74. ニセ勇者と女神様と地底世界
書籍版第1巻が発売です。
追加エピソードもありますのでぜひお手に取ってみてください。
長いトンネルを降りると空があった。
そう表現する他にない光景が目の前に広がっている。僕はトンネルの穴からおっかなびっくり顔を出し、その世界を見下ろした。
「ここ、スピカの家だよ」
「家ってお前……広すぎるだろ」
その世界は天に地面があり、遥か底に積乱雲が見える。雲の隙間から漏れている光が太陽の代わりを務めているようだ。そして天と地の間には無数の「浮き島」が漂っている。
「どうして地底にこんな空間があるんですか?」
「もしかしたら、星核が縮小して隙間が出来たのかもしれません」
僕は地球で聞いたある概念を思い出す。「地球空洞説」と呼ばれるその考え方によると、星の内部は何層にも分かれており、それぞれに別世界が広がっているというものである。
眼前の光景はまさに地球空洞説そのものだった。竜族はこの地底世界で生き残っていたのだ。
スピカが半竜形態に変化して背中から翼を生やし、後ろ脚で僕の両肩を掴む。
「お父さんの所に案内するよ!」
「ぜ、絶対落とさないでね」
リトッチも箒に跨り、後ろにモモ様を乗せて飛行する。そして僕らは地底世界をゆっくりと降りていった。
◆◇◆◇◆◇
空を飛んでいると小竜や鳥の群れとすれ違う。彼らに敵意は感じられず、襲い掛かってくる気配も無かった。
浮き島は木々が生い茂り森林地帯を形成している。首長竜が上体を起こして僕らを見上げると、スピカは手を振った。どうやら知り合いのようだ。
「スピカの家、あの島だよ」
やがて僕らはひと際大きな浮き島にたどり着き、その草原に着地した。惑星ドラゴネストに渡って初の緑地である。
地上の不快さとはまるで違う、心地よい風が頬を撫でた。周囲では草食竜が闊歩しており、むしゃむしゃと草を食べている。肉食以外の竜族もいるんだな。
そして草食竜に紛れて一匹の蒼火竜が蹲っていた。スピカの髪と同じ色、青と赤の混じった美しい皮膚の竜だ。
「――お父さん」
そう呟くスピカの頬にひとすじの涙が流れる。先程まで明るく振る舞っていた少女が、堰を切ったように叫びながら走り出す。
「お父さん、お父さん、お父さん!」
蒼火竜がゆっくりと頭を上げる。スピカはその首元に飛び込み、わんわんと大声で泣きだした。竜は驚きと戸惑い、そして安堵の表情を見せる。
「竜の子らに、祝福がありますように」
モモ様がそっと祈りを捧げている。
彼女らの様子を見て、僕はリトッチと軽く拳をぶつけ合った。任務は無事達成だ。
◆◇◆◇◆◇
スピカが蒼火竜の首に抱きついて頬ずりすると、竜は嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
「お父さん、スピカの友達だよ」
彼女が僕らを紹介する間、蒼火竜はじっと観察するように鋭い視線を向けている。敵意というよりは警戒心だ。
紹介が終わるとリトッチが手をあげる。
「聞きたいんだが、お前のお父さんはネアデル語を理解できるのか?」
スピカは首をかしげながら「お父さん、わかる?」と尋ねた。流石に知らないと思うけどなあ。
「心配いらぬ。私は理解できる」
まさかの習得済みでした。
「ど、どうもマタタビです」
「リトッチだ」
「私は女神モモです。竜の子よ、女神モモ教とは弱きを……ひゃあぁあぁ!」
出会い頭に布教するのはどうかと思うけど、いきなり女神を舐める竜も良くないと思う。
「すまない、珍しい果実の匂いがしたのでな」
などと言いつつ、彼は興味深そうにモモ様の体に舌を這わせている。少女はくすぐったそうに笑いながらその場から逃げ出した。
「ななななんて失礼な竜の子ですか! マタタビ君、神罰を与えてください!」
「嫌ですよ竜と戦うなんて」
「知らないだろうがなモモ。お前が寝てる間にスピカがこっそり舐めていたぜ」
「えっ!?」
「モモの汗、美味しい」
