49. VS魔人ヨタカ
首都の遥か上空。
濃霧よりも高い高度で、アタシと魔導師は魔術合戦を繰り広げていた。
「これならどうだ、《炎の揺り籠》!」
飛び回る魔人に箒の穂を向けて、渾身の魔術を放つ。爆炎の奔流は、しかし身のこなしの素早い鳥人族に難なく躱された。
「ホホゥーー! 《真空切断》!」
魔人が羽ばたき、真空の刃を繰り出す。箒を操って紙一重で斬撃を回避……したつもりが、パラパラと髪の一部が宙に舞って落ちる。
「くそっ! 乙女の髪になんてことしやがる!」
「このすばしっこい小娘が! これ以上、私の手を煩わせるな!」
戦闘力は現状で3:7といったところだ。一手でもミスると死が待っている。
騒ぎに気づいたのか、濃霧の中から数名の魔術士が飛んできた。千代御苑を警備していた近衛兵のようだ。箒ではなく、辰山雉と呼ばれる大型の雉に乗っている。
「後は我々に任せろ!」
「馬鹿っ! 近寄るなっ!」
警告むなしく、彼らが魔人に突進した。奴が翼を広げて目玉模様を見せる。辰山雉もろとも、大半の近衛兵達が意識を奪われて墜落していった。
咄嗟に腕で目を隠した魔術士に対しては《真空切断》が襲い掛かる。あの魔術は《風詠み》無しだと軌道を読むのが難しい。残りの近衛兵があっけなくバラバラに切断され、その体が無造作に濃霧の中へと落ちて行った。
くそ、やっぱりこのままじゃ近づけないか。
完全に攻めあぐねていると、魔人が突如として動きを止める。そしてボールのように、滅茶苦茶にその場を撥ね回り始めた。
「ホホゥーー! ホホゥーー!」
「急にどうした!?」
いきなりの奇行に思わずびっくり。困惑するアタシを無視して、魔人は声高に騒ぎ立てる。
「ウルウル! ああウルウル! どうして貴方は言われた通りのことをしないのですか! 私に従っていれば良いものを、魔王の手まで煩わせて! これでは面目が、面目が丸つぶれではありませんかァーー!」
魔人は怒りで顔を歪ませ、完全に目がイッているように見える。最初に対峙した時の冷静さや紳士さは欠片も見当たらない。
こういう時に攻撃すると、逆恨みで余計にキレるんだよな。一撃で倒せる魔術は完全に見切られているし、どうしたもんか。
空を撥ね続けている魔人を観察していると、モモから《念話》が飛んできた。かっこつけている場合じゃないな。マタタビに助けを求めよう。
◆◇◆◇◆◇
『リトッチに《念話》を送ってみます。支援を頼みましょう』
モモ様が《念話》を発動すると、彼女はすぐに答えてくれた。どうやら近くにいるらしい。
『――ちょっとこっちを手伝ってくれないか』
リトッチも似たような状況なのか、かなり切羽詰まった声だった。
「奇遇ですね、僕も同じことを言おうとしてました」
『おいおい、アタシは暗殺の首謀者と戦っているんだが。こいつ倒せば終わりじゃね?』
「僕は序列3位の魔王と戦っているのですが」
『はあっ!? なんでそうなってんだよ!』
「僕が聞きたいですよ!」
『アタシと一緒に考えた最強無敵の魔術があるだろ、そいつを喰らわせてやれ』
「例のスゴいぞかっこいいぞな光魔術ですよね。濃霧のせいで撃てないんです」
リトッチが一瞬沈黙し、ため息をついた。しまった、確か濃霧は魔導師の仕業だったか。彼女のせいみたいな言い回しになってしまった。気まずい。
「すみません、リトッチのせいでは……」
『まったく、やっぱりアタシがいないと駄目だな。世話の焼ける勇者様だ』
「リトッチ?」
『時間を稼げ。魔導師を倒して霧を晴らしてやるよ』
