61. ニセ勇者と女神様、採掘する
国王と会食してから二日後。
「……三又槍の欠片、使わせてもらえましたね」
「アタシも半分ダメ元だったんだが」
真夜中、僕ら「アストロノーツ」を乗せた舟巻貝が剃刀鯨の横腹に接岸した。ケープグインと部下の巫女も同行し、三又槍の欠片で鯨を落ち着かせている。
満点の星空が目の前に巨大な崖があることを教えてくれる。輝く星の半分が剃刀鯨に隠され真っ黒に染まっているのだ。
モモ様はポカンと口を開けて絶壁を眺めている。僕も似たようなものだ。リトッチは面白がって口笛を鳴らしていた。
空から見下ろすのと、腹の横から見上げるのは威圧感が全然違う。本当にこれを登るの?
剃刀鯨はゆっくりと遊泳していて、襲い掛かってくる気配はない。それでもこの崖を登るのは勇気がいる。
鯨が身じろぎしないか、蚊のようにヒレで叩き落されないかと想像するだけで身震いした。
「ありがとうございます、海鳥の子よ」
「夜だけなら大丈夫ですにょろん」
ケープグインがモモ様にうやうやしく頭を垂れていた。……正体、ばらしてないよね?
海鳥王国の国教はティアマト教だ。昼間の戒律は特に厳しいのだが、これは「お天道様が見ているため」らしい。
対して夜の戒律はやや緩く、昼間で禁止されている娯楽も夜ならOKという場合が多い。子作りも夜に限定されているとか。
三又槍の欠片も、女神ティアマトが見ていない夜なら使用できるというわけだ。
ちなみに海鳥王国では布教活動をしない方針である。モモ様曰く「ティアマト母様の信者を奪うわけにいきません」とのこと。なお、他の女神の信者は遠慮なく改宗させる算段らしい。
「では登りますにょろん」
ケープグインが舟巻貝に《念話》を飛ばすと、なめくじのように崖に張り付きながら登り始めた。船の角度が90度に傾いたため、僕らは貝殻の中でひっくり返る。
「うおおおーー!? すげえなこれ!」
「結構揺れて吐きそうです。うっぷ」
リトッチは興奮しているがモモ様は顔が蒼白だ。
「我慢してくださいモモ様、もうちょっとです」
「無理ですマタタビ君、両手を貸してください」
「僕の手はエチケット袋じゃありません」
「逆に考えるのです。女神のゲロも祝福では? 有り難く頂いてみては?」
「ゲロはゲロですよ!?」
モモ様が盛大に吐く前に舟巻貝が崖を登りきり、剃刀鯨の背中で停泊する。
「あ、もう駄目ですマタタビ君」
「あと10秒! あと10秒我慢してください!」
モモ様を後ろから抱きかかえて走る。彼女と一緒に船首から乗り出した瞬間、マーライオンが「オロロロロ」と水を吐き出すような光景が広がった。
うわあ、ゲロの臭いまで桃っぽい。これ逆に桃が食べられなくなりそう……。
醜態をさらしたモモ様は、目に涙を溜めながら呟く。
「このままタイタ〇ックのポーズして良いですか?」
「状況が最低すぎる!」
◆◇◆◇◆◇
ケープグインは剃刀鯨に命令し続けるため船に残り、僕ら三人は鯨の背中に降り立った。採掘の時間だ。
《聖なる光》を唱えて光球を生み出し周囲を照らす。
「鯨の子の皮膚はじゃりじゃりしていますね」
「気を付けてください。この地面、こすっただけで皮膚がすりむきます」
「転ぶなよ。全身傷だらけになっちまうぞ」
剃刀鯨という名の由来はこの皮膚だ。仮にこの巨大な鯨が島に激突すれば、大地がスパッと切断されるほど切れ味が良い肌をしている。剃刀というよりは鑢である。
そしてこの鯨の皮膚から良質な鉄鉱石が採れるため、命がけで採掘に挑む冒険者が後を絶たないらしい。そいつらの顛末は推して知るべしだ。
僕はツルハシを担いで二人の後に続く。暗闇で気づかなかったが、鯨の背中はごつごつしていた。半径数十メートルに一か所は小高い丘のように盛り上がっている場所がある。
