43. VS魔人ウルウル
千代御苑の外。
アタシは箒片手に、庭園を囲う壁の周囲を歩いていた。同じように巡回している近衛兵と何度かすれ違い、そのたびに職質される。冒険者カードと依頼書を見せると、連中は舌打ちしながら去って行った。人族だから警戒されているようだ。
園遊会は滞りなく進行している。感知魔術には何も引っ掛からない。こうやってぶらぶらしているだけでも気が晴れるもんだ。
お偉いさんがたくさん集まる場所は好きじゃない。むしろ大嫌いだ。
貴族連中の嫌みったらしい喋り声、靴をうるさく鳴らす足音、豪華すぎて無駄の多い食事、ゴテゴテした衣装、きつい香水の臭い、眩しいほどの照明、そして他者を見下す視線。
それらを思い出すだけで腸が煮えくり返り、同時に恐怖でいっぱいになる。女神モモほどじゃないが、連中の集まりはできるだけ避けておきたい。
確かにマタタビに言った「アタシに資格がない」という言葉も本心だ。同時に、園遊会を欠席したかった気持ちを認めなけりゃならん。
路上に落ちていた小石を意味もなく蹴飛ばす。はやく依頼を終わらせて、ふたりと一緒に飯を食いたい。意味もない会話で笑って、トランプで遊んで、魔術の鍛錬を一緒にやりたい。
ああ、そうだよ。もうひとり旅はこりごりだ。まだマタタビやモモと出会って一ヶ月程度だが、師匠と別れてから過ごした3年間よりも、ずっと生きている気がする。
ぼんやりしていると、無意識の内に耳を触っていた。マタタビがくれたピアスの感触を確かめる。……杖を買ったら、余ったお金で礼をしてやろう。
からかい半分で、チキュウ人が告白する時の贈り物を渡すのもいいな。
◆◇◆◇◆◇
異変は突然やってきた。
『リトッチ、大変です! 急に魔人が現れました! マタタビ君が会場に紛れた魔人を追っています!』
モモが慌てたように《念話》を送ってくる。どうやったのかは知らないが、既に侵入されたようだ。だが、アタシが会場に向かう余裕はない。
「……こっちも異変だぜ。一気にきな臭くなってきたな」
近くにいた近衛兵の連中がざわつきながら、森林地帯の空を見上げて指さしている。
それは霧だった。
王都全体を包み込むように、森林地帯から濃い霧がゆっくりと迫ってきている。
近衛兵のひとりがぼんやりと呟いた。
「さっきまで晴れていたのに、珍しいな」
「……いいや、違うな。あれは魔術だ」
一流の魔術士は天候を操作する魔術を習得している。例えばアタシは雨を降らせたり竜巻を発生させることができる。魔術式や詠唱の補助が必要だけどな。だが魔力の消費も激しいし、範囲も精々が数十平方メートルといったところだ。
対して迫ってくる霧は、その濃さや規模の大きさから神話級魔導師が発動していると推測できる。魔力量も桁違いだ。あれが魔術だと信じられないのか、近衛兵がアタシを馬鹿にするような態度を見せた。
「おいおい冗談はよせ。もし魔術だったら、警戒中の魔術士がとっくに気づいているはずだろう」
「遠い場所で発動させているから感知できないんだよ」
「そもそも魔術だという根拠はなんだ?」
「風は王都から森林に向かって流れてる。向かい風なのに迫ってくるんだぞ。園遊会を中止させろ」
近衛兵は動揺しながらも、門番に異変を知らせに行った。
さて、霧を発生させている術者を探すとするか。箒にまたがり、王都の外壁まで到達している霧を観察する。視界が悪いので《風詠み》頼りになるだろう。
「モモ、そっちは任せたぞ。アタシは霧を止めてくる」
『ひとりで大丈夫なのですか? 人の子を信用していますが、また危ない目にあったら……』
モモの不安そうな声を聞いて、逆に少し安堵した。
「さくっと術者を倒してくるさ。夜の晩御飯の心配でもしててくれ」
『……はい。王都の外まで《念話》は届きません。お気をつけて』
「任せろ。行ってくるぜ」
霧があっという間にやってきて、王都を飲み込み始めた。
箒に跨って《飛翔》を発動。空に浮かび、押し寄せてくる霧を睨む。
――帰る場所があるってのも、悪くない。
◆◇◆◇◆◇
野外宴会場。
僕は招待客が談笑している間をすり抜けながら、女神モモに《念話》を送る。
「魔人の狙いはヒメ様、大使オーラグイン、ボクゼン将軍の3人です。嘘の可能性もありますが、まず3人に危険を知らせてください」
『近衛兵に伝えておきます。それとリトッチから報告がありました。この一帯が霧に覆われるそうです。恐らく、濃霧に乗じて行動するつもりでしょう』
「安全第一です。ヒメ様を宮殿に避難させてください」
一旦《念話》を打ち切って周囲を見回す。魔人ウルウルはまだこの場にいるのだろうか?
息を吸い、空を指さしながら大声を出す。
「あっ、本物の忍者だ!」
周りにいた招待客が、訝し気に僕を見た。視線が痛いが今はそんなことを気にしている場合じゃない。
「えっ!? ど、どこでござるか!?」
声をあげた大鬼族の女性文官に素早く飛びついて押し倒した。
「もう逃げられませんよ!」
「し、しまったでござる……! 流石はシノビマスター……!」
こいつが単純すぎて良かった。ウルウルをうつぶせにして腕を抑え、馬乗りになりながら尋問する。
「他の魔人はどこですか」
「あいたたたっ! う、腕が折れるでござる!」
「白状しなかったらポッキリいきます」
「ふ、ふふふ……。これは逃げられぬでござるな。しかし、拙者も馬鹿ではござらん」
嘘つけ。
「我が永遠のライバルよ、今回の勝負は拙者の勝ちでござる!」
どろんと煙が立ち上げ、目の前の女性が「木の丸太」に変身した。
「――変わり身の術!?」
くそ、引っ掛かったのはこっちか!
