82. ニセ勇者と女神様、言葉を失う
リトッチの後ろに座り、ぼんやりと光る星核の上空を飛ぶ。
初めて目にした星核は恒星ティアマトのような姿だった。その表面は海のようにうねり、海面から発せられる輝きが僕らを、地底世界を照らしている。
太陽と比較してみよう。その表面温度は約6000度、仮にこの距離まで近づくと人間は一瞬で燃え尽きてしまうはずだ。でも星核の光にあまり熱は感じない。恒星ティアマトの光は暖かいし、この星核の光はむしろ少し寒いくらいだった。
それを見下ろしながら、ぼんやりと勇者カタルとのやり取りを思い出す。
僕は無意識に人々を助けることが勇者の役目だと思い込んでいた。しかし彼は竜族の誘拐に目を瞑り、身勝手な王女に手を貸している。そして王女の援助で更に強くなろうとしている。
勇者カタルは邪神を倒すため、犠牲も厭わず力を手に入れているのだ。
対して僕はどうだ? 封印された魔王にすらビビっている始末だ。
勇者の本質とは何だろう。
力を得るために竜族を犠牲にする彼と、死にかけの魔王すら避けて単なる人助けに腐心する僕。
どちらが勇者としてより正しい行動なのか。
自分の主張に自信が持てない時点で、僕は勇者カタルに敗北したも同然だった。
悔しいが僕は弱い。魔王や邪神を倒せるとは微塵にも思っていない。
それじゃ勇者失格だ。
僕はあいつに「ニセ勇者でも構わない」と言った。情けないことに、それが本心なのだろう。
「……お、おい」
リトッチの恥ずかしそうな声を聞いてはっとする。無意識の内に彼女の肩を強く掴み、その背中に顔を埋めていたようだ。
「お前が怖がりなのは知ってるが、ちょっと肩がきついぜ」
「ごめん。でも怖がりじゃないです」
「じゃあ泣いてるのか?」
「泣いてません」
意識が外へと向いたおかげか、彼女の後ろ髪から良い香りがする事に気づいた。夏の花を思わせるその香りが鼻をくすぐり心が落ち着く。
「香水つけたんですか?」
「カナリアの家にあったから、ちょっと拝借しただけだ」
「珍しいですね。いつもそういうのに無頓着なのに」
「なっ……お前な、アタシだって女だぞ。久しぶりに香水を試したい時だってあるんだからな!」
顔を真っ赤にして熱弁するリトッチを見て頬が緩む。
「……とってもいい匂いです」
思わず彼女の奇麗な髪に鼻を近づけ、深呼吸する。全身が安堵感に包まれたような気分になった。
しかし「ひゃっ」という甲高い声が聞こえた次の瞬間、彼女の肘鉄が僕のお腹に突き刺さる。
「お、お前なにやってんだこの変態! いま滅茶苦茶気持ち悪かったぞ!」
「ごごごごめんなさい。その、なんだか安心しちゃって」
「言い訳すんな馬鹿。降りろ、今すぐアタシの箒から降りろ」
「いや降りたら死にますから」
「なら半径五メートル以内に近づくな!」
なんとリトッチは両手を箒から離し、顔を真っ赤にしながら僕を振り落とそうと掴みかかる。
「待ってお願いリトッチ、死ぬから本当に死ぬから」
「うるせー降りろ変態ニセ勇者!」
「ああ、落ちる! 落ちるー!」
まさか箒の上で取っ組み合いする羽目になるとは。でも色んな問題を抱えて重圧で潰れそうな僕には良かったことかもしれない。
今だけは、悩みを全て忘れてしまおう。
◆◇◆◇◆◇
やがて僕らは湖のある浮き島へ到着した。
湖の中央には地竜アダマと同じくらい大きな美しい竜が佇んでいる。そしてその周囲を彼女の子孫と思わしき竜が何十匹も取り囲んでいた。
「もしかしてあれが海竜マギナですか?」
「ああ。今朝はアタシとモモで挨拶に来ていたんだが、急に竜が集まり出してな。硝煙の臭いが風に乗って漂ってきたんで、お前とスピカを迎えに行ったんだが」
「スピカは、調査団に攫われました」
「……お前のせいじゃないさ」
「いいえ僕のせいです」
リトッチはため息をつくが、それ以上言及しなかった。中央の島へ降りるとモモ様が海竜マギナと言葉を交わしている。
少女に駆け寄ると、海竜マギナがゆっくりを顔を僕に向けた。
『貴方が女神モモの勇者ですね』
「初めまして、勇者(仮)マタタビです」
