67. VS勇者カタル②
「いくぞ少年っ!」
勇者カタルがワンピースを空中に投げ捨てた瞬間、彼は目の前から姿を消した。
思っていた以上に素早い。半神族の目でも、反射の型ですら捉えきれない速度である。
しかし《疾風》対策は事前にリトッチに相談済みだったので、僕もすぐさま対応した。
「《鋼体》!」
全身を硬化させて来るべき攻撃に備える。回避は諦めて、防御に全てのリソースをつぎ込もうというわけだ。
最初の一撃目は剣で防ぐが、続く二、三撃目は首筋と脇腹に打ち込まれる。鋭い痛みが走った後、瞬きする間に勇者カタルが元いた場所に戻り、落ちてきたワンピースを纏っていた。
「ふぅ! 君は硬いな。剣が刃こぼれしているじゃないか」
彼は感心するように口笛を吹くが、対する僕は激痛で顔が歪んでいる。勇者の鋭い一閃による斬撃がじんじんと伝わっているのだ。
「ぼ、僕を斬り捨てる前に剣が折れますよ」
「みたいだな。だけど武器は剣だけじゃないぞ。そこら中に転がっている物が俺の武器だ」
彼が再び服を脱ぎ捨てた。僕は剣を地面に突き刺し勇者を捕らえようとする。
「《大神実》!」
「全然遅いぞ少年っ!」
スピカの時とは違い、生えた木の幹は勇者にかすりもしない。そして彼は周囲にあるテーブルや椅子、鉢植えやレンガなどを投げつけてきた。全て受ける羽目になり、鈍い衝撃が次々と全身を襲う。
射的の的になった気分だ、我慢できるとは言えかなり痛い!
嵐に見舞われたかのように物が周囲に散乱する。再び勇者が元の位置に戻り、服を着つつ勝ち誇るように胸を張った。
「木を生やすのが君の魔法かい? 残念だが俺に触れることはできないようだ」
「いいえ、もう捕まえました」
「……なんだって?」
反撃の時間だとばかりに剣を鞘に納め、居合斬りの姿勢を取る。勇者カタルが服を脱いで《疾風》を発動しようとするが……。
「な、足に幹が!?」
既に彼の足に木の幹が巻き付いていた。直接狙った《大神実》は囮で、元居た場所に発動していたこっちが本命なのだ。
「これで《疾風》は使えませんね!」
「くっ!」
策が上手く嵌り心の中でリトッチに感謝する。これで決めるっ!
「剣技《閃光斬魔》!」
放たれた魔力の刃が勇者を襲うが、それが届くことはなかった。
「《迅雷》!」
彼の全身から雷が放出し視界全体がチカチカと輝いた瞬間、僕は全身に痺れを感じて吹き飛ばされた。まるで発電所が大爆発を起こしたような轟音が響き渡る。
《閃光斬魔》と《大神実》も今の一撃で消し炭にされた。
「この技の対策はしていなかったようだな。もっとも、見た奴は誰も生きていないけどな」
痺れる体を叱咤して立ち上がるも、足の震えが止まらない。《鋼体》が上手く発動できず、《疾風》対策も封じられてしまった。
いよいよ僕に残された対抗手段は《聖なる波動》による範囲攻撃のみだ。タイミングを外せば今度こそ打つ手はない。
「これで俺の勝利だっ!」
勇者カタルがワンピースを放り投げ、三度目の《疾風》を発動する。
やっぱり僕は負けるのか。本物の勇者には勝てないのか。これまでの冒険の記憶が走馬灯のように蘇る。
――マタタビ君なら、勝てます。
モモ様の無邪気で自信に満ち溢れた顔が浮かぶ。そして僕が死んだ時に悲しむ顔も容易に想像できる。
それだけは嫌だ。この冒険は、彼女を悲しませるためのものじゃない。
自分ではなく、自分を信じるモモ様を信じよう。この決闘、絶対に勝てる!
