47. VS死霊王スペクター
2周目の人生、18歳。
僕はモモ先生からテストの採点結果を受け取った。
「200点満点中の170点、よく頑張りました。努力賞の5女神ポイントです」
「流石にネアデル語を覚えるのは大変でしたね」
ネアデル語は様々な種族の言い回しに対応しているせいか、とにかく覚えなきゃならない単語や方言が多すぎた。勉強を始めて約2年、ようやく習得したと言っても良い。
ちなみに女神ポイントの使い道は一切わからないので、今ではスルーを決め込んでいる。
「いやー、これでようやくモモ先生から解放され……」
「では次回からはサピエーン語の勉強に移りましょう」
「えっまだあるんですか!?」
共通言語ってひとつだけじゃないの!?
「少なくとも三大共通言語は全部マスターしてください」
「いやいや! ネアデル語はともかく、他の言語は《言語習得》で覚えても良いのでは?」
するとモモ先生が体をもじもじさせた。
「……マタタビ君、もうちょっとこの関係を続けませんか? 私、まだ人の子から告白されていないので」
は?
「だって、先生と生徒がマンツーマンでレッスンすると、禁断の恋に落ちるのですよね」
は?
「ま、満点を取ったら……ご褒美にキスとか」
は?
「もっと激しい行為をお望みですか、人の子よ。まさか胸を揉みたいとか?」
「ねーだろそんなもん!」
「ひ、ひどいですマタタビ君! マイナス20女神ポイントです!」
「そのポイントを胸に回せよ!」
この後、僕とモモ先生で取っ組み合いが起こった。
閑話休題。
頬っぺたを腫らしているモモ先生は、むすっとした表情で教鞭をとった。ちなみに僕は頭にたんこぶがいくつもできている。
「最低でも覚えるべき共通言語は『ネアデル語』『サピエーン語』『エレクト語』の3種類です。それぞれ南東星域・北西星域・北東星域で主に使われています」
「最低でも、ということは共通言語はもっとあるんですか?」
「その通りです。ティアマト星系が誕生して人類史が始まった後、7人の賢者が7つの共通言語を編み出しました。言語圏の違いで衝突や戦争が起こった結果、いくつかの言語は敗北して地方言語と同じ規模まで身を落としたのです」
「なるほど。ネアデル語は多様な種族が使うことができるので、今でも主流なんですね」
「私は勉強の一環として全てマスターしましたよ。えっへん」
100年間の引きこもりは伊達じゃないな。
「せっかくですから、僕もマイナーな共通言語を一つくらい習得してみたいですね。例えばこれとか」
机の上に積み重なっていた辞書の山から、一冊の本を手に取る。それは【ソロ語】に関する本だ。カバーが黒く、おどろおどろしい血管が浮き出ている。パラパラとめくると、モモ先生が慌ててその本を奪い取った。
「こ、これは駄目です!」
「えっ」
「ソロ語は歴史から抹消された言語です。今では誰も知りません。とにかく、この言語は忘れてください」
「えー」
「えーじゃありません。めっ!」
モモ先生がソロ語の辞書を引き出しに入れ、鍵を掛けた。でもちょっと惹かれる言語だったんだよな。本の中身をちらっと見たけど、文字の形が象形文字に近い印象だった。妙に「覚えてみたい」という意欲に駆られるというか……。
後でこっそり読んじゃおっと。
◆◇◆◇◆◇
僕は天守閣に続く階段を駆け上がる。
「モモ様っ!」
到着して広間に目を向けると、震えながら立ち尽くす女神モモに、骸骨族の男が手を伸ばしていた。
「テメエ、離れろっ!」
刀を男の頭に向かって全力で投擲する。その刃が骸骨の眼に刺さり、一瞬の隙が生まれた。僕は女神モモに駆け寄って手を繋ぎ、二歩三歩と下がる。
「モモ様、無事ですか!」
「マ、マタタビ君。大使は?」
「近衛兵を鎮圧したウコン将軍に預けました。なんなんですかコイツは!」
「あれは……魔王です」
目の前の化け物が、明らかに異常な存在だとわかる。漆黒のマントに浮かぶ無数の顔模様が、一斉に僕を見た気がした。胸がむかむかして、嘔吐しそうになる。死の気配が濃すぎるのだ。
魔王に突き刺さった刀があっという間に腐敗して、床に落ちた。
『なるほど、貴公が女装癖のマタタビか』
その声を聞いて、背筋にぞっと悪寒が走った。この宮殿にいる者の中でも、奴の言葉は僕と女神モモしか理解できないだろう。
それは「ソロ語」だった。
いや問題はそっちじゃなくて!
