75. VS暴虐竜アウトレイジ
子は親に似るとはよく言ったものだ。
幼子は親を見て育ち、親の影響を受けながら育つ。気づけば親にそっくりの振る舞いをするのだ。果たしてそれは「模倣」なのだろうか。それとも「血」なのだろうか。
暴虐竜アウトレイジは今から1000年以上前に【空竜フィルマ】の子として産まれた。原始の三竜の中で最も気性が荒く残忍な空竜フィルマは、暴虐竜が雛だった頃に惑星ドラゴネストを去る。
残された雛は親の姿を目に焼き付けていた。そして彼と同じように傍若無人の振る舞いを繰り返す。同時期に誕生した【蒼火竜バザル】との衝突は数え切れない。
竜族は惑星ドラゴネストの生態系の頂点だ。暴虐竜は同じ頂点に位置する同胞を喰らうことで力を蓄え成長した。全ては年老いた女王【海竜マギナ】へと挑み、その座を奪い取るためである。
しかし暴虐竜は竜族が世界の頂点ではない事を思い知る。
T.E.1478年、「星渡りのカナリア」と名乗る勇者と冒険者一行が惑星ドラゴネストを訪れた。暴虐竜は彼らを喰らおうと正面から戦いを挑み、手ひどく返り討ちにされてしまう。
更にその数日後、今度は嵐王ズムハァが惑星ドラゴネストを強襲した。魔王の力は暴虐竜を遥かに超えており、彼の胸に宿る「牙」をいとも簡単にへし折ったのだ。
傲慢だった竜はプライドをかなぐり捨てて逃げ出すことを選ぶ。魔王に背を向けたその時、大勢の同胞が魔王に立ち向かう姿が目に映った。彼らの勇気が憎たらしいほど眩しかっただろう。
その時の暴虐竜の惨めさは言葉にするまでもない。
そして魔王の前に散っていく同胞の亡骸を見て、彼は「それ見たことか」と見下した。勇気と無謀をはき違えたのだと馬鹿にすることで、自らの傲慢さを保ったのだ。
星渡りのカナリアの尽力によって嵐王ズムハァの封印に成功したが、彼の放った惑星級魔術【モンスーン】が星全体を覆ってしまう。竜族は地上を捨てて地下深くに籠ることを決めた。
永く謳歌していた頂点の座を失い、窮屈な洞窟で暮らす自身を顧みた暴虐竜は、しかし何も学ぶことはしなかった。地底で再び頂点に取れば全ては元通りだ。彼は従来の振る舞いを変えること無く、深き谷の王となったのだ。
彼の今の姿を海竜マギナが見ればこう言うだろう。「親にそっくりだ」と。
◆◇◆◇◆◇
目の前の小娘が放つ魔力は、あの魔王を想起させるに充分なオーラであった。
暴虐竜アウトレイジは無意識のうちに一歩下がって唸り声をあげる。20年前の恐怖が蘇り全身から汗が噴き出した。
情けない悲鳴をぐっと堪えられたのは、小娘如きに屈服しないという些細な自尊心のおかげである。
「き、貴様……貴様はまさか……」
「どんなに賢い蟻でも、象に踏み潰されて死ぬ自分を客観視することは無い。何故だかわかるかい?」
小娘が眼鏡を外し、ゆっくり歩きだす。その髪が逆立つと全身が緑色の炎に包まれ、魔王の衣装を纏ったような姿に変わった。
「想像する知性が無いからだ。象に踏まれれば死ぬという簡単な事象ですら理解することができない。キミも想像力を働かせてみなよ。……この場合、どっちが象でどっちが蟻かな?」
小娘はしゃべりながらも真っ直ぐ歩き続ける。邪魔をすれば踏み潰す、と言外に語っているのは明らかだった。
暴虐竜の喉はカラカラで反論の声すら挙げことができない。眼前に小娘が迫り、いよいよ接敵するという距離になるや否や、アウトレイジは無意識に一歩右にずれた。
立ち尽くす彼の傍を小娘は悠々と通り過ぎる。20年間張り続けていた虚勢と、それを補う言葉の両方を失った暴虐竜は惨めそのものだった。
いいや、まだ失っていないものがある。それを見抜いたのは他ならぬ彼女だ。
小娘が振り返り、にやりと嗤って自身の顎に触れる。
