閑話 ドラゴネスト調査団②
アルビオン号の甲板では【ゴリマー・ウェロゴリラ】が天体望遠鏡を覗いていた。ゴリマーは猿人族の星詠士である。
傍から見れば、身の丈に合わない短いローブを纏う彼の姿は滑稽に見えるだろう。しかしそれは魔術学校を卒業した証なのだ。
ゴリマーの目に映る惑星は地表全体が嵐に覆われていた。一部の隙もないため、地上がどのような姿なのか確認することはできない。
彼は本を開き惑星ドラゴネストの惑星画を眺めた。それは200年近く前に探検家ゴルド・シャルが残した絵だ。豊かな緑に穏やかな雲が描写されている。
この美しい星が、かくも恐ろしい姿になったきっかけは何だろう?。
ハッハッハッという息遣いを耳にしたゴリマーは視線を足元に移した。見慣れない犬が彼を見上げている。
「ウホッ? お前も星が見たいか?」
彼は優しく犬を抱え、その顔をレンズに近づけた。お利口な犬は興味深そうに惑星ドラゴネストを眺めている。ゴリマーも犬を撫でながら、ホッホッホッと嬉しそうな仕草をした。
「いやあ、遅れて申し訳ありません」
【ウケルタ】がどたばたと足音を立ててやって来る。彼に気づいた犬が悲鳴をあげて暴れ始めた。
「わあっ、可愛い犬ちゃんですねえ」
その男がゆっくりと手を伸ばす。犬は必至の形相でゴリマーの手を振りほどき、わき目もふらず一目散に逃げ出した。ウケルタはその後ろ姿が消えるまで真顔だったが、やがてがっくりと肩を落とす。
「あの子を怖がらせてしまったようです」
犬が怯えるのも無理もない。何故ならウケルタは長耳族とは思えないほど醜く、蛙とライオンと骸骨がごちゃ混ぜになった顔をしていたからだ。全身も肥大しており通常の長耳族より一回り大きい。
探検家の服を着ていなければ、彼を人間だと思う者はいないだろう。
ゴリマーはしょんぼりする友人の肩を叩いて励ます。
「私は怖くないよ」
「ありがとうございます。ドラゴネストの様子はどうですか?」
「相変わらず、地上の様子は伺えず竜族も確認できない。接触日に変更はないよ」
ウケルタは手もみをしながら望遠鏡を覗く。
「20年間も嵐に覆われていると仮定すると、環境や生態系は激変していることでしょう。しかし竜族の生命力はどの種族よりも頑強です。想像にすぎませんが、新たな環境にも適応しているはずです」
彼は子供のように「わあっ!」と歓声をあげた。恐らくこの調査を最も楽しんでいるのはウケルタに違いない。
はしゃぐ友人を眺めていると、長耳族の兵士に声を掛けられた。
「ゴリマー殿。少しよろしいか」
「ウホッ。こんにちは【イーガー】団長。もちろん構わないよ」
イーガーはカットラス王国空軍第四師団の団長で、アルビオン号の指揮を務めている。常に目つきが鋭く、その顔に深く刻まれたしわは「いつも怒っている」と部下に誤解されるらしい。
やや頭が固くて差別的だが、話の分かる有能な人物というのがゴリマーの評である。
二人で甲板を歩く。鳴き声を響かせるカモメの群れを眺めながら、イーガーが低い声でつぶやいた。
「私は今回の調査に反対だ」
「ウホッ? それはまたどうして?」
「危険すぎるからだ。惑星ドラゴネストの調査は我々が最初ではない。過去に幾度となく冒険者が星を渡った。その結果、何人が戻ってきた?」
ゴリマーは答えに窮した。それは周知の事実であるが故、敢えて口にする者はいないからだ。
「……私達の知る限りでは誰も」
「そう、一人も生還していない。彼の惑星から移住した竜族との対話すら困難だ。竜と最も親交の深かったゴルド・シャルは遺言を残した。『竜の巣に足を踏み入れてはならない』とな」
「調査団の派遣を強行したのはアシュリア王女だと聞いたよ。しかも周囲の反対を押し切って船に同行しているよね」
王女の名を聞いたイーガーは仏頂面で沈黙した。地雷を踏んでしまったとゴリマーは悔やむ。彼の心中を察して頭を掻いた。
第四師団が指揮する理由は「国王の命令」に他ならないだろう。部下の命をみすみす危険に晒す王女の行動に、内心はらわたが煮えくりかえっているに違いない。
気休めにしかならないと知りつつも、ゴリマーはフォローを入れようとした。
「アルビオン号は最新鋭の魔導帆船だよね。雇った冒険者も腕に覚えがあるし、何より勇者カタルが参加したのは大きい」
