53. ニセ勇者、疑問を持つ
どこかの惑星、地下の巨大洞窟。
普段は物々しく厳かな雰囲気の祭壇の間は、いまや暴言や野次で溢れかえるやかましい議会場となっている。死霊王から分離した一万の魂が、激しく唾を飛ばし合いながら舌戦を繰り広げているのだ。
かれこれ一週間、ずっとこの調子だ。議長を務めるスペクターは思わずため息をつく。
事の発端は魂のひとつが疑問を投げかけたことだった。「勇者(仮)マタタビの背後にいた人物が、ココペリちゃんに似ていた」と言い出したのだ。その正誤を巡って意見が真っ二つに割れ、果てしない議論が始まった。
再びため息が漏れる。スペクターは頭痛を感じてこめかみに手を当てた。
かつては数百の魂と共に昼夜を問わず邪神を崇拝していたものだ。それから時が経ち、数千から一万という数まで魂を増やしたのは間違いだったと今更ながら悟る。この世には愚者が多すぎるのだ。
「あの表情や仕草は間違いない、ココペリちゃんだ」
「ふざけるな。ココペリちゃんがあんな女装癖のガキに執着するもんか」
「どちらが正しいですかスペクター様!」
我に聞くな、と抗議の視線を皆に浴びせかける。しかし骸骨の表情を読み取れる者はいなかったので、相槌を打ったと誤解された。
「ほら、スペクター様もそう言っておられるではないか!」
「流石は我らの第一人格、聡明であられる」
「いやいや、スペクター様は俺達の意見に賛同したんだ!」
拡大解釈もここに極まれりだった。それすらスペクターは否定しない。この議論は無意味なので適当に切り上げたい、としか思っていなかった。
仮にココペリちゃんが勇者(仮)マタタビに接近しているとしよう。早々に引きこもりを脱したのなら良いことではないか。彼女は勇者を仕留めるだけの実力もある。心配する要素など何一つない。
むしろ問題は統制が取れなくなった魂達だ。一方に肩入れすると反対陣営と不和が生じる。力で屈服させることは控えたい。数千の魂が一丸となれば、スペクターを消し去り第一人格を乗っ取ることも可能だからだ。
若い頃、我らは無敵だとばかり思っていた。しかし過ちに気づく。多ければ良いというものではない。ここまで融通が利かないとは……
スペクターが何度目かのため息をつくと、ふと背後から声を掛けられた。
「面白い議論をしていますね」
振り向くと、そこには修道女がいた。
スペクターは思わず息を呑む。冷や水を浴びせられるとはこのことだ。彼だけではなく、一万の魂もソレに気づいて一斉に黙った。正確には、恐怖で固まったという表現が正しいだろう。
あれほど騒いでいた儀式場が一瞬で沈黙に支配される。誰も何も言わず、ただただ緊張と恐れに耐えるよう必死に正気を保っていた。事実、彼らはその心臓を彼女の手に握られたも同然だったのだ。
「どうしたの。アナタ達、議論していたのでしょう?」
薄っぺらな笑顔を浮かべつつ炎の瞳が彼らを見回す。誰も答えようとはしない。長い沈黙を破り、ようやく言葉を発したのはスペクターだった。
「……いつからそこにいた、無貌王」
「過去、未来、あるいは現在かしら」
死霊王が魔人を統べる王であるならば。彼あるいは彼女は、魔人という枠を超越したモノである。
序列二位、無貌王。彼または彼女に名前はない。
「お話は終わったようね」
その言葉を聞いてスペクターは気づく。無貌王は助け船を出すために現れたのだ。
「そうだ、議論は終わりだ。全員戻れ」
一万の魂は我先にとマントの中へ逃げ込んだ。がらんどうになった地下洞窟に痛いほどの静寂が戻る。微かに滴り落ちる水滴の音や松明の揺らぎさえもよく響く。それらが正気と理性と保つ唯一のメトロノームだ。
「無貌王。頼みがある」
彼または彼女はスペクターの考えなどとうに見抜いているに違いない。それでもこうして直接頼まねば、無貌王は動かない。
「何かしら」
「魔人ムネノリの魂によると、嵐王ズムハァが20年前から行方不明だそうだ。つまり魔国ストゥムには指導者がいない」
序列一桁になった魔人は死霊王との契約を解除して自由に活動を始める。スペクターとて他の魔王の動向を知る術は限られているのだ。
「貴公には、嵐王ズムハァとなり国を維持して欲しい。本人が戻るまでの間だ」
「それが貴方の望みなら」
無貌王が自らの胸をチャックを開くように切り裂いた。そして修道女という皮を剥ぎつつ嵐王ズムハァがその体内から這い出る。まるで蛇の脱皮だ。華奢な女性が、二回りも大きな体格を持った鳥人族に変身を果たした。
「俺の国は良い魔力の供給源だ。スペクター、貴様も戦争なんぞやめて内政に務めたらどうだ」
「貴公こそ、その力を存分に振るえば惑星の支配など容易いはず……」
スペクターはすぐに会話を中断する。目の前の人物は嵐王ズムハァではなく無貌王の演技だと、頭では理解している。確かに目の前で変身するのを見た。それでも本能が思わず誤解するほど精度の高い模倣である。
「では俺は行くぞ。……また太ったな死霊王。間引きくらいしろ」
マントに張り付いた顔々が一斉に恐怖し悲鳴をあげた。スペクターは彼らをなだめるように言葉を発する。
「我らは同志だ。邪神復活の意志ある限り切り捨てはしない」
「そうか。難儀な奴だ」
「その言葉、ごくつぶしの民を間引かぬ貴公にそっくり返そう」
「お互い様だな」
嵐王が翼を羽ばたかせて洞窟の出口へと飛翔した。彼が遠のく姿を目で追っていたスペクターは息を詰まらせる。また本人だと誤解して会話をしていた。理性では彼が偽物だと知っているのにも関わらず、である。
雑念を取り払おうとするように彼は頭を振った。無貌王をどう形容すべきか言葉を探し、ようやく思いついたように呟く。それは自らの存在を差し置いてまで口から出た評である。
「……気味が悪いな」
◆◇◆◇◆◇
僕は岩戸城の大広間で魔人ウルウルと雑談していた。
「……というわけで、先日嵐王ズムハァ様が戻ってきたでござるよ!」
「爆弾級の発言がさらっと出たよね!?」
体調と共に口の軽さも戻ったようだ。ウルウル曰く、20年間不在だった嵐王ズムハァが戻ってきたらしい。同席していたウコン将軍は口をポカンと開けていた。うんうんわかるよ、実は魔王が不在でしたなんて普通は漏らさないよな。
嵐王ズムハァも何故こんな男を使者に任命したのだろう。
「ズムハァ様と会ったのは20年ぶりでござったが、そのかっこよさは健在だったでござる」
「へ、へえー」
「シノビマスターに伝言がござった。ズムハァ様が『決闘ならばいつでも受けよう』と言ってたでござるよ」
「謹んで辞退させて頂きます」
既に二体の魔王に殺されかけつつ撃退したのだ。魔人ムネノリを倒した功績もある。ここで放置しても、流石に女神に処刑されることはないだろう。……ないよね?
