4. NOセックス、NO女神
共同生活を始めて数日後。
今日は転生を担当する女神フレイヤがやってくる日だ。転生する前に、僕は女神モモにいくつか確認しておくことがあった。
『モモ様はどうして地上へ行って、信者を増やさなかったのですか』
「信仰ポイントが足りないのです」
『信仰ポイント?』
えっなにポイント制なの?
「私達の間で呼ばれている俗称です。要は信者から徴収した魔力です。その魔力をやりくりして魔法を行使するのです」
『信者からもらった魔力だから、信仰ポイントなのですね……』
間違ってはいないけれど、ポイントカードじゃないんだから。
「女神が恒星ティアマトから地上……すなわち別の星へ移動する際は、大量の魔力を消費しなければなりません」
『なるほど……でも信者がいないから魔力が溜まらない、というわけですね。そもそも他の女神はどうやって信者を増やしたのですか?』
「他の女神はティアマト星系の創造に関わっているので、伝説として語り継がれています。そのため自動的に信者が増えます」
女神モモは世界中で語られている創世伝説を教えてくれた。
◆◇◆◇◆◇
【ティアマト創世記1章1-8節】
原初の女神が光と海をつくられた。
天の女神が空をつくられた。
地の女神が陸をつくられた。
旅する女神が人々を連れてきた。
知恵の女神が人々に知識を授けた。
愛の女神が子孫を授けた。
しかし人々は女神を裏切り、互いに争った。
すると、正義の女神が降臨し人々に裁きを与えた。
◆◇◆◇◆◇
「光と海を作ったのがティアマト姉様です」
女神モモの姉は七人。ちょうど伝説に登場する女神の数と同じだ。つまり姉の女神らは、何もしなくても魔力が簡単に徴収できるわけか。
ふーむ。とすると、女神モモは生まれた時から大きなハンデを背負っていることになる。どうやって魔力を徴収すればよいんだろう。
『他の女神に相談したのですか?』
「ティアマト姉様に相談したら、アストライア姉様と同じようにしてはどうかと言われました」
『アストライア姉様?』
「正義を司る女神です。アストライア姉様は、ティアマト星系が出来た後に姉妹に加わった女神です」
女神モモは彼女の名を口に出すのも嫌なのか、口をへの字に曲げている。よほど彼女に虐められているらしい。
「300年近く何の役目もなかったのですが……【第一次星間戦争】が勃発した際、人々の正義を求める祈りに応じて降臨しました」
『それで正義を司る女神、ですか』
つまり似たようなイベントが地上で発生するのを待つ、というのが正しい方法か。
「ちなみに第一次星間戦争の後、今度は邪神と呼ばれる人類に害をなす存在が現れました。ティアマト姉様が対抗策として生み出したのが、勇者召喚の儀です」
うーん。僕がぱっと有効な策を思いつくはずがない。女神モモが100年間思いつかなかったのだ。考える頭がもっと欲しい。
『知恵の女神には相談しましたか?』
「馬鹿は話しかけるなと罵られました」
うわっ、ひでえな。僕の中での女神のイメージがどんどん悪くなっていくぞ。
『となると、僕が地上へ降りて信者を増やすしか方法が……』
不意に、凄く嫌な予感がした。冷や汗が止まらない。気づいちゃいけない事に気づいてしまったような感覚だ。女神モモを見ると、彼女も顔が真っ青で汗を流していた。桃の香りがする。
勘違いであって欲しいと祈りつつ尋ねた。
『僕が地上へ行く時は、魔力いりませんよね……?』
返事は帰ってこなかった。オーマイゴッドッッ!
