63. ニセ勇者と竜人、出会う
舟巻貝が崖を降り、大海原を遊泳する。ケープグインが祈りを止めると、剃刀鯨はゆっくりと海に潜っていった。
少女を抱えて舟巻貝に戻った僕は、何があったかを皆に説明する。火の玉の正体が女の子だと知った時は誰もが困惑した。
少女は僕と目が合った後、気絶するように眠ってしまった。流石に素っ裸は目のやり場に困るので、僕のマントを着せている。
「この子は何者でしょうか」
モモ様はマントに包まり寝息を立てる少女の頭を撫でる。リトッチは片手に箒を持ち、警戒した様子で観察していた。ケープグインと部下は、少し離れた位置でひそひそと相談している。
「つか、そもそも何処から落ちて来たんだ? 空に魔導帆船は見えなかったし、どの星とも接触していないだろ」
その謎についてはある程度予想がついていた。確信の持てない仮説だが、とりあえず二人に話してみよう。
「実はその、彼女の目なんですが。竜の瞳にそっくりなんです」
「……なんだと?」
リトッチが慎重に少女の顔に手を伸ばし瞼を開ける。すると竜族特有の瞳と目が合った。彼女は「うわっ!?」と叫んで後ずさる。
「もしかしたらですが、彼女は惑星ドラゴネストから落ちてきた竜族ではないでしょうか」
僕の仮説をリトッチは鼻で笑って否定した。
「流石にそれはないだろ。人型の竜族なんて聞いたことがないぜ。それに惑星ドラゴネストはまだ遠すぎる。離れた惑星同士を生きたまま渡ることは不可能だ」
「そうでもありません。例えば地球人は宇宙船を使って月へ行けます。彼女も似たような方法で移動したのかもしれません」
「ウチュウセン? 《転移》みたいなもんか?」
「言い換えるなら、離れた惑星間を移動できる魔導帆船です」
「……わお」
リトッチは感嘆の声をあげる。モモ様も会話に割り込んできた。
「この世界にある宇宙船はたった一つ、ヌート姉様の持つ【ラーの聖船】だけです。マタタビ君の仮説を訂正するなら、恐らく少女は宇宙船ではなく生身で星を渡ったのです」
さらに突拍子もない予想に、僕とリトッチが反論をまくしたてる。モモ様は手を挙げて僕らを静止した後、確信めいた表情で話を続けた。
「彼女は竜族ではないと思います。恐らく人族と竜族の混血種族【竜人族】です」
「竜人族?」
「本来は存在しない幻の種族です。彼女が最初の一人なのかもしれません」
リトッチが唸りながらモモの仮説に賛同する。
「確かにこいつが混血なら、生身で渡ったというのも納得だ」
僕は事情が呑み込めないままだったので、更に補足してもらった。
竜族は他の種族よりも身体能力・保有魔力・魔核が桁違いに大きい。もしその能力を保持したまま人族サイズまで小さくなると、勇者と並ぶほどの戦闘力になるらしい。
「つまり、この子は凄い頑丈だから離れた星を渡れたわけですか」
「まだ生きているのは奇跡です。マタタビ君が助けなければすぐに死んでいたでしょう」
「気づいてないかもしれないが、お前の《治癒》もマジでチート級だからな」
僕らが相談していると、ケープグインが恐る恐るやってきて声を掛けてくる。
「お話し中失礼しますにょろん。実はお願いがありますにょろん」
「何かお困りですか?」
「にょろん。その子が竜族の血を引いているのなら」
彼女は一拍おいて、申し訳なさそうに告げた。
「すぐに船から降ろして欲しいですにょろん」
◆◇◆◇◆◇
夜明けになった。
雲が空を覆い、ぽつぽつと雨が降り始める。舟巻貝は荒れた海のど真ん中で動きを止めた。
ケープグインは「竜族を海鳥王国に連れてはいけない」と頑なに主張している。
竜族は食物連鎖の頂点に位置しており、海人族は彼らの餌も同然だ。竜にとって海鳥種はご馳走以外の何者でもない。
無理もないと思う。僕だって少女が怖い。起きた瞬間、パクリと食べられるかもしれないのだ。
しかし海へ放り出せば彼女は死んでしまうだろう。ケープグインは言外にそうして欲しいと意思を示していたが、そればかりは同意できなかった。