刹那、かつてないほど意識が集中した。勇者カタルが迫る姿がスローモーションのように見える。あれだけ速く動いていた男をはっきり捕らえられた。
自分でも不思議な感覚を抱いたまま、《聖なる波動》のタイミングを見極める。
「今だ!」
勇者カタルの剣が鼻の先まで近づいた瞬間、手元から《聖なる波動》を放つ。
かくして衝撃波が勇者カタルを襲い、彼を吹き飛ばして壁に叩きつけた。その表情は驚愕に染まっている。
「なっ……!」
全裸の勇者はワンピースを着る事すら忘れ、その場で片膝をつく。会心の一発だったのは間違いない。
しかし僕は追撃が出来なかった。まだ全身の痺れが取れておらず、勇者と同じようにガクリと膝をつく。
千載一遇のチャンスだったのに、こんな時に動けない自分が恨めしい。
その思いは彼も同じだったようだ。勇者カタルが膝に力を入れつつガクガクと立っている。
まだ勝負はついていない。
僕も負けじと必死に立とうとしたその時、辺り一帯で異変が起こった。
◆◇◆◇◆◇
カタルは全身の痛みを堪えて立ち上がった。しかしニセ勇者マタタビをすぐに見失ってしまう。
なぜなら、いつの間にか周囲に霧が立ち込めていたからだ。
「カタル! 《濃霧》だ!」
アリーリの叫び声と共にカタルはすぐに決断を下した。ニセ勇者との決闘を中断し、彼女の下へ駆け寄ったのだ。座り込んでいるアリーリに肩を貸す。
「なにをしているんだいカタル、ニセ勇者に逃げられちまうよ!」
「濃霧の中でアリーリを狙われたら守れないだろ。それにこの魔術は第三者の仕業だ。ニセ勇者討伐は次の機会にするよ」
「……本当にそうかい? アタイには、お前さんが乗り気じゃないように見えたさね」
心を見透かされているな、とカタルはため息をついた。アリーリの指摘は事実であり、現にカタルはニセ勇者の討伐を今も躊躇っている。
彼が《聖なる波動》を放った瞬間、その瞳にカタルが怯むほどの強い意志が垣間見えたのだ。
「いやいや、彼は強いよ。俺は全力で戦ったとも」
「神器を一本も使ってないじゃないか」
アリーリの非難するような視線に対してそっぽを向く。カタルはこの決闘で、収集した名剣を全て封印していた。
「神器は魔人や魔王と戦うための武器だ。おいそれと使えないよ」
「前はやる気満々だった癖にねえ」
もちろん彼は再戦したいと思っている。しかしそれは討伐対象ではなく、同門の弟子仲間としてだ。
何者かの《濃霧》は、正直なところ好都合であった。ニセ勇者を取り逃がした言い訳としては十分だろう。
◆◇◆◇◆◇
濃霧に乗じてスピカの手を握り、その場から逃げ出し裏路地に身を潜める。乱れた呼吸を整えていると、スピカが心配そうな表情で僕を見ていた。
「マタタビ、大丈夫?」
「正直、まだ痺れが取れない」
震える手は痺れだけじゃない、今更ながら死の恐怖が襲ってきたのだ。勇者と戦って命があるなんて本当に幸運だ。
するとスピカが僕の手を優しく握った。
「んんん……痛いの痛いの、飛んでけー!」
彼女の真剣な顔に思わず吹き出してしまう。
「ふふっ。それ誰から教えてもらったんですか?」
「モモが教えてくれた。マタタビ、もう痛くない?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
スピカの頭を撫でると少女は満面の笑みを見せた。彼女は笑っている方が断然いい。
しかし《濃霧》は一体誰の仕業だろう。思考を巡らせていると、裏路地に足を踏み入れる人物がいた。スピカが僕を庇い、歯をむき出しにして威嚇する。
「誰だ!」
「ふうん、変な奴を連れているんだな。竜族か……いやもっと違う何かだね」
「気を付けてくださいココ様」
少年の声には聞き覚えがあったので、思わず顔を上げる。
現れたのはイワト王国で出会った冒険者ココとその従者だ。少年が胸を張って大声で話しかけてくる。
「や、やあ! こんなところで出会うなんて奇遇だなあ!」
凄い棒読みじゃないか。
◆◇◆◇◆◇
僕とスピカは、ココが借りている宿屋に匿まわせてもらった。従者は姿を消している。
暴れ疲れたのかスピカはベッドの上でぐうぐう寝てしまった。僕も眠ってしまいたかったが……ココがそわそわしながら僕を観察しているので気まずい。
「あ、あの」
彼に声を掛けてみると、ココはビクッとあからさまに驚いた。
「な、なんだよ」
「ありがとうココ君。実はイワト王国でのお礼も言いたかったんだ。治療薬をリトッチと一緒に作ってくれたんだよね」
彼と再会できて本当に良かった。全身の痛みを我慢しながら立ち上がり、警戒する彼の手をとり握手する。ココが何故かしゃっくりのような悲鳴をあげた。
「改めて、マタタビです。今回のお礼は必ずするからね」
彼は口をパクパクさせていたが、俯いて僕の手を握り返す。
「……う、うん」
とてもか細い返事だ。きっとシャイなんだろう。
「でもどうして助けてくれたの?」
「そ、それはだね。えーっと、あれだ。その……」
めっちゃ目が泳いでいる!
どういうわけか彼は気が動転しているらしく、モジモジとして言い淀んでいた。まるで緊張のあまりスピーチの内容を忘れてしまったような状態だ。
彼をじっと見つめる僕。その視線を受けてなぜか顔を赤らめ、髪を弄ったりそっぽを向いたりする少年。なんとも奇妙な間が続いた。
……えっと。僕はどう反応すればいいんだ。
困っていると部屋に従者が戻ってきた。彼女の後に続いて、モモ様を背負ったリトッチが入室する。どうやら二人を連れて来てくれたらしい。
ココが何故か舌打ち。……彼のことがよくわからない。女の子、嫌いなのかな。
「二人ともまだ生きているみたいだな、心配したぜ」
「ええ、何とか。ダメージはかなり受けましたが」
モモ様がリトッチの背中から降りると、走って僕に抱きついた。鼻をすする音が聞こえる。見ると少女は涙ぐんでいた。
「ごめんなさいマタタビ君、私がついていれば……」
「大丈夫ですモモ様、ちゃんと勇者に一泡吹かせましたよ。皆のおかげです」
まあ、勝ったわけじゃないけれど。モモ様とリトッチが勇気をくれたのは確かだ。
「ココ様、彼らに告げる事があるのでは?」
従者がココに囁くと、少年はゴホンと咳き込んで僕らを睨んだ。このままだと気まずいのでモモ様を引き離し、彼の言葉を待つ。
「実はキミ達に警告がある。惑星ドラゴネストについてだ」
そして彼の口から告げられた事実は、僕らの顔を曇らせるには十分な情報だった。
 




