56. ニセ勇者と女神様の逃亡生活
惑星アトランテ、接触地帯。
剃刀鯨の上空を一隻の魔導帆船が航行していた。船長の【ラッコマン】が手をあげると、錨が降ろされて超巨大生物の背中に突き刺さる。象にしがみつくノミのように、巨大な鯨の皮膚に停泊した。
ラッコマン海賊団は海人族の海人種で構成された一味だ。海人種は魚のエラを持つ海人族の一系統で、人族に近い容姿である。
「おお、すげえっちゃ! 本当に剃刀鯨が反応しねえっちゃ!」
「ここまで大人しい姿を見たのは、生まれて初めてだちゃ……」
「親分の言った通りだちゃ!」
手下の歓声を聞き、ラッコマンはモヒカン頭を撫でながら満足そうに頷いた。槍の欠片をこれ見よがしに掲げて叫ぶ。
「どうだ! この武器があれば、超巨大生物や海獣種は俺達の支配下だっちゃ!」
船長が手にしているのは伝説の武器【三又槍】の破片だ。三又槍はかつて海人族の王が所持していた槍で、海に生きる全ての者に命令を下すことができるという。
ラッコマン海賊団は海底神殿に踏み入り、神殿の巫女達から破片を強奪することに成功した。彼女らは縄で縛り船倉に閉じ込めてある。
彼はおもむろに上半身の服を脱ぎ、筋肉を震えさせながら「チャチャチャ! チャチャチャ!」と踊り始める。そのリズムに合わせて甲板にホラ貝の音色が響き、周囲の手下らも次々とダンスに加わっていく。
「この星の海は俺達のモンだちゃ! まずは剃刀鯨で海鳥王国に攻め込むっちゃ!」
その宣言と共に槍の欠片が光りだし、剃刀鯨がゆっくりと回頭を始める。更に旗艦の下に配下の船が続々と集結し、一個艦隊が築かれた。
ラッコマンは早くも勝利に酔いしれていた。王国の連中が慌てふためく姿を想像して、顔のニヤつきを抑えようと頬を叩く。
さあ、奴らを蹂躙してやろうか。
しかし彼の笑みは、双眼鏡を構えた見張りの叫び声によってかき消された。
「親分、進行方向から飛行物体! その数……いち!」
「なにい、たった一人でか。偵察のつもりっちゃ? さっさと【鬼凧魚】を送り出すっちゃ」
「ラジャー!」
命令を受けて、船から「空を飛ぶ武装マンタ」が次々と発進する。背中に大の男が三人も乗れるほどの大きさだ。鬼凧魚は飛翔しつつ小さな点に向かって編隊を組んだ。
数分後。手下と共に踊っていたラッコマンに新たな報告が入る。
「親分、先遣隊が全滅したっちゃ!」
「なんだっちゃ!?」
彼の脳内に警告音が鳴り響いた。長年の海賊業で培われた勘が告げる。敵は主力格だ。
「その偵察を砲撃するっちゃ。他の船にも連絡っちゃ」
「へ、へい!」
旗艦から信号弾が次々と打ち上げられる。集まってきた船がゆっくりと舵を切り、一斉に砲首を飛行物体へ向けた。
ラッコマンは見張りから双眼鏡を奪い取り、敵の姿を確認しようとした。視界に映ったのは、箒に両足をかけ波に乗るように空を翔ける魔術士だ。
「アレは……人族の女?」
海鳥王国からなぜ人族が?
その疑問をよそに、頭首の命令を受けた魔導帆船から一斉に砲弾が発射された。轟音が音楽を奏でるように鳴り響く。
しかし魔術士は砲撃を次々と躱し、更に速度をあげて接近してくる。もう双眼鏡もいらないほどはっきりと見える!
「小娘一人になにを手こずっているっちゃ、早く奴を撃ち落と……」
彼の言葉は爆発音と共にかき消された。思わず見上げると船の一隻が炎上しているのが確認できる。恐らく敵が放った炎魔術だ。
魔術士がたった一人で船団と接敵する。甲板から放たれる矢や魔術を躱しつつ、船の間を縦横無尽に飛翔しながら次々と攻撃を繰り出していた。そして突如として、箒から別の人物が飛び降りてくる。
さっきまでいなかったはずだ。いったいどこから現れた?
