45. ニセ勇者と魔術士、奮闘する
王都から1キロほど離れた森林地帯。
深い霧の中、アタシは箒に跨りつつ《飛翔》で逃げ回っていた。
「くそっ! 思ってたより全然ヤバい相手じゃねえか!」
木々の間を蛇行しつつ、敵の攻撃を躱す。枝が頬を掠め、葉っぱがゴーグルに当たる。アタシが通り過ぎた大木に何枚もの鳥の羽が突き刺さった。その木が見る見るうちに枯れていく。魔力を吸い取るタイプだ、体の何処に刺さっても致命傷になる。
アタシは《風詠み》の才能がある。風の流れから木々の位置を読み取り、濃霧の中を自由に動き回ることができる。しかし敵もアタシを完全に補足しているようだ。距離がどんどん縮まっている。
「《風刃》!」
風の刃を飛ばして反撃するが、手ごたえは全くない。逆に敵の笑い声が聞こえてきた。
「ホホウ、ホホウ。やはり私の正確な位置は把握できていないようですね」
アタシの後方、少し高い位置にいる。言葉が通じる格上が相手となると、ちょっと戦略を変えんとな。
「はっ、随分と余裕じゃないか。こんなところで、アタシの相手をしてていいのかよ? あっちには勇者様がいるんだぜ」
「確かに、少々厄介な剣士がいるようですね。貴方との遊びもここまでにしておきましょう。……《暴風波》!」
――風が来る。
《風詠み》が無ければ、アタシはその《暴風波》に飲まれていただろう。奴がいるであろう位置から巨大な突風が迫り来る。その場から急上昇。次の瞬間、もの凄い風の渦が下を通り過ぎて箒を揺らす。周囲の木々がバキバキと音を立てて倒れていた。
「ホホウ? 貴方、風が詠めるのですか」
「今度はこっちの番だ、《千本炎槍》!」
魔術が発動した位置に向かって炎の槍をいくつも叩き込む。やはり手ごたえはなく、別の位置から投擲された鳥の羽がマントに突き刺さった。あぶねえ。
「ようやく捕まえましたよ」
ふっと、周囲が暗くなる。これは影だ。思わず見上げると、アタシの真上でフクロウ型の鳥人族が翼を広げていた。ゴーグル越しに翼の目玉模様を見つめてしまう。意識が、ぐるりと反転し……
◆◇◆◇◆◇
「伏せて! 剣技《閃光斬魔》!」
刀を振るい、魔力の刃を飛ばす。オーラグインがしゃがみ、その真上を刃が通り過ぎた。飛び掛かってきた3人の近衛兵の胴体を真っ二つにする。
4人目は刃が浅かったのか胴体が分かれず、腹から臓物をまき散らしながら大使様を槍で突き刺そうとする。完全に正気を失った状態で、まるで誰かに操られているかのようだ。
――僕の脇を通り、投げつけられた一振りの刀が近衛兵の胸に突き刺さる。
近衛兵の上半身が衝撃を受けて吹き飛び、門の壁に激突した。分かれた下半身は足がもつれて、大使様の目の前で倒れる。切断面がパックリ見えてグロい光景だが、意外にもオーラグインは気をしっかり保っていた。
振り返って刀を投擲した魔人ムネノリを見つめる。男は憤怒の表情で、肩で息をしながら叫ぶ。
「ヨタカ! 邪魔をするな! 吾輩はいま絶頂の中にいるのだぞ!」
どうやら《念話》で誰かと話をしているようだ。いらいらした様子で、何度も自分の頭を叩いている。男は僕を睨んで尋ねた。
「貴様、なぜ吾輩に背を向けた」
「さあ、僕にもよくわかりません」
確信があったわけではない。普通の魔人なら、背中を見せた勇者に躊躇なく斬りかかったのかもしれない。だけど、この男は僕を「魔人と勇者」という関係で見ていないように思えたのだ。
そして逆もしかりだ。この男が誰かを守るために背を向けたのなら、僕は奴を斬らないのかもしれない。それが勇者として間違っている行動だとしても。
