決意
「……決めた。信じてもらえなかったとしても、私は全部話すよ、今思い出したことを。だってそうすること以外に、信じてもらう方法はないから」
しばらく考え込んだあと、緋奈子は決意に満ちた目で俺を見た。これも、今までの15年間で初めて見る表情だ。
緋奈子は嘘を吐くようなやつじゃない。その一点だけは、断言できる。だからと言って、その全てを鵜呑みにできる内容ではないことはわかっているが。
「私の前世の名前は、アリステラ・イクス・レヴィエ。女神の祝福を授かった勇者として故郷クラティアを旅立ち、四人の仲間とともに魔物の王を討ち果たしたの」
「うん、それ夢だ。この短時間でずいぶん壮大な夢を見たんだな」
そう、夢。緋奈子が嘘を吐いていないことを前提とするなら、夢と現実を混同してしまっている、と考えるのが妥当なところだ。
あれほど派手に倒れた後なのだから、そのくらいのことが起きても不思議ではないだろう。きっと栄養のあるものたくさん食べて、充分な睡眠をとればすぐに元の緋奈子に戻る。
「だけど、実は魔王にとどめを刺すその時……私たちは魔王の自爆に巻き込まれた。そのあとの記憶がないから、きっと私たちはそれで死んじゃったんだと思う」
「ついに一方的に語り出したか。わかったよ、いいよ。気の済むまで話せよ、もうなにも言わんから」
俺の言葉が届いていないのか、意図的に無視されているのかはわからないが、どうやら緋奈子が回想を語り終えるまではこちらからコミュニケーションを取ることは不可能らしい。
まあ、いいさ。一度は乗りかかった舟、最後まで付き合ってやろうじゃないか。
「でも、私はこうして今ここにいる。勇者アリステラとしてじゃなく、今日から女子高生の勇早緋奈子としてだけど。前世の記憶を思い出して」
「思ったんだが、結局それって……転生、ってやつなのか?」
転生。俺の脳裏にふとよぎった言葉だった。
緋奈子の話は夢のことだとして、その言い分だと……その勇者ってやつが今の緋奈子ということにならないだろうか。
そんなふざけた話があるか。俺がこれまで一緒に過ごしてきたのは、幼馴染の勇早緋奈子だ。断じてそいつは、勇者なんかじゃない。
「多分そう。勇者アリステラの生まれ変わりが私だから」
悪い予感に限って、やたらと当たったりするものだが、まさかこんな形になるとは誰が想像できようか。
一体俺は、今どんな表情をしているのだろう。緋奈子が心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
「でもね、心配しないで。私は私。前世の記憶が戻っても、今まで通りの勇早緋奈子だよ」
俺の心を見透かしたような、今の俺が最も欲しかった一言。それを察して即座に口に出せるこの最上級の気遣いは、緋奈子の真骨頂と言えるだろう。
無意識に、俺は大きなため息を吐いていた。強張った背筋から、力が抜けていく。
「前世の記憶を自分が体験したものとして覚えてるってだけで、人格はそのままだから。今世で賢人とずっと一緒にいたこと、なにひとつ忘れてないよ」
よかった。緋奈子は緋奈子のままだった。わけのわからないことを言い出しただけで、わけのわからない勇者とかいうやつじゃなかった。
「うん、お前の言いたいことはよくわかった。とにかく今日は帰ろう。荷物は持ってやるから」
今の緋奈子に必要なのは、間違いなく静養だ。ゆっくり休んで冷静になる時間さえあれば、正しい意味で目が醒めるだろう。
俺は席を立ち、帰り支度を整えようとしたのだが、緋奈子が俺の袖を握って引っ張ってくる。まだ動くのはきついのだろうか。
「どうした? なんだったら、おんぶしてやっても……」
「違うの。まだ話は終わってない。むしろ、ここからが本題」
ぐいぐいと袖を引っ張る緋奈子の力は、思ったよりも強い。どうやら話し終わるまで俺を帰す気はないらしい。
こうなってしまっては、もう適当なところで切り上げるのは不可能だ。気の済むまで話せって言ったのは俺だから、付き合うけども。
俺はもう一度座り直し、緋奈子の言葉に耳を傾ける。
「前世で私たちは、自分の命と引き換えに世界を救った。けどそれで終わりじゃなかったんだよ。何故なら、こうして私の中にその記憶が残っているから」
「どういうことだ? なにを言いたいのかさっぱりわからんぞ。単刀直入に言ってくれ」
「つまりね、私の他にも前世の記憶を持った生まれ変わりがいる」
なんとなく話が見えてきた。