ウコン将軍が苦虫を噛み潰したような表情で告げた。
「今回の暗殺事件を理由に休戦協定を破棄することもできた。嫌なタイミングで戻ってきたものだ」
「ギルド長から聞いたのですが、勇者でも休戦中の国に攻め込むことはできないのですか?」
「その通りでございます勇者様。南方ウェロペ共栄圏が結んだ協定は勇者でさえ破ることはできません。かつて協定を無視した勇者『星渡りのカナリア』は、共栄圏の外に追いやられたとか」
どこかで聞いたことのある名前だな。んーと唸って思い出そうとしていると、魔人ウルウルも同じ表情をしていることに気づいた。
「ウルウルも彼女の名前を?」
「故郷で拙者を救ってくれた旅人が『カナリア先生』という名前でござった。この聖典をくれたのでござるよ」
彼が懐から本を取り出した。それが何なのかすぐに理解する。
「もしかして、それ漫画ですか」
「えっ!? さ、さすがシノビマスター。聖典まで知っていたとは、お見それしたでござる!」
ははーっとウルウルがひれ伏す。流れがさっぱり理解できていないウコン将軍がまたもや口をポカンと開けた。
しかし漫画とは懐かしいな、この異世界に来てから一度も読んだことが無かったから感慨深い。そう思いながらウルウルの聖典を手に取りパラパラめくる。
「……ん?」
そしてすぐに違和感に気が付いた。
この世界の共通言語「サピエーン語」は例えるならば英語である。というより確実に英語の改変だ。だから習得は一番簡単だった。
この漫画を読んだ人間は、これがサピエーン語だと勘違いしたに違いない。しかし僕にはわかる。これは紛れもなく英語で書かれた漫画だ。しかも日本で大人気だった漫画「極めよ忍道」の翻訳版である。
僕は「星渡りのカナリア」という人物に興味を持った。彼女が勇者ならば異世界から転生してきたはずだ。もしかしたら僕と同じ地球出身なのかもしれない。
廊下から複数の足音が聞こえてきたのでウルウルに漫画を返す。
今度、市場で漫画を探してみよう。
◆◇◆◇◆◇
ギルド長アサヒと受付嬢ツルヒメが大広間にやってくると、僕の目の前で平伏した。
「えっと、二人ともどうしたんですか?」
「勇者(仮)マタタビ様。この度は数々のご無礼をお許しください。ギルドを代表して謝罪致します」
「どのような罰でも喜んでお受けいたします」
うん、僕が勇者だって全然信じてなかったのは知ってた。というかニセ勇者です、はい。だからとても気まずい!
「えっと。普段通りにしてください。無礼なんて気にしていませんから」
するとアサヒさんがニカッとした笑みを浮かべてあぐらをかいた。
「アハハハ! マタタビならそう言ってくれると思ったよ」
「ギルド長、その態度は勇者様に失礼ではあるまいか」
ウコン将軍の忠告もなんのその。彼女は僕の肩を豪快に叩いて笑った。ツルヒメさんもにっこりと笑っている。なんか怖い。
「いやあ見直したよマタタビ! もちろん実力は知っていたけど、まさか魔王を退けるとはね!」
「ど、どうも」
「ところで勇者様はご結婚のお相手はございますか?」
「えっとツルヒメさん?」
「この国のために跡継ぎを三人ほどこしらえて頂ければ……」
「色々すっとばしすぎぃ!」
勇者という肩書は伊達じゃないな。きっとどの国でも引く手あまたに違いない。
「ごめんなさい。僕らは次の惑星を目指したいと思っています」
丁重にお断りすると、広間にいた4人が残念そうな顔をした。部屋の隅に移動していたウルウルの耳がしゅんと項垂れている。
「拙者、シノビマスターからニンジャについて色々学びたかったでござる」
「あと数日はいるので、できるだけ教えますよ」
「本当でござるか!?」
キラキラ目を光らせているウルウルを見て全員が笑顔になった。
――今回の事件を通して、僕は大きな疑問を持った。
邪神に祝福された悪しき存在、魔人。
彼らが真なる悪だとは到底思えなかった。心は人間のままだ。
ならば邪神はどうなのだろう。真の悪だと思ってよいのだろうか?
女神モモに相談するのは怖かったので、この疑問はひっそりと心の奥底に封じ込めることにした。