邪魔者がいなくなったので、改めて刀を構える。
「魔人ムネノリ。お前はどうして魔人になったんだ?」
「笑止千万。強者になるためなのだ。この世は強者と弱者しかいない。吾輩は強者を全て打ち倒し、弱者を脱するのだ」
「この世界は強者と弱者だけで分かれちゃいない。それに、互いに手を取り合う道もある」
「それこそ強者の理屈なのだ。弱者に決定権など何もない。吾輩が強者であれば、弱者を好きにできる。気に入った奴を救って、気に入らない奴をぶっ殺すのだ」
ムネノリの左腕の切断面から流れていた血が止まる。そして刀の刃がずぶずぶと突き出た。体内に刀を収納しているのか。
「勇者(仮)マタタビよ、貴様は紛れもなく吾輩が倒すべき強者だ。貴様に勝ってその座を奪い取る」
「ならどうして、背を向けた僕を斬らなかった? 絶好のチャンスだったじゃないか」
魔人は「むぅ」と唸り、困ったように顎に手を当てる。
「……それは吾輩のやりたいことではない。正々堂々、正面から強者を倒さねば満足せん。それが吾輩の生き様なのだ」
「僕はそういうの、好きですよ。敵味方なんて関係なしに」
勇者(仮)を名乗る僕にとって、こいつは倒すべき敵だ。それでも、自らの生き様を見出して全うしようとするこの魔人が嫌いになれなかった。本心はただ『理想の強者になりたい』だけなのだ。
男が一瞬だけ呆けた表情になり、大笑いした。
「ハーッハッハァ! まさか勇者に『好き』と言われるとは! 面白い奴だ! もっとお前の強さを見せてみろ!」
魔人ムネノリは、3本の刀を僕に向ける。僕はもう一度、刀を上段に構えた。
「お前を倒す。皆を守るために」
「貴様を倒す。吾輩の真の生き様を見せてやるのだ!」
魔人が大地を蹴り、僕に迫った。
そして、決着がつく。
◆◇◆◇◆◇
大使オーラグインは、瞬きせずに事の顛末を見た。
「剣技《四肢奮迅》!」
魔人が大地を蹴る。凄まじい轟音と衝撃が響き、大地が一瞬だけ揺れた。魔人は勇者(仮)に体当たりをする勢いで、3本の刀で彼に斬りかかる。
対して勇者(仮)は、一拍遅れて真後ろに跳躍した。体当たりと1本目の斬撃を空振りさせつつ、2本目と3本目の攻撃を斬り払う。
魔人の怒涛の攻撃は終わらない。一旦地面に足をつけると、再び轟音と共に跳躍して勇者(仮)に迫る。そしてて勇者(仮)の死角になるように背中から「4本目の腕」を生やした。その腕が刀で斬りかかる。
しかしその斬撃を、彼は完全に見切っていたようだ。
勇者(仮)が刀を逆手に素早く持ち替えて、死角からの斬撃を防いだ。逆手持ちのまま、魔人の胴体を袈裟斬りにする。
魔人がよろめき、その場で膝をついた。勇者(仮)は体を捻り、門の壁にトンっと着地する。彼はすぐさま壁を強く蹴り、逆に魔人に体当たりする勢いで襲い掛かった。その勢いで壁に蜘蛛の巣状のヒビが生える。
魔人の胸に、突き出した刀が刺さった。
「剣技《大神実・満開花》!」
魔人の全身を貫いて、巨大な桃の木が生える。濃霧の中にあっても、立派なその木が満開の花を咲かせたことがわかった。
「アンタは大勢の人を苦しめた。その魂を浄化することで罪を断ずる!」
「……ハーハッハァ」
あれほど巨体だった大鬼族の体がみるみる内にやつれて、桃の幹に完全に融合する。
「吾輩も……その力で……守りた……」
勇者(仮)は刀を引き抜き、じっと魔人の亡骸を見つめていた。
その表情は、勝利の余韻に浸る顔ではない。悲しみと寂しさ、そして少しの怒りをないまぜにしたようだった。