◆◇◆◇◆◇
「ちょっとお手洗いに行ってきます」
女神モモがトイレに行っている間も、僕は何か方法がないか考えていた。女神モモの魔力がないと、そもそも僕が勇者として地上へ降りられない。手をこまねいていたら、その内に漂流者だとバレて処刑エンドだろう。
玄関の扉からノック音が聞こえてくる。女神フレイヤが到着したようだ。
『はーい、今開けます』
僕はぴょこぴょこ歩いて、ジャンプしてドアノブにぶら下がる。カチャリとドアが開くと、訪問者が入室した。
「はぁい、こんにちは。フレイヤ姉様ですよモモちゃ~ん」
僕は勃起した。
いや違う! 何を言っているんだ僕は! ぬいぐるみの股間部分の毛が逆立っているだけだ!
つまり実質的な勃起じゃないか!
訪問者は僕を持ち上げて高く掲げる。
「なにこのぬいぐるみ~~可愛い~~♪」
彼女は全身に赤を纏ったような女性だった。深紅のような燃える色の髪、ピアスも口紅もマニキュアも赤色で、その瞳も赤みがかっている。服装ですら煽情的な赤色だ。服が半透明だから豊満な胸と尻がばっちり見える。身長もやや高く、モデルかと見間違えるようだ。
エッチすぎるぞこの女神!
例えるならばキャバ嬢が女神に、いや女神がキャバ嬢にコスプレしたような見た目である。
「あぁ、私もひとり欲しいわぁん♪」
彼女は満面の笑みで僕のお腹に抱き着いてすりすりと顔をこする。何やってんのこの人!? 僕はいま勃起中ですよ!?
『あっ、あっ、離して、あっ、離してください!』
一生懸命に理性を保ちながら返事をする。彼女は僕の頭を撫でながら地面へ降ろした。止めて触らないで、頭も勃起しそうです。
「アナタが勇者マタタビ君ね、初めまして。私が女神フレイヤよん♪」
『ひえっ……』
声を聞くたび、女神フレイヤの香りを嗅ぐたびに頭が沸騰しそうになる。なんなのこの歩くフェロモン拡散機みたいな女神!
男には意地がある。僕は四つん這いの姿勢で必死に理性を保ち、女神フレイヤから離れるよう歩きだした。
「あらん、どこに行くのかしら?」
『つつ、ついてこないでください……』
「ええ~~どうして~~?」
『だ、だって……』
廊下に出ると、トイレのドアが開いて女神モモが出てくる。
『モ、モモ様助けて……』
僕の真後ろから、女神フレイヤが彼女に声をかけた。
「はぁいモモちゃん♪」
「ひぇっ……」
女神モモが僕たちを見ると、へなへなとその場に座り込み、顔を赤らめて股間を手で抑える。いやアンタにもフェロモン聞くの!?
「モモちゃん大丈夫かしらん?」
「ここ、こないでください!」
とにかくこの女神はヤバい! 倫理的に存在自体がアウトすぎる!
僕は四つん這いの姿勢でトイレに近づき、ドアを開けようとした。閉じこもれば耐えられるはずだ。しかし女神フレイヤの方が素早かった。体格差があるので当然である。彼女は手でバンッとドアを抑え、優しくも蠱惑的な声で語りかけてくる。
「ど う し て に げ る の ?」
「ひぇっ……」
『ひぇっ……』
女神モモまで四つん這いで逃げ出した。向かう先は物置のようだ。僕も慌てて後を追う。角を曲がると、女神モモが物置のドアを閉めたところが見えた。僕が近づいてドアを開けようとすると、カチャリと鍵が掛かる音がする。
『モ、モモ様開けてください! 僕を置いてかないで!』
「……」
ドンドンとドアを叩くが返事がない。背後からは女神フレイヤの足音が近づいてくる!
『開けてください、助けて!』
「はぁ……はぁ……あっ……あんっ……」
――ん!?
こ、この女神! 僕を入れなかった理由はこれか! 僕を見捨てた上に自分を慰めてやがる!
叩いていたドアが、影に覆われた。僕は恐怖と興奮で震えて、後ろを振り向けない。
耐えろ、耐えろ木天蓼夢人! ここで理性を失ったら、後で女神モモに変態と罵られプライドがズタズタになるぞ!
