閑話 動き出す世界②
ザーザーと降る雨音を聞きながら、魔人ドゥメナは宿屋の窓から通りを眺めていた。
人々は傘を差して足早に歩いている。手ぶらの子供が軒下へ身を隠しながら、いつ止むのかと雨雲を見上げる様子が見えた。
雨が降ることは何となく予感がしていた。魔王ココペリが朝から起きようとしないからだ。
従者は窓を閉めて寝床へ近づき、布団の中にくるまっている少女に声を掛ける。
「ココペリ様、おはようございます」
「……ん」
ココペリは嫌がるように身をよじらせる。その表情は青白く、血の気が引いていることは明らかだ。冷や汗もかいていた。そっと額に手を当て、少し熱が出ていることを確認する。
大雨が降る時はいつもこうだ。彼女自身もよくわからないらしいが、特に豪雨になると体調を崩す。恐らく何らかの心的外傷に起因しているのだろう。
ドゥメナは原因を知ろうと思えば知ることができる。淫魔族は精神に干渉する魔術に優れているため、夢の中へ侵入し過去の記憶やトラウマに触れることが可能だからだ。
しかしそれを魔王ココペリは望んでいない。いや、そもそも心の奥底を覗かれたいと思う者などいない。
彼女は手ぬぐいで魔王の汗を拭きながら、普段通りに務めようと定例の報告を始める。
「ココペリ様、勇者マタタビ一行がイワト王国から姿を消しました」
「――なんだって!? それを先に言えよ!」
マタタビの話題を持ち出した瞬間、彼女はガバッと布団を跳ね除けて起き上がった。あまりの変わり身の速さに、ドゥメナは思わず目をぱちくりさせてしまう。
「どうしたドゥメナ、呆けた顔だな? さっさと支度するぞ。連中の後を追うんだ」
血の巡りが良くなったのか、先ほどの体調不良が嘘のようだ。いつもの自信過剰で強気な魔王に戻っている。
「かしこまりました」
ドゥメナは深々と頭を下げて、自らの表情を悟られないようにする。主が望む、冷徹で忠実な部下を演じるためだ。
きっと今の私は、従者らしからぬ笑顔を見せているだろう。
気づけば雨音は聞こえず、窓からは日の光が差し込んでいた。
◆◇◆◇◆◇
恒星ティアマト。
女神ヌートは大勢の観客の前で剣舞を披露していた。女神様の踊りに合わせるように、精霊の演奏者らがラッパやリコーダー、バイオリンを優雅に吹いている。
ここは彼女の神殿内に建築された闘技場だ。ヌートを囲むように大勢の精霊が座り、彼女の舞いを見入っていた。
ヌートは浅黒い肌におかっぱの黒髪、服装は黒い踊り子の衣装と黒づくめの姿だ。身に着けた黄金の装飾品の数々が剣と共にきらめき、その輝かしさを強調させた。
やがて長い剣舞が終わると、精霊たちが一斉に拍手を送る。あれだけの激しい剣舞を披露したというのに、彼女は汗ひとつかいていなかった。
満足気に笑みを振りまくヌートの下に、群衆をかき分けながら女神フレイヤが現れる。
「はぁい、ヌートちゃん。妹のフレイヤよん♪」
ヌートは八姉妹の次女である。主神ティアマトに代わり女神八姉妹を統括する立場だ。その自信に満ち溢れた顔はフレイヤと対峙しても崩れない。
「お前が出向くとは珍しいなフレイヤ。剣を交えたくなったか?」
「ごめんなさい、遠慮するわ。私は武闘派じゃないのよねえ。実は貴方にお願いがあってきたのだけれど」
彼女の言葉が遮られる。その麗しい唇にヌートの人差し指が押し付けられたのだ。
「まあ慌てるな。実は最近溜まっていてな、まずは汗をかかせろ」
「……はぁ、やっぱりこうなるのねえ。貴方の相手はとっても疲れるのよん?」
ヌートは笑みを更に強くして、困った表情の彼女を抱き寄せつつ指を鳴らす。精霊たちが慌てて用意したベッドにフレイヤを押し倒した。
「謙遜するな。私の相手ができるのはお前くらいだ」
ベッドの周囲が帳で覆われる。その後、演奏者が奏でる情熱的な音色が二人の嬌声をかき消し……
半日後。
演奏が終わる頃、ベッドに横たわる裸の二人は肩で息をしていた。
「はーっ、はーっ。……ははっ。どうしたフレイヤ、今日は機嫌が悪そうじゃないか。私の麗しい肌が傷だらけになってしまったぞ」
「ぜーっ。ぜーっ。……あらん、ごめんなさいねえ」
びっしょりとかいた汗を、お互いにシーツで拭き始める。
ヌートは久々の運動で精神が高ぶっていたが、やや不満そうな顔のフレイヤを見て目を細めた。その心情を探るように言葉を紡ぐ。
「私はお前の姉だ。遠慮はいらん、言いたい事を言え」
フレイヤは彼女と目を合わせ、やや緊張した面持ちですっと息を吸って発言した。
「なら聞くわヌートちゃん。モモちゃんの勇者に、貴方の勇者を差し向けたわね?」
ヌートの胸にじわりと失望感が漂った。そんな些細な事が、先ほどの営みよりも大事だったというのだろうか?