その声色は、いつものかっこつけたがりな彼女だった。敢えて冷静に振る舞っているのだろう。こっちも余裕があるように振舞う。お互いに励まし合う感じだ。
「魔王と首謀者を倒したらお祝いしますよ。例の杖も買いましょうね」
『約束だぜ。通信終わり』
彼女との《念話》が途絶える。モモ様が心配そうに呟いた。
『リトッチが心配です』
「大丈夫ですよ。なんたって彼女は将来――」
僕は濃霧の空を見上げて、リトッチの勝利を祈った。
さて、こっちはこっちで時間を稼がなきゃな。
◆◇◆◇◆◇
あーあ、約束しちまった。
しょうがねえなあ。あいつも絶体絶命のようだし、アタシも覚悟を決めて勝負するか。
この策に奴が嵌るかどうか、賭けになるな。
暴れまわる魔人に対して《火球》を投げつける。魔人は翼で火球を叩き落とし、ギョロリと睨んできた。
奴は頭に血が上っている。だがまだ足りない、もっと煽ってやらなきゃな。
「おいおいどうした? 思い通りにならないからって、みっともない奴だな。魔導師の名が泣くぜ?」
「黙れ小娘が」
「ハッ! 何百年生きているか知らないが、所詮は魔国ストゥムに引きこもっていた臆病者じゃないか。案外大したことはないんだな」
「ホホゥーー! 死ねクソガキ、《旋風惨禍》!」
魔人が翼を広げると、風が一点に集まって巨大な球を作った。まるで圧縮された竜巻のようだ。それをいくつも生み出し、アタシ目掛けて射出した。飲み込まれてしまうと、球の中心でズタズタに引き裂かれてしまうだろう。
「頼むぜ、スターダスト」
頼みの箒をとんとん叩き、急加速。《旋風惨禍》を躱し、その吸引力に負けじとスピードを上げ、その場から逃げる。向かうは遥か空の上だ。
◆◇◆◇◆◇
かつて、魔人ヨタカは嵐王ズムハァに進言したことがあった。
「ズムハァ様、なぜ人族に復讐をしないのですか。この惑星を支配し、ゆくゆくは惑星ウェロペに侵攻するとばかり思っておりましたが」
「我らの復讐は、既に終わったではないか。この魔王城を見るがよい」
魔王城の壁や床、さらに柱や椅子や装飾品に至るまで人骨が埋め込まれていた。ふたりが滅ぼした王国の住人の躯は、こうして飾られているのだ。
哀れな犠牲者らは、しかし同情するには値しない。何故ならふたりの同胞である鳥人族を大量虐殺した過去があるからだ。
それはT.E.1265年から85年にかけてのこと。
複数の惑星で流行病が発生し、その原因は不明のまま数億人が死に至った災害があった。結局、流行病はある日を境にぱたりと消えた。
その災害を「鳥人族が運んでいる」と断定した人族の王国が、感染を防ぐ名目で罪もない鳥人族を駆除したのである。
ヨタカは人族の愚かさに嘆き、彼らに復讐するために邪神へ祈った。力を得て、ズムハァと共に悲願を果たしたのだ。代償として「流行病の原因は魔王ズムハァである」と人間どもに流布されたが、ズムハァは箔がついたと黙認した。
「ホホウ、復讐はまだ終わっておりません。同胞たちの嘆きが毎晩聞こえてくるのです」
「俺を焚きつけても無駄だぞヨタカ。貴様は実績をあげて魔王の席に就きたいのだろう」
魔人ヨタカは気まずそうに身じろぎして、頭を垂れる。それは自らの不満が顔に出ると察してのことであった。
「流石はズムハァ様。お見通しでしたか」
「貴様に魔王は無理だ。身の丈にあった余生を過ごせ」
結局、ヨタカは魔国ストゥムの運営を数百年間も務めることになった。夢を忘れ、呪われた人々に救いの手を差し伸べる日々。それがつまらないわけでは無い、節制した暮らしは彼自身とも相性がよかったのだ。