女神フレイヤが、前かがみになって僕の耳にそっと呟いた。
「――我慢しなくていいのよ?」
◆◇◆◇◆◇
「私は愛と豊穣を司る女神なの。子供を欲しがる夫婦や、異種族間の恋愛を積極的にサポートしているわぁん」
『それで転生も担当しているのですね』
「勇者召喚の儀で体を失った勇者は、貴方が初めてよん♪」
『あ、あはははは……』
僕は笑ってごまかした。女神フレイヤは居間のソファに座っている。僕は彼女の左足に抱きついていた。もう賢者モードなので冷静に会話ができる。
ああそうだよ! 誘惑に負けたよ!
女神フレイヤの左足には、僕の股間の毛糸がいっぱいついている。あのあと理性を失った僕は、彼女の足に抱きついて盛りのついた犬のように腰を振って果てた。
恥ずかしさで死んでしまいたい。早く忘れよう。
「別に気にしなくていいわよん。ティアマト姉様以外は、みんな私の体を使ったことがあるから♪」
そういうことは言わないでください。他の女神のプライドにも関わる問題です。
いやまて、ということはまさかモモ様も……?
「モモちゃんは右足だったわねえ。ちなみに、私が召喚した勇者もその日の内に腋を使ったわ♪」
そっかあ。みんな負けちゃったんだね。恥ずかしさが少しだけ和らいだ。勇者や女神でも無理なのに、僕が我慢できるはずがないじゃないか。
『あの、お風呂に入ったほうが……』
「そうねえ、モモちゃんが終わるまでお風呂を借りておくわぁん」
そう言って女神フレイヤは風呂場へ入った。その後、風呂場から悲鳴に近い嬌声が聞こえてくる。ウンディーネの声だった。精霊だろうとお構いなしか……
廊下を走る音が聞こえ、女神モモのドアが開閉する音が聞こえた。多分、着替えているんだろう。
数分後、服装を改めた女神モモが居間へやってくる。むすっとした表情はいつも通りだが、頬は紅潮している。
「勝手にフレイヤ姉様を入れましたね」
『本当に申し訳ありませんでした』
僕は土下座してモモ様に謝った。結果論だが、軽はずみなことをしてしまったようだ。
「フレイヤ姉様から変なことを吹き込まれましたか?」
『いいえ、何も』
お互いの名誉のために、ここは伏せておくことにした。女神フレイヤが風呂から上がる前に、二人の関係を聞いておこう。
『あの、フレイヤ様にはどんな虐めを?』
「虐めというよりは辱めですね。フレイヤ姉様のあだ名はセックスモンスターです。ティアマト姉様以外の全員に嫌われています」
『フレイヤ様はモモ様に好意的なようですが……勇者ではないとバラしてもよいのでは?』
女神モモは僕を睨んでヘッドロックをかましてくる。痛い痛い苦しい!
「駄目に決まっています。それに、あんなのに好意をもたれて喜ぶ者はただの変態です。私たち姉妹がフレイヤ姉様にどれだけの辱めを受けたと思っているのですか」
『ぐぇぇ……わかり、わかりましたからギブ、ギブ!』
十数分後、女神フレイヤが居間に現れる。しかしバスタオル一枚の姿だったので女神モモに追い返された。しぶしぶ服を着て現れた彼女はフェロモンを拡散させるが、意志の強さで我慢する。賢者モードの時は結構耐えられるようだ。
「お待たせ~~♪」
「今度から、フレイヤ姉様は家に入らないでください」
「あれー? 機嫌悪くしちゃったかしらん?」
「当然です」
「でも色々スッキリしたでしょう?」
「……っ」
女神モモが顔を真っ赤にして頬を膨らませている。図星なのが丸わかりだ。僕は咳ばらいをして本題に入った。
『僕をどのように転生させるのですか?』
「勇者の場合はぁ、初めてのケースだから……どうしようかしら。魔法で人間の器を作るのがよさそうねえ」
女神モモは彼女を警戒しているが、僕は何となく女神フレイヤを信頼できる気がした。なにせ、僕が漂流者ではないかと疑う様子が全くない。
『あの……転生の前に、相談に乗って欲しいことがあるのですが』
「あら、なにかしら?」
『どうにかして、女神モモの魔力を増やしたいのです』
彼女は察したように手をポンと叩く。
「魔力が無いと、マタタビ君を地上へ送れないわねえ。これも初めてのケースかしら」
そうでしょうね。前途多難すぎる。
「でも、勇者なら《転移》の魔法を覚えられるわよ? 」
「!?」
『!?』
僕と女神モモは無表情だったが、頭上にビックリマークが浮かんでいたに違いない。やばい、僕は勇者じゃないから《転移》とか何も知らないぞ。
必死に少女に目線を送る。契約だろ、何とかして庇ってくれ!
