72. ニセ勇者と女神様、こそこそする
ゴリマーは眼下の荒野を見て息を飲んだ。
太陽の光すら遮る嵐に覆われていたとはいえ、緑豊かだったはずの大地がわずか20年でここまで変貌したのだ。草木は枯れ、海は干上がり、土がむき出しになった荒れ地が地表を覆っている。
何より驚いたのは、接触地帯を裂くように刻まれた幅数キロメートルの巨大な裂け目だ。アルビオン号が豆粒に思えるほどの深淵がそこにはあった。
甲板の端では、多くの騎士や冒険者が身を乗り出して谷を見下ろしている。その顔は恐怖で引きつっており、早くも戦意を失いかけているようだった。
「ああ、これはまた深い裂け目ですね。そうだ! 深き谷と名付けましょう!」
もっとも、探求心が強すぎるウケルタは例外のようだ。彼の陽気な声をきっかけに数名の冒険者が皆を鼓舞し始める。
「テメーら辛気臭えなあ! ビビってる奴は部屋にこもってマスでもかいてやがれ、俺達がお宝を独り占めするからよお!」
「うふふ。ボークンったらビンビンねえ」
騎士団団長のクーガーも部下に喝を入れる。
「いいか、これからが本番だ。必ずや我が国に成果を持ち帰り、国王の期待に応えるぞ。さあ仕事にかかれ!」
彼らの心強い言葉を聞き、怯えていた者達も気を引き締め直して持ち場に戻っていく。
そしてアルビオン号は大地に着陸するためゆっくりと降下を始めた。
非戦闘員のゴリマーは不安が消える事はなく、心配そうに空を覆う黒い嵐を見上げる。朝だというのに辺りは暗く、女神ティアマトの祝福が届かないこの星で果たして何人が生き残れるのか。
彼は部屋で寝こんでいるスピカ達の様子を見るために階段を降りた。
しかし部屋は既に空っぽで、子供達は見当たらない。
「……ウホッ?」
ゴリマーは困ったように頭を掻いた。
◆◇◆◇◆◇
勇者カタルは目に涙を溜めながら、仲間のイゼナに手を引っ張られつつ船を降りた。
「カタル……元気出して」
「もう無理だよ、俺は愚図で駄目な男なんだ」
「……一回フラれただけ」
「どストライクの子だったんだぞ! 神器までチップに使ったのに、結局勝てなくて名前も聞けずじまいだ。俺の青春は終わりだよ……」
イゼナが頭を抱えるカタルの足を思いっきり踏んづける。
「あいたぁ!? なにするんだイゼナ!」
「皆、守る。ヴェノンと約束した」
仲間だった魔導師の名前を出され、カタルはイラついた様子でこめかみに手を当てた。
「あいつの事なんて忘れろよ」
「カタル」
「わかってる、わかってる! 確かにあいつがいればこんな馬鹿な事になってない。だけど俺達二人だけでこの調査を成功させるぞ」
「……うん」
はしごから続々と冒険者や小鬼族が降りてくる。この荒れ果てた大地に拠点を構え、調査一日目をここで過ごすためだ。
ふと裂け目の方角を見ると、「闇」が揺らいているように見えた。カタルは直感的に剣を抜く。
「イゼナ、召喚の準備だ」
「……どうしたの?」
「早く!」
数百メートル先の深き谷から甲高い叫び声が響くと、その淵から数匹の黒い小竜が這い出した。そして四つ足で走り出し、涎を垂らしながらカタル達に迫る。
勇者は小竜の懐に潜り込み、その胴体を切り裂いて息の根を止めた。不快な断末魔が空気を震わせる。
「倒したの?」
「今のは斥候だ、これから『本隊』が来る」
カタルが言い終わらない内に地面が揺れる。数十匹の小竜が地響きを鳴らしながら、深き谷を登って飛び出した。それらは冒険者達に食らいつこうと一斉に襲い掛かってくる。
「盛大な歓迎だな。頼むぞイゼナ」
「……カタルの頼みなら」
イゼナは目を閉じ、召喚の祈りを捧げ始めた。
◆◇◆◇◆◇
甲板では、ココペリとドゥメナが冒険者や騎士団の慌てふためくさまを眺めていた。
「ココペリ様、どうしてあの四人についていかなかったのですか?」