「大使様、さあ宮殿の中へ」
勇者(仮)がオーラグインの手を引っ張る。
オーラグインは、彼に投げかける言葉を失った。
ふたりとも無言のまま、門をくぐる。
◆◇◆◇◆◇
アタシは意識を取り戻す。
映る景色は、相変わらずの濃霧に覆われた森の空。全身に走る痛みで顔が歪む。どうやら、地面に仰向けに落ちたようだ。体を起こして、髪についた葉っぱやマントに刺さった羽を払う。
握っていた箒を素早く確認。大丈夫だ、体も武器も折れてない。
「ホホゥーー! 何をやっているのですかムネノリさん! 勇者を倒す機会を見逃して! 何が正々堂々だ! 死んでどうするのですか!」
遥か頭上で、男の叫び声が木霊した。
なるほど、マタタビが敵のひとりを倒したというわけか。おかげで奴の意識がこっちから逸れた。命拾いしたな。
ゴーグルにはヒビが入っていた。この眼鏡のガラスは、目を通して魔核に干渉する魔術をカットする効果がある。奴の翼についていた目玉模様。あれは精神を操る呪術の一種だ。ゴーグルのおかげで、支配されずに済んだな。
敵を知り、己を知ることが勝利への一歩。
師匠がよく口にしていた言葉だ。ようやく敵の事が少しずつわかってきた。
今朝、王国内で召喚陣が設置されたという話を耳にした。恐らくこいつの魔術だ。半径1キロを超える《念話》に天候を操作する《濃霧》、アタシと戦いつつ他の刺客とやり取りする余裕。神話級か、それ以上の魔導師に違いない。圧倒的に格上ってわけだ。
だが、隠しきれていない奴の癖も見つけた。無意識か知らないが、やたら高所を取りたがる。喋る時は木の枝にとまる。付け入る事の出来る隙だ。
男の叫び声はまだ続いていた。誰かに命令している様子だ。
箒に跨って《飛翔》を発動。目指すは空だ。
「――逃げられると思っているのですか?」
男がこっちに気づき、もの凄いスピードで追跡してくる音が背後から聞こえる。蛇行しながら移動していると、奴が一直線に上へと向かい、アタシの行く手を阻むよう高所に陣取った。
よし、これでいい。一旦急降下し、地面すれすれで大木の後ろに隠れる。
「まさか私の《精神操作》を耐えるとは、有望な魔術士ですねえ」
奴が羽ばたいて、ゆっくり降りてくる音が聞こえた。
「そりゃどーも! アタシは将来、大魔導師になる女だぜ」
声をかけると、羽ばたきがやんで男が枝に止まった気配がした。
「貴方とはもう少し遊びたかったのですが、こちらも忙しくなりました。その首を撥ねて終わりにしましょう」
「へっ、よーくわかるぜ。お前に余裕が無いってのがな。まだ気づいてないか?」
「ホホウ?」
「木の幹を見てみな」
「なにを……」
次の瞬間、奴が止まっている木が大爆発を起こした。
さっき空から降りる時に、木の枝と幹の間に《火球》を過剰に込めた炎魔石を挟んでおいたのだ。奴が見下ろしている間は気づかない、絶妙な位置にである。
魔力を込めすぎた魔石は、ちょっとした震動で魔力を放出してしまう欠点がある。今回はそれを逆に利用してやったのだ。
「ギ、ギイィ――!」
炎に包まれた鳥人族の影が、濃霧越しにも見えた。その隙に《飛翔》で一気に空を目指す。
「この、クソ蝿の小娘が! 殺す!」
炎を払った男の殺意が背中を刺した。ピリピリするが、構わず森を抜けて空に戦場を移す。箒の上に立って、風の波に乗りながら挑発。
「どうした、敬語を使う余裕もないか?」
「ホホゥーー!」
奴の意識が大分こっちに向いた。この隙にマタタビとモモが、刺客を残らず倒してくれるといいんだが。
さて、どこまで食い下がれるかな。




