48. ニセ勇者と魔王、出会う
遥か過去、T.E.1106年。
少女は崖の下に倒れ伏し、大雨に打たれていた。
体中のあちこちが骨折していて、身動き一つとることができない。雨粒が容赦なく降り注ぎ、その一粒一粒が激痛を生み出した。体温が急速に下がり、全身が冷たくなっていく。
少女はか細い叫びをあげて、助けを求める。しかし危険な獣が多く潜むこの森は、並の冒険者さえも立ち入らない危険区域だ。
何より、少女がこの森にいることは、彼女の冒険者仲間しか知らない。そして仲間は助けに来ない。
少女を崖から突き落としたのは、彼らなのだから。
ヒュウヒュウとか細い呼吸を繰り返し、少女は必死に命を繋ぎ止める。潰れた右目に雨水が溜まり、涙のように頬を伝った。
「……た、すけ……」
誰に向けたかもわからない少女の懇願は、大雨によってかき消される。神でも悪魔でもいい。誰か助けて欲しいと、心の中で強く願った。
不意に、痛みが消える。
雨粒に打たれる激痛も、うるさい雨音も、冷たいという感覚すらなくなった。まるで魂が肉体から切り離されたような、他人が見る景色を覗き見ているような、現世とあの世の境界にいるような気分になる。
びちゃびちゃと、誰かが水たまりを歩く音だけが鮮明に聞こえた。瞳孔が開きかけていた左目が、はっきりと人影を捕らえる。
それは修道女だった。
彼女は倒れていた少女の前に立ち、腰を屈めてゆっくりと覗き込む。お互いに目が合った。
「可哀そうに、勇者に捨てられたのね」
修道女の瞳は例えるならば「炎」だった。赤、黄、紫、緑、橙、紅……それらの色彩がごちゃ混ぜになっている。彼女が人外の類であることは、一目瞭然であった。
もう喋ることすら叶わない少女は必死に祈った。死にたくない、助けてください。正体が誰でも構わない、ただただ目の前の女性にすがったのだ。
「とても美味しそうな子ね。命を救う代わりに、アナタから大切な物をひとつ頂くわ」
少女の願いは届いた。悪魔よりも恐ろしい、魔王の耳に。
修道女の額から「第三の眼」が現れ、少女をぎょろりと睨み……。
◆◇◆◇◆◇
ふと、欲王ココペリはまどろみから目が覚めた。
カパカパと鳴る蹄の音が心地よくて、つい寝てしまったようである。
少年の姿に変装していた彼女は、馬車の荷台から顔を出して進行方向を見つめた。イワト王国の首都「寅ノ城」はもうすぐそこだ。
「ココペリ様、どうぞ」
従者のドゥメナからハンカチを受け取り、服についていた涎をふき取る。ココペリは左手の指につけていた指輪を触りながら、ぶつぶつと小言を呟いた。
「拘束指輪は改良が必要だ。身体能力が下がりすぎて、しょっちゅう眠くなる」
「……また、例の夢を見ていたのですか?」
魔人ドゥメナは、傍から見ると決して表情を崩さないメイドだ。しかし長い付き合いのおかげか、ココペリは従者の不安を機敏に感じ取った。
「まったく、ドゥメナはやたら心配性だね。……うん。まあどうでも良い夢だよ。それより、勇者(仮)マタタビは首都にいるんだな?」
「はい。行商人から評判を聞きました。ギルド長を倒して一躍有名になったとか」
「ふうん。なら接触するのは簡単だね。ボクの肩書を利用しよう」
冒険者カードを取り出して指先でくるくる回す。仮の姿「ココ」は、いっぱしの冒険者である。《分身》を世界各地に配置し、こういう時のために偽の身分を確保しているのだ。
欲深い人間どもを堕落させるには、冒険者はもってこいである。
「ようやく、あのふざけた勇者に再会できる。気を引き締めるぞドゥメナ。勇者(仮)マタタビはボク達が殺すんだ」
「ココペリ様。顔が緩んでおりますが」
「ゴ、ゴホン! うるさいよ!」
閑話休題。
宿屋の2階に荷物を置き、ココペリは背伸びをした。
「貧弱なこの体だと長旅は堪えるなあ」
「それではココペリ様。私は情報収集に出かけます」
ドゥメナは外出し、残された少女は暇そうに部屋をぶらぶらと歩き回る。
ふと外を見ると、濃霧が王都を飲み込みつつあった。
「へえ、あれは魔導師が発動した魔術だな……まあ、大したことはない。ボクには関係ないぞ」
ココペリはテーブルに羊皮紙を広げ、眼鏡を掛けて「勇者(仮)マタタビ抹殺プラン」を練りだした。計画を完璧に成功させるため、緻密に作戦を練ることがささやかな楽しみだ。
まして、今回の目標は彼女を辱めた勇者(仮)である。
「勇者の目的は、常識的に考えれば嵐王ズムハァだよな。呪いを消す女神の服を装備しているし、挑むのは不思議じゃない」
千代御苑で騒ぎが起こっているなど露とも知らず、彼女は夢中に計画を立てていた。羊皮紙がびっしりと文字で埋まる。
「まずは信用を得てパーティーに潜り込み、勇者とお供連中の仲を引き裂いてやる。そして魔王城に一緒に突入して……ズムハァの協力もいるな……ここでネタ晴らし! 悔しがる勇者の姿を肴に、ボクの全力を披露して……」
残る問題は、勇者に怪しまれずにどう接触するかであった。ココペリは胸の高まりを抑えるため、脳内で計画の流れをイメージして気を落ち着ける。