『悪い事は言いません。魔王ズムハァの討伐は諦め、人間と共にこの惑星を去るのです』
「魔王ズムハァの討伐?」
不穏な単語が出たのでモモ様を見ると、彼女は明後日の方角を向いてそわそわしている。汗もだらだらと流れていた。
「まさかとは思いますが、僕に黙って魔王討伐計画を?」
「な、何のことかさっぱり」
反射的に彼女の頬を引っ張る。
「ひ、ひひゃいですマタタビ君、ごめんなひゃい」
「僕に相談してくださいって言いましたよね?」
『魔王ズムハァは深き谷に封印され、既に脅威ではありません』
「だけどマタタビが倒せるなら倒した方がいいぜ。いつか破られるかもしれないだろ」
リトッチの提案に海竜マギナがゆっくり瞬きする。
『ご心配には及びません』
巨竜の態度には妙な違和感があった。自暴自棄ではないが、一種の諦めに近い感情を持っていることは確かだ。それは諦観に近い。
そして他の竜も覇気が無く、みな項垂れて海竜マギナの言葉を肯定してる。
「聞いて下さい、スピカと蒼火竜バザルが人間に攫われました。他にも多くの竜が捕まっています」
『人間の集団がこの地域に現れたことは、既に把握しています』
「だったらなぜ彼らを救わないんですか!?」
『……』
周囲の竜にも目を向けるが、彼らはまるで行動しようとしない。救出を早々に諦めたかのような態度に腹が立ってくる。
モモ様も竜族の態度を訝しんでいるようだ。
「竜の子よ、どうしてですか?」
『我らは先の戦争により衰えました。人間と牙を交えて血を流す必要はありません』
「確かに、ここにいる竜のほとんどは老いてるな」
「同胞の危機なのです、竜の子よ」
「僕らも手を貸しますから、一緒に助けに行きましょう」
『……手出しは無用です』
女王の結論に思わず絶句した。モモ様とリトッチも困惑した表情で彼女らを見上げている。
リトッチが舌打ちして吐き捨てるように呟いた。
「こいつらは腰抜けだ、アタシらだけで何とかしようぜ」
「おかしいですよ。いくらなんでも諦めが早すぎます。調査団の蛮行を見逃すだなんて、伝説の竜の一族とは思えません」
ふと気づくと、モモ様が体を震わせていた。流石の女神様も怒り心頭かと思いきや、どうも様子がおかしい。顔が真っ青で今にも泣きそうだ。
「……どうかしましたか?」
「二人とも、さっき星核の近くを通りましたね。暖かかったですか、寒かったですか」
「えっと、寒かったです」
「確かにちょっと冷えたな。聞いた話だと、氷属性の星核は冷たいらしいが」
「この惑星の星核となった『神獣ドラゴーネ』は、ティアマト母様の光から生まれた竜神です。属性は光で暖かいはず、それが寒さを感じるということは」
モモ様が悲痛な表情で海竜マギナを見上げる。
「星核の死が近いのですね?」
巨竜は返事こそしなかったものの、その悲しみの瞳が雄弁に語っていた。
星核の死、それはすなわち「惑星の死」と同義なのだろう。
『封印された魔王は、私達と共に……この惑星の崩壊と共に命尽きるでしょう』
少女はポロポロと涙を流しながら巨竜を説得しようとする。
「どうして、どうして隣星に逃げないのですか。今まさに星の口づけが起こっているのですよ」
『嵐を突破できる強い竜は、魔王との戦争でほとんど死に絶えました。残されたのは老いた竜と幼い竜ばかり。星を渡っても地竜アダマ一族と同じ結末を辿るでしょう』
「それでも、それでも助かる子がいるはずです」
『隣星に災厄を持ち込み、そこに住む大勢の命が失われます。私達は隣人の命を無為に奪ってまで生きながらえるつもりはありません』
もし竜が一斉に惑星アトランテへ渡ろうとすれば、「竜の堕天」が繰り返される。
それを十分に理解してしまったのか、モモ様が泣きじゃくりながら座り込んだ。
流石のリトッチも言葉を失い、その場に突っ立ったままである。
そしてこの場で喝を入れるべき僕は。
――惑星アトランテの人々を犠牲にするか。竜族の滅びを見て見ぬフリか。
勇者カタルに対する憤りが、そのまま自らに跳ね返って来た事で無力感に覆われていた。
僕らアストロノーツは初めて、取るべき道が何かを見失ったのだ。




