどり着くのは
カルシャが全力でハンナデルカと戦い始めた頃。
ライナとエストの戦いも本番を迎えようとしていた。
お互い言葉もなく、矜持もなく、ただ敵を殺すための戦い。
それが生ぬるいものであるはずなどなく、ともすればカルシャたちの戦いよりも激しいものであった。
軟体動物であるなどと感じさせない挙動で、エストは縦横無尽に跳ね回る。
対するライナは鈍色の聖剣を振りかざし、跳ねる影を切り裂かんと追い詰める。
魔術もギフトも介在しない、不死者と眷属の戦い。
音速を超えた戦闘により、弱者は近付くことすらままならず、押し寄せる軟体動物たちはその余波によって崩れ去っていた。
そんな中、感慨深そうな声がかけられる。
「強くなられましたなぁ、ライナ様」
「………」
「おや、喋る余裕もない?」
「……随分と饒舌ね」
大地を揺るがす打ち合いを続けながら、ライナは渋々といった顔をして口を開く。
「どうですかな、再び我らの神に仕えるというのは」
「冗談!使い捨てておいて、また拾おうなんて、ちょっとワガマすぎやしない?」
いっそう強い斬撃を放ち、それを受けた軟体生物を睨む。
不死者と不死の眷属。
決着がつかないと見ての懐柔のつもりだろうか。
だとしたら、それは無意味だ。
「残念ですなぁ。貴女は滅ぼしてしまうには惜しい」
「グネグネした訳わからない神の下僕なんて、まっぴらごめんだわ」
さらに速度を上げる。
聖剣の輝きは褪せず、エストの身体は徐々に再生が追いつかなくなる。
ライナの身体もまた負荷に悲鳴を上げるが、まだ耐えられる。
なんの見せ場もない。
なんの特筆すべき点もない。
その終わりは、実に呆気ないものだ。
小さくなったエストの身体。
人間の子供大に縮んだその中に、煌めく真珠の輝きを見た。
ライナはその真珠を、迷うことなくかちわった。
それで終わりだった。
断末魔を上げることもなく、エストだったものは急速に朽ち果てていく。
「呆気ないのね」
もはやエストなどどうでも良くなった。
途中で気付いたのだ。
こいつには意志などない。
復讐などしたところで意味はない。
こいつの信奉する神ですら、侵食する他者のことをまったく見ていない。
有益か無益か、それだけで判断し、有益であるなら取り込もうとする。
完全に異質なものだった。
だから、こちらの理論が、言葉が、真に通じるはずもなかった。
妙に冷めてしまった心を持て余しつつも、ライナはエストの最期をきちんと見届けた。
それは蛞蝓に塩をかけた時のように、溶けてなくなっていくような最期だった。
あたりにカルシャの姿はない。
他の従者たちは遠くで露払い真っ最中。
魔王は本丸を討ちに行ったようだ。
ならば、そちらに行くのも悪くない、か。
†
カルシャとハンナデルカの戦いは、部屋の壁を破壊し、周囲の地盤すら抉って続けられていた。
語るべきことなどなく、あるのは魔術の詠唱だけ。
ギフトを超える炎や光が飛び交い、触手が踊る。
もはや周囲の雑兵はいない。
ハンナデルカの反撃も勢いがない。
それどころか、言葉もなくし、攻めざまは明らかに焦りが見える。
なんせ、中央に光る珠が露出しているのだ。
あれを砕けば終わる。
カルシャはそう直感し、それを攻め続けた。
そして、終わりはあっけなく訪れた。
「ーーーーーー」
聞き取れない言語でうわ言を言いながら、核を砕かれたハンナデルカは腐り落ちたのだ。
だが、それはある意味で正解だった。
ハンナデルカは勝利なしと判断した時点で、カルシャを誘い込んでいた。
何処へ、か。
それはもちろん、神の祭壇へ。
カルシャが見上げるその玉座には、異形のヒトガタが鎮座している。
「アンタがイヴレインね」
返答などない。
理解できない言語でうわ言のように何かを囁くソレ。
「復活早々悪いけど、死んでくれる?」
カルシャを認識しているかすらわからない。
だから、形式的な通告しかしない。
槍を構え、一気に決める。
「“巨人殺し”、“獣よ、内より食い破れ”、“破天、轟雷”」
なんの感慨もない。
なんの躊躇もない。
全てを消し去るための焔と雷が、イヴレインの内外に生み出される。
巨人殺しは上位者を屠るためのギフト。
炎は身体を内側から食い破り、雷は外から捕食し、片っ端から魔力に変えていく。
まさに処分だ。
覚醒して間もないイヴレインには、まだ力が足りなかった。
自我が戻るのに、もう少し時間が必要だった。
カルシャが燃え盛る炎のように攻め込んだからこそ、間に合ったのだ。
再び動き出したイヴレインは、止められなかっただろう。
だが、それも終わりだ。
断末魔の叫びを上げるイヴレイン。
それを無感動に見上げるカルシャ。
復讐は終わりだ。
呆気ない。
そんなことを頭がよぎる、その瞬間。
穴だらけの身体から、再生しかけの触手が伸びて、カルシャを捕らえた。
「っ!まだ、動けるのかよ!」
必死で抵抗するが、死力を尽くしたイヴレインはしつこく、カルシャの抵抗虚しく、カルシャはイヴレインに呑み込まれてしまう。
イヴレインが焼け焦げ、燃え尽きていく一瞬。
カルシャは触手に絡め取られ、その四肢を千切らんとする動きになんとか耐える。
口からうめき声が漏れる。
関節が悲鳴をあげ、筋肉が、腱が限界まで引き伸ばされてほつれていく。
「“鏡写しの影悪魔・改”!」
辛うじて魔力による分身を作り出し、触手の拘束が緩む。
だが、離れ際に腕を一本持っていかれた。
とっさに魔力の腕を作ったが、長持ちはしないし、出血量は見過ごせない。
「面倒臭ぇ!」
魔力はまだある。
重ねがけだ。
「“獣よ、内より食い破れ”、“破天、轟雷”」
ギフトを展開した瞬間、異形の悲鳴が音量をました。
意識が、遠のく。
酸欠か。
脱出しなければ。
燃焼のせいで、呼吸がままならない。
炎とともに転がり落ちる。
べしゃり!