「ちゃんと答えてくれないと、続きをしてあげないわよん?」
「むっ……」
フレイヤの意地悪そうな顔を見ると、言いようのない飢餓感が込み上げてくる。そう、ヌートはいつも飢えているのだ。誰かとぶつかり戦いたい。常に強弱をはっきりさせねば満足できない。
別に隠すことでもなかったので、ヌートは淡々と告げた。
「そうだ。モモの勇者はマタタビと言ったか? 漂流者の疑いがある以上、捨て置けないのは当然だ。厄介事を起こさないよう処分すべきと判断したまでのこと」
「邪神の復活が近いのに、仲間同士で争っていて良いのかしら?」
「だったら尚更だ。邪神復活の前に危険分子を排除できれば、悩みの種が減る」
敢えて強めの語彙を選んだつもりだが、フレイヤはなおも食い下がってきた。
「勇者を召喚して育て始めてから百年近く経つけれど、既に三人の勇者が脱落してるのよん? マタタビ君も勇者として認めてあげたらどうかしら?」
痛い所を突かれたな、とヌートは苦い顔をする。
邪神は過去に四回も討伐されたが、その度に犠牲になる勇者は増えている。次に復活する邪神を相手に生き残れる勇者は一人か二人、最悪全滅することも想定していたのだ。
仮に、マタタビが本物の勇者ならば。戦力たり得るならば。勇者カタルが犠牲にならずに済むかもしれない。
しかし彼女は本心を語らず、あくまで統括者の責務として発言した。
「漂流者はこの世界に悪影響を与える。過去の事例からも明らかだ。最悪、ティアマト姉様の手を煩わせることになる。それだけはお前も避けたいだろう?」
「……それは、もちろんよ。でもねヌートちゃん」
じっと見つめてくるフレイヤの瞳には、何か確信めいたものを感じさせた。ヌートは言い知れない恐れを感じる。
この私が、彼女の気迫に押されている?
「私は、モモちゃんとマタタビ君を信じているわ」
ヌートは長く沈黙した。姉妹の中でもフレイヤは信頼に値する妹だ。彼女の言葉を脳内で反芻し、本心と建前の妥協点を探りながら答える。
「……そうだな。私は強者が好きだ。何事においてもな。仮に勇者マタタビがカタルよりも強ければ……一考の余地があるだろう」
フレイヤの頬が緩み、優しくヌートの胸に手を当てた。
「その言葉、覚えていてねヌートちゃん」
上手く言いくるめられた気がしてヌートはため息をついた。このまま勝ち逃げされるのは癪なので、彼女に覆いかぶさって顔を近づける。
「いいかげん話は終わりだ。続き、いいか?」
「ふふっ。ヌートちゃんはせっかちねえ。あと一つだけあるのよん?」
「まだ焦らすのか。私はもう辛抱たまらんのだぞ」
「むしろここからが本題なのだけれどぉ……」
フレイヤの声色が一転して真剣になったので、ヌートも情欲を無理やり引っ込めた。自らの表情がリーダーとしての顔つきになったことを自覚する。
彼女はフレイヤの次の言葉を聞き逃すまいと耳を傾けた。
「――皆を集めて欲しいのだけれど」
彼女のお願いは、女神会議の要求であった。
好き勝手に行動している姉妹全員を集める。その苦労を想像して、ヌートは再びため息をついた。
これにて第2章「惑星アトランテ編」は完結です。楽しんで読んで頂けたのなら幸いです。
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