女神モモはしどろもどろになりつつも、必死に考えた頭でこう答えた。
「わ、私が一緒じゃなきゃ嫌だと言うのです。全く困った人の子です」
は?
「マタタビ君は、私の子守歌を聞かないと夜も眠れないのです」
は?
「そんな彼でも、勇者に違いありません。私はしょうがなく、彼をサポートするために一緒に地上へ降りたいのです」
くそったれ、僕が突っ込めないと知ってて無茶苦茶言いやがる。ここで変なことを言って怪しまれたらアウトだから黙ってるしかない。後で頬っぺたつねってやろ。
「モモちゃんも、一緒に地上へ?」
女神フレイヤはきょとんとした表情を見せるが、すぐに真剣な表情に変わって女神モモに顔を向けた。少女は気まずそうに目をそらす。
「モモちゃん……貴方まさか……」
彼女は女神モモの隣に座り、愛おしそうにお腹を撫でた。なんでだ。
「何ヶ月目?」
『いや全然違いますよ!』
なんでそういう方向に持って行くんだこの女神は! 僕が女神モモに手を出したみたいじゃないか!
「あら違うの? だって子守歌を歌う仲だからてっきり……」
いちいち誤解を解くのも面倒だなと思っていると、女神モモが立ち上がって彼女を正面から見つめる。緊張のせいか、少女の体が震えていた。
「フレイヤ姉様、私はもう他の姉様に虐められるのも、塔の中に引きこもっているのも嫌です。だから……勇者であるマタタビ君にお供します」
彼女が自ら「地上へ行きたい」と意志を示した瞬間だった。……しかし、女神フレイヤはあわれみの眼差しを女神モモに送り、両手で彼女の肩を掴む。
「アナタじゃ無理よ、モモちゃん。魔力が無ければ女神と言えど無力なの。地上は危険でいっぱいよ。自分の身も守れないわ」
『モモ様の身は、僕が守ります』
「モモちゃんじゃ信者は増やせないわ。勇者に任せた方が良いわよ」
「それは、やってみないと分かりません」
「まず地上へ降りるのに必要な魔力はあるのかしら?」
『うっ……』
「……」
そう、魔力がゼロでは魔法が使えない。だからこそ、最初の相談に戻るのだ。
『その、モモ様が魔力を増やすための知恵を貸していただけませんか?』
僕なりに精一杯の誠意を見せる。すると女神モモも立ち上がって頭を下げた。
「姉様、私からもお願いします。力を貸してください」
お互いに目が合う。女神モモは不安そうな顔をしていた。これで駄目でも、挑戦した意味はあったと思う。
ため息が聞こえる。やはり無理か……?
「ちょっと嬉しいわあ」
女神フレイヤの明るい声を聞いて顔を上げると、彼女が優しく微笑んでいた。
「初めて、モモちゃんが私を頼ってくれたんだもの。モモちゃんの勇者も良い子だし、気に入ったわ。面白そうだから手を貸すわよん♪」
女神フレイヤがウインクを僕たちに投げかけた。これで一筋の光明が見えた気がする。
『ありがとうございます!』
「ありがとうございます、フレイヤ姉様」
改めてふたりで頭を下げる。再びお互いに目が合った。
女神モモは、嬉しそうな顔をしていた。