緋奈子曰く、勇者の仲間は四人いた。その四人の記憶を持った連中も、この現代日本のどこかにいると。そのうちの一人は俺らしいが。前世の記憶なんてないけども。
「はあ。でもそんなの放っておけばいいだろ。幸いここは法治国家日本だぜ。剣も魔法もありゃしない世界で、そんな記憶役に立たんだろ」
「私たちだけなら、なんの問題もないんだけど……困ったことに、魔王も生まれ変わってる」
緋奈子によれば、その魔王ってやつは、世界を脅かした存在だとか。
一般的なイメージの魔王が、もしこの現代にいたとしたら迷惑極まりない話だが……。
「全部私の勘でしかないんだけど、私の勘は前世から一度も外れたことがないんだ。なんていうか……お告げみたいな感じで、突然降りてくるんだよ。それが女神の加護で受けられる恩恵の一つなのかもしれないね」
「いやいや、勘ってそんな……」
「もしも魔王が前世の記憶を取り戻していたら、その強大な魔法力を取り戻すのも時間の問題……邪悪な記憶に転生先の人間が心を乗っ取られる前に、私たちが先に転生先を特定して始末しなきゃいけない」
取りつく島もない。とにかく言いたいことは全部言い切ってやろう、そんな気概が見える。
百歩譲って、それはまあいいとしてもだ。なんか最後、とても物騒なことを言っていたような。
「えーっと、緋奈子? 始末っていうのは、その、つまり……」
「息の根を止めるって意味だよ」
真顔で言い放ちやがった。今度はド真ん中ストレート、言い逃れのできないストライクで。
「いやいやおかしいって! お前自分がなに言ってるのかわかってんのか!? それは立派な犯罪! しかも殺人って……!」
こんな妄言、と笑い飛ばすことができればどれほど気が楽だろうか。
だが、再三言うけれど緋奈子は嘘をつかない。正気を失っているにしろ、本気でそう発言している。
「わかってる。それが正しいことではないって。魔王はともかく、転生先の人にはなんの罪もない。でも、このまま魔王を放置していたら、伊勢開市が……日本が、世界全体が危機に晒されてしまうかもしれないんだよ」
まただ。また、緋奈子の雰囲気が変わった。
これが……前世の勇者としての顔、なんだろうか。現代の日本に生きる女子高生が到底背負うようなこともない、悲壮な覚悟。そう形容すべきものが、緋奈子を通して見えた気がした。
「大丈夫、賢人には迷惑かけないよ。手を汚すのは私一人で充分。未成年だし、すぐ帰ってこられると思うよ」
そう言う緋奈子は、薄く笑っていた。自分の本心を隠すような、強がりのための仮面。
口ではああ言っているが、やはりどこかでは迷いがあるのだろう。ただ、その迷いを押し殺して行動に移せる精神の強さを持っているのが緋奈子。それが、今回の場合厄介なのだが。
「……ごめんね、急にこんなこと言われても困るよね。でも、どうしても伝えておきたかったんだ。賢人は一番の友達だから」
ああ、困っているとも。大いに困っているさ。幼馴染が凶行に走ろうとしているんだからな。正直言って、正気の沙汰じゃない。今すぐ病院に行って脳波の精密検査を受けさせてやりたいくらいだ。
でも、緋奈子の口から直接この言葉を聞けたことは、俺にとってなによりの収穫だ。こんな状況だって言うのに、嬉しさの方が勝る程に。
「俺も協力してやるよ」
だから、咄嗟に声に出たそれは、紛れも無く俺の本心だった。
「一番の友達が困ってるのに、なにもしないなんて俺にはできねぇ。緋奈子、今から俺たちは共犯者だ。お前の使命、俺にも背負わせろ」
「賢人……」
例えそれが、勇者としての表情だったとしても。緋奈子の苦悩しているところは見たくない。
そして、もし緋奈子が思い悩んでいるのなら、真っ先に力になってやるべきなのは、幼馴染であるこの俺だ。今の緋奈子に手を差し伸べてやれるのは、俺しかいないのだ。
もちろん、殺人を助長するつもりはない。緋奈子に人を殺させやしない。緋奈子が手を汚さず、なんとか丸くおさまる方法を見つけ出す。
そのために俺がいる。
「もちろん、今の話の全部を信じたわけじゃない。だけど俺は緋奈子の味方だ。何があっても、その事実だけは変わらない」
「あ……ありがとう……! ありがとう!」
俺が緋奈子の手を握ると、緋奈子もぎゅっと握り返してくる。そして、ベッドから飛び起きて、俺の体をきつく抱きしめてきた。
その時の顔は、もう既にいつもの緋奈子に戻っていた。この時、俺は誓ったのだ。
魔王も勇者も前世も関係ない。俺はただ、緋奈子を守るために緋奈子と共にいる、と。