勇者(仮)マタタビを含む「アストロノーツ」のメンバーはこの機に乗じて船を降りている。しかしココペリは彼らに同行せず、単独で行動することを選択したのだ。
「これ以上、あのポンコツ女神といたくないんだよ。ボクの体がもたない」
「ではいっそのこと、息の根を止めれば良かったのでは?」
「マタタビにボクが魔王だとバレるよ」
マタタビもまとめて息を止めるという選択肢は無いらしい。
「それよりもドゥメナ、この嵐の正体に気づいたか?」
「正体……ですか?」
「あれは間違いなく嵐王ズムハァの惑星級魔術だ」
その恐ろしい魔王の名を聞き、ドゥメナは体を震わせる。惑星を覆えるほどの魔術を行使するなど、魔王以外の誰がやってのけるだろう。
「しかし、彼の魔王はずっと魔国ストゥムにいたと記憶しています」
「恐らく偽装だね。確かあいつは20年前から【魔王会議】にも参加していない。代役でも立てて、ズムハァ本人はこの惑星にいると考えるべきだろう」
「疑問はまだあります。なぜ他の魔王にも知らせていないのでしょう?」
「ボクもそれが気になっていた。この嵐が吹き続けているということはズムハァはまだ生きている。となれば本人に聞くのが一番だ」
ココペリが指を鳴らすと、影からケルベロスが這い出てくる。
「嵐王ズムハァの臭いを追え。まずは合流して事情を聞くんだ」
『任務了解、追跡開始』
スンスンと鼻で空気を嗅ぎ始めたケルベロスは、甲板からひとっ飛びで大地に降り立った。二人も後に続く。
――嵐王ズムハァは何を目論んでいるのだろうか?
◆◇◆◇◆◇
「撃てー!」
クーガー団長の号令に合わせ小鬼族の水夫が大砲に着火した。何十門の大砲が一斉に火を噴き、小竜の群れを爆風で怯ませる。
更に騎士団の弓手が一糸乱れぬ陣形で矢を放ち、船に近寄ろうとする小竜を次々と射抜いていく。
「気を抜くな、第二波だ!」
深き谷から更に二つの群れが出現し襲い掛かってくる。地上を這う小竜は冒険者の一団が迎え撃った。
「みんなー♪ 力を合わせて頑張るにゃん♪」
「「うおおぉぉー!」」
「リンリイ冒険団」のリーダーであるリンリイがその場で踊り出すと、周囲の冒険者達の肉体が強化された。彼女の才能《激励》で潜在能力が限界まで引き出された冒険者が、リンリイの名を叫びながら小竜を仕留めていく。
「ウィッパード」のイレが電気鞭でモンスターを麻痺させると、それらをボークンが大槌で叩き潰して回る。
「――神に破れしその巨人。
憤怒の拳を解き放て――」
イゼナが惑星カラミテの魔石に祈りを捧げつつ、天に向かって両手を突き出した。
「――神獣召喚! 来て、【ウガ・ティーターン】!」
魔術式から光が溢れ、空気がびりびりと震えだす。すると嵐の中から巨大な「腕」が出現し、小竜の群れを纏めて平手打ちにした。アルビオン号を掴めるほどの掌底が地面を叩くと、隕石が墜落したような衝撃波が皆を襲う。
その神獣が消える頃には、小竜の群れは完全に統率を失っていた。モンスターの残党が慌てふためいて逃げていく。
「ナイスだ、イゼナ」
「……カタルも、グッジョブ」
勝利の歓声をあげる冒険団を尻目に、二人はそっとハイタッチした。
◆◇◆◇◆◇
「あれ神獣召喚ですよね。びっくりしました」
僕らはこそこそと岩陰を移動し、一足先に深き谷の崖に到着していた。覗き込んでみると、そこには地面の見えない闇が広がっている。
「……本当にこの先なんだね」
スピカに確認すると、彼女は頷きながら底を指さす。
「スピカのお家、ずっと下」
モモ様とリトッチはごくりと唾を飲み込みつつも、覚悟を決めた表情を見せていた。
この闇に飛び込むなんて怖すぎる。指先を見ると微かに震えていた。
小竜の群れがアルビオン号に注意を向けたのは幸いだ。今の内に降りてしまおう。
「じゃあ出発しますよ」
そして僕らは、果てしない闇に向かって足を踏み出した。