「キミの欲望は面白いね。誰かの上に立てさえすればそれで良いのかな? その傲慢さ、せっかくだからボクがもっと引き出してやろう」
彼女の手の甲に目玉を模した紋様が浮かびあがった。その紋様を見た暴虐竜の脳はふつふつと沸騰を始め、激情に駆られるように心臓が脈打つ。全身に血が巡り活力がみなぎっていく。
「な、なんだ。一体、我に何をした!」
「欲望に忠実になって欲しいだけさ。なぜならボクは」
暴虐竜の耳にそっと囁きかける人物がいた。
――この小娘は虚勢を張っているだけだ。
「黙れ、黙れ」
――奴の喉笛に噛みつき、どちらが頂点かはっきりさせてやろう。
「我は惑わされぬぞ」
――ああ、楽しみだ。あの小生意気な笑みが恐怖に変わる瞬間が。
それはアウトレイジ自身だ。欲望に忠実な分身だ。
「これは奴の甘言だ、そうに違いない」
「全身の骨が砕かれる音を聞かせるのだ」
「我の胃袋で懺悔する準備は良いか、小娘ぇ!」
暴虐竜の瞳は既に正気を失っており、涎を垂らしながら小娘を睨みつける。対して彼女は嗤ったまま手招きした。
「なら来なよ。ボクは欲望に呑まれる奴が大っ嫌いで、欲望に忠実な奴が大好きだ」
「グオオオォォォ!」
狂った竜が突進する。その大きな口を開け、小娘の華奢な体を引き裂こうと迫る。
「遅い。《夢見る死者》」
「我にそのような絡め手など!」
暴虐竜は彼女の呪術を物ともせず、そのまま華奢な胴体に喰らいついた。
そして確かに彼は見た。小娘の笑みが消え恐れおののく表情に変わった瞬間を。
牙を喰い込ませ、暴虐竜は無茶苦茶に小娘を振り回す。絶望を奏でる悲鳴が心地よく、彼の自尊心を満たしていく。
暴虐竜は勝利宣言とばかりに、ボロボロになった小娘を三度かみ砕き奥歯ですり潰す。
バリバリ、ボリボリ。
バリバリ、ボリボリ。
なんとも甘美な響きではないか。これが頂点の特権だ。逆らう者も従順な者もみな等しく蹂躙され、我の欲望を満たす糧となるのだ。
己の傲慢さが最高潮に達する瞬間を見計らい、暴虐竜は小娘の死骸をごくりと飲み込んだ。喉を通り胃に落ちる肉の味を噛みしめながら絶頂する。
……そういえば、こやつの名は何だったか?
ふとした疑問をきっかけに、ブツリと世界が幕を降ろした。
◆◇◆◇◆◇
「流石でございます、我が魔王」
『完全勝利、見事圧倒』
「伊達に欲王ココペリを名乗ってはいないさ」
ココペリは目の前の暴虐竜を見下ろした。彼は呪術を喰らってその場で豪快に倒れたのだ。瞳に生気は無く、だらりと舌を垂らしている。疑いようもなく彼は絶命していた。
「欲望に忠実な奴が大好きだ。何の躊躇もなくぶっ殺せるからね」
「我が魔王、この死骸は放置しますか? それともケルベロスに処理を?」
魔獣が今すぐに喰らいつきたいという表情で舌を出す。しかしココペリは手をあげて彼を制した。
「ボクは彼が気に入った。暴虐竜が魔人になるチャンスをあげよう」
言うが早いか少女は《邪神招来の儀》の魔術を唱え始める。竜の死骸を中心に魔術式が描かれると、無数の真っ黒な手が地面から湧き出て死骸を包み込んだ。
ドゥメナとケルベロスは共に息を飲む。彼らもこうして邪神に祝福されたのだから。
「我らが主よ。彼の者に命を与え給え。我らが神よ。彼の者に力を与え給え。我らが未来よ、彼の者に祝福を与え給え!」
ココペリの願いに応えるかのように竜の死骸が動き出す。その瞳に生気が戻り、唸りながら立ち上がり、洞窟中が震えるほどの産声をあげる。天井の蝙蝠が恐怖で一斉に逃げ出した。
「グオオオォォォ!」
半狂乱になって蘇った暴虐竜を見やり、欲王ココペリは満足そうに嗤った。
「今からお前はボクの下僕だ。『傲慢の暴虐竜』を名乗り、その力を示すんだ」
竜は混乱した様子を見せながらも、ゆっくりと跪き彼女の前で頭を垂れる。
それは新たな魔人の誕生であった。