血と粘液にまみれ、カルシャは思い切り咳き込んだ。
ぐちゃぐちゃの床に、鮮血が散る。
どうやら内臓もどこかやられたらしい。
その背後では、イヴレインの最期の悲鳴が途切れつつあった。
ようやくお終い、か。
腕をなくし、武器も取り落とし、意識は朦朧。
それでもカルシャは立ち上がり、イヴレインを見据える。
「爺だか婆婆だか知らないが、これで終わりだ」
焼け落ちた触手の間に向けて手を掲げる。
「“業火の射手”」
魔王の炎が、イヴレインの宝玉を貫く。
断末魔もない、静かなる幕引き。
その瞬間から、触手が腐り始める。
魔力が拡散し、世界に還元されていく。
崩壊の連鎖。
あちこちに伸びた触手、それらは地下構造に巨木の根のように入り込み、一体化していた。
それが腐ればどうなるか。
答えは明白。
地響きのような音が辺りを埋め尽くす。
立ち尽くすカルシャは、それが何なのかすぐに気付いた。
気付いたが、もう身体が動かなかった。
失血と傷。加えて周囲の魔力流の乱れが意識を揺さぶる。
もう少し生き残りたかったけど、流石に無理、かな。
息をするのも辛い。
あぁ。
せめて苦しまずに。
そんな事を考えた。
「カルシャ殿!ご無事でござるか?!」
ゆっくりと振り返る。
幻聴かと思ったら、焦り顔のツワブキは、本当にそこにいるらしい。
「なんだ、ツワブキ、そんなに慌てて、どうしたのさ」
「カルシャ殿こそ、只事ではない!早く脱出をーーー」
はっきり言って、もう間に合わない。
魔術師になってから、身体の中はよく見えるのだ。
あの触手、かなり弄くり回してくれたらしく、まともな方法で治せる状態じゃない。
だから、カルシャはツワブキの言葉を遮った。
「我が従者ツワブキ。お前の望みは死ぬことだったな?」
名残惜しいが、最期くらい生き汚さは捨てよう。
「死してなお、私に仕える名誉を与える。……ついて来い」
これ以上、保たない。
ツワブキの永遠を終わらせられるこは、これが最後。
私の覚悟を受けたツワブキはカッと目を見開き、そして押し黙る。
瓦礫の崩れる音。
それに混じって、ツワブキの押し殺した声が、耳朶に届く。
「……それが我が主の望みなら、拙者は喜んで首を差し出しましょう」
どちらの選択にもしこりは残る。
ツワブキが何を考えてそう決めたのかはわからない。
だが、もう猶予はない。
今のカルシャに魔術は使えない。
それでも、ツワブキの不死を壊すことはできる。
「魔力を喰らえ、雷兎」
イヴレインに対して使ったギフトの残滓。
そのウサギが優しくツワブキを齧る。
ダメージを与えることなく、ツワブキの魔力が吸われていく。
人造不死種であるツワブキを壊すには、魔術式ごと壊すか、魔力をゼロにしてから壊せばよかったのだ。
ツワブキは何も言わなかった。
ただ涙を落とし、そして塵となった。
†
同時刻。
「さっさと脱出するわよ!」
「でも!まだお姉様が!」
「カルシャ姉は絶対に無事っすよ!僕は信じてる!だから、今は脱出するんすよ!」
露払いを任されていたチームは、振動が始まった時点で上に逃げ出していた。
敵を倒したはずなのに戻らぬカルシャに後ろ髪を引かれながら、崩れゆく聖都から引き上げる。
「カルシャ姉……死んでないっすよね?」
†
この日。
聖都アラスラクトは崩壊した。
この日を堺にして、神と魔王が消えた。