「……ふう。完璧だ。序列8位まで上り詰めたボクの実力を、身をもって思い知る時が来たぞ、勇者(仮)マタタビ!」
びしっと壁に向かって指を差す。もちろんそこには誰もいない。何度か指さしを繰り返してポーズを修正する。
「よしばっちり。ボクを辱めたことを死ぬまで後悔させてやる。あはははは!」
まだ出会ってすらいないが、彼女は高らかに勝利宣言をおこなった。
「勇者(仮)マタタビ! これでボクの勝ち……」
次の瞬間、轟音と共に天井に穴が開き、彼女の目の前に人が落ちた。
「……だ?」
ココペリは目つきをするどくして舌打ちした。人が気持ちよくしているときに、迷惑な奴だと思いながら覗き込む。
「……えっ!?」
思考が止まった。
そこにいたのは勇者(仮)マタタビだった。
しかも、また女装していた。
◆◇◆◇◆◇
体の痛みを我慢しながら立ち上がる。
「ひえぁぁっ!」
僕を覗いていた少年が情けない声をあげて、その場に尻もちをついた。
『魔人達の気配が近づいてきます、勇者の子よ』
「宮殿で暴れないだけ幸いです。ここが戦場になるので、《念話》で人々を避難させてください」
『わかりました。マタタビ君はその子を』
敵の猛攻には驚いたが、打つ手が無いわけじゃない。少し時間ができたわけだし、心に余裕を持たせよう。気持ちをリセットするために深呼吸。
目の前の少年はガタガタ震えていて、逃げる気配が無い。腰を抜かしてしまったようだ。
「な……なん……で……」
「ごめんなさい、ちょっとお邪魔します。怪我はありませんか?」
一見すると僕より年下に見えるが、この世界の容姿は年齢と直結しないのが厄介だ。もしかしたら老人かもしれないので、敬語で接しつつ彼に手を差し伸べた。
「……あ……えと……」
少年が呆然としながら、僕を上から下までじーっと見る。うんうんわかるよ。侍女の服装を着た男が屋根を突き破って落ちてきたんだからね。自分でも頭のおかしいことを言ってるけれど、事実なんだから仕方ない。
彼は思考が完全に停止しているのか、逃げようとすらしない。うーん。もしかしたら、見た目通りに12歳くらいなのかな?
「初めまして、僕はマタタビです。君の名前は?」
「ボ、ボクは……ココ、ココ……です」
上ずった声が返ってきた。少しでも緊張を解いてあげなければ。
「ココ君だね? よろしく」
無理やり彼の手を握って立たせる。少年はされるがままに立ち上がり、僕をぼーっと見つめた。
「う、うん……よ、よろしく」
……なんだろう。彼の表情に違和感を覚える。顔もちょっと赤い。いや、まさかな。今はそんなことより彼を避難させなきゃ。
「落ち着いて聞いてね。これからこの場所は戦場になるから、他の人と一緒に逃げて……」
彼は正気に戻ったのか、はっとして焦った表情に変わる。床を見回すと、落ちていた羊皮紙を慌てて拾い上げた。
そして僕の目の前で、その紙を食べ始めたのだ。
「むしゃむしゃ」
「だから落ち着いて!?」
めっちゃ混乱している! 緊張したら何でも口にするタイプかな? それとも山羊族だったりして。いずれにせよ変な子だな……。
『マタタビ君、来ます!』
先見の型でその「落下音」を聞き取る。少年に声を掛ける余裕は無かった。咄嗟に彼を抱きしめてその場から跳躍し、壁際に移動する。
「はわっ!?」
ココが悲鳴をあげた次の瞬間、天井の穴から雪人族の魔人が降り立った。ぶわっと埃が舞い、むせかける。
「は、離せよっ! このっ!」
少年は顔を真っ赤にして僕を突き飛ばした。状況が把握できていないようだ。雪人族の魔人が僕達に向かって両腕を振り下ろす。再びココ君に飛びついて、彼を押し倒した。恐怖にも似た情けない声が響く。
「ひぃ……」
魔人の拳が床に大穴を開ける。轟音と衝撃が宿屋を揺らし、天井から柱や天板や落ちてきたので、ココ君に覆いかぶさるようにして守る。彼は恐怖のあまりか、手で顔を隠してプルプルと震えていた。
再び魔人が両腕を高く掲げる。しかし床が耐えきれなかったのか、一気に全体が陥没して僕達を1階へ落とした。
「~~~~っ!?」
「大丈夫っ!」
落下しながら少年を引き寄せ、お姫様抱っこして着地。魔人のほうは瓦礫に埋もれて仰向けに倒れていた。その隙に宿屋から飛び出す。
通りはパニック状態になっていた。人々が散り散りになって逃げていく。濃霧の影に隠れているが、屋根の上に魔術士の魔人が、通りの背後には剣士の魔人がいた。そして正面の上空に、巨大な影が映る。
それは宮殿の天守閣だった。死霊王は天守閣ごと《飛翔》で移動してきたようだ。完全に囲まれてしまったな。
震えたまま硬直している少年をその場に降ろす。
「魔人の狙いは僕だけです。ココ君はすぐに逃げてください」
しかしココ君から返事はなく、彼は僕を見上げながらその場にへたれこんでしまった。どうやら完全に腰が抜けてしまったようだ。
さて、どう切り抜けるべきか。
死霊王を倒す方法を必死に考えていると、濃霧の遥か上空で飛行音が聞こえた気がした。
 