しかし魔王ズムハァが不在になり、忘れていた夢がふつふつと湧きあがる感覚を、魔人ヨタカは認めざるを得なかった。
そして今、夢を叶えるための謀略が尽く打ち砕かれた。
「どいつもこいつも馬鹿にして、私を見下すな!」
魔人ヨタカは血走った目で、空へと上昇する魔術士を追い回す。翼の羽に風魔術を付与し、次々と投擲。しかし少女は紙一重でそれらを躱しつつ、彼に向って中指を立てた。
ヨタカは罵詈雑言を吐き出しながら、風魔術を繰り出して彼女を切り刻もうとする。少女は何度か魔術の余波を受けて皮膚が裂かれ出血するも、反撃の炎魔術を放っていた。もちろん躱すことは容易い。
「(小娘の四肢をへし折って、命乞いをする姿を見降ろしながら止めを刺してやる)」
苦し紛れに炎魔石がばら撒かれるも、それらの爆発を難なく回避。徐々に距離を詰めていく。
――突如、少女が速度を落とした。ヨタカは彼女を追い越し、眼下に見据えて余裕たっぷりに宣言する。
「ホホウ、ホホウ。これで終わりです」
翼を広げ、羽を射出しようとした瞬間、それに気づいた。
彼の羽が凍り付いていたのだ。
「なっ……いつの間に!?」
気づけばふたりは、地上からはるか離れた高度1万メートルにいた。気温はマイナス40度に達している。
少女が執拗に繰り出していた炎魔術が、体感温度を狂わせるためだったことに今更ながら気が付く。
「その様子だと、宇宙に関しての知識は浅いようだな。《風流れ》!」
彼女を中心に強烈な上昇気流が発生した。ヨタカと少女が風に乗せられ、更に高度を上げていく。ぐんぐんと気温が下がり、体中が凍り付いていく。
「が……かか……」
吐く息すら凍り付き、碌に魔術すら発動できないほどの極寒の空。しかし魔術士は平気で《風流れ》を発動し続けている。彼女との距離が近すぎて、上昇気流から逃れられない。
「(ば、馬鹿な。なぜ小娘は平気なのだ)」
よく見ると、少女の体が火照っていた。口から炎が漏れ出ている。魔術を発動せず、体内で炎を生み出しているということは。
「まさか……サラマンダーの火か……」
「そういうことだぜ。たまには見下ろすだけじゃなく、上を見てみなよ」
思わず、言われるがままに宇宙を見上げる。星の口づけが終わったばかりの惑星カラミテが映った。こんな状況でなければ、ヨタカですら美しいと思えるほど大きくはっきりと見える。
「アタシはリトッチ、いずれ大魔導師になる女だ」
振り返ると、小娘が箒の柄を持って大きく振りかぶっていた。
「じゃあな、運が良ければ惑星カラミテが拾ってくれるぜ」
「や、やめ」
少女が凍りついて動けないヨタカに接近し、思いっきりフルスイングする。ヨタカはそのまま成層圏を突破する勢いで殴り飛ばされた。
最早、負けを認めざるを得ない。
「(身の丈に合わないことをした結果が、これか)」
惑星カラミテの重力に引き寄せられるか、それとも冷たい宇宙に放り出されるか。結果がどちらになるか、彼にはわからない。
凍ったままの状態で、ヨタカは離れ行く惑星アトランテを見下ろしていた。
「(ズムハァ様。やはりこの惑星は我らが支配するべきでした。なんと、なんと美しいことか)」
こうして、魔人ヨタカは惑星アトランテから姿を消した。
◆◇◆◇◆◇
よし。これで奴の魔術は解除されるだろう。
遠ざかる魔人を見届けながら、ゆっくりと下降する。
「流石にここからじゃ《念話》は届かないか」
とはいえ、ふたりなら切り抜けられる。そう信じるしかない。
魔力もからっきしだし、アタシは賭けに勝った余韻にひたらせてもらうぜ。