「なんで魔王までその二つ名を知ってるんですか!?」
僕の叫びを聞いた魔王の動きが止まる。表情は一切分からないが、雰囲気からすると戸惑いなのか? マントの顔模様もお互いにヒソヒソ囁いている。
『貴公、ソロ語を理解できるのか』
「えっ? はい、一応勉強しましたから」
「えっ!?」
『ほう……』
女神モモが馬面のような表情で僕を見ている。やべ、うっかり言っちゃった。対して魔王は顎に手を当てて何やら考え込んでいるようだ。
「ななな、なんでマタタビ君がソロ語を!?」
「すみません、ちょっと面白そうな言語だったので」
「忘れてください、今すぐ全部忘れるのです!」
女神モモがピコピコハンマーを取り出して、半泣きになりながら僕を叩く。結構痛いぞ!? つか魔王が目の前にいるのに何やってんの!?
『女神の困惑も、もっともであろう』
僕らの痴態を見かねたのか、魔王が解説を始めた。もしかして、話の分かる魔王?
『ソロ語は邪神を崇拝するために編み出された呪いの一種だ。文字を刻むだけで邪神に魔力を吸い取られる。この言語を使用するということは、邪神に祈りを捧げるも同然なのだ』
「そんなヤバい言語だったの!?」
「私という女神がありながら、邪神をこっそり崇拝していたのですね! 不倫です、不倫!」
女神モモが僕の背中に飛び乗って爪を立てる。いててて、これ本気で怒ってるやつだ!
「いや、ちょっと待ってモモ様、いま僕達ピンチ! 絶体絶命のピンチ!」
「話題をそらさないでください!」
「いやそれてるのはこっちの話題! ソロ語は覚える時にしか使いませんでしたから! 全然、崇拝してませんから!」
「本当ですか? ティアマト母様に誓いますか?」
「誓います誓います。僕が悪かったですごめんなさい。お詫びにモモ様の言う事何でも聞きますから」
誠意を込めて謝ると、女神モモがようやく冷静に戻った。ほっと一息。
魔王はなぜか奇襲を仕掛けず、じっと僕らを観察していた。やがて口を開くが、それは意外にも称賛の声であった。
『まさかソロ語を学ぶ人間がいたとは、しかも勇者とはな。貴公に興味を抱いたぞ。もっとも我らは違うが』
マントに描かれた数千の顔模様が一斉に「殺せ」「やっちまえ」「八つ裂きにしろ」と怨嗟の声を放つ。並の人間がこの合唱を聞けばショック死するだろう。実際にソロ語の罵倒を浴びせられるだけで、呪詛をぶつけられたような気分になる。
……ただし、言葉が理解できる僕は「おいマジで女装してるぞ」「意外といけてるじゃん」「貧乳の女神、ありだな」「スペクター感激してて草生える」といった野次まで聞き取ってしまう。き、緊張感が薄れる!
やっぱソロ語を覚えたのは間違いだったのかもしれない。
◆◇◆◇◆◇
『貴公に敬意を表し、我らへの名乗りを許そう』
「……僕は勇者(仮)のマタタビです」
「彼は序列3位の死霊王スペクター、全ての魔人の頂点と言っても過言ではありません」
女神モモの口調から、冗談を言っているようには思えない。マジか、欲王ココペリや嵐王ズムハァよりも更に上位の魔王だって?