そいつはラッコマンが指揮する船の甲板に着地した。衝撃で船が揺れ、全員が思わずたたらを踏む。
「敵襲ー! 敵襲ー!」
手下が声を張り上げる中、ラッコマンは目を見開いた。その侵入者は年端もいかない少年に見えたのだ。しかし魔力の流れは歴戦の戦士のそれだ。
彼は言いようのない恐怖を感じた。まるで敗北の運命が決定してしまったような感覚に陥る。理性がそれを認められずに思わず叫んだ。
「て、てめえ! 何者だっちゃ!」
小僧は立ち上がるとゆっくり振り返り、にこりと笑みを浮かべ……
◆◇◆◇◆◇
僕はマタタビ。本物の勇者に狙われて逃げ回るニセ勇者だ。
まず、僕らがイワト王国から逃げ出した後の話をしよう。
真の勇者一行という厄介な追手から身を隠すため、僕らは惑星アトランテの南半球へと旅立った。
幸いなことに海鳥王国が僕らを温かく迎え入れてくれた。いや、ちょっと冷たかったかもしれない。この惑星では人族はどこへ行っても嫌われ者なのだ。
大使オーラグインの口添えがあったことは言うまでもない。
「本当にありがとうございます、オーラグインさん」
「命の恩人に礼儀を尽くすのは当然にょろん」
海鳥王国は海鳥種が支配する国だ。海底火山の頂上部から突き出た巨大な岩の柱に、トンネルのように穴を掘って住んでいる。柱は海面からでも東京タワーと同じくらい高く、針山の如く無数に点在しているのだ。
僕らは迎え入れてもらうためにいくつかの儀式を行った。儀式自体は滞りなく終わったのだが、その後の晩餐会が大変だった。「にょろにょろにょろにょろ」と四方八方から聞こえるので、僕と女神モモは堪えるのに必死だったからだ。
「お前ら……真面目に失礼だよな」
「な、なんでリトッチは平気なんですか……ぶふっ」
『ひー、ひー、ひー!』
与えられた空き部屋は柱の一角にあった。むき出しの窓から見える広大な海原は、まるで青い宝石が散りばめられたようにキラキラと輝いている。
いやー、最高の景色だ。
ちなみにこの部屋は肝が冷えるほど高い位置にあるので、できるだけ下は覗き込まないようにしよう。
「見てくださいマタタビ君! ここ、私の塔よりも高い位置にありますよ!」
「こら、乗り上げちゃだめですよモモア」
女神モモは高さなど気にせず平気で窓によじ登っている。当然ながら風がビュウビュウ吹いているので、ひとつの間違いで海面に真っ逆さまだ。怖い。
突如、背後から「わっ!」と声を掛けられて思わず飛び上がった。振り返るとリトッチがけけけっと笑っている。
「ちょっとリトッチ、僕らは《飛翔》がないんですよ? 落ちたらどうするんですか」
「おいおい、勇者様なんだからこれくらい何とかなるだろ」
彼女も窓からひょいっと顔を出した。二人とも鋼の心臓をお持ちのようで羨ましい。
「それで勇者の子よ、ここにはいつまで滞在するのですか? あまり迷惑はかけられませんよ」
追手が僕らを見つけるのは時間の問題だ。ずっと隠れているわけにもいかない。
「なんとか星を渡りましょう」
「となると惑星ウェロペの接触を待つ感じか。確か2週間後だったな」
窓の外から宇宙を見ると、段々と近づきつつある惑星ウェロペが浮かんでいた。
「では次の目的はあの惑星にします。二人ともそれで良いですか?」
「マタタビ君がそうしたいのなら」
「アタシもオッケーだ」
こうして僕らは海鳥王国を観光しつつ、こっそりと暮らしていたわけである。
しかし、いよいよ惑星ウェロペが接触するという日に異変が起こった。王国から派遣されていた海底神殿の巫女が、悪名高い海賊団に捕らわれたらしい。
しかも剃刀鯨が進路を変えて王国へ迫ってきているとか。
「……あの、二人ともちょっと相談が」
「皆まで言う必要はありません、人の子よ」
「オーラグインに借りを返したかったんだ。これでチャラにしてやろうぜ」
三人で頷きつつ戦闘の準備をする。
そういうわけで、僕ら「アストロノーツ」は海賊団の下へ単身乗り込むことにした。
もちろん、夢にも思っていなかったさ。この決断が新たな出会いに繋がるとはね。