女神に祝福された勇者が船に乗り込んだと知った時、これで気楽に構えられると安堵したものだ。それだけ勇者という存在は心強いのだ。
しかしイーガーはますます顔がこわばり、雷魔術で麻痺したかのような表情で呟く。
「この調査団で私とアシュリア王女しか知らない事実がある」
「ウホッ?」
「【竜の堕天】が発生する数日前、一人の冒険者が惑星ドラゴネストの調査に向かった。『星渡りのカナリア』と呼ばれる勇者だ。……その者でさえ生還しなかった」
思わず「ウホッ……」と落胆の声を発した。勇者が加わる前より一層不安な気持ちになってしまう。聞かなければ良かった。
彼は鋭い目つきでゴリマーに頼み込む。
「今からでも遅くはない。星詠みの予測に虚偽を加え、調査を断念するよう王女を説得してはくれまいか」
それは頼みというより恐喝に近かったが、ゴリマーは申し訳なさそうに首を横に振った。
「星詠士としてのプライドがあるよ。正確な予測を偽りなく知らせる。それが私の仕事」
「……そうか、最早止められぬのだな」
「すまない」
「いや、私の方こそ無理を言ってすまなかった。非礼を許してくれ」
イーガーは一礼すると、踵を返して船内に戻っていく。
「あっ! 嵐が動いてますよゴリマーさん! いやあ奇麗な模様ですねえ」
ウケルタの呑気な声を聞きながらゴリマーは頭を掻いた。イーガーを慰めるため、後でバナナでも持って行こう。
◆◇◆◇◆◇
船底では、決して快適ではない環境の中で小鬼族の奴隷が働いてた。彼らは大量の武器や弾薬、食料を延々と倉庫に運び込んでいる。
顔を包帯で覆った奴隷の【クンミ】は、監視役の兵士が休憩した隙に列から抜け出し、樽に登って声を張り上げた。
「同志諸君、革命の時間だー!」
その叫び声を聞いた奴隷たちは……大半が無視した。ある者は「またアイツか」と露骨に顔を歪め、ある者は唾を吐いてクンミの前を素通りする。
しかしクンミはめげずに叫び続けた。通行人に無視されながらも街頭演説をする泡沫候補のようだ。
「私は革命戦士のクンミ。同志よ立ち上がれ! 憎き長耳族に裁きを下し、自由の名のもとに小鬼族に春を迎えさせるのだ!」
クンミはここで働き始めてからというもの、何度もしつこく演説をおこなっていた。最初は誰一人として振り向かなかった。しかし一部の奴隷に何かが芽生えたのか、今日までに数名の奴隷が耳を傾けるようになっている。
「よしお前、振り向いたな。さあこっち来い、私が名を与えてやろう」
新たに興味を持った奴隷の一人を招き入れる。クンミはその男を眺めて「うーん」と唸り、思いついたように手を叩いた。
「今日からお前は【コリンダー】だ。同志諸君、戦士コリンダーに拍手を!」
「……コ、リンダー?」
パチパチとまばらに拍手があがる。クンミは満足そうに胸を張り、新しい同志を歓迎した。これで革命戦士は両手で数えるまで増えたのだ。
小鬼族は名前を持たず、オスだけの種族だ。会話も「ゴブ」や「うん」などの簡素なコミュニケーションしかとれない。そのため流暢にネアデル語を喋る女声のクンミは、奴隷の中でも異質な雰囲気を醸し出していた。
「わんっ」
突如、クンミの背後で犬が吠える。クンミは「ひえあっ!?」と驚いて樽から転げ落ちた。
「な、なんだよ突然……!」
『お前珍獣、オレ魔獣』
混乱する奴隷たちにケルベロスが《念話》を送る。他の小鬼族が蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。クンミは恐怖でその場にへたり込んでいる。
ケルベロスはクンミに顔を近づけ、すんすんと臭いを嗅ぐ。魔獣はニヤリと嗤い、その小鬼族がメスであることを見抜いた。
◆◇◆◇◆◇
任務を終えたケルベロスの報告を聞き、ココペリは満足そうに頷く。
「奴隷たちの反乱は面白いイベントになりそうだね。彼らの革命とやらを手助けして、ついでに邪神教に改宗させてあげよう」
ココペリがケルベロスの首元やお腹をさすると、彼は悦に浸り頬を緩ませた。傍ではドゥメナが無表情で立っているが、ぎりぎりと握りこぶしを作っている。
ケルベロスが影の中に帰った後、ココペリは彼がもたらした情報を吟味した。
予想以上に面白いことになりそうだぞ。まさかあの船に魔人が乗り込んでいたとはね。しかも二人もだ。
ボクが直々に妨害するまでもない。彼らのお手並みを拝見するとしよう。