「なんでこんなところにいるんですか。普通、魔王城の玉座で待っているような奴ですよね」
『それは、魔人ウルウルが契約違反を犯したからだ』
「契約?」
「死霊王は魔人となった者に呪いを掛けて、魂の一部を管理しているのです。魔王大図鑑にも載っていました」
『女神ミネルバも殊勝な心がけだ。だが、その図鑑に追記することが賢明であるぞ。我は契約違反を犯した者の魂を刈り取るために、こうして肉体を乗っ取ることができる』
女神モモが悔し気に唇を噛んでいる。つまり、彼女がウルウルを改心させてしまったから魔王が出てきたということか。
「ごめんなさい、マタタビ君。私が調子に乗りすぎていました」
「モモ様のせいじゃありませんよ。むしろこの調子で、がんがん改心させてください。こいつが出てくる度にボコボコにして、二度と来る気を無くさせてやります」
死霊王がクククっと嗤う。
『我らを1万回殺す気概があるのならば、試してみるがよい。もっとも、貴公にはこの場で死んでもらう。ココペリにとって有害な存在だ』
つんざくような悲鳴が天守閣中に響いた。床や天井の腐敗が進み、鼻がひん曲がりそうなほどの死の匂いが充満する。更に死霊王から圧倒的な量の魔力が溢れ出て、僕の全身を鞭打った。完全に殺る気になったようだ。
しかし、気になるワードが出たな。欲王ココペリは惑星ゴルドーで1回退けただけだが、何で僕が有害なんだ?
その疑問をよそに、死霊王がマントの一部を引きちぎった。3枚の切れ端がひらひらと舞って床に落ちる。すると見る見るうちに切れ端が膨らみ、人の形へと変化した。
全身が真っ黒だが、それは剣を持った犬人族の男、杖を持った長耳族の女、そして身長が5メートルもある雪人族の男だった。
「気を付けてください。彼らは全員、死霊王に吸収された魔人の魂です」
「再生怪人みたいな奴ですね。モモ様とウンディーネは魔石の中へ」
女神モモと泥まみれのウンディーネを避難させる。同時に聖剣タンネリクが飛び出でて僕の手に収まった。魔石をセットして剣を構える。
『この矮小な肉体では、同時に切り離せるのは3体が限界か。魔力も大分劣るが……貴公の首をひねるには事足りる』
「それはどうでしょう、やってみないとわかりませんよ」
ほとんど負け惜しみなのは認めなきゃいけない。なんたって、相手は魔人陣営の総本山みたいな奴だ。ニセ勇者の僕が果たして勝てるのか。
いや、勝たなきゃならない。僕達の冒険を、ここで終わらせないために!
『来ます、マタタビ君!』
犬人族の剣士が僕に飛び掛かる。出し惜しみをせずに《三極の型=紅炎》を発動。五合ほど斬り合い、返す刀で敵の左腕を切り落とした。
しかし足を止めた瞬間、床から伸びた鎖が僕の手足を縛る。長耳族の魔術士が発動した《捕縛》だ。鎖を引きちぎった隙を突いて、雪人族の剛腕が迫る。ぎりぎり腕でガード。
――次の瞬間、僕はそのパンチに吹き飛ばされ、天井を突き破って空へと舞った。
「がぁ……!? えっ、何が起こったんですか!?」
『雪人族は全種族の中でもトップクラスの筋力を誇ります! 腕を治して!』
見ると腕がボキボキに折れていた。ぐるぐると回転しながら《治癒》を発動。濃霧のせいで方向感覚を完全に失ってしまう。空も地面も全然見えない。……つか、どこまで吹っ飛ばされるんだこれ。
『受け身を取って!』
落下先に、突如として城下町の町並みが見える。千代御苑の外まで殴り飛ばされたの!?
慌てて体を丸めて衝撃に備える。そのまま僕は宿屋の屋根に落下し、大穴を開けて2階に墜落した。全身に激しい痛みが走り、肺から空気が無くなる。
「かはっ……」
仰向けに倒れていた僕に、パラパラと木くずが落ちてくる。それを払っていると、頭上にすっと影が落ちた。
「……えっ!?」
僕を覗き込んだ少年が、驚きの声をあげた。どうやら宿泊客のようだ。
ひょろひょろの体格に緑髪、だぶだぶで深緑色のローブを着た子供。細い腕で眼鏡を掛け直しつつ、驚愕と戸惑いの表情をみせている。
――僕と女神は知る由も無かった。
これが、彼の欲王ココペリと再会した瞬間だったことに。
 