「女神を名乗る少女はさておき、我が娘を送り届けてくれて感謝する。積もる話もあるだろう、今宵は妻の家で泊まるが良い」
この地底世界やスピカが星を渡った経緯、「竜の堕天」についても色々聞いておきたい。僕らは彼のお言葉に甘えて宿泊することにした。
今日は久しぶりに安眠できそうだ。
◆◇◆◇◆◇
欲王ココペリは息絶えた巨大蟻の頭を踏み潰した。
「知性の無いモンスターはこれだから面倒だ。でかくなろうと蟻は蟻なんだよ」
彼女の元へドゥメナとケルベロスが戻って来る。その全身は青い血にまみれていた。彼らの背後には巨大蟻の死骸の山が築かれている。
「お待たせしました、我が魔王」
『任務続行、異臭感知』
マタタビが地底世界に到着した頃、ココペリは深き谷の底で嵐王ズムハァを追跡していた。
三人が歩く度、地面に埋もれている骨がパキパキと鳴り響く。それらは無数の竜の骨の欠片であった。地獄へ続く道を歩いているようでドゥメナは身震いする。
従者がランタンを高く掲げると、壁を這い回っていたモンスターが光を嫌うように後ずさりした。
「低級モンスターは数え切れないほど潜んでいますが、竜族の気配はありません。やはり彼らは絶滅してしまったのでしょうか」
「いいや、まだ生きている」
ココペリはそう断言し、地面に落ちている骨を拾う。
「これは新鮮な竜の骨だ。それにあっちには竜の糞もある。個体数は少ないはずだけど、地表ではなく地底で生活していると考えるのが妥当だ。餌はこの谷に山ほどあるし」
『――我が魔王』
先導していたケルベロスが、壁にぽっかり空いたトンネルを見つめた。どうやら臭いはこの先に続いているようだ。
穴に近づくと、不意に咆哮が響き渡った。ビリビリと空気が震え、遅れて猛烈な悪臭が三人に襲い掛かる。ケルベロスは眩暈がしてその場でしゃがみ込み、ドゥメナは思わず手で鼻をつまんだ。ココペリだけが平然と立っている。
「今のは……竜の叫び声ですか?」
「そうみたいだね。僕らを歓迎しているようだ」
彼女は何事もなかったかのように先頭を歩き出す。間違いなく「警告」だったにもかかわらず、魔王は全く気後れしていない。10秒ほど立ち尽くしていた二人も慌てて主人の後を追った。
トンネルの先は、小さな村くらいの広さがある空洞だった。ランタンの光が天井を照らすと、無数の蝙蝠がキーキーと鳴き喚き、波のように揺れる。
そして灯りが洞窟の奥にいた竜を映し出した。その竜は三人をギラリと睨みつつ立ち上がり、大地を震わせる。
「我の領域に踏み入るとは、恐れを知らぬ愚か者めが」
全身に赤い血脈が浮き出た黒竜は、竜族の中でもひときわ恐ろしい姿であった。並の魔人では歯が立たないだろう。
ココペリは表情一つ変えずに肩をすくめる。
「ボクらの目的地はこの先だ。大人しく通してくれるのなら、危害は加えない」
黒竜が悪臭を漂わせながら笑い出す。
「くっくっく! 面白い冗談だ、力の差も測れぬ小娘よ。貴様の肉を裂き、骨を砕き、泣き叫ぶ声を味わいながら飲み込んでやろう」
「一ミリも興味ないんだけど、死ぬ前に一つ聞いてあげようかな。なぜキミはネアデル語を喋れるんだい?」
通常、竜族は独自の言語で同胞とコミュニケーションする。そして他の種族とは意志疎通を図らない。共通言語を習得しているこの竜が珍しいのだ。
「愚かな人間共が対話を試みようと我に言語を差し出したのだ。我としても感謝している」
「というと?」
黒竜が牙をむき出しにしてニヤリと嗤った。
「獲物の哀れな命乞いが聞けるのだぞ? 狩りの楽しみが増えるというものだ」
ココペリは落胆したように大きくため息をつく。
「少しは知性があると期待したボクが馬鹿だったよ。所詮は獣畜生、蟻と象の違いもわからないんだな」
黒竜が怒りの咆哮を彼女に浴びせて叫ぶ。
「我が名は暴虐竜アウトレイジ! 貴様は我が空腹を癒す極上の餌となるのだ!」
ココペリはやれやれと呟きながら拘束指輪を外した。
彼女の全身から本来の魔力が溢れ出す。
それは死を奏でる地獄の炎だった。