宴会場でざわめきが起こった。彼らは一様に空を見上げている。
気づけば、霧がすぐそこまで迫っていた。
◆◇◆◇◆◇
千代御苑が、いや王都中が霧で覆われた。かなり濃い霧だ。視界は10メートルくらいしか見えない。近衛兵が声をあげて、招待客を誘導しようとしている。
「モモア、どこですか!?」
『落ち着きなさい、勇者の子よ。既にヒメ様と一緒に宮殿にいます』
「敵のひとりは他人に化けることができます。魔人の気配も消えるので油断しないでください」
『それは……厄介ですね』
「見分け方があります。怪しい人物がいたら『お前は忍者だな』と言ってみてください」
『……? よくわかりませんが、試してみます』
「すぐにそちらへ向かいますね」
駆け出そうとした僕をセンノヒメ王将が呼び止める。
『まって、下さい、勇者様。大使様を、守ってくれません、か』
「ですがヒメ様の身に危険が……」
『私には、たくさんの警護が、います。お願い、します』
刺客に狙われる恐怖からか、声が若干震えていた。本当は怖くてたまらないのだ。どちらを守るべきか迷っていると、女神モモが口を挟む。
『大使を宮殿に連れてきてください。それまでは、私がセンノヒメを守り抜きます』
ここまで言われちゃ、ふたりを信じるしかない。
「わかりました。大使と一緒に合流します」
改めて周囲を見回す。招待客が右往左往している上にこの濃霧だ。誰がどこにいるか目で判断することはできない。
目を閉じて魔核に意識を集中させ、先見の型を発動させる。魔力を感覚器官に流す。地面に手を置き震動を感知し、耳を研ぎ澄ませて声を拾い、潮の香りを嗅ぎ分ける。
――にょろん。
大使オーラグインの声が聞こえた。彼女のブーツの震動に、海人族特有の臭い。大体の方角を察知したので駆け出す。
濃霧をかき分けると、付き人と一緒にいた大使を発見した。彼女もこちらへ気づいて声をかけてくる。
「もし、そこの侍女。この霧は一体どういうことにょろん?」
まずは近くにウルウルがいないか確認しなければ。
「そこにいるのはわかってますよ、魔人ウルウル!」
周囲に向かって適当に声をあげる。大使や付き人達が不思議そうに首をかしげたが、その内のひとりだけが驚愕の表情を見せ、どろんと煙を立ち上げてウルウルの姿に戻った。そしてその場に膝をつく。
「拙者の完璧な《変装忍法》を二度も見破るとは……か、完敗でござる」
やっぱこいつアホだな。
「大使様、下がって!」
ふたりの間に割り込んでファイティングポーズ。魔人ウルウルはハッと顔をあげて、何やらブツブツ喋り始める。
「ま、待って欲しいでござる。拙者はまだ……! では大使は誰が……?」
きっと《念話》だ、誰かと会話しているのか。その隙をついて、一気に接近して拳を振り上げた。……侍女の衣装だと戦闘し辛いな!
ウルウルは紙一重で拳を躱し、頬を大きく膨らませた。
「《火遁術》!」
男の口から大量の炎が吐き出される。すげえ忍者っぽい!
「《大神実》!」
地面から桃の大木を生やして壁を作る。炎が桃の木に阻まれ左右に分かれて地面を焦がす。後ろにいた大使や付き人が悲鳴をあげた。
「マスターは《木遁術》の使い手であったか! なんと素早い発動……!」
桃の木が燃え落ちていく。光魔術を発動させようとするが、すぐに不利であることに気づいてしまった。霧は光を散乱させる。攻撃用の光魔術も習得しているが、果たしてこの場で通用するかどうか。
ウルウルがまた独り言をつぶやいていた。
「拙者が宮殿に? ……しかし……わ、わかったでござる」
魔人がぎゅっと口を結んで僕を見た。その表情は、はしゃいでいた時とはまるで違う。悔しさや悲しみ、そして覚悟をごちゃ混ぜにした複雑な顔をしていた。
彼の目は前に対峙した魔人ジャジャ婆とは違う。魔人ではなく、ひとりの男が苦悩の末に決断したような、悲壮感に溢れる瞳だった。
理由はわからないが、直観する。……この男は、まだ戻れる。後ずさりしてその場を離れようとする魔人に向かって声をかけた。
「待ってくださいウルウル。貴方は本当は、人殺しが嫌いですよね?」
彼は息を飲んだ後、一瞬だけ笑顔を見せる。
「流石はマスター……いやベストマイフレンド。全てお見通しでござるか。しかし拙者は……拙者は……!」
ウルウルが背を向けて走り出す。あっという間に濃霧の中に消えていった。恐らく向かうは宮殿だ。
……まったく、面倒だな。もっとわかりやすい悪人なら簡単に斬れるのに。女神モモに《念話》を送る。
「モモア、忍者がそちらへ行きました。実は……」
『マタタビ君の声を聞いていました。後は任せてください』
こういう時の女神様は、本当に頼りになる。でも合流は出来るだけ早い方がいい。オーラグインに近づいて一礼する。
「ここに留まると危険ですので、宮殿まで誘導します」
「……承知したにょろん。案内を頼むにょろん」
僕は大使と付き人を連れて、濃霧の中を歩き出した。