巫女を何とか説得して、今は少女の目覚めを待ってもらっている。念のため彼女を魔石の中に移し、僕が見張りを務めた。
「……ん」
ソファに横たわる少女が身じろぎする。どうやら目を覚ましそうだ。怖がらせないように優しく接しよう。
そして少女がゆっくりと目を開け、向かい側に座る僕に気づき慌てて起き上がる。
彼女は怯えた表情で僕を睨み、マントをぎゅっと握り締めて縮こまった。まずは警戒心を解こう。
「大丈夫、ここは安全な場所です」
「……?」
「僕はマタタビです。君の名前は?」
ネアデル語で質問するが、少女は首を傾けるだけで返事をしない。残念ながら理解できないようだ。試しに他の言語で質問を繰り返すが無駄だった。
彼女は事情が呑み込めない様子で、心配そうにキョロキョロと辺りを見回している。
「どうやら起きたようですね」
モモ様がやってきて、にっこりと笑い少女の目の前に座った。続いて部屋に入ったリトッチが「危ないぞ」と警告するが、モモ様は「任せてください」と自信ありげだ。
『初めまして竜の子よ、私はモモア。貴方のお名前は?』
なるほど《念話》か。モモ様の言葉を理解した少女が目をぱちくりさせつつ、拙い声で名乗った。
「ス、ピ、カ」
『【スピカ】? 良い名前ですね。ここは私の部屋です。貴方が空から落ちてきたので、そこにいるマタタビ君が助けたのです』
少女はモモ様をじーっと見つめたままで、話を聞いている感じではない。
「じゅるり」
『じゅるり?』
次の瞬間、少女が口を開けてモモ様の頭にかぶりついた。
「がぶっ」
『あ゛ー!?』
「モモ様-!?」
「モモー!?」
閑話休題。
リトッチが《言語習得》を込めた魔石を使い、スピカにネアデル語を覚えさせた。これでちゃんと会話できるはずだ。
しくしくと泣くモモ様を尻目にスピカを叱る。
「頭を齧るのは駄目です」
「ごめん、なさい」
少女がしゅんとして俯く。簡単な言葉は理解できるようで助かった。
たとえ《言語習得》で言葉を覚えても、その意味を理解していなければ役に立たない。スピカは理解できる言葉が少なく、年齢はかなり低いようだ。
「どうしてモモ様に噛みついたんですか?」
「食べ物、匂い、美味しそう」
なるほどね、桃の匂いを嗅いで本能的に噛みついたわけか。
「えっと、君は竜族だよね」
「うん」
「どうして空から落ちて来たの?」
「空?」
空という単語の意味を知らないのは驚きだ。思わずリトッチと目を合わせると、彼女は肩をすくめた。どうやらお手上げのようである。
「えーっと、何か覚えてる?」
スピカは首を傾げ、口を半開きにしてぼーっとしている。
「記憶喪失かトリ頭か判別できないな」
「どっちの可能性も否定できない感じがアレですね」
少女のお腹がぐーっと鳴る。僕らに期待するような視線を投げて「ご飯……」と呟いた。
「何か好きなご飯はあります?」
スピカはキラキラと目を輝かせて叫んだ。感情表現がはっきりしている子だ。
「肉! 魚!」
「確か船倉に干し魚が保存してあったな。持ってくるぜ」
その時だ。スピカがすんすんと匂いを嗅いで立ち上がる。マントがずり落ちて裸体が露わになったので、慌ててモモ様が僕の目を塞いだ。
もちろん皆には伝えていないが、少女の引き締まった筋肉に豊満な胸は既に目に焼き付けていた。リトッチよりも大きかったよ、うん。
「肉の臭い!」
「えっ?」
「はあ?」
床が軋む音と同時に、二人が素っ頓狂な声で叫ぶ。視界が覆われているので何が起こったのか、その時は理解できなかった。
モモ様の手をどけて少女を見上げる。僕もポカンと口を開け「はい?」と間抜けな声をあげた。
目の前には、部屋が窮屈だという風に身じろぎする蒼火竜がいたのだ。体長が10メートルはあるぞ!?
そして彼女は翼を広げ、竜特有の鳴き声を轟かせた。
パキン、と空間にヒビが入る音が聞こえる。凄く嫌な予感がしたがもう遅い。
「……うわあ」
盛大に魔石が割れて、僕らは外に放り出された。
 