「あの丘はいわばかさぶたです。ああやって傷ついた部分を修復しているのです」
「へえー、それが鉄鉱石の正体だったとはな。意外と物知りだなモモは」
「剃刀鯨の生態は『惑星動物図鑑』で読みましたので」
「地面が生きている岩っぽくてちょっと気持ち悪いですね……」
鯨の体温のためか、岩の地面だというのに温かい。微かに脈動を感じるし、ほんのわずかな地震を常に体感しているようだ。
鯨は速度を落としているが、それでも冷たい海風が遠慮なしに吹きつけてくる。ぶっちゃけ居心地はあまりよくなかった。
「それじゃさっさと採掘しましょうか」
「慌てないでくださいマタタビ君。鉄鉱石にも良し悪しがあるのです。なるべく質の高い石を探します」
「おっ? モモは鑑定ができるのか?」
「まあ見ていてください」
モモ様がしたり顔で岩に手を触れる。優しく撫でながら巨匠のような口ぶりで解説を始めた。
「いいですか? 剣を打つときは鉄の声を聞くのです。鉄鉱石にも性格があって、あの子は優しく打って欲しい、この子は力強く打って欲しいとそれぞれ望みが違うのです。鉄に合った打ち方をすれば立派な刀身が……」
「それヤドカリですね」
「もう、マタタビ君は空気を読んで下さい!」
少女がむきーっと地団太を踏む。わかっていたけど雰囲気でべらべら喋っていただけだった。
「あーはいはい、わかったから始めようぜ」
「リトッチも信じてませんね? たとえばこの石はとても柔らかいので、打つ時は慎重に……」
「それウミウシだぞ」
「なぜこんな所にいるのですか!」
女神モモが顔を真っ赤にしてウミウシを投げ捨てる。なんて可愛そうなことを。
その後、僕らは良さそうな岩を削って鉄鉱石をたくさん手に入れた。なんやかんやでモモ様は満足したようだ。にっこり笑顔を浮かべて、魔石の中に次々と石を放り込んでいる。
剃刀鯨のかさぶたで打った聖剣……か。素材の公表は控えておこう。何にせよ楽しみだ。
そして帰り支度を始めようとしたその時、視界の端に流れ星が映った。
せっかくだから、ここで天体観測でもしてみようか。
◆◇◆◇◆◇
惑星ドラゴネスト。
荒れた大地と嵐に覆われた空の境界を、竜の親子が飛行していた。共に蒼い体皮の美しい種である。
その二匹を追いかけるのは黒い小竜だ。十匹やニ十匹ではなく、百を超える数が群がっていた。
通常、小竜は竜族の餌にすぎない。体格差は歴然な上、小竜は竜族の皮膚を傷つける術を持たないからだ。
であるならば、竜の親子を襲う小竜は異常なのだと言える。
それを証明するかのように、彼らの体には百足病や白蟻病の呪いが刻まれていた。涎を垂らし、血走った目で親子に食らいつこうとしている。
竜の親が振り向きざまに炎の渦を吐いた。いや、正確にはガスバーナーのような火炎放射だ。薙ぎ払うような攻撃で一気に数十匹もの小竜を焼き殺す。
しかし狂乱の小竜は、大地の裂け目から際限なく湧いて出る。灰色の荒野が黒い波に塗り替えられていく様は、絵画にぶちまけられた黒ペンキによく似ていた。
突如、親子の進行方向に巨大な竜巻が発生する。竜の全身を揺らす猛烈な風に加え、無数の落雷が断続して襲い掛かった。
稲妻の直撃を避けて逃げ切れるかは、つまるところ運だ。そして竜の子は運が悪かった。
轟雷に重なって彼女の悲鳴が響く。そして意識を失った竜を竜巻が吸い取っていく。
竜の親が我が子に脚を伸ばすも間に合わず、彼女はそのまま渦に巻きあげられ嵐の中に姿を消した。
たとえ頑強な竜族だろうと、この嵐に巻き込まれて生き残れるとはとても思えない。
嘆きと悲しみ、そして怒りの咆哮が響き渡る。残された竜の親に向かって小竜が殺